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第17話 怖れ

 ――おまえは怖くないのか?


 さきほどのアレンの言葉が頭に残っていた。


 安全だと思われていた最下層からの襲撃。

 その事実が示すのは、もはやこのベースキャンプ内のどこにも安全な場所がないということだ。


 12階層で出会った可憐なメイドたち。

 彼女たちは、こんな事態が起こるとは夢にも思っていなかっただろう。

 ハヤトやエルルたち7階層のメイドも、明日には同じ運命に巻き込まれるかもしれない。

 

 そう考えると、恐怖がじわじわとこみ上げてきた。

 あのクリーチャー――自分を殺そうとした恐ろしい存在が脳裏をよぎる。

 

 どう考えても、あんな相手と1対1で戦えるとは思えなかった。

 いまもこの暗い通路のどこかに潜んでいるかもしれないと考えると、冷や汗が背筋を伝う。

 

 それでも、どれだけ恐怖を感じても、ハヤトは逃げるわけにはいかなかった。

 エルルやユキナを護りたいという思いがあった。

 

 先日の戦いでユキナを護るために戦えたことは、ハヤトにとって自信につながっていた。

 メルヴィアが助けに来るまでの時間稼ぎに過ぎなかったが、それでも自分にもできることがあると感じたのだ。

 

 書斎に入ると、メルヴィアは沈痛な面持ちで机に向かっていた。

 散らかっているかと思われた書斎は意外にも整然としており、どこにもあのクリーチャーの影は見当たらなかった。

 壁にはマジックドールが小剣を投げつけてできたと思われる傷が残っているだけだ。

 

 そのマジックドールは入り口の横に、甲冑のオブジェのように立っていた。

 甲冑のあちこちに空いた穴が、戦闘の激しさを物語っている。


 ハヤトはメルヴィアの机の前に立った。

 彼女は机に肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せて俯いていた。


 いつものメルヴィアとは違う雰囲気が漂っている。

 何かに怯えるような気配さえ感じられた。


「……もう来ないかと思ったわ」


 メルヴィアは感情を押し殺した声でつぶやいた。

 

 「部屋に引きこもってても、問題が解決するわけじゃないからな。それに、このベースキャンプのどこにいたって危険度は大して変わらないんじゃないか?」


「……そんなことはないわ。いまは中央の7階層が一番安全と考えられるわ。だからシアの居室もそこに移すことを検討中よ」


 メルヴィアは俯いたまま話した。いつもの快活さや傲慢さは影を潜めている。


「ふうん。それでシアは大丈夫なのか?」

 

 ハヤトは、ユキナからシアが防御魔法によって外傷を負っていないと聞いていた。

 しかし、側近がほぼ全滅するという事態に、精神的な動揺がないとは思えなかった。


「身体的な傷はないわ。精神的には……少なからず負担がかかっているはずだけど、表面的には気丈に振る舞っているわ」


 12階層での大量死は、ほとんど面識のないハヤトですら精神的にこたえるものだった。

 シアにとっては日常的に接していた者たちの死だ。平常心でいられるほうがどうかしている。


 ハヤトはメルヴィアの様子を注意深く観察した。

 彼女の瞳は襲撃時の赤みを帯びた色から元の栗色に戻っていたが、目の下には隈ができており、髪や肌にはかつてのツヤがなかった。

 襲撃の事後処理で、心身ともに擦り切れているように見える。


 12階層のメンバーは、メルヴィアにとっても親しい存在だったのだろうか。

 彼女の変わりようを目にして、ハヤトは胸が痛んだ。

 

「おまえも相当疲れてるようだが、大丈夫か?」


「……心配してくれるの?」


「そりゃあまあ、事態が事態だしな。そういや、おまえは怪我とかしなかったのか? ああ、負傷してもシアが治してくれるか。」


「……怪我はしなかったわ」


 それなのに、この変わりようはやはり精神的にこたえているのだろう。

 

