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私はそれから休み時間のたびにSクラスの教室に向かったが、ランドルフ・ブライトは私が来る前にどこかに逃げているようで、その憎き姿を見る事は出来なかった。そしてなんとも悔しいことに、突き返されたクッキーを渡せないまま放課後を迎えてしまったのである。
何あの徹底した避けっぷり。探しても全然見つかんないし。私がどこから来るかわかってるんじゃないかってぐらい完璧に隠れちゃって。本当に腹立たしくて仕方ないわ!
本日最後のチャンスとなった放課後の現在、私は学院の入口でランドルフ・ブライトを待ち伏せ中である。教室にもいなかったし、スケッチでもしてるのかと思ってわざわざ裏庭にも見に行ったのにいなかったのでさすがに諦めかけたが、ここまできたら意地でもクッキーを渡したい。
ちなみに、ここまで私を突き動かしているのはただのプライドと意地である。帰るためには絶対にここを通らなきゃならないから、待っていれば必ず会えるはず。だから諦めるな私。そう自分を鼓舞し続ける。
誰もいない廊下にポツンと一人。静か過ぎてなんだか落ち着かない。
……まったく。あの男がさっさとクッキーを受け取っていれば私がわざわざこんな事しなくて済んだのに。はぁ、と深く溜息をついた。
……そういえばアイツが描いた絵、学院の入口に飾られてるって言ってたわよね。コンクールで入賞がどうとか言ってたけど、あんな仏頂面で一体どんな絵を描いてるのかしら。まったく想像がつかない。冷やかしにちょっと見てみようかしら。暇だし。ていうか飾られてる場所ってどこよ。きょろきょろと辺りを見渡す。入口って言っても広いんだからさぁ、なんて文句を浮かべながら少し廊下を進むと、その絵は拍子抜けするほどあっさりと見つかった。廊下の白い壁に飾られている絵はいくつかあり、それぞれ額縁に入れられている。どうやらコンクールで最優秀賞を獲った歴代の作品が並んでいるようだった。
その中の、金色の額縁に入れられた一つの絵の前で私は足を止めた。何故かその絵から目が離せない。キャンバスの一面には青い空とシロツメクサ。その中心に、白いワンピースを着た七歳ぐらいの少女が立っていた。少女は何がそんなに楽しいのかとツッコミたくなるほどの満面の笑みを浮かべ、両手をこちらに向かって差し出している。その手のひらには四つ葉のクローバーがひとつ。
心の底からの笑顔とは、おそらくこういう事を言うんだろうなと思った。
水彩画独特の優しい色使いや細かい線が彼女の表情を際立たせ、見ているこっちにも感情が伝わってくるようだ。私は絵のことは詳しくないけれど、実に繊細で柔らかいタッチだ。最優秀賞に選ばれるのも頷ける。何より、この絵を描いた人物がこの少女を大切に思っていることが伝わってきて、なんだか胸がじんわりと温かくなった。
最優秀賞「幸せ探し」
ランドルフ・ブライト
絵の下にはタイトルと作者の名前がしっかりと書いてある。その名前を見た私は脳内処理が追い付かず、開いた口が塞がらなくなった。
……ランドルフ……ブライト?
