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ゆるく巻いた艶のある髪、くるんとカールした上向きまつげ、新しく買ったキラキラと煌めくアイシャドウ。陶器のような白い肌に、血色の良くなるピンクのチーク。更には食べたくなるようなぷるぷるの唇。うん。誰がどう見ても完璧な美少女!
「うん。今日の私はいつも以上に可愛いわ。これぞまさしく美の女神」
鏡を見ながらメイクの出来栄えに惚れ惚れしていると、そばに居た侍女も「はい! 今日もお嬢様はお美しいです!」と称賛してくれる。我が家の侍女は素直だわ!
私は機嫌良く立ち上がると、ピンク色のリボンで可愛くラッピングされた袋をしっかりと鞄に入れる。これは昨日の放課後わざわざ洋菓子屋に買いに行ったクッキーだ。今日の作戦を頭で何度も反芻させながら、私は意気揚々と馬車に乗り込んだ。
*
「ローゼリア様おはようございます!」
「おはようございます我が女神!」
「みんなおはよう」
「ああっ、今日のローゼリア様はまた一段と可愛らしいですね!」
「本当?」
「もちろん! いつも可愛くて美しいけど、今日は可愛さが大爆発を起こしてますよ?」
「まぁ、嬉しい。実は新しいコスメを使ってみたんですの。気付いてくれてありがとう」
「当然気付くさ! ちなみに俺、ローゼリア様が前髪一ミリ切っただけでも気付く自信あるよ!」
「オレもオレも!」
「ふふっ、皆さまったら面白いのね」
「わっ! 朝一でローゼリア様の天使の微笑みが見れるなんて……! 今日は良い日だ!!」
登校してすぐに、私の周りには番犬達がわらわらと集まってきた。慣れ親しんだいつもの光景だ。そして、彼らの後ろで刺すような視線を向けてくる一部のご令嬢達の姿が見えるのも、慣れ親しんだいつもの光景である。
「そうだわ、昨日はありがとう。ランドルフ様のことを色々教えてくれて」
「あれくらいのことならいつでも聞いてよ!!」
「お礼が言いたかったから助かったわ」
「昨日は大丈夫だった? まさかチャールズが暴走するなんて……」
「しかも婚約者のご令嬢に呼び出されたんだって? 守ってあげられなくてごめんね」
ホントそれ。お前ら本当に役立たずだったからね? と内心青筋を浮かべて毒突きながらも、私は得意の笑顔を浮かべて言った。
「ううん、いいの。その気持ちだけでも嬉しいから。心配してくれてありがとう」
「ローゼリア様は優しいなぁ〜!」
「これからは何かあったらすぐにかけつけるからね!」
「ふふっ。ありがとう。頼りにしてるね」
そう言ってさらに微笑むと、みんな恍惚とした表情で私の笑顔に見惚れていた。ふん、チョロい。チョロすぎる。
──さて。いつも相手からアプローチされてばかりの私が本気じゃないとはいえ生まれて初めて自分から男性にアタックするのに当たり、色々とリサーチしたところ……。
意中の相手と接する時、笑顔は基本中の基本なんだそうだ。常に女性らしい仕草を心掛け、相手の話をよく聞き、適度に相槌を打ち、適度に褒め称える。そして〝あなたは特別なんですよ〟という気持ちをアピールするために、熱のこもった瞳でじっと目を見つめたり、会話の途中に軽いボディタッチを織り交ぜると効果的らしい。もちろん、淑女としての常識の範囲内での触れ合いだ。そして、多くの男性は意中の女性の手作りのものに弱いという。手料理然り裁縫然り。心のこもったものにクラっとくるそうだ。
私はこの情報を元に一晩考え、そして閃いた。可愛らしくラッピングされた手作りクッキー(実際にはお店から買ったものだけど)を、相手の目を見つめながら照れたような笑顔で手渡せば、あんな男イチコロじゃない? と。
うん、我ながら完璧だわ! 私にこれをされて落ちない男はいないもの。間違いないわ。脳内シミュレーションは完璧だ。さぁ、行くわよ!
「ランドルフ・ブライト様はいらっしゃいますか?」
ドアの近くにいた男子にそう聞くと、彼は慌てたように「ロ、ローゼリア様!?」と叫んだ。私がにこりと微笑むと顔を真っ赤にさせる。うん、よく見る光景だ。ちなみに、女子の皆さんのなんでアンタがここにいるの? という敵意剥き出しの視線には鼻で笑ってやった。これもよく見る光景だ。
「ランドルフ様に用があるんだけど……教室にいたら呼んでもらえるかしら?」
「ち、ちょっと待って下さいね!! ランドルフ様!! ランドルフ・ブライト様ー!! いたらこっちに来てくださーい!!」
「……なんだよ」
片目が隠れた黒髪を揺らしながらダルそうにこちらに向かってくる男は間違いなくランドルフ・ブライト本人だった。
「ランドルフ様!」
彼は私の姿を捉えるとあからさまに嫌な顔をする。言っておくけど私だって心の中はその顔だ。表には意地でも出さないけどね!