「あんたこそ……大丈夫なの? ここに……、ここに来るのが怖くなかったの?」


 メルヴィアは恐るおそるといった様子で尋ねた。その問いかけには、どこか怯えがにじんでいるようにも感じられた。


 ハヤトはその問いにムッとして、即座に答えた。


「ぜんぜん怖くないね」


 嘘だった。

 

 しかし、さっきのアレンもメルヴィアも、みんなしつこく「怖くないのか」と聞いてくる。

 だから、反発したくなったのだ。


 実は今朝、「書斎に行く」とユキナに言ったときにも同じことを聞かれていた。

 こうも立て続けに聞かれると、まるでみんながハヤトを臆病者扱いしているようで、不愉快だった。

 

「……本当に?」


 メルヴィアは俯いていた顔を上げ、信じがたいといった表情でハヤトを見つめる。

 目を合わせて初めて気づいたが、その白目部分はひどく充血していて、疲れが色濃く見えた。

 

 メルヴィアはハヤトに尋ねた。


「もしかして……頭を打ったときに記憶を失ったの?」


「いや、覚えてるさ。あのときは……、助けてくれて、ありがとうな」


 言いそびれていた礼をようやく伝えることができた。

 

 あのとき、メルヴィアが来ていなければ、間違いなく死んでいただろう。

 いつも腹が立つことばかりの女だが、命の恩人であることには変わりない。感謝せねばなるまい。


「……やっぱり記憶はあるのね。……………………どう思った?」


 メルヴィアは再び俯き、机の上を見つめたまま動かない。


 ハヤトは部屋を見回し、壁についた戦いの跡に視線を移した。


「正直、死を覚悟したよ。でも、戦っているときは不思議と怖くはなかったな。なんでだろうな」


 戦いの最中は無我夢中で、恐怖を感じる余裕すらなかったのだろう。

 死を覚悟したときは、恐怖よりもユキナを護れなかったことへの罪悪感と悔しさがあったように思う。


 死が迫っても、勇者の力が発揮されることはなかった。

 結局、メルヴィアの言うとおり、自分は無力なのだろう。


 だが、その無力さの中で精一杯戦った自分が、ほんの少しだけ誇らしかった。

 

 メルヴィアはただ黙って聞いていた。

 自分の話を続けても面白くないと思ったハヤトは、話題をメルヴィアに戻す。


「あのクリーチャーの大半はおまえが片付けたんだろ? おまえ、やっぱりすごいんだな。戦闘力53万ってのは正直、誇張だと思ってたよ。そうそう、あの姿……あれって前に言ってた変身ってやつか?」


 メルヴィアは静かに頷いた。

 

「すごかったな、あれ。でも、実はまだ変身を残してるんだろ?」


 その言葉に瞠目し、メルヴィアは顔を上げた。


「どうしてわかるの?」


「いや、なんとなくだよ。勘ってやつさ、ただの」


 メルヴィアの返答にハヤト自身も驚いていた。


(やっぱり、変身を残してやがったのか、こいつ……)


 この調子だと、 ひとりでほかの全員よりも強いというオチになるんじゃないか、という考えが頭をよぎる。


「まあ、さらに変身できるのなら頼もしい限りだな。おまえがいて本当によかった。このベースキャンプの命運はおまえにかかっている。頼んだぞ!」


 メルヴィアは無言で聞いていたが、やがて吹き出した。


「ぷっ。立場が逆でしょうが。あんたが勇者で、こっちは喚び出した側よ。まったく、勇者の自覚がないのね」


「そうは言ってもな、死が迫っても勇者の力なんて出なかったよ。結局、おまえの言うとおり、そんな力は俺にはないみたいだ」


 ハヤトも苦笑いを浮かべた。


「力はないって、前から言ってたでしょ。でも、勇者は勇者なんだから、ちゃんと自覚してほしいわね」


「力のない勇者って、一体どんなもんなんだ? よくわからないぞ」


「わからない? 鏡は棚に置いてあるわよ」


「いらんわ!」

 

