第2話 下働き
どうしてこうなったのか?
ハヤトが異世界に来て、一週間が経とうとしていた。
戦力外通告を受けたハヤトは、メイドの少女たちと一緒に掃除や給仕の仕事をしていた。
騎士たちを始めとして、大部分のものから印象が悪かったハヤトは、魔術師団筆頭にして軍団総司令のメルヴィアの担当になっていた。
「なんであんたが私の担当なのよ?」
ハヤトの顔を見るなり、メルヴィアは迷惑そうに言い放った。
「そこにあるのは全部大切なものなんだから、壊したり失くしたりしないでちょうだいよ」
部屋中に散らばった書類や小道具が、足の踏み場もないほどだった。
ハヤトはそれらを片付けさせられ、何かを持ち上げるたびに「持ち方がなってない」「もっと丁寧に運んで」と、次々に注意を受けた。
それでも少しずつ片付けを進め、ようやく半分が終わったと思った。
ところが、そのとき、メルヴィアが隣で箱の中身を床にぶちまけ、「あれがない」「これがない」と騒ぎ始めたのだ。
まるで賽の河原で石を積む苦行のようだ、とハヤトは思った。それが毎日繰り返される。
(俺がこの女の担当になったのは、ほかのものとのトラブルを避けるためだってメイド長は言ってたけど、ただの面倒事の押し付けだよな……)
ハヤトは、メイド用の休憩室でぐったりとテーブルに伏していた。
ここに来てからずっと、苦行のような雑用をやらされ、気が滅入っていた。
ここは地獄だ。まるで、現世で犯した罪を償っているかのように思える。
では、現世での罪とは何だろうか。
怠惰の罪。
そんな言葉がハヤトの頭に浮かんだ。授業も真面目に受けず、いつも落第スレスレでやってきた。
いまでは周りは就職活動に励んでいるが、ハヤトはほとんど活動していない。
このままでは、大学卒業後にはニートになるのは目に見えていた。
授業にも出ず、就職活動もせず、友達付き合いもない。
ただ部屋に籠もって、ネットゲームをするだけの日々。
将来に対する不安はあったが、だからこそ現実逃避もはかどっていた。
いっそのこと、ゲームの世界に行けたらどれほど楽か――そんなことさえ思っていた。
もしかして、そんな怠惰な考えが原因で、ここに呼ばれたのだろうか。
ハヤトがそんなことを考えていると、休憩室に白黒のメイド服を着た少女が入ってきた。
年は10代半ばほどで、金髪ボブの小柄な彼女の名前はエルル。
メイド長からハヤトに仕事を教えるよう言いつけられたメイドで、いつも世話を焼いてくれていた。
エルルは、ハヤトがテーブルに伏しているのを見つけると、そっと近づいてきた。そして、向かい側の椅子にちょこんと座る。
「お疲れのようですね。ハヤトさん」
彼女はハヤトに労りの声をかけた。
「エルちゃん……、俺はもうダメだよ……」
ハヤトは机に突っ伏したまま、力なく返事をした。そんなハヤトを見て、エルルはにこりと笑う。
「ハヤトさん、頑張ってますよ。メルヴィアさまもお褒めになっていたそうですよ」
「えー、あの女が褒めることあるの?」
ハヤトは身を起こし、驚いて尋ねた。
「はい。なんでも、『とてもからかいがいのある、見どころのあるやつ』だと仰っていたとか」
「それ、褒めてないよ……エルちゃん。というか、片付けるそばから散らかしてたのは、俺をからかってたってことかよ、あの女……」
ハヤトは再びテーブルに顔を伏せた。
エルルは「お茶をいれますね」と言って席を立つと、部屋の隅に置かれた水瓶から鉄鍋に水を汲んだ。
そして、石で組み上げられた台の上に鍋を設置し、静かに魔法の言葉を呟く。
すると、台の下で小さな火が燃え始め、石は次第に熱を帯びていった。
ここのメイド全員が習得している火の魔法である。
主にお湯を沸かしたり調理する際に使用する。
電気もガスもないこの世界でも、現代と同じように手軽にお湯を沸かせるのはまったくもって便利であった。
彼女らは、ほかにも水の浄化や明かりの魔法など、未開地での生活を補助する魔法を習得している。
こんな遠征にメイドを連れてくるとはずいぶんと悠長だなとハヤトは最初に思ったものだが、彼女らの働きぶりを理解したいまでは、帯同は必須であったのだと納得していた。
「はい、どうぞ」
エルルは、聖王国で一般的な香り高い紅茶をハヤトに出した。
ハヤトは「ありがとう」と礼を言い、ズズズと紅茶をすする。
紅茶の味には詳しくないが、これは元の世界でもかなり美味しい部類に入るのではないだろうか。
エルルも自分の分を用意し、ふたりでしばらくお茶を飲みながら他愛もない話をしていた。
エルルはおっとりしていて、話すときもゆっくりだ。
