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第29 初遠征

 青い空に爽やかな陽の光。どこまでも広がる草木を揺らす心地よい風。

 そして、ときおり耳に届くのは、野鳥や動物たちの鳴き声。


 この異世界の大自然に、ハヤトは感動を覚えながら歩みを進めていた。


 ベースキャンプでの生活も、慣れてしまえば悪くはないものだった。

 しかし、こうして地上に出てみると、あのキャンプはただの穴蔵にしか思えない。

 歌でも口ずさみたくなるほどの開放感に、自然と足取りも軽くなっていた。


 ハヤトたち一行は、シアを中心に楕円を描くような陣形で進軍している。


 シアを護るように騎士たちが周囲を固め、その後方をハヤトとミリアが歩いている。

 ふたりの位置は、小声ならシアたちに届かない程度の距離に保たれていた。

 

 ハヤトの隣を歩くミリアも、ハヤトと同様に地上の景色を楽しんでいる様子だ。

 小さな鼻歌を口ずさみ、その声がハヤトにだけ届いている。


 地上は危ないというエルルやメルヴィアの話を忘れてしまうほど、平穏な風景が続いていた。

 

 太陽が真上に昇りきったころ、昼食のための休憩となる。


 ハヤトはミリアと共に昼食を取っていた。

 エルルが作ってくれたサンドイッチを頬張りながら、周囲の景色を眺める。

 休憩場所として選んだのは見晴らしの良い平原で、遠くには四足の動物が群れで動いてる姿が見えた。


「のどかだよな……」


 ハヤトがそうつぶやくと、ミリアはうんうんと頷く。


「本当にね。王国にいたころは街で暮らしていたから、こういう景色はあまり見慣れていないの」


 ミリアもハヤトと同じ方角を見つめながら、食事を続けた。


 彼女が食べているのは、内部が白いパンで、ベースキャンプでは一般兵士には支給されない上等なものだ。

 そのパンにチーズを載せて、一緒に食べていた。

 

 ハヤトには白パンは支給されていなかったが、厨房でつまみ食いをしたことがあったので、その美味しさは知っていた。


 一方で、ハヤトが食べているサンドイッチのパンは茶色で、白パンに比べると少し硬い。

 そのサンドイッチには、野菜とハムが挟まれていて、パンの硬さと絶妙に合っていた。

 エルルが特別に作ってくれたこともあり、さらにこの目の前に広がる素晴らしい景色の中で、ハヤトはこれまでの人生で味わったことのない美味しさを感じていた。

 

 いまのハヤトたちにとって、パンは貴重な食料だ。

 この大陸では野生の穀物が手に入らないため、最初に持ち込んだ穀物が尽きてしまえば、もうパンを作ることはできなくなってしまう。

 

 ベースキャンプでの生活でも、週に1回しかパンが食卓に並ぶことはなかった。

 この遠征に持ってきた食料の中にも、パンはいま食べている分だけしかない。


 ハヤトは、その貴重なパンを一口ひとくち噛み締めながら味わっていた。


「ここだけ見ると、地上が危険だなんてちょっと信じられないな……」


 それは、ハヤトの正直な感想だった。


 ベースキャンプを出発してから、この昼休憩までに二度ほど危険生物と遭遇したらしいが、騎士たちがあっという間に撃退してしまっていた。

 ミリアによると、遭遇したのはDランクの危険生物で、この遠征隊の戦力なら問題ないとのことだった。

 

 危険生物。それは地上に跋扈する異形の生物たちで、ゲートの最深部にある「装置」を通じて、さまざまな世界から送り込まれてきたものだとされている。

 魔術師たちは、これらの生物と戦うかどうかの判断基準を設けていた。

 

 午前中に遭遇したのはDランク。

 一般兵士が単独で戦うには危険な相手だが、騎士たちにとっては大した脅威ではないと位置づけられている生物だ。


 その上のCランクになると、騎士でも単独で戦うには危険が伴うが、複数の騎士がいれば問題なく対応できるとされる。

 この遠征団の戦力であれば、そのさらに上のBランクの危険生物まで対処可能とのことだ。


 しかし、さらに上のAランクともなると話は別だ。

 Aランク生物は、ベースキャンプのすべての兵力を合わせても立ち向かうのが困難とされ、まともに戦えば全滅の危険すらある。

 しかし、今回のルートはAランク生物の生息域からは大きく離れているため、問題はないとのことだ。

 

