第30話 野営
食事のためにテントを出て、ミリアが集めてきた枯れ木を使って火を起こした。
夕食は鍋に持参した食材を入れて煮込んだ。
食料は最低限しか持ってきていないため、できれば明日以降は現地で食材を集めたいところだ。
そのことをミリアに話すと、彼女は枯れ木を集めながら同時に木の実も見つけていたという。
よく見ると、この鍋に入っている木の実がそれだった。
なかなか悪くない味で、ハヤトはもっと食べたいと感じるほどだった。
最後に残ったスープを一気に飲み干して「ごちそうさま」をする。
明日からは木の実集めを手伝うと言うと、ミリアはつれない態度で断ってきた。
「ハヤトは寝床の準備をしてくれてればいいわ。あたしは自分の身くらいは護れるけど、ほかの人まで面倒は見きれないから」
「……この遠征に参加するとき、身の安全は保証するとか言ってなかったか?」
「言ったわよ。だから、余計なことをさせないわけでしょ。あなたが怪我でもしたら、なんか面倒なことになりそうなのよね」
「面倒って?」
ミリアは手に持った器のスープをスプーンでかき回しながら続けた。
「出発前にマドールから、ハヤトには怪我をさせないように厳重注意されてね。はっきりとは言わなかったけど、どうももっと上からの指示みたい。シア様かメルヴィア様か知らないけど、あなたになにかあったら始末書程度じゃ済まなそうなの」
そんな指示が出ていたとは知らなかったが、ありがたい話だ。
もしシアからの指示であれば、騎士団にも通達が行っているだろう。
彼らは決して友好的ではないが、こうして自分たちを囲むように野営してくれている。
命令が出されているならば、その職務を忠実に遂行するはずだ。
「まあ、俺はゲストだからな。ミリアも俺を丁重に扱ってくれよな?」
と調子に乗って言うと、ミリアの方から何かが飛んできて額に当たった。
「いて!」
「調子に乗らない!」
地面に転がったそれを拾ってみると、ミリアが拾ってきた木の実だった。未調理のためまだ硬い。
「どうしたのですか?」
ふいに背後から声がかかり、振り向くとシアが近衛――ナズリーを連れて立っていた。
ナズリーは何やら毛布のようなものを手に抱えている。
「シ、シア様!?」
「い、いや、なんでもないよ?」
面倒なことにならないようにそう答えたが、よく考えたら、ミリアに対してひと言くらい言ってもらった方が良かったかもしれない。
シアは「そうですか」と言うと、ハヤトの横に腰を下ろす。
ナズリーはハヤトの真後ろに立った。
ハヤトが背後の殺気に身を固くしていると、シアが切り出した。
「初めての遠征でお疲れではないですか?」
「え? いや、うん、大丈夫だよ」
背後からのプレッシャーが気になって落ち着かないハヤトの返事に、シアは頷いて続ける。
「まだ初日です。これから疲れが少しずつ溜まっていきますから、毎日のケアが重要となります」
そう言うと、彼女はハヤトの背後に目で合図を送った。
何が始まるのかとハヤトがビクビクしていると、背後にいたナズリーが前に回り込み、目の前で毛布を広げ始めた。
シアが説明する。
「これからハヤトさんにマッサージを施します。その毛布の上に横になってください」
「え? いや、いいよ! 大丈夫――」
その先を続けられなかった。背後からハヤトの両肩にナズリーの手が置かれたからだ。
肩に軽く力が込められる。革鎧を脱いでしまったことが悔やまれた。
「よろしいですね?」
「は、はい……」
シアの問いに、ハヤトはそう返すしかなかった。
毛布の上に横になると、ナズリーがハヤトの背中にまたがり、肩から下へと順に揉み始める。
――ぐっ! こ、これは……!
