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第15話 マジックドール

 ハヤトとユキナが書斎に戻って数分も経たないうちに、通路から音が聞こえてきた。


 何かがこの書斎に向かってきている。それもかなりの速さで。

 そして、奇妙な足音だ。靴の音ではない。硬い音。かといって金属鎧の音とも違う。


 ハヤトは嫌な予感を覚えた。


 周囲を見渡し、武器になりそうなものを探す。

 だが、目に入るのは本や書類ばかり。

 振り回せそうなものといえば、せいぜいメルヴィアの小さな椅子くらいだ。

 藁にもすがる思いで、その椅子を部屋の中央まで運んでみたが、どう考えても武器として使うのは無理がある。


 ほかに何か使えるものはないかと、いつか片付けようと思っていた未整理の棚を探してみる。

 棚には箱がいくつも並んでおり、そのうちのひとつを開けてみると、正体不明の小道具が詰まっていた。

 どれも武器には見えない。もしかすると魔法の道具かもしれないが、ハヤトでは使い方が分からない。

 

 そのとき、入り口にそれが現れた。


 シューッという空気の漏れるような音を立てながら、突然姿を現したのは、全身が黒色の硬質な殻に覆われた、体長2メートルほどの生物だった。

 それはファンタジーの世界には不釣り合いな、まるで宇宙生物のような風貌をしている。

 長い尾を持ち、手には鋭い鉤爪がついている。

 あれに攻撃されたら、人間の身体など簡単に裂かれてしまうだろう。


 ガキン!


 それが姿を現し、ハヤトが目視したのとほぼ同時に、入り口で仁王立ちしていたマジックドール――リビングアーマーがそのクリーチャーに槍で攻撃を仕掛けた。

 だが、その攻撃はクリーチャーの硬い殻に弾かれ、有効なダメージを与えていないようだった。

 

「なんだあれ!?」

「どうしてここに……!?」

「敵襲……なのか?」

「ここまで敵が?」


 ハヤトの頭は混乱した。

 まさかの敵襲、しかもこの深層である11階層にまで及んでいる。

 

 最悪の事態を想像し、ハヤトは青ざめた。

 ここまで敵が侵入してきたということは、上の階層はどうなっているのか……。


 しかし、目の前で繰り広げられるマジックドールと異形のクリーチャーの激しい戦闘に、そんな考えはすぐに吹き飛ばされた。

 初めて見る戦闘、しかも相手は見たこともない異形の生物。

 ハヤトはその迫力に圧倒され、思考が追いつかなくなっていた。


 クリーチャーの鉤爪がマジックドールを襲う。

 その攻撃はマジックドールの胸に容易く突き刺さった。

 鋼の鎧を着ていても、一撃で致命傷を与えるほどの恐るべき殺傷力だ。

 だが、マジックドールの鎧の中は空洞であり、胸に多少の穴が開こうが問題にはならなかった。


 クリーチャーの爪が胸に刺さったまま、マジックドールは素早く腰から小剣を引き抜くと、クリーチャーの脇の下に突き刺した。


 クリーチャーが悲鳴を上げ、後ろへと後退する。

 口を大きく開けてマジックドールを威嚇するが、それを隙と見たマジックドールは素早く槍を構え直し、クリーチャーに向かって突きを放つ。

 その一撃は、クリーチャーの口から後頭部へ抜けるように突き刺さった。


 クリーチャーはしばらくの間、槍をつかんで必死にもがいていたが、マジックドールが槍を回転させると、身体を痙攣させ、やがて動かなくなった。


「助かった……のか?」


 ハヤトはいつの間にか呼吸が荒くなっていることに気づいた。

 手には汗が滲み、脚にも力がうまく入らない。

 

 ユキナの方を見ると、彼女は顔面蒼白で立ち尽くしていた。

 ハヤトはユキナに近づき、そっと肩に手を置く。


「大丈夫か?」


 ユキナは我に返ったようにハヤトを見上げる。


「あのマジックドール、強いな。あれがなかったら危なかった」

 