「昼間は見通しも良いし、それほど危険じゃないわ。正面から来る相手なら対処しやすいし、本当に危ない相手なら逃げちゃえばいいんだしね」


「でも、Aランクに出くわしたらやばいんだろ?」


 ミリアは口に入れていたパンを飲み込んでから答える。


「大丈夫よ。Aランク生物の生息地はここから遠いし、そもそもAランクが脅威だったのは、一般兵士やメイドまで連れていたからよ。あたしたちだけなら、逃げれば十分に逃げ切れるわ」


「そうなのか。それなら、少し安心できるな」


 たしかに、この軍団の行軍速度は速い。

 騎士たちは数十キログラムはありそうな金属製の鎧に身を包み、さらに大きな荷物まで背負っているにもかかわらず、すいすいと歩いている。


 ハヤトにとっては、慣れない革鎧と荷物を背負っての行軍は少々大変だった。

 軍団の移動速度はおそらくシアの歩調に合わせているため、ハヤトもなんとかついていけているという感じだ。


 ふと、ハヤトはシアの方を見る。シアは20メートルほど離れた場所で近衛と共に食事を取っていた。

 

 彼女の装備は動きやすそうな革鎧に黒のマント。

 ベースキャンプで着ている白を基調とした服装とは対照的な装いだが、この服装もシアによく似合っていた。


 ぼんやりとシアを眺めていると、いつの間にか彼女の隣に座っていた近衛がハヤトの方を見ているのに気づいた。

 ハヤトは視線がバッチリ合ったことに気づき、慌てて視線をそらす。


「どうしたの?」


 ハヤトの慌てた様子に気づいたミリアが、遠くを眺めていた視線をハヤトに向ける。


「シアの隣にいる近衛、あいつこっちを見てないか?」


「…………別に見てないようだけど?」

 

「そうか、それならいい」


 ミリアが不思議そうな顔をしたので、少し事情を説明することにした。


「なんだか知らないが、あの近衛にはよく睨まれてる気がするんだ。出発前にも睨んできただろ?」


「そういえば、いまにも殺しそうな顔してたわね」


「えっ、そこまでだった?」


「うそうそ。そんなことはなかったと思うけど。気にしすぎじゃない?」


 絶対に気のせいということはない。

 近衛としての立場上、王女であるシアに近づくものには厳しい態度を取るのだろうか。

 

 ハヤトにだけ特別に厳しいというわけではないと思いたかった。

 そこまで考えて、ハヤトはふと、あの近衛の名前を知らないことに気づいた。


「ところで、あの近衛、名前はなんていうんだ?」


「ナズリー・ヴェイン。ヴェイン子爵の令嬢で、ヴェイン家は代々近衛を輩出しているわ。無事にシア様を王国に帰還させられれば、ヴェイン家にとって大きな誉れとなるでしょうね」

 

 ナズリーの態度には、彼女の家柄が影響しているのかもしれない。

 彼女が背負う家族の期待やその歴史が、態度や行動に表れているように思えた。


 さきほどシアの方を見ていたのは不注意だったと、ハヤトは反省する。

 ナズリーを刺激しないよう、もっと気をつけようと心に決めた。


 短い食事休憩が終わると、再び行軍が始まった。


 午前中と同じように、さしたる障害もなく順調に進んでいく。


 やがて、ハヤトはあることに気がついた。

 一行は右へ左へと方向を変えることが多く、本来ならまっすぐ進める場所を、何かを避けるように迂回しているようなのだ。


 その理由を隣を歩くミリアに尋ねてみると、Bランクの生息地域を迂回しているのだという。

 いまの戦力ならBランク生物も倒せるが、無用なリスクを避けるため、できるだけ戦闘を回避しているのだそうだ。

 