容赦ない力でハヤトの体が揉まれていく。
声を上げそうになるが、シアの手前、なんとか耐える。
「どうですか? ナズのマッサージは効くでしょう?」
「…………!」
痛みに耐えているハヤトには、もはや返事をする余裕がなかった。
マッサージは全身に及んだ。
時間にして15分程度だったが、ハヤトにはそれが1時間にも感じられた。
「今日のところはこのぐらいでいいでしょう。明日も早いですから、なるべく早くお休みになってください」
そう言い残し、シアはナズリーを連れて去っていった。
「シア様は、ずいぶんとハヤトのことを気にしているみたいね」
全身の痛みに体をさするハヤトにミリアが耳打ちした。
ハヤトは涙目で答える。
「めっちゃ痛かったんだけど……」
「あなた、貧弱なのねえ。彼女はシア様にもマッサージしているんだから、かなりの腕のはずよ?」
ひょっとすると、この世界の人間は元の世界の人間よりも頑丈なのかもしれない、とハヤトは思ったが、ナズリーが意図的に力を込めていたのではないかとも感じた。
シアに気づかれないよう、ハヤトが耐えられる限界を見極めた所業。
シアは「今日のところは」と言っていた。
明日以降もこれが続くのかと思うと、気が滅入る。
「さて、そろそろ寝ましょうか」
ミリアに促され、ハヤトは焚き火を消してテントに入ろうとする。
そこで、ふと天を見上げ、一面に広がる星の海に息を呑んだ。
これほどの星空は見たことがない。
ハヤトは目をすばやく天に走らせたが、知っている星座はひとつも見当たらなかった。
それもそのはず。この世界は別世界なのだ。
天にひときわ明るく輝く月が、それを物語っていた。
この世界の月は青白く、不思議なほど冷たい光を放っている。
まるで心まで凍てつかせるかのような光だ。
ハヤトは、いまさらながら別世界に来てしまったのだと痛感した。
「何してるのよ? さっさと入りなさい」
「ああ」
ミリアの声に、ハヤトは我に返る。
いまはミリアの存在がありがたかった。
少なくとも、この別世界で自分はひとりではない。
テントに入ると、ハヤトはすぐに寝る準備を始めた。
バックパックから毛布を勢いよく取り出すと、一緒に何かが転がり出て、ミリアの前で止まった。
「何これ?」
ミリアはそれを拾い上げ、手のひらに載せて眺めたが、すぐにつまらなそうな顔をした。
「なんだ、魔法で動く方位針ね。魔力のないハヤトがなんでこんなものを持ってるのかしら?」
そう言われて、ハヤトはそれが昨晩メルヴィアが並べて見せた魔法道具のひとつであることに気づいた。
結局すべて断ったはずなのに、どうしてバックに入っているのだろうか。
そこでハヤトは思い出す。今朝、出発前にメルヴィアの部屋に呼び出されたことを。
急いで部屋を出ようとしたが、バックを掴まれて引き留められたのだ。
「あのときに入れられたのか……」
そのとき、ミリアが突然小さく叫び声を上げた。
「――なによ、これ!」
驚いてハヤトが目を向けると、彼女は手のひらに載せた方位針を険しい顔で見つめていた。
「これ……この小さな筐体に、恐ろしいほどの魔力が込められてるわ」
「それが何か?」
ミリアはしばらく方位針を睨んでいたが、やがて口を開く。
「昔、ある国が一般兵にも使える魔法爆弾として、似たようなものを開発したことがあったわ」
「……魔法爆弾?」
「小さな球状の筐体に魔力を圧縮して込めて、衝撃を与えれば魔力が暴走して爆発する兵器。一般兵士に持たせて実戦投入し、一定の戦果を上げたけど、すぐに廃止されたわ。倒した敵の数よりも、運搬途中で暴発して負傷した味方の数のほうが多かったって話」
「……その手のひらに載ってるのがそれなのか?」
「実物を見たことはないわ。でも、単なる方位針にこの魔力量は絶対におかしい」
ミリアは顔を上げてハヤトを見た。その表情には、いまだ険しさが残っている。
「これ、メルヴィア様が作ったものなんでしょ?」
ハヤトは黙って頷く。
「……何か恨みでもあるのかしら? それとも……」
恨み? こちらが恨むことはあっても、あちらに恨まれる理由はないはずだ。
ハヤトはそう考えながら、ミリアの次の言葉を待った。
だが、ミリアはそれ以上話そうとはしなかった。
「それとも、なんだよ? 最後まで言ってくれよ」
「……なんでもないわ」
ハヤトから目をそらして、あからさまに嘘をつくミリア。
「気になるだろ。そこまで言ったなら、最後まで話してくれ」
視線をそらしたまま、ミリアは小さく声を絞り出した。
「もし、この遠征でハヤトが――死んだら、あなたを元の世界に送り返さなくて済む。ううん、そんなことを望んでる人なんていない……。でも、もし事故か何かがあったら……。そう考える人がいても、おかしくはないのかもしれない……」
最後のほうは、消え入るような声だった。
「はは……、まさか……」
そう笑い飛ばそうとするハヤトだったが、ふと背筋が寒くなる。
以前、メルヴィアからハヤトが元の世界に帰るのを諦めてくれたら助かる、と言われていたことを思い出したのだ。