「やっべ、オレローゼリア様と喋っちゃった! 近くで見てもめっちゃ可愛かった! やっべ!」
「お前ずるいぞ!」
彼の背後で話す二人の会話を無視して、私は目の前に立ったランドルフ・ブライトをじっと見上げる。彼の顔にはなんでお前がここにいるんだよ、用がないならさっさと帰れとありありと書いてあった。私はぺこりと頭を下げ、口を開いた。
「昨日はごめんなさい」
顔を上げて目を合わせる。ランドルフ・ブライトは怪訝そうな表情を崩さない。
「……私あれから反省したの。例えただの友達同士でも、婚約者のいる男性と出掛ける事は良くないわよね。これからは自分の行動に責任を持つわ。それに、こないだ貴方のスケッチの邪魔をしちゃったみたいで……本当にごめんなさい」
しおらしい態度のまま、私は鞄から用意したクッキーの袋を取り出した。
「それでね、ランドルフ様にはたくさん迷惑をかけちゃったから……これ。手作りのクッキーなんだけど、お詫びの印に受け取ってほしいの」
可愛くラッピングされたそれを両手でそっと差し出し、右斜め四十五度に首を傾げ、上目遣いでチラリと見上げる。最後に、照れたよう微笑んだ。……ああっ! これぞパーーーーフェクツッ!! 首の角度も頬の赤みも照れた笑顔も緊張で小刻みに震える両手も全てが完璧計算通り!! さぁ、これで私にズドンと落ちるがいいわランドルフ・ブライト!! 内心でニヤリと意地悪く笑う私を、彼の鋭い片目が睨んだ。
「いらない」
「……え?」
「俺甘いもの好きじゃないし」
ええええええええっ!? 私は脳内で絶叫した。ま、まさかの受け取り拒否!? はぁ!? どういう事よありえない!! 人が下手に出てれば調子に乗りやがってえええ!! ランドルフ・ブライトは追い打ちをかけるように続ける。
「それに、他人の手作りって苦手なんだよ」
番犬共の意見も図書室で調べた何十冊の本の情報もどれもこれも全然合ってないんですけど!? なにこれホントなにこれ!? とんだ恥晒しじゃないのどういう事!?
「しかもこれ、お前からだろ? 毒とか入ってそうで口に入れるの怖いわ」
「はぁ!? 失礼ね! 毒なんて入ってるわけないでしょ!! 昨日わざわざラ・セーヌに行って買ってきたんだから!!」
「あれ? さっき手作りって言ってなかったか?」
ランドルフ・ブライトはジトリとした目でクッキーを見やる。……しまった。墓穴を掘った。
「う、嘘は言ってないでしょ!? 菓子職人さんの手作りだもの!!」
「はっ、屁理屈」
「うるさいわね! 黙って受け取ってよ!!」
「いらないって言ってるだろ」
「せっかく買ったのに!!」
「手作りじゃないのは認めるんだ?」
「なっ! それとこれとは話が違うわ!!」
「ふーん?」
コイツほんっとムカつく!! 私はギリっと奥歯を噛んだ。
「それよりいいのか?」
「何がよ!!」
「化けの皮剥がれてるけど?」
「はぁ!?」
その言葉に周囲を見渡すと、驚いたように私を見る無数の目。そしてひそひそと耳打ちをする女子グループ。
……しまった。入学以来保ってきた清廉潔白純情可憐な私のイメージが!
私は一瞬焦ったが、「オレ……怒ってるローゼリア様って初めて見たかも。なんか新鮮!」「怒ってる顔も可愛いな!」なんていう会話が聞こえてきたので心配は杞憂に終わった。さっすが私! 結果オーライだわ!
「とにかく俺はいらないから。そこらへんの男にでもあげれば? それじゃ」
ランドルフ・ブライトは冷たく言い放ち、シャットアウトと言わんばかりに教室のドアをピシャリと閉めた。
私のこめかみに、青筋。
……諦めない! 私は絶対に諦めないんだから!! なんとしてでもこのクッキーをランドルフ・ブライトに渡してやるんだから!
私は閉められたドアをしばらくの間睨み付けていた。