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第12話 帰還への希望

 6階層の大食堂は、いつも以上に活気づいていた。

 その理由は、もちろん調査隊がゲートを発見したからだ。


 騎士や兵士たちは希望に満ちた表情で食事を取りながら、これからの展望について語り合っている。

 メイドたちも給仕の合間に騎士たちから話を聞き出し、同じように喜んでいた。


「だいぶ明るくなったな……」

 

 ハヤトは食堂を見渡し、しみじみと感じていた。

 

 少し前の襲撃以来、どこか重苦しい空気が漂っていたが、それもいまはすっかり消え、皆が未来に希望を抱いている。

 ハヤトも、元の世界に帰れるかもしれないという期待に胸を膨らませていた。

 だが、それ以上に周囲のみんなの笑顔を見ていると、自然と心地よさを感じ、彼自身も笑顔になっていた。


「ハヤトさん、よかったですねぇ」


 後ろからの声に振り向くと、エルルが両手に食器を積み上げて立っていた。

 その高さは軽く1メートルを超えており、まるで大道芸人のようだった。


「エルちゃん! ほんと、よかったよ」


 ハヤトは急いでエルルの元へ駆け寄り、彼女が抱えていた食器の半分を手に取った。


「ありがとうございます。ふふ、ハヤトさん、本当に嬉しそうですね」


 ハヤトの様子を見て、エルルはクスリと笑った。


「エルちゃんだって嬉しいだろ? 元の国に帰れるんだよ?」


「そうですねぇ」


 エルルは曖昧な返事をしたまま、しばらく黙ってハヤトの横を歩いていたが、ようやく口を開く。


「でも、そうなるとハヤトさんとはお別れですね」


 エルルの方を見ても、いつもと変わらない笑顔を浮かべていた。

 それでも、彼女が「別れ」を口にしたことで、ハヤトの胸には軽い痛みが走った。


「元の世界に帰ってしまったら、もう会えなくなるのかな……?」

 

 ハヤトはエルルと並んで皿を運びながら、そう尋ねた。エルルは首を横に振る。


「わたしには、召喚魔法のことはわかりません」


 ふたりの間に沈黙が流れた。

 

 元の世界に早く帰りたいと思っていたハヤトだったが、エルルと会えなくなると思うと、心の奥に微かな喪失感が広がった。

 この世界に来て一月しか経っていないが、すでにエルルとは別れがたい存在になっていたのだ。


 突然、ハヤトは思いついたように声を上げた。


「そうだ! エルちゃんたちが国に帰ったら、また俺を召喚してもらえないかな?」


 エルルは一瞬目を見開いてパチクリさせたが、すぐにいつもの優しい笑顔に戻って言った。


「わたしはただのメイドですから、勇者さまの召喚なんてできません。でも……また来てくれたら嬉しいです。そうなったら、街を案内しますね」


「いいね、エルちゃんの住んでる街を見てみたいな。でも、そうか、簡単には召喚できないのか……」


 よく考えれば、元の世界に戻るのも一苦労なのだから、遊びでまた召喚してもらえるわけがない。


 ふたりは食器を洗い場に置くと、できたての料理を両手に持ち、それぞれ食卓へと運んでいった。



「なに寝ぼけたことを言ってるの?」


 メルヴィアは大量の書類を机の上に積み上げ、それ以上の書類を床にぶちまけた状態で、ハヤトの質問を鼻で笑った。

 椅子に座ったまま、手に持っていた書類を乱雑に床へとばらまくと、ハヤトの方に向き直り、長い足を組み替えた。

 

「勇者召喚ってのはね、国家的事業なのよ。国家が膨大な時間と資材を投入し、さらにごく限られた才能のある術者を揃えて、ようやくできるかどうかの難事業なの。小国が行おうとすれば、それだけで国家が傾くほどの対価を払うことになるし、大陸で一二を争う強国である私たちの国だって、過去数百年で数度召喚した実績があるだけだわ」


 なんとなく大変なことだとは察していたが、ハヤトは改めてその困難さに驚かされた。

 落胆するハヤトに向かって、メルヴィアはさらに言葉を重ねる。


「仮に無事に王国に帰れたとしても、おいそれと勇者の召喚なんてできないわ。だいたい、仮にまた勇者を召喚することになったとしても、あんたじゃなくて、もっと『ちゃんとした』勇者を呼ぶに決まってるじゃない」


 もっともなことだとハヤトも思った。

 彼は床に散らばった書類を拾い上げながら、メルヴィアに同意した。


「ああ、そうだよな。元の世界に戻ったら、もうこっちには来れないよな……」


 ハヤトが書類を集めている姿を、メルヴィアはしばらく眺めていたが、ニヤリと笑みを浮かべながら口を開いた。


「そもそも、あんたを元の世界に戻すっていうのも、相当な手間なのよねえ」


「えっ?」


 ハヤトは驚いて、書類を拾う手を止め、メルヴィアの顔を見つめた。

 すると、彼女の意地悪そうな笑みがスッと消え、急に真剣な表情で続けた。


「安心なさい。シアがあんたを元の世界に戻すことを約束してる以上、私たちは全力であんたを戻すわ」


 ほっとした様子のハヤトを見て、メルヴィアは再び口元を吊り上げ、悪戯っぽく笑う。


「でもね、もしあんたが戻らなくてもいいって言うなら、その限りじゃないわ。そうよ、あんたを戻すのも大変なんだから、ここはひとつ、元の世界に戻るのを辞退してもいいんじゃないかしら?」


