第35話 孤立
「なんか眩しいな、これ」
ハヤトの胸から下げた銃の先端には、魔法の灯りがつけられていた。
ハヤトはその灯りに、顔をしかめながら歩いている。
ミリアが持っていた魔法の光を灯した杖は、混乱の中で落としてしまっていた。
さきほど宙に浮かべた魔法の灯りは移動できないため、新たな灯りとしてミリアがハヤトの銃に魔法の光を点けたのだ。
「松明みたいに手に持ったらいいんじゃない?」
ミリアにそう言われて、ハヤトは銃を掲げてみた。
しかし、片手で長時間持つには重たく、左右の手で持ち替えるうちに、肩に担ぐというスタイルで落ち着いた。
騎士たちの足音を頼りに進むハヤトたちだったが、二手に分かれた通路の前でついに足音が聞こえなくなってしまった。
「くそ、どっちかわからん!」
ハヤトがどちらの通路を進むべきか悩んでいると、ミリアが「こっちよ」と片方の通路を指し示した。
「ミリアにはまだ足音が聞こえるのか?」
「地図を覚えているのよ。数分も歩けば上の階層に出るわ。そこからさっき分断された部屋まで行くのにさらに数分ぐらいね」
ミリアが地図を覚えていることにハヤトは感心した。
「すごいな、あの一瞬で覚えたのか?」
「あたしは頭脳派なんだから当然よ……と言いたいけど、あの地図を作ったのはあたしだから、だいたい頭に入ってるのよね」
何にせよ、ミリアが道を把握しているのは頼もしかった。
こんな洞窟の地下深くで道に迷ったら、本当に洒落にならないところだった。
「よし、じゃあ行こう」
「――待って」
先へ進もうとするハヤトを、ミリアが止めた。
どうしたのかとハヤトはミリアを見るが、彼女は無視して耳を澄ませている。
「何か……来る」
驚いて耳を澄ませると、たしかに進行方向の通路から何かが近づいてくる足音が聞こえてきた。
騎士たちの金属質の足音ではない。地面を踏みしだく、重く鈍い足音だった。
「ついてないわね……」
ミリアが悔しそうに唇を噛む。
「何が来るんだ?」
頭ではわかっているはずなのに、現実を受け止めきれないハヤトが聞き返した。
ミリアが答えるよりも早く、それは闇の中から姿を現した。
身の丈2メートルほどの蛇のような表皮を持つ人型の生物。
図太い手足を持ち、手に生えた長い爪は遠目にも鋭そうに見える。
「アサンダー。金属すら引き裂く爪を持つ、Dランクの危険生物よ……」
呻くように言ったミリアの言葉に応えるように、その生物は低く唸り声を上げた。
と同時に、腰を低く落とし、いまにも飛びかかりそうな体勢を取る。
「――させない!」
ミリアが手を掲げると同時に、ハヤトたちと怪物の間に炎の壁が立ちはだかった。
まさに飛びかかろうとしていた怪物は、目の前に突如現れた炎に尻込みした。
「ああ、炎の高さが半分しかない。杖を落としてなければ……」
勢いよく燃える炎の壁の向こうから、怪物がこちらの様子をうかがっている。
ミリアは次の呪文を唱え始めたが、それを見た怪物は炎の壁に飛び込んできた。
「――戻りなさい!」
ミリアの声とともに、地面から複数の石のツブテが飛び出し、怪物に直撃して炎の壁の向こうに押し戻した。
怪物は数歩ふらついたが、すぐに体勢を立て直し、こちらを睨みつけて威嚇の咆哮を上げた。
「あまり効いてないみたいね。あたし、こういう近接戦は得意じゃないのよね」
ミリアは自虐的な笑みを浮かべた。どうやら状況は良くないらしい。
ハヤトは、炎の向こうで唸り声を上げる怪物に目を向ける。
Dランクの危険生物。
兵士ひとりでは立ち向かうのは困難だが、騎士であれば単独で倒せる相手だという。
それならば、魔術師ひとりではどうなのか?
ハヤトは、魔術師の戦闘能力がどれほどのものか聞いたことがなかった。
しかし、魔術師の戦闘力は攻撃に偏っており、たとえ大きな力を持っていても、接近されたら分が悪いというメルヴィアの話を思い出す。
怪物との距離は数メートルしかない。
一度炎の壁を越えられてしまったら、身を守るものは何もない。
だからこそ、ミリアは炎の壁を越えさせないように必死で防いでいるのだ。
ハヤトは、肩に担いでいた銃の存在を思い出した。
護身用に持ってきたものだったが、いまこそ使うべきときのように思えた。
ハヤトは肩から銃を下ろし、射撃の準備を整える。
マガジンがしっかりと装着されていることを確認し、セーフティーを外した。
その間にも、ミリアと炎の壁を越えようとする怪物との攻防は続いていた。
怪物はだんだんとミリアの魔法を巧みに受け流し始め、ミリアの顔に焦りの色が浮かび始めていた。
ハヤトは銃口を怪物に向け、深呼吸をした。
鼓動が速くなるのを感じる。
そして、怪物が再び炎の壁を越えようとした瞬間、思い切ってトリガーを引いた。
ダダダダダダダッ!!