いつもにこにこふわふわとしていて、一緒にいるとハヤトは癒やされる気がしていた。
「そうだ。いまの状況、また教えてよ」
ハヤトは、エルルからここの軍団が置かれている状況を一通り聞き出していた。
最初はメルヴィアに聞こうとしたが、彼女に何か尋ねても期待するような答えは返ってこなかった。
それどころか、最後には決まってハヤトの悪口で締めくくられるので、すっかり諦めていた。
そのため、いまではエルルから情報を聞くことにしていた。
シア率いるこの軍団は、船でこの大陸に来たそうだ。
しかし、途中で嵐に遭い、一部の船が脱落。
残った船も海岸間際で座礁し、なんとか上陸を果たしたものの、帰る手段を失ってしまったらしい。
「うーん、そうですね。兵士のひとりが、お化けキノコを採ってきたこと以外は、特に新しい話はありません。そのキノコ、全長1メートルくらいあるそうです。今晩はキノコスープにすることになっていますよ」
エルルは、頬に人差し指をあて、思い出しながら答えた。
「食料が手に入ったのはいい話だね。でも、新しい『ゲート』はいつ見つかるんだろう……」
ハヤトが召喚されてからの一週間、兵士たちは食料確保と周辺調査に総動員されていた。
エルルによると、持ち運んだ食料はまだ大量にあるが、先の見通しが立たない現状では、できるだけ多くの食料を蓄えておくことが重要だという。
そして、それ以上に重要なのが、新しい「ゲート」の探索だ。
「ゲート」とは、ハヤトたちが今いるこの巨大で深い洞窟のことだ。最深部には空間を歪め、次元の扉を開く物質があったらしい。
その物質を使って、王国への帰路を開くのが唯一の生還の道というわけだ。
しかし、エルルもその探索状況については詳しく知らない。ただ、ときどき、探索中に負傷者が出たという話を耳にするだけだった。
「大丈夫ですよ。きっとすぐに見つかります。大勢で探していますし、探索計画を考えている魔術師団の方々は、とても頭がいいんですから」
探索チームの運用計画を立てているのは、メルヴィアと彼女の配下の魔術師団らしい。
探索の進捗を知るためには、やはりメルヴィアから話を聞くしかなさそうだ。
「はあ、しょうがない。午後の掃除のときに、あいつに聞いてみるか……」
そのやりとりを想像するだけで、ハヤトは早くも疲れを感じていた。
■
「遅かったじゃないの」
メルヴィアは彼女の書斎の入り口でハヤトを待っていた。
満面の笑みで立つ彼女の後ろには、明らかに午前中よりも散らかった床が広がっていた。
ニヤニヤしているのは、自分を困らせるために散らかしたからだろうと思うと、ハヤトは自然とため息が出た。
「なによ、その暗い顔は。人の顔を見て、ため息するなんて失礼じゃない?」
メルヴィアは頬をふくらませて、抗議する。
「ほんの数時間前にあれだけ片付けたはずなのに、どうしてこんなに散らかってるんだよ……」
ハヤトはメルヴィアの横を通り過ぎながら、ぼやいた。
「しょうがないじゃない。大事な書類が見つからなかったんだから」
後ろから、彼女の言い訳が聞こえてくる。
「書類を探して……か。それなら、なんで床に石っころが転がってるんだ?」
床には、青白い光をほのかに放つ不揃いなこぶし大の石が無数に散乱していた。
「石っころじゃないわよ。魔力を含んだ魔法石よ。王国では結構な値段するんだからね」
「その魔法石が、なぜ散らかってるのか聞いてるんだ」
「必要だったからに決まってるじゃない」
お決まりの返事が返ってくる。
「じゃあ、そこにあるのはなんだ? 午前中に倉庫へしまうって言って、まとめておいたやつだよな。なんでまた床にぶちまかれているんだよ」
「やっぱり必要になったのよ。でも、もう使わないから今度こそ倉庫に片付けちゃっていいわよ」
ハヤトはメルヴィアを振り返った。
彼女はハヤトの顔を見ると、ぷっと吹き出してそっぽを向いた。
口を抑えて体が小刻みに揺れている。
その姿を見たハヤトは、何か言おうとするのを諦め、片付け作業に取りかかった。
メルヴィアの書斎は、10メートル四方の広さがある。
即席で作られた机と椅子のほか、いくつかの棚が備え付けられている。
棚には、本や書類の束が山積みされ、ハヤトには用途がわからない小道具が詰まった無数の箱が無秩序に置かれていた。
一度、棚の一角を整理しようと思ったこともあった。
しかし、圧倒的に散らかっている床の掃除に追われ、そこまで手が回っていないのが現状だ。
メルヴィアの机は、ベッドほどの大きさがあり、その上にはさまざまな書類がうずたかく積み上げられていた。