「しないから!」


「ふん、気が利かないわねえ」

 

 メルヴィアは、つまらなさそうに椅子の背もたれに寄りかかった。


「無茶言うなよ……。あ、でも、一旦みんなと一緒に王国へ行って、しばらくしてから元の世界に戻るのはいいかもな」


「それでいいというのなら、そうしてもいいわよ?」


 彼女は急に椅子から身を乗り出してハヤトに確認した。

 なんだか嬉しそうに見えるのが怪しい。何か裏があるんじゃないかと、ハヤトは訝しむ。

 だが、彼の心の中には別の興味も湧いていた。


「せっかくこっちの世界に来たのに、このベースキャンプの外も見てないしな。シアの国にも興味あるし……」


「いいわよ。そうね、王国に帰っても、あんたは家もないんだから、私の領地に来たらいいわ。人の手が入ってない山や森林がいっぱいある、いいところよ」


「それって、ただのど田舎なんじゃないのか?」


「なっ、そんなことないわよ! ちゃんと街もいくつかあるし! 館の周りには人は少ないかもしれないけど、領地全体では結構な数の人がいるんだから!」


 いつになく慌てる様子を見て、メルヴィアはどうやら自分の領地が田舎であることにコンプレックスを持っているらしい、とハヤトは思った。

 今後、これをネタにからかってやろうと密かにほくそ笑む。

 しかし、今は先ほどのメルヴィアの態度に裏がないかを確かめるのが先だ。


「わかった、わかった。それで、王国を見て回ったあとは、ちゃんと元の世界に戻してくれるんだろうな?」


「大丈夫よ。さっきも言ったけど、シアが約束している以上、それが反故にされることはないわ」

 

 別に帰れなくなるってことはなさそうだ。

 じゃあ、何があるんだ? 絶対に何かある。この女のことだ、それは間違いない。


 ハヤトが考えを巡らせていると、メルヴィアがからかうように声をかけてきた。


「それにしてもあんた、元の世界にすぐ戻らないなんて、そんなに私の肩をもみたいの? やっぱりスケベなのね」


「はっ? そんなわけあるか! おまえ、寝ぼけてるのか!」


「なによ。こっちの世界に残って、私の肩をもむ以外に何があるってのよ?」


 メルヴィアは不満そうに声を上げた。


「さっき言っただろ。こっちの世界の見聞を広めたいんだよ。いまのままだと、元の世界に戻っても、こっちがどんな世界だったのかまったく話せないしな」


 それに、エルルともう少し一緒に過ごしたい。エルルに街を案内してもらいたい。

 もちろん、ハヤトはそのことをメルヴィアには言わなかった。

 どんな反応をされるか分からないが、ろくなことにならないだろう、という確信だけはあった。


「元の世界……。そういえば、あんたが来た世界ってどんなところなの?」


 メルヴィアはハヤトの考えに気づかず、彼の元の世界に興味を示した。

 椅子から身を乗り出すようにしている。

 ハヤトは少し考えてから答えた。


「どんなところって、そうだなあ……。魔法はないけど、その代わりに科学が発展してる。王とかいないこともないけど、たいていは民衆が投票で代表を選んで、その代表が政治をしている」


「ふうん、共和制ね。大陸にもそういう国はあるわ。それより、科学ってなに?」


 どうやらメルヴィアは「科学」という言葉を知らないらしい。この世界では科学が発展していないのだろうか?

 ハヤトは科学を説明しようとして、答えに詰まった。簡単に「科学」と言っても、その定義をちゃんと説明するのは難しい。


「改めて『科学はなにか』と聞かれると困るな……。なんだろう、体系化された知識というか、技術というか……」

 

「魔法だって、体系化された知識と技術よ」


「そうなのか。科学も、素人には魔法みたいに見えることがあるけど……。そもそも魔法が何なのかよく分からないから、違いも説明できないな。俺の世界じゃ、魔法は空想上のものってことになってるからなあ」


「空想上のもの? 魔法は生活に欠かせない、当たり前のものじゃない」

 

 たしかに、この世界ではメイドですら魔法を使えるぐらいだから、ごく一般的なものなのだろう。

 それなら、自分にだって使えたっていいはずと思うが、メルヴィアには「魔力がほとんどないから無理だ」と言われていた。


 魔力の有無でできることが変わるなんて、不公平だな。――そうか!