 いつもの軽口が戻ってきたのを聞いて、ハヤトはやっと安心できた気がした。

 

 メルヴィアと共に笑い合う。

 小さな笑いではあったが、襲撃以来、本当の意味で笑ったのはこれが初めてだった。


「あんまり笑わせないで。涙が出ちゃう」


 メルヴィアは笑いながら目を擦り、机の上にあった書類で顔を拭うと、それを丸めてハヤトに向かって投げつけた。


 ハヤトは半身になってそれをかわすと、床から拾い上げてメルヴィアに投げ返した。

 それは思いっきりメルヴィアの額に直撃する。


 メルヴィアの笑顔がすっと消えた。


「いまのはいたかった……。いたかったわっ!!」

 

 その後、ガチ切れしたメルヴィアに散々書類を投げつけられる羽目になった。


「それで、あの化け物たちはどこからやってきたんだ? もう突き止めたのか」


 ハヤトは床に散らかった書類を片付けながら尋ねた。

 

 メルヴィアの様子をうかがうと、むすっとした顔で椅子にふんぞり返っている。

 どうやら、ハヤトが彼女の投げた書類をすべてかわしたことで、不興を買ったようだ。


 メルヴィアは面白くなさそうに口を開いた。

 

「最下層にある『装置』からよ。異世界への扉が開いて、そこからあの危険生物が湧き出てきたの。どうやら『装置』には転送物質を生成する機能があるようだわ。あんたを召喚してから長い間放置していたけど、その間に転送物質が生成されて溜まっていたのね」


 転送物質が生成されるとは、予想外の話だ。

 それが本当なら、転送物質を求めてほかのゲートに行く必要はないはずだ。


 ハヤトがそれを指摘すると、メルヴィアは答えた。

 

「話はそう簡単じゃないわ。転送物質は異世界への扉を確率的に開くけれど、その確率は転送物質が『装置』に近いほど高くなる。このベースキャンプ内に置けば、どこにあっても高い確率で発動してしまうわ」


「じゃあ、次に転送物質が湧いてきたらすぐ使えばいいんじゃないか」


「私たちが狙った異世界への扉を開くには、もっと大量の転送物質が必要になるの。どこでもいいのであれば、少ない量でも自発的に異世界への扉が開いたときに飛び込めば行けるだろうけど、それだと行き先がわからない。それに、少量の転送物質では一度に数十人程度しか通れないから、みんながバラバラの世界に行くことになるわ」


 異世界から湧いてくる怪物を見れば、そこに少人数で逃げ込んだら何が起こるかはハヤトにも容易に予測がついた。


「ううむ。じゃあ、湧いてくる転送物質はどうするんだ? 勝手に異世界に繋がって、この間みたいな襲撃を受け続けることになるのか?」


「そうならないように、いま魔術師団が『装置』を封印する方法を探しているわ。封印できれば、新たな転送物質の生成は止められるはずよ」

 

「仮に封印できたとしても、結局、転送物質はほかのゲートまで行って取ってこないといけないのか……」


 メルヴィアの説明に、ハヤトはゴミを拾う手を止めて、ため息をついた。


 求める転送物質が湧いてくるというのに、少量では使い物にならず、逆に危険だから湧いてこないように対処しなければならないとは、なんとも皮肉な話だとハヤトは思った。

 そして、あることに気がつく。


「待てよ。新たな『ゲート』を発見して、そこにある『装置』から転送物質を持ち帰って、それをここに置いておいて大丈夫なのか」


「大丈夫じゃないわよ。そんなことしたら、最悪、ここにある『装置』と反応して、またあの化け物が大量に湧いてくる、ってこともあるでしょうね。だから、持ち帰った分はすぐ使う必要があるわ」