書類のほかにも、わけのわからない小道具が所狭しと並べられている。
たとえば、何も入っていないように見えるが厳重に封をされたビンや、あちこちヒビが入ったいびつな短い杖、ぼろぼろになった巨大な羽、曇っていて何も映さない鏡などだ。
どれもガラクタに見えるが、メルヴィアは「とても貴重なものだから扱いには注意なさい」と言う。
しかし、メルヴィア自身はそれらを雑に扱っているのだ。
特に、何も入っていないように見えるビンが机の端に置かれ、書類に押されて落ちそうになる光景は、一度や二度ではなかった。
メルヴィアいわく「これは割ったらたいへんなことになる」ものらしいのだが。
ハヤトは気づくたびに、そのビンを机の中央に戻す。
だが、しばらくするとまた机の端に移動している。
メルヴィアが、ハヤトをからかうためにわざとやっているのかもしれない。
万事、この調子だ。
隙を見ては、ハヤトをからかおうとしているように思えてならなかった。
ハヤトは、床一面に散らかる書類や石、正体不明の小道具を黙々と片付けていく。
こんな苦行のような仕事でも、何もせず一日ぼうっと過ごすよりはマシかもしれない。
何もしないよりも自分に電気ショックを与えることを人は選ぶという話を聞いたこともある。
前向きに考えれば、この世界でやることがあるということだ。
もし、このふざけた女の相手をすることが俺の仕事だというのなら、やってやろうじゃないか。
ハヤトは作業を続けながら、黙々と自らを奮い立たせた。
午後の片付けは、三時間にも及んだ。
メルヴィアがまた散らかそうとする素振りを見逃さないように、ハヤトは注意しながら掃除を進めた。
メルヴィアは部屋を右往左往しながら、書類らしきものを読んでいた。
しかし、ハヤトが目を離すと、すぐに物を散らかそうとする。
それを阻止するために、ハヤトは不定期にメルヴィアを振り返って睨みつけた。
ハヤトが見ている間は、メルヴィアもおとなしくしていた。
傍から見たら、その様子はまるで「だるまさんがころんだ」をしているかのようだったかもしれない。
二度ほどメルヴィアの動きを見逃してしまい、そのせいで余計な片付け作業が増えた。
それでも、なんとか部屋は片付いたのだ。
「あーあ、片付いちゃった」
メルヴィアは、ゲームに負けたとでもいうような感じで、残念そうに言った。
「おまえ、暇なんだろ……」
「暇じゃないわよ。忙しかったわよ。見てたでしょ?」
ハヤトは、掃除中にメルヴィアが何かの書類を大量に読んでいたのを思い出した。
「そういや、何の書類見てたんだ?」
「大切な書類よ」
やはり意味のない返事しか返ってこない。だが、ハヤトには見当がついていた。
「探索の報告書、だろ?」
「あら、脳みそあったのね」
メルヴィアは意外そうな顔をした。ハヤトは続ける。
「探索はどうなってるんだ?」
「大丈夫。全部順調よ」
「順調って、どう順調なんだよ」
「順調は順調よ。つまり、いまのところ大きな問題はないってことね」
ハヤトはわかってるとでもいうように何度か頷いたあと、さらに尋ねた。
「じゃあ、新たな『ゲート』は、いつ頃見つかりそうなんだ?」
メルヴィアは少し考える素振りを見せてから答えた。
「そうねえ。数日、あるいは数週間。場合によっては数ヶ月ってとこかしら」
「それ、情報量ないだろ!」
「そんなことないわよ。最大でも数ヶ月ってことよ。一年はかからないわ」
(最大でも数ヶ月……。それくらいなら、この仕事にも耐えられるか?)
ハヤトが考えていると、メルヴィアは近づいてきてハヤトの顔を覗きこんだ。
「そんなに早く帰りたいの?」
「当然だろ。おまえの相手をするのは疲れるからな」
メルヴィアはむっとした表情をする。
「私のことを『おまえ』と呼ぶなんて、ずいぶんと不遜だわね」
「じゃあ、なんて呼べばいいんだよ?」
「私は聖王国、名門中の名門フォレスティ家のしかも当主なのよ。メルヴィアさまとか、メルヴィア嬢とか、メルちゃんとか、いろいろふさわしい呼び方があるでしょうに」
メルちゃんは絶対にないなとハヤトは心のなかで突っ込んだ。
「ほかの連中にはどう呼ばれてるんだ?」
「知らない」
そう言って横を向いたメルヴィアの顔からは笑みが消えていた。
ハヤトは何か地雷を踏んだのかと思ったが、メルヴィアはすぐにいつもの調子に戻った。
「よし、あんたには、私のことを『メルちゃん』と呼ぶ権利をあげよう!」
「いるかーっ!」
ハヤトは即答した。
「なんでよ!」
ハヤトが休憩室に戻れたのは、それからさらに一時間後であった。