爆音とともに銃弾が発射され、恐るべき威力を持った金属の弾が次々と天井に突き刺さっていった。
「あ、あたらない!?」
慌てて銃口を下げるが、今度は地面に着弾してしまう。
なぜあたらないのかと焦るハヤトの背中に、ミリアの叫び声が届いた。
「バカ! ハヤト、下がりなさい!」
いつの間にかハヤトは怪物の方へ歩み寄り、ミリアと怪物の間に割って入る形になっていた。
やばいと思ったときには、怪物は炎の壁を突き抜け、ハヤトに向かって突進してきていた。
怪物の鋭い爪がハヤトを襲う。
避けきれないと悟ったそのとき、突然、体全体が後ろへ引っ張られた。
ミリアの物体移動の魔法だった。
ハヤトはわずかに床から浮き上がるような形で後方へ飛ぶように下がる。
しかし、怪物の動きはそれよりも速かった。
ハヤトは、スローモーションのように怪物の爪が革鎧の左胸に突き刺さり、そのまま袈裟斬り状に革鎧を切り裂いていくのを見た。
後方へ吹き飛びながら、空中に散らばる革鎧の破片が目に映り、その数を数えていた。
数えながら、「ああ、死んだな」と思っていた。
革鎧がこれだけ引き裂かれたのだ。
その下の胸がどうなっているのかは容易に想像できた。
すぐに血が吹き出すのだろう。楽に死ねるだろうか。痛いのは嫌だな。
――そんな思いが一瞬の間に頭をよぎり、ハヤトは床に転がり落ちた。
「ハヤト!」
ミリアが悲痛な声で叫ぶ。
怪物は次の目標に彼女を選んでいた。
今度はその鋭い爪でミリアの体を引き裂こうと駆け出す。
だが、ミリアの呪文はすでに完成していた。
彼女が怪物に向かって手を挙げると、その周囲にいくつもの光の剣が出現した。
「――行けっ!」
ミリアのかけ声とともに、走り寄る怪物に光の剣が一斉に襲いかかる。
怪物はそのうちの一本を弾き飛ばしたが、残りの剣が怪物を串刺しにした。
苦悶の声を上げて怪物は床に倒れ、そのまま動かなくなる。
ミリアが腕を一振りすると、怪物に突き刺さったままの剣が動き出し、さらにその体を切り裂いていった。
怪物が明らかに絶命したのを確認すると、ミリアは魔法を解除し、光の剣は虚空に消えた。
「ハヤト! 大丈夫!?」
ミリアは足を引きずりながらも、ハヤトに駆け寄ってきた。
床に仰向けで転がっていたハヤトは、ミリアの勝利を見届けると、ゆっくりと視線を天井に移す。
魔法の光に照らされる天井が、とても遠くに見えた。
ミリアはハヤトの横にしゃがみ、胸の手当をしようとする。
だが、ハヤトの胸元を覗き込むと、すぐに手を引っ込めた。
「……大丈夫よ」
「そうか……」
返した声は自分でも驚くほどかすれていた。
残された時間はどれくらいだろうか。
「ミリアは……怪我はなかったか?」
「え、うん。大丈夫よ」
それを聞いたハヤトは安心した。
無駄死にではなかったと思いたい。
この世界に勇者として喚ばれて数ヶ月、勇者らしいことはほとんどしてこなかった。
それでも誰かを救えたのなら、この世界に来た意味があったのかもしれない。
そんな感傷に浸っていると、ミリアがハヤトの顔を覗き込んだ。
「なんかいやらしいこと考えてない?」
「な、おまえ! 人が安らかに死のうとしているのに、なんてことを言うんだ!」
「死んでないでしょ?」
「え?」
ハヤトは胸に手を当ててみる。何の痛みもない。
体を起こして胸元を確認すると、革鎧はばらばらに壊れ、その下の服も切り裂かれていたが、体にはまったく傷がなかった。
「あ、あれ? なんともない?」
立ち上がってみると、吹き飛ばされたときに床に強打した尻が少し痛むだけで、あとはなんともないようだった。
どうやら本当に皮一枚で助かったらしい。
「……よ、よし。先を急ごうか?」
ハヤトは、恥ずかしいことを口走ったのを隠そうと、床に転がっていた銃を拾ってさっさと歩き出そうとする。
しかし、ミリアはその場に座り込んだままだった。
「どうした?」
「悪い知らせがあるわ」
ミリアは床に座ったまま、落ち着いた声で続ける。
「さっきの戦いで足の怪我が悪化して、もう歩けそうにないわ」
ハヤトはミリアのそばにしゃがみ込み、彼女の足を見た。
右足首が腫れ上がっており、見るからに痛々しい。
「あたしはここで待つことにするわ。ハヤトもひとりなら、走ればすぐ合流できるはずよ」
ミリアは気丈にそう言い放った。
ハヤトはすっと立ち上がると、壊れた革鎧を外し始める。
「……なにしてるの?」
ミリアの問いには答えず、鎧を外し終えると、彼女の前で背中を向けて腰を下ろした。
「乗れよ。背負っていく」
ハヤトの言葉に、ミリアは何か言い返そうと口をパクパクさせたが、やがて黙ってハヤトの背中に体を預けた。
「思ったより軽いな」
ミリアを背負ったまま立ち上がったハヤトがつぶやく。
「な、なに言ってんのよ!」
「よし、出発だ。道案内は頼むぞ?」
「う、うん。まかせて」
あれだけ勇ましかったミリアが、背中で小さく感じられた。




