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「さっきからうるさいな」
突然聞こえてきた第三者の声に、その場にいた全員が動きを止めて振り返る。
声の主は、鋭い眼光で不機嫌そうにこちらを見ている一人の男子生徒だった。長い前髪が片目をすっぽり覆っているという、随分と特徴的な髪型をしている。彼はイライラしたように言葉を続けた。
「続けるなら他に行ってくれないか? お前ら全員邪魔なんだよ」
「ラ、ランドルフ様!?」
「貴方様が何故ここに!?」
「何故ここに? じゃないだろう。元々、ここに居たのは俺の方が先だ。後から来たくせにくだらない話を長々と……おかげで集中力が切れたじゃないか。ったく。どうしてくれるんだ!」
そう言って、彼は片手に持っていたスケッチブックをバン! と勢い良く閉じた。
「ひっ!?」
「……それに、いくら頭にきたからって手を出すのはさすがにマズイんじゃないか?」
「えっ!? あっ、これはっ……その……」
図星を突かれたマリー様は、言い訳にならない言葉を並べながら右手を後ろに隠す。ふんっ、ざまぁ。
「これ以上俺の邪魔をするならそれ相応の対応をさせてもらうけど?」
「も、申し訳ございません……!!」
この言葉の効果は抜群だった。彼女たちは顔面蒼白になってバタバタと走り去って行く。ただし、私をひと睨みし「あとで覚えてなさいよ」という捨