え? は? ええええ!? あまりの衝撃に何度も目をこすって見直してみるも、そこにはやはり同じ名前が並んでいた。……嘘でしょ。じゃあこれ、本当にあの男が描いたっていうの? こんなに儚気で繊細で柔らかな絵を? うっそだぁ〜。だって、とてもじゃないけどあの毒舌嫌味な仏頂面からは想像がつかない。九割の確率でゴーストライターがいるんじゃないかと思うんだけど。真剣に。
「……うわ」
小さく聞こえたその声に振り向くと、あからさまに嫌そうな顔をしたランドルフ・ブライトが立っていた。やっと来たわね! という文句をぐっと飲み込んで、私はにこりと微笑みかける。彼はそんな私の横をさらりと通り抜けると、何事もなかったかのように歩みを進めた。
……無視ですか。
ったく。よくもまぁこんな超絶美少女を軽々しくいない者扱い出来るもんだわ腹立たしい。だけど負けない。私もすぐにその薄っぺらい背中を追った。歩くのが早いのか意図的に早くしているのか、彼の姿はすでに外に出ている。
「ランドルフ様は歩くのが早いんですね。私、運動が苦手なので走ってやっと追いつきましたわ」
「…………」
「ランドルフ様って絵を描くのが趣味なんでしょう? 廊下に飾られているあの絵はランドルフ様がお描きになったんですの?」
「…………」
「もしかして去年のコンクールかしら? 最優秀賞なんてすごいですわ! 私、思わず見惚れちゃいました」
「…………」
「ランドルフ様、聞いてます?」
「…………」
「ランドルフ様? ランドルフ・ブライト様?」
「…………」
「ラン様? ドルフ様? ランド様?」
「…………」
「おい前髪クソ野郎!! その前髪毛根から引っこ抜いてハゲ散らかされたくなかったらこっち向きなさいよ!!」
「……口悪すぎだろ」
さすがに毛根を抜かれるのは嫌なのか、彼はようやく反応を示して振り向いた。私が満足気に笑みを浮かべると、目の前ではぁ〜、と深い深い溜息を吐き出す。それからギッと睨まれた。元からの目付きの悪さも相まって中々の迫力だ。ま、私にはそんなの全然効かないけど!
「……なんなんだよお前」
「誰もが振り向く超絶可愛い超絶美少女ローゼリア・エアハートですけど?」
「そうじゃなくて……はぁ。それよりお前さ、どこまで付いて来る気? ストーカーで訴えるぞ」
「ランドルフ様がこれを受け取ってくれるまで、かしら?」
「いらないって言ってるだろ。しつこいな」
ラッピングされた袋をわざと見せびらかすと、ランドルフ様は眉間にぐっとシワを寄せて続けた。
「なんでそんなに意地になって俺に付きまとうんだよ。何? お前のこと可愛くないって言ったの恨んでんの?」
「ひどいなぁ。そんなこと全然思ってないよ?」
「……うわ。その笑顔やめろ。気持ち悪い」
「はぁ!?」
不機嫌そうに睨みをきかせたまま、ランドルフ・ブライトが右手を差し出し、これまた不機嫌そうに口を開いた。
「……寄越せ」
「え?」
「店の手作りクッキー」
私はきょとんとランドルフ・ブライトの顔を見る。まさかの展開である。
「なんだよ」
「いや……あの」
いつまでも渡さない私に痺れを切らしたのか袋が奪われた。私は大きな目を開いて茫然と彼を見つめる。
「だからなんだよ」
「いや……受け取ってくれるとは思わなかった、から」
「だってお前これ受け取らないと帰らないんだろ?」
そりゃその覚悟で付け回してたけど……実際に手に取ってもらうとなんていうか……むずがゆい。
「だったら受け取って早く帰ってもらった方が良いからな。ほら、さっさと帰「あれ? ランドルフ?」
彼の言葉を遮ったソプラノボイス。ぱっと振り向いた先には、ミルクティー色の長い髪を揺らした制服姿のご令嬢が立っている。初対面のはずなのに、どこか見覚えのあるような女性だった。
「ランドルフも今帰りなの?」
侯爵令息を呼び捨てにしてるってことは、彼女もそれなりに高位貴族なのかしら。やけに親しげだけど……。そんなことを考えていると、彼女と目が合った。