 椅子にふんぞり返ったまま、メルヴィアは恐ろしいことをさらっと言った。

 

「おいおい、どうすんだよ。俺が帰る分はともかく、おまえらが帰る分って、もしかすると『ゲート』1個分の転送物質じゃ足りないかもしれないんだろ?」


「ここのベースキャンプから十分離れた距離のところに貯蔵庫を作るのよ。でも、あまり離れたところに置くと、別の『ゲート』に近くなる可能性があるから、そんなに遠くには置けない」


「……とすると、別の『ゲート』とここの中間点に貯蔵庫を作ればいいってことか」


「そうね。でも、もっといい場所があるわ」


 メルヴィアは椅子から身を起こし、机の上で手を組んだ。


「別の『ゲート』を落として、そこに貯蓄するのよ。ただし、そのままではそこにある『装置』に反応してしまうから、その『装置』を壊して機能を停止させる」


「なるほど。でも、それならここの『装置』を壊して、ここに貯蓄すればいいんじゃないか?」


 そうしていたら、先日の襲撃もなかったことだろう。

 そう思ったが、ハヤトは口には出さなかった。

 

「それは、できればしたくないわ。『装置』の解析は難しいの。ここにあった『装置』が解析できたのは、偶然といっても過言じゃないわ。別の『ゲート』にある『装置』がここと同じものである保証はない以上、ここの『装置』は壊したくない」


「なるほど……そういう事情があったのか」


「それに、恐らくここの『装置』を壊しても、転送物質が発動する確率は0にはならないわ。どこか遠くの『ゲート』にある『装置』と反応する可能性は常にあるのよ」

 

 転送物質は「ゲート」との距離が近いほど発動確率が上がるが、どれだけ遠く離れてもその確率が0になることはない。

 したがって、転送物質をこのベースキャンプに置いておけば、また前回のような襲撃を受ける危険性があるのだ。

 メルヴィアたち魔術師団は、転送物質をほかの「ゲート」跡地に貯蔵するのが最善という結論に達していた。


 現状について一通りの話を聞き終えると、ハヤトは書斎の掃除に戻った。

 今日は、いつもより散らかっておらず、メルヴィアもあまり散らかすことがなかったため、早めに片付いた。


 メルヴィアは、ある程度元気を取り戻したように見えたが、やはり普段と比べるとどこか疲れているようだった。

 

 掃除を終えたハヤトは、7階層に戻ろうと部屋を出かける。

 そのとき、背後からメルヴィアの声がかかった。


「ちょっと待ちなさいよ」


 まさに部屋を出ようとしていたハヤトが振り返った瞬間、メルヴィアは懐から取り出した何かを投げつけた。


「これを――」


「あたるかよ」

 

 ハヤトがひょいとかわすと、それは硬質な音を立てて床に転がった。

 メルヴィアは泣きそうな顔をして叫ぶ。


「何かわしてんのよ! 受け取りなさいよ!」


 気のせいか、メルヴィアの瞳にうっすらと涙が浮かんでいるようにも見えた。


「何を投げたんだ?」


 ハヤトが床から拾い上げると、それは赤い光を放つ石が銀色の鎖に繋がったペンダントだった。


「なんだこれ? 高そうだな」


「霊験あらたかなお守りよ。持っときなさい」


「……そういうのって、うさんくさいものにつけられる常套句なんだけどな」


「なによ! 私が作ったんだから、ちゃんと効果あるわよ!」


 ハヤトはこういう装飾品が好きではなかったが、ありがたくもらっておくことにした。

 なにせ戦闘力53万の魔術師が作ったお守りだ。効果がないはずがない。


「ありがたくもらっておくよ」


 ハヤトは背中を向け、軽く手を振って書斎を出た。



 

 

 


 


 メルヴィアはハヤトの背中を見送り、彼が去ったあともいつまでも入り口を見つめていた。


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