「魔法と科学の違いが分かったよ。魔法は魔力が必要だろ?  科学にはそういう特別な力はいらない。誰がやっても同じようにやれば、同じ結果が得られる。それが違いだな」


「魔力なしで、魔法みたいなことが誰でもできる技術……。魔法みたいって、火を出したり、明かりを点けたり、空を飛んだりできるの?」


「ああ、できるよ」


「え、空も飛べるの? 空を飛ぶなんて、私にもできないわよ」


「ああ。正確には、空を飛ぶ乗り物を作れるってことだけどな」


 メルヴィアは驚いた顔でハヤトを見つめ、口に手を当てながら、何ごとかぶつぶつと呟いていた。

 しばらくすると、小さく「まさか……」と言い、再びハヤトを見た。

 

「古代の書物に出てくる飛空艇。それが作れるっていうの?」


「ああ、そんなところだ。それだけじゃないぞ。夜空に浮かぶ星にだって手が届く」


 ハヤトの答えに、メルヴィアはぽかんとしていたが、不意に腹を抱えて脚をばたばたさせて笑い出した。


「あーはっはっ! わからないことをいいことに、ウソをついてるんでしょ? 星に手が届くわけないじゃない」


 狭い椅子の上でよくそんな器用な動きができるものだ、とハヤトは感心した。椅子から転げ落ちないのが不思議だった。


「いや、手に届くってのは比喩で、そこまで行けるって意味だよ。まあ実際には、ごく近い星に無人の船を飛ばすぐらいなんだけど」

 

「ウソおっしゃい。星は天界にあるものよ。天界は、異世界以上に行くのが大変なところなの。そんなところに行けるわけないじゃない」


 メルヴィアは脚を止め、椅子の上で器用に脚をたたんだ。そして、口元を抑えながら今度は上品に笑った。


「天界って……まあ、そう思うのも無理はないかもしれないけど、実際は星はただ遠いところにあるだけで、同じ世界にあるものだよ」


「同じ世界にあるんだったら、どうして地上に落っこちてこないのよ?」


「遠いところにあるからな。重力が届かない」


 重力という言葉を聞いて、メルヴィアは再び考え込む。


「重力……重さを司る力ね。古代魔法に、重力を操るものがあるって読んだことがあるけど……」


「まあ、俺は科学者じゃないから詳しいことはわからないけどな」

 

 メルヴィアはじっとハヤトの顔を見つめる。

 これまでに見せたことのない、神妙な顔つきだ。


「あんた、そんな凄いところから来たのね。なんでもっと早く言わなかったの? その科学を使って私たちに協力なさい」


「あー、いや、俺はただの一般人というか、学生だから。何もできないよ。科学が生み出した道具も持ってきてないし」


 ハヤトは慌てて否定する。

 メルヴィアはそんなハヤトの姿を見ると、いつものような見下した、それでいて嬉しそうな表情を浮かべた。


「なんだ、やっぱり役立たずなのね」


「くそっ、反論できない……」


 悔しいが、ハヤトは取り立てた能力もない、ごく普通の学生であった。

 元の世界ですらそうなのに、この力が支配する異世界ではなおさら無力だった。

 

 ハヤトは口論しても分が悪いと悟り、黙って片付け作業に戻る。

 メルヴィアもしばらくハヤトを眺めていたが、やがて書類を手に取り、読み始めた。


 ハヤトは掃除をしながら思った。

 力が欲しい。この女を黙らせるくらいの……。

 

 そんな仄暗い思いを抱えながら掃除をしていると、ふと先ほどのことが気にかかる。

 直接元の世界に帰らず、王国に寄ることに対するメルヴィアの反応だ。


 何かが心に引っかかる。

 たしかに、王国に寄っても元の世界に戻してくれるとは言った。

 しかし、それがいつなのかは、彼女は一言も言っていない。

 

 ハヤトは掃除の手を止め、メルヴィアの前に立って問いただした。

 

「ひとつ聞くが、王国に寄った場合、どのくらいで元の世界に戻る準備が整うんだ?」


 メルヴィアは書類から顔を上げ、ニヤリと笑った。悪意に満ちた表情だ。


「言ってなかったかしら? 20年くらいよ」


 その言葉に、ハヤトは憤然とする。


「おまっ、ふざけるな! なんでそんなにかかるんだよ!」


「儀式に必要なものを一から用意するんだから、時間がかかるのよ。まず、祭壇に使う木材は苗木から聖水を毎日かけて育てるから、それだけで10年はかかるし、それから、過去の例から考えると100人の術者が必要になるわ。でも、それだけの数の術者を育てるには20年でどうにか、ってところね」


「俺を召喚した時はそんなにかかってないだろ!?」


「それは『装置』と、この洞窟――『ゲート』があったからよ。王国にはそんなものがないんだから、時間がかかるのはしかたないわ」


 ハヤトは大きくため息をついた。やはり何か裏があると思ったら、これだ。

 最初から一緒に王国へ行く道はなかったのだ。まっすぐ元の世界に戻るしかない。


「なにため息ついてるのよ。いいじゃない、20年くらい。みんなも助かるんだから、それくらい我慢なさい」


「絶対に、俺は元の世界に戻る! すぐにだ!」


 ハヤトは絶叫した。

 

 この日、彼らは一日中、「王国に寄る、寄らない」の言い争いを続けることになった。

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