「わっ!! 貴方学院で一番の美少女って噂の子爵令嬢よね!? うわー! 本物初めて見たけどものすごく可愛いっ!! 噂以上だわっ!! なんでランドルフと一緒に……えっ!? も、もしかして付き合ってるの!?」
彼女は興奮したようにランドルフ・ブライトの肩を叩く。が、彼は心の底から嫌悪を込めたように顔を歪めて言った。
「違うに決まってるだろ。誰がこんな奴と付き合うかよ」
この言動に、ブチリと私の中で何かが切れた。そして気付く。これは絶好のチャンスではないか? と。
私はいつもの数百倍キラキラとした笑顔を顔に浮かべ、ランドルフ・ブライトに向かってわざとらしく甘えた声を出す。
「もう、ランドルフ様ってばいつもそうやって意地悪言うんだから」
「……は?」
顔をピクリと引きつらせたランドルフ・ブライトを無視して、目の前の彼女に自己紹介をする。
「はじめまして。私、ランドルフ様とお付き合いしております子爵家が長女、ローゼリア・エアハートと申します」
「はぁ!?」
ランドルフ・ブライトが珍しく動揺した声を上げるが、私は無視して目の前の彼女と話を続ける。
「まぁまぁ! ご挨拶が遅れて申し訳ございません。わたしは伯爵家が長女、リディア・マークスと申します。ランドルフとは小さい頃からの幼馴染ですの。年齢はわたしが一つ上なんですけどね」
「そうなんですね。これからよろしくお願いします」
「ちょっと待て! ローゼリア・エアハート!!」
目の前には怒り顔のランドルフ・ブライトがいた。ぐっと掴まれた腕は少し痛い。
「あらまぁ怖い顔。ランドルフ様ったら幼馴染の前だからって照れてるの? ああ、私たちが付き合ってることは内緒にしてましたものね」
「はぁ!? お前いい加減に、」
「あー、ランドルフって昔からそういう所あるのよねぇ。ローゼリア様、この人口は悪いけど根はいい奴なので、見捨てないでやって下さいね?」
「ふふっ。ありがとうございます」
ランドルフ・ブライトから恨みのこもった視線が突き刺さっているが、どうってことはない。これでランドルフ・ブライトは私に惚れているという既成事実が出来上がったんだから!! 幼馴染に言ったら認めるしかあるまい!
「それにしてもランドルフにこんな女神のような彼女がいるなんてびっくりしたわ! どうして黙ってたのよ? お祝いしなきゃ!」
「彼女じゃないしお祝いもいらない」
「またそんな事言って……本当に素直じゃないんだから。あっ、そうだわ! もし良かったら今度わたしの婚約者と四人で出掛けませんか!?」
「断る」
「まぁ、是非ご一緒したいですわ!」
ニコニコしながら返事をすると、ランドルフ・ブライトから舌打ちが聞こえた。
「嬉しいわ!! じゃあ今度の休日、噴水前で待ち合わせしましょう? 楽しみにしてますわ!」
リディア様は嬉しそうにパン! っと手を叩くと「これ以上お二人の邪魔をするのは申し訳ないので、先に帰りますわ!」と馬車の停留場所まで走って行った。
彼女がいなくなったという事は、この場には二人しか残っていないわけで。
「……オイ」
案の定大激怒している……と思っていたのだが、ランドルフ・ブライトは不機嫌顔ではあるがそこまで怒ってる様子ではなかった。……意外だわ。もしかして私が彼女って言ったこと、満更でもない? すでにオチてるってこと?
そんなことを考えていると、ランドルフ・ブライトは諦めたように深い溜息をついた。
「お前がどういうつもりであんなバカなこと言い出したのかは知らないが、こうなった責任は取ってもらうぞ」
「……え?」
「ああなったリディアは誰にも止められないからな。今度の休日……出掛けるぞ」
ランドルフ・ブライトは睨むように私を見る。
「……不本意だが俺の彼女役として来てもらうことになるが、お前が言い出したことだからな」
「ええ、もちろん!」
私は笑顔で答えた。……ふん、ちょうどいいわ。そのデートで私の可愛さを存分に理解してもらう。そして私の虜になったら捨ててやるんだからね!!