 ハヤトは彼女を落ち着かせようと、無理に笑ってみせた。

 ユキナは黙って頷く。彼女は震えてはいないものの、顔からは血の気が引いていて、いつもより青白く見えた。


 もしマジックドールが突破されたら、自分が盾になってユキナを守るしかない――ハヤトはそう決心した。

 しかし、肝心の武器がない。

 

 もう一度部屋を見渡す。

 普段なら適当なガラクタが転がっていて、その中には武器として使えそうなものもあったかもしれない。

 だが、今日はメルヴィアが書斎に持ち込んだのは魔法石だけで、それも儀式のために実験室へ運んでしまっていた。

 

 せめて魔法石があれば……。

 効果があるかどうかはわからないが、あれは投げるのにちょうど良い大きさの石だ。

 接近戦は避けたい。マジックドールを援護するには、遠距離から投げるものが適しているだろう。

 

 ハヤトは再び未整理の棚に向かい、箱を片っ端から開けていく。

 中にはさまざまな物が入っていたが、投げるのに適したものはなかなか見つからない。

 大きすぎたり小さすぎたり、重すぎたり軽すぎたり。また、形も重要だ。

 できるだけ丸いほうが投げやすい。野球のボールのようなものが理想だ。


「これは……!」


 いくつかの箱を開けたところで、野球のボールよりふた回りほど小さい鉄球がたくさん入っているのを見つけた。

 持ってみると、重さは1キログラム弱といったところだ。これなら武器として使える。

 ハヤトは鉄球の入った箱を部屋の中央まで運び、そこからいくつかの鉄球を取り出した。


 部屋の入り口を見ると、マジックドールが仁王立ちしていた。

 その向こうには、さきほどのクリーチャーの死骸が転がっている。


 口に穴が空き、こちらを向けたまま絶命しているその姿は、なんとも恐ろしい。

 武器を手に入れたとはいえ、これ以上敵が現れないことを祈るばかりだ。

 

 しかし、その祈りは聞き届けられなかった。

 

 廊下の方から、また硬質な足音が響いてきた。それも複数。

 おそらく、さきほどのクリーチャーと同じ種類の敵だろう。

 

 ハヤトは緊張で鉄球を持つ手が震え始め、鼓動が速くなる。

 脚に力が入らない。敵がもうすぐ来るというのに、体が思うように動かない。


 そのとき、ユキナがハヤトの前に立ち、そっと手を握った。そして何かを小さな声で唱え始める。

 吸い込まれるような黒い瞳を見ていると、ハヤトの中にあった緊張がいつの間にか消えていた。

 手の震えは止まり、脚もしっかり地についている。


「……魔法を使ってくれたのか?」


 ハヤトが尋ねると、ユキナは静かに首を横に振った。


「お祈りをしたのです。ハヤト様にご武運があらんことを」


「ありがとう。勇気が出てきたよ」


 ハヤトはユキナに感謝を伝え、入り口へと向かう。

 足音はもうすぐそこまで迫っていた。


「シャー!!」という耳障りな音を鳴らしながら現れたのは、さきほどと同じ全身黒い殻に覆われたクリーチャーだ。


 マジックドールはすかさず反応し、鋭い槍の突きを放つ。クリーチャーは体を捻ってその攻撃をかわし、そのまま回転して尾による強烈な一撃を繰り出した。マジックドールは槍の柄でそれを受け流す。

 

 その直後、クリーチャーの横をすり抜けて別のクリーチャーがマジックドールに跳びかかる。

 マジックドールはそのクリーチャーの両爪の攻撃のうち、片方を槍で防いだものの、もう片方を肩口に受け、鎧の表面を切り裂かれた。

 さらに、そのままクリーチャーと組み合う形になる。そこへ、さきほど尾で攻撃してきた個体が尾を槍のように突き出し、マジックドールの脚を射抜いた。


 これらすべてが、ハヤトの目の前で一瞬にして繰り広げられた。多勢に無勢。マジックドールは押されている。


「うおおおおおお!!」


 ハヤトは雄叫びを上げ、力の限り鉄球をクリーチャーに投げつけた。

 それはマジックドールと組み合っていたクリーチャーの横っ面に命中した。

 

