第10話 日常
「そうなんですかあ、今度は肩もみを始めたんですね。さすがハヤトさんです」
ハヤトはエルルと一緒にお茶を飲んでいた。
エルルはお茶を飲みながら、よくわからないことを口にした。
エルルには独特のセンスがあり、妙な言い回しをすることがある。
「ちっともさすがじゃないよ、エルちゃん」
「すごいことですよ。メルヴィアさまに触れることができる人なんて、ほかにいませんし」
ハヤトは、メルヴィアが由緒正しい家柄であると自慢していたのを思い出した。
シアを呼び捨てにしていることを考えると、相当高い身分なんだろうなと改めて感じた。
「触ったって嬉しくないし……」
ハヤトは努めて冷静に言いつつも、内心ではちょっと役得だと思っていた。
エルルは「ふうん」と言いながら、ハヤトを上目遣いで見つめ、手に持ったクッキーをリスのようにかじっている。
ハヤトは、内心を見抜かれたような気がして、慌てて話題を変える。
「そうそう。このクッキー、おいしいよね。エルちゃんが焼いたの?」
「はい。ここで採れた果実を絞って作ったクッキーです。とっても甘くて、このお茶にピッタリですよね」
「うん、そうだね。そういえば、このお茶、いつもと違うような気がするけど、新しいお茶?」
「ふふ。やっと気づいてくれましたね。このお茶は、ここで採れた葉っぱを使って作ったんです。王国から持ってきたお茶には限りがありますからね。みんなでいろんな葉っぱを試して、ようやく飲めるものを見つけたんです」
ハヤトは、メイドたちの仕事ぶりに改めて感心した。日々の食卓が少しずつ豊かになっていくのも、エルルたちメイド団が新しい食材の調理法を研究しているおかげだ。こんなわけのわからない土地でも生活レベルを向上させていくその活力は、現代社会でぼんやり生きてきたハヤトにとって、とてもまぶしく感じられた。
「どうしたんですか? ハヤトさん。なんだか遠い目をしてますよ」
エルルが首をかしげながら、不思議そうにハヤトを見た。
「いや、エルちゃんは、頑張っててすごいなって。ちょっと感心してたんだ」
「ふふふ。褒められちゃいました。じゃあ、わたしもハヤトさんを褒めてあげます。ハヤトさんとお話してると、わたし、とても元気が出てくるんです。メルヴィアさまも、きっと同じなんじゃないかって思います。ハヤトさんは、わたしたちに元気を分けてくれる勇者さまです」
ハヤトは、エルルに「勇者」と言われてなんだか嬉しかった。自分では勇者という実感はなかったし、勇者の力もあるようには思えない。
エルルは、勇者の力が本当にあると思ってくれているのだろうか?
「シアは俺に勇者の力があるって言うんだけど、エルちゃんはどう思う?」
「シアさまがそう言うんだったら、きっとあるんだと思います」
「でも、あのわがまま女は、潜在能力が全くないって言い切ってるんだよなあ」
「メルヴィアさまがそう言うんだったら、そうなんでしょうね」
ハヤトは苦笑した。エルルは自分をからかっているのか、それともただ素直なだけなのか、ハヤトにはわからなかった。
でも、エルルのこういうところが、ハヤトは好きだった。
「矛盾してるじゃないか」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。結局、勇者の力はあるのか、ないのか、わからないじゃないか」
エルルはしばらく手の中のカップをクルクル回して考えていたが、やがて顔を上げ、ニコリとして言った。
「わたしは、ハヤトさんが勇者の力を持ってたら素敵だなって思います」
エルルの笑顔を見て、ハヤトは元気をもらっているのは自分のほうだな、と改めて感じた。
■
ハヤトは、メルヴィアの書斎で日課となった肩もみをしていた。
メルヴィアの身体は見た目よりもずっと細く、力を入れると折れてしまいそうに思えた。
最初のうちは軽くもんでいたが、何度も「もっと強く!」と言われ、いまでは手が疲れるほど力を入れてもんでいた。
メルヴィアはハヤトに肩をもませながら、机の上に積み上げられた書類を次々と読んでいた。
読み終わった書類は例によって床に投げ捨てていくので、ハヤトは後片付けを思ってため息をついた。
「うん、なかなかいい調子よ」
ハヤトがちょうどいい強さでもんでいるらしく、メルヴィアは満足そうに言った。
ハヤトは嫌味のひとつでも言ってやろうかと思ったが、思いとどまり、代わりに、以前話にあがった魔法の武器について尋ねた。
「なあ、前に話してた誰にも使いこなせない魔法の武器って、どんなものなんだ?」
「国宝とされる神剣よ。その力を引き出せれば、倒せぬ相手はいないと伝えられているわ」