 そうしたリスク管理のかいもあって、何事もなく一日目の野営地に到着した。


 そこは山の麓で、木々が程よく生い茂っていた。

 遠くから敵対的な生物に見つかりにくく、野営するには適した場所だった。


 日はすでに傾きかけており、野営の準備をすれば日が暮れてしまいそうである。


「じゃあ、あたしは枯れ木を拾ってくるわ」


 荷物を降ろすなり、ミリアは焚き火のための枯れ木拾いを始めようとする。


 ハヤトも一緒に行こうと申し出たが、危険生物に出くわしたら自分の身も守れないだろうという理由で、足手まといだと断られてしまった。

 「ミリアは大丈夫なのか」と尋ねたが、「大丈夫、大丈夫」と軽く返され、彼女はそのまま森の中へ入っていってしまった。

 

 残されたハヤトは、テントの設営を始めることにした。

 ハヤトがいる場所は、行軍時と同じく騎士たちに囲まれた形で、シアたちとも適度な距離が保たれている。


 テントを組み始めると、すぐに革鎧が邪魔になったので脱いだ。

 事前にベースキャンプで練習していたおかげで、特に苦労することもなくテントを設置できた。


 テントの中に入ると、ハヤトは寝転んだ。

 大人ふたりが悠々と横になれる広さで、ひとりで使うには十分すぎる空間がある。


 寝転がっていると、今日の行軍についての考えが浮かんできた。

 思ったより安全だったこと、風景が素晴らしかったこと、そして歩くのは思った以上に疲れるということ。


 しばらくそのまま横になっていたが、やがて催してきたので、いまのうちに済ませておこうとテントを出た。

 

 外に出て周囲を見渡すと、すでに日が大分暮れている。

 50メートルほど先に、ちょうどよさそうな茂みを見つけた。

 近いから大丈夫だとは思ったが、念のためにサブマシンガンを持っていくことにする。


 騎士たちの間を抜けて茂みに入ると、そこは思ったよりも暗く、いまにも何かが飛び出してきそうな雰囲気があった。

 とっさに反応できるよう、サブマシンガンの安全ロックを外しておく。


 周囲を確認し、何もいないことを確かめてから用を足した。

 結局、何事もなくテントまで戻ってくることができた。


 やれやれとテントに潜り込むと、誰かが中で寝転んでいるのに気づいた。

 

「あら、おかえり。なかなかいいわね、このテント」


 起き上がったのはミリアだった。

 どうやらハヤトがテントを離れている間に戻ってきたらしい。


「なんだ、戻ってたのか。ミリアはテント張らなくていいのか? なんなら手伝うぞ」


「いいの、いいの。このテントに入れてもらうから」


「……は?」


 ミリアの答えに間抜けな声を上げるハヤト。


「ちょっと狭いけど我慢してあげるわ」


「まだ入れてもいいとは言ってないぞ」


「なによ、女の子を外に放り出すつもり?」


 ミリアの荷物が小さいとは思っていたが、どうやらテントを持ってきていなかったようだ。

 初めからハヤトのテントを当てにしていたのだろう。


「……もしかして、俺が必要と言ったのは、自分のテントを持たずに済ませるためだったのか……?」


「そうよ? それくらいしかできることなんてないでしょ」


 人に必要とされることが少し嬉しくてこの遠征に参加した部分もあっただけに、ハヤトは内心がっかりしてしまう。


 ミリアはテントの床に杖を寝かせると、ハヤトに向かってきっぱりと警告する。


「この杖からこっちがあたしの場所ね。この杖を越えたら痛い目見るわよ」


 ミリアの場合、こう言ったことは本当に実行しそうなので恐ろしい。何度かぶたれてるし。

 

 ハヤトは小さくため息をつき、なんとか自分の場所を確保しようとテントの端に身を縮めた。

 だが、ミリアの杖が少しずつこちらに滑り寄ってきているのに気づく。


「……ちょっと待て、俺の場所がどんどん狭くなってないか?」


 ミリアはにやりと笑って肩をすくめる。


「気のせいじゃない?」


「気のせいじゃない!」


 こうして、しばらく杖の押し付け合いをすることになった。

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