 意表を突かれたクリーチャーがよろめいた隙に、マジックドールは全力で押し返す。

 そのクリーチャーは、後ろから尾を伸ばしていた仲間を巻き添えにし、吹き飛んだ。

 その間に、マジックドールは部屋の入り口で体勢を立て直した。


 体勢を整えたクリーチャーが再びマジックドールに跳びかかる。

 しかし、今度はマジックドールが鋭い突きでそれを撃ち落とす。

 後ろにいたもう一匹のクリーチャーが尾で攻撃しようとするが、マジックドールは入り口の壁をうまく使ってそれをかわし、攻撃を届かせない。


「いいぞ。あの位置なら1対1で戦える」


 ハヤトは新しい鉄球を手に取り、クリーチャーに向かって投げつけた。

 それはクリーチャーの脚に命中し、クリーチャーがこちらを睨みつけた。

 その隙を、マジックドールは見逃さない。

 空間を切り裂くような激しい突きがクリーチャーの横腹をとらえた。鈍い金属音と共に、クリーチャーの悲鳴が響き渡る。

 

 その一撃はクリーチャの殻をやぶり、内臓ごと横腹を切り裂いていた。

 そのままその場に崩れ落ちるクリーチャーの頭を、マジックドールは槍の柄で叩き潰した。


「いや、2対1だな」


 ハヤトはにやりと笑った。


 戦いは順調に進んでいた。

 マジックドールはクリーチャーよりやや強い上に、ハヤトの援護も効果的に働いていた。

 ハヤトが投げる鉄球はクリーチャーに大したダメージを与えているわけではないが、注意をそらすには十分だ。

 一度だけコントロールをミスしてマジックドールの背中に鉄球を当ててしまったが、マジックドールは何事もなかったように攻撃を続けていた。

 生物と非生物の違いによって、ハヤトの攻撃はクリーチャーにだけ有効だった。


 このまま押し切れると思っていたそのとき、何かがマジックドールの足元から飛び出してきた。


 それは蜘蛛のような形をしたサッカーボールほどの大きさの生物だった。

 どうやら、床に転がっている最初のクリーチャーの死骸の口から飛び出してきたようだ。


「ぐえっ、気持ち悪い!」

 

 ハヤトは鉄球を蜘蛛に向かって投げつける。

 しかし、蜘蛛は信じられないほどの速さでそれをかわし、ハヤトに向かって突進してきた。

 ハヤトは体勢を立て直し、床を這ってくる蜘蛛をサッカーボールのように蹴り上げる。

 蜘蛛は数メートル吹き飛び、壁に張りついた。見た目よりもずっと軽い。

 

 壁に張りついたままの蜘蛛に再び鉄球を投げつけたが、蜘蛛は素早くジャンプしてそれをかわした。

 いや、それはかわしたのではなかった。ハヤトに向かって直接飛びかかってきたのだ。

 鉄球を投げて体勢を崩していたハヤトには、それをかわす余裕はなかった。


 「やばい!」


 蜘蛛がハヤトの顔めがけて飛んでくる。背筋に悪寒が走る。

 だが、蜘蛛がハヤトにたどり着くことはなかった。

 マジックドールが投げた小剣が空中で蜘蛛を捉え、そのまま壁へ串刺しにしたのだ。


 助かったと思い、笑みを浮かべてマジックドールを振り返ったハヤトだったが、次の瞬間、全身がこわばる。

 小剣を投げたことで隙ができたマジックドールが、クリーチャーに押し倒される寸前だったのだ。

 両者はもみ合いながら床に倒れ込む。そして、その横をすり抜けるようにして、新たに現れたクリーチャーが部屋に入ってきた。

 