メルヴィアは書類を読む手を止めずに答えた。
「誰も使いこなせないのに、そんなことわかるのか?」
「過去には使い手がいたって話よ。神剣が秘めている力はたしかに膨大なものだから、伝承はあながち嘘でもないと思うわ」
「なるほど。しかし、誰も使えないのに、なんでそんなもの持ってきたんだ?」
「万が一のための切り札よ。でもリスクがあるから、滅多なことでは使えない」
「リスク?」
ハヤトはメルヴィアの肩をせっせともみながら尋ねた。長い時間もんでいるせいで、さすがに手が疲れてきている。
「制御に失敗したら、最低でも使用者は消し飛ぶわ。最悪の場合、このベースキャンプごと吹き飛ぶ可能性があるわね」
「それはやばいな……」
メルヴィアの肩をもむハヤトの手が止まった。
メルヴィアは書類を置いてハヤトの手をピシッと叩くと、ハヤトは思い出したようにまた肩をもみ始めた。
メルヴィアは満足した様子で話を続ける。
「誰も使いこなすことはできない。でも、その力を不完全ながらも引き出せるとしたら、それはシアか私、あとは英雄エイブラぐらいのものでしょうね」
「シアが使えるのか? シアはすごいな!」
ハヤトの手がまた止まり、メルヴィアはさっきより強くハヤトの手を叩いた。
ハヤトは顔をしかめて手を引っ込める。
「さっき言ったように、そのリスクからシアが使うという選択肢はありえないわ。同様に、総司令たる私が使うこともない。使うとしたらエイブラだけよ。でも、優秀なエイブラをイチかバチかの使い方はしたくない。あくまでも最後の切り札。神剣を使うような状況になったときは……きっともう絶望的な状況よ」
「そうか……。シアが使うことはないか。制御に失敗したらこの基地ごと吹き飛ぶくらいだからな。しかし、エイブラって強いって噂をよく聞くけど、やっぱりすごいのか?」
ハヤトは叩かれた手をさすりながら尋ねた。見れば、ハヤトの手は少し赤く腫れていた。
そんなハヤトをメルヴィアは振り返り、いい気味だとばかりに笑みを浮かべた。
「エイブラは、齢16のときに魔獣の群れに襲撃された村をひとりで守り切った、当世の比類なき英雄よ。剣も魔法も一流。兵士たちの憧れであり、騎士団からも一目置かれているわ」
「英雄……、ってことは、エイブラは勇者なのか?」
「いいえ。エイブラは勇者ではないわ」
メルヴィアは首を振った。そして、遠くを見つめるようにして言った。
「勇者というのは特別な存在なのよ。どんなに英雄的な行為を積み重ねても、それはただの英雄にすぎない。勇者は行為を成す前にすでに勇者であり、この世界に生を受けた時から死ぬ時まで、ずっと勇者であり続ける」
(勇者は先天的なものなのか? たしかに、ゲームでも主人公が理由もなく勇者になっていることがある。いや、理由があるときもあるぞ……)
ハヤトはメルヴィアに聞いてみることにした。
「この世界では、勇者の子はやっぱり勇者なのか?」
「そうとも限らないけれど、勇者の子孫にしか勇者は現れないわ。勇者は選ばれしもの。なりたくても努力ではなれないし、辞めたくてもそれが許されない、特別な存在」
「勇者というのはすごいんだな。何かの間違いで、勇者じゃない俺が呼ばれることになったのは、とんだ失敗だったな」
「いいえ。あんたはれっきとした勇者よ」
メルヴィアの顔から笑みは消えており、椅子に座ったまま、強い眼差しでハヤトを見上げていた。
「でも、おまえは俺に潜在能力はないって言ったじゃないか」
「能力のあるなしは関係ないわ。あんたは勇者としてこの世界に召喚された。それがたとえ手違いだったとしても、召喚されたという事実が、この世界であんたが勇者であることを規定している」
メルヴィアが冗談を言ってるのではないことは、明らかだった。だが、ハヤトには自分が勇者であるという実感はない。
「……シアは俺に勇者の力があるって言った。勇者の力って、何なんだ?」
メルヴィアはじっとハヤトを見つめていたが、フンと鼻で笑うと、いつもの人を食ったような笑みを浮かべた。
「そんなもの、ないわよ。おだてれば豚も木に登る。シアが言ったのは、さしずめそんなところね」
「この世界にもそんな表現があるのかよ……。というか、おまえは俺に厳しいな!」
「私は事実を言ってるだけ。力のないものに勘違いさせても、無駄に命を落とすだけよ。あんたのためを思って言ってるの」
なんだかバカにされているような気もするが、一理あることもたしかだとハヤトは思った。
だが悔しい。しかし、悔しいが力がないのならどうしようもない。
ハヤトは自分にできることをするだけだった。肩もみを。