「ま、いくらなんでもそんなことはないでしょ」
突然、それまでの重い空気がどこかへ消えたかのように、ミリアが軽い口調で言った。
「メルヴィア様のことだから、ついちょっと魔力を込めすぎただけで、ただの方位針でしょ」
そう言うと、ミリアはハヤトの方に方位針を放り投げてきた。
慌ててキャッチするハヤト。
「おまえっ、投げるなよ!」
念のため、衝撃を与えないようにタオルで包み、リュックの奥底にしまい込んだ。
ベースキャンプに戻ったら、すぐにメルヴィアに突き返そうと決意する。
「もう遅いわ。さっさと寝ましょう」
「ああ、そうだな」
ミリアはハヤトとの間に置いた杖の位置を確認すると、毛布をかぶって横になった。
ハヤトも同じように毛布に包まって横になる。
「その杖は越えないでね。明日は日の出の少し前に起きるから。じゃあ、灯りを消すわよ」
そう言って彼女が杖に手を伸ばすと、テントの中の魔法の灯りがふっと消えた。
ハヤトは、何ひとつ見えない暗闇に包まれる。
すぐに眠気が訪れなかったハヤトは、今日一日の出来事を思い返し始めた。
道中で遭遇した危険生物は、近づかれる前に騎士団があっという間に蹴散らした。
メルヴィアが言っていた通り、騎士団の力はたしかなもののようだ。
だが、その騎士団でも敵わない危険生物がいる。
そうした強敵を避けながらどこまで行けるのだろうか。
ミリアは逃げるだけなら問題ないと日中に言っていたが、本当にそうだろうか。
仮にそうだとしても、ベースキャンプが襲われたらどうなるのだろう。
メルヴィアが3ヶ月間ベースキャンプを守りきれる確率は90%と言っていたのを思い出す。
あの数値は、戦力がすべて揃っていた場合の話ではないのか?
そうだとすると、この遠征で戦力を割いている間、ベースキャンプの防衛確率は下がっているのではないか?
不安がどんどん募り、ますます眠れなくなっていると、テントに何かが当たる音が聞こえた。
音は断続的に続き、やがてその間隔が狭まっていく。
――雨だ。激しくはないが、その分、長く続きそうな雨だった。
ハヤトは、雨が降ると寒くなるから注意しろとメルヴィアに言われたことを思い出し、毛布を体に巻き直していると、ミリアの方から声が上がった。
「テントがあるといいわね」
「へ?」
唐突なミリアのつぶやきに、間抜けな返事をするハヤト。
ミリアは暗闇の中で言葉を続けた。
「この間の遠征のときもね、あたし同行したんだけど、テントは持っていけなかったの。夜は毛布ひとつで土の上に寝転んで、雨が降ると本当に辛かった」
前回の遠征でもミリアが同行していたのは初耳だったが、ひとり魔術師が同行していたとは聞いていた。
それがミリアだったのだろうと、ハヤトは納得する。
「雨が降ったら毛布を体に巻いて、その上に防水のローブを着るの。でも横になると水が染み込むから、ずっと座ったままの姿勢でいないといけなくて。寒さもあって朝まで眠れないこともあったわ。眠れなかった次の日の行軍は苦しかった。荷物が石のように重く感じられて、ふらつくけど、置いていかれないよう必死に歩いたわ。そして、ようやくその日の行軍が終わったと思ったらまた雨」
ミリアの弱気とも思える回想を、ハヤトは黙って聞いていた。
「あのときは、本当に泣きたくなったわ」
「――辛かったな」
ハヤトは一言だけ返した。
暗闇の中で、ミリアがハヤトの方に向き直る音がする。
「うん。でも、ゲートの攻略だったからね。頑張ろうと思った。皆が無事に帰れるように、ひとりでも多くの人を王国に返してあげたいって、そう思ったの」
傍若無人で対人関係に問題があると思っていたミリアの意外な一面を知り、ハヤトは驚いていた。
勝ち気と思っていた性格は、表面的なものだったのかもしれない。
「…………ハヤト、起きてる?」
暗闇の中で、ミリアが尋ねる。
「ああ、なんとか」
いつの間にか、心地よい眠気が訪れていた。
「ふふ。もう遅いものね。寝ましょうか。明日も頑張ろ」
「そうだな。寝よう。おやすみ」
「おやすみ……」
暗闇の中で寝返りを打つ音が聞こえた。そして、小さな声が続く。
「……ありがとね、ハヤト」
ハヤトは、眠りに落ちる直前にそう聞いた気がした。
■
翌朝、ハヤトは何か硬いものが顔に当たっている感覚で目が覚めた。
日の出前の薄明かりの中、眠い目を無理やり開けてみると、それはミリアの――
杖だった。
杖のゴツゴツした部分に思いっきり顔を乗せていたのだ。
もしこれが漫画やアニメならラッキーな目覚めシーンかもしれないが、現実は厳しかった。
むくりと上半身を起こし、意識がようやくはっきりしてくる。そして気づいた。
ふたりの中間に置かれていた杖が、かなりハヤトの方に寄っていることに。
杖のすぐ横ではミリアがまだ眠っている。
どうやら寝ている間にミリアが杖ごとこちらに寄ってきたらしい。
ハヤトのスペースは明らかに狭くなり、窮屈だった。
やれやれとハヤトはミリアの肩に右手を伸ばして起こそうとした、そのとき。
バチバチッ!