 クリーチャーはハヤトを見ると、まるで笑ったかのように見えた。


 戦慄を感じながらも、ハヤトはそのクリーチャーに鉄球を投げつける。

 だが、クリーチャーはそれを軽く片手で弾くと、ゆっくりと一歩ずつハヤトに近づいてきた。

 

「っ……!」


 背後でユキナの小さな息遣いが聞こえた。


(やばい……。鉄球はまだあるが、効きそうにない)

 

 マジックドールの方に目をやるが、まだクリーチャーともみ合っていて、ハヤトを助ける余裕はなさそうだった。


 クリーチャーがじりじりと近づいてくる中、ハヤトは後ずさる。

 背後にはユキナがおり、下がるスペースはほとんどない。

 ハヤトは意を決して、右手に持っていたふたつの鉄球を同時に投げつけた。

 

 その瞬間、クリーチャーもハヤトに跳びかかってきた。

 鉄球はクリーチャーの肩と腹に命中したが、まったく怯む様子はない。

 体勢を崩していたハヤトは、床に転がるようにして何とかその攻撃をかわした。


 ハヤトは素早く立ち上がり、クリーチャーに向き直る。

 幸い、クリーチャーはユキナには目もくれず、ハヤトに狙いを定めている。

 クリーチャーは再びじりじりと近づいてきていた。


 いまの攻撃をかわせたのは奇跡だった。次は……たぶん、かわせない。

 絶望的な思いでハヤトが後ずさると、背中に何かが当たった。

 それは、さきほど武器として使えないかと持ち出していたメルヴィアの小椅子だった。

 

 そのとき、クリーチャーが再びハヤトに跳びかかってきた。

 ハヤトは咄嗟に椅子を持ち上げ、盾のように構えた。


 次の瞬間、ハヤトは吹き飛んでいた。

 構えていた椅子は木っ端微塵になり、ハヤトは壁に激しく叩きつけられる。

 

 鋼の鎧すら軽々と穴を開けるクリーチャーの爪の一撃だ。

 多少の金属補強が施されていたとはいえ、木製の椅子が耐えられるはずもなかった。

 

 何よりも決定的だったのは、ハヤトにその攻撃を支えきれるパワーがなかったことだ。

 たとえ構えていたのが鉄の盾であったとしても、この一撃を支えきれなかっただろう。

 それほど強烈な一撃だった。


 壁に叩きつけられたハヤトは、一瞬息が止まる。

 すぐに立ち上がろうとしたが、頭も打ったのか目眩がし、脚に力が入らない。

 

 クリーチャーがハヤトに迫ってくる。

 視界の隅で、マジックドールはまだ別のクリーチャーと床で揉み合っていた。

 ぼんやりとした頭で、ハヤトは自分の最期を悟った。

 

 隣でユキナの悲鳴が上がる中、護れなかったことに申し訳ない気持ちが湧いたが、どうすることもできない。

 目の前で見下ろすクリーチャーが、自分にトドメを刺すのをただ見守るしかなかった。


 突然、目の前のクリーチャーが赤い激しい炎に包まれた。

 クリーチャーは悲鳴を上げてもがくがどうにもならず、あとには黒焦げになった塊が残る。

 あっという間のことだった。

 

 入り口に目を向けると、そこにはローブを身に纏う何者かが立っていた。


 闇をまとったかのような漆黒の肌に、宝石のような赤い瞳。 赤い髪が揺れ、両耳の上あたりからは小さな白い角が生えている。

 片手には力なく引きずられているクリーチャーがあり、尋常ならざる膂力を示していた。


 その姿は美しかったが、明らかに人間ではない。

 しかし、ハヤトはすぐにそれが誰かを悟った。

 まったく別人のようになっているが、あれはメルヴィアだ。


 何か言おうとしてハヤトは口を開いたが、急激に意識が遠のく。

 誰かが自分の名前を呼んだような気がしたが、その声は遠く、すぐにハヤトは暗闇へと落ちていった。

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