「うわっ!」
伸ばしたハヤトの手に電気的な衝撃が走った。
ハヤトは悲鳴を上げて手を引っ込める。
一瞬、手の周りに青白い光が見えた。
「――杖を越えたわね?」
右手をさするハヤトに、目を覚ましたミリアが鋭く言い放った。
「いまの、まさかお前が仕掛けたのか?」
「言ったでしょ。杖を越えたら痛い目を見るって」
そうは言っていたが、まさか本当に何か仕掛けていたとは。
「クレアとユーリがハヤトに気をつけろって言ってたけど。まさか本当に……」
「誤解だ!」
そのとき、テントの入り口が開かれた。
顔を向けると、青黒い髪を風になびかせた近衛――ナズリーが立っていた。
「お、おはよう……」
ハヤトは思わず挨拶したが、ナズリーは無言で冷たい視線を向けるだけだった。
そのナズリーの後ろから、シアが顔を覗かせる。
「どうしましたか?」
「い、いや、なんでも」
シアは「そうですか」とだけ言うと、「朝食の準備が出来たので一緒に食べましょう」と声をかけて、ナズリーと共に去っていった。
「朝から心臓に悪いな……」
朝食は4人で取った。
ナズが作ったというスープに白パン。
ハヤトたちのパンは初日の昼食分しかなかったが、シアたちはまだ持っているらしい。
それは文句なしに美味しかったが、食事の場は非常に気まずい雰囲気だった。
ミリアはまったく喋ろうとせず、ナズも口を開かない。
シアだけがハヤトに話しかけ、ハヤトがそれに返しながらの食事となる。
昨晩は眠れたか?
雨が降ったが寒くなかったか?
疲れは残っていないか? 食事は美味しいか?
そんな単発の質問に答えるが、それ以上話が広がらない。
会話が途切れ、しばらくの沈黙が続いたあと、シアが自分の皿のハムをフォークで刺し、ハヤトの皿にそっとおすそ分けをしてきた。
「これは私の王国で作ったハムです。おいしいですから、ハヤトさんもどうぞ」
「……ありがとう」
少し離れたところで食事を取っていた騎士たちがざわついているのが聞こえてくる。
ナズも刺すような視線をこちらに送り、ミリアは能面のような顔で見ぬふりをしている。
シアだけが涼しい顔で平然としていた。
そのハムはおそらく美味しかったのだろうが、気まずくて味はよくわからなかった。
なんとか食事の時間をやり過ごすと、朝日が昇り始めていた。
紅い光が目に眩しい。
「出発の準備をしましょう」
シアの声に、すぐに立ち上がるミリアとナズリー。
きっとこのふたりも居心地が悪かったのだろう。
ハヤトはテントを片付けながら、周りの様子をうかがった。
昨晩テントを張っていたのは騎士たちの半分ほどだ。
残りの騎士たちは昨晩ミリアが話していたように、防水のローブを着て座ったまま夜を過ごしたらしい。
ミリアの話を聞いたときは、テントくらい騎士たちに運んでもらえなかったのかと思った。
だが、騎士たちも自分の分すら用意できていない状況を見ると、それは無理だったのだろう。
日が完全に昇る前に、ハヤトたちは出発した。
ハヤトは昇りつつある太陽に、今日一日の安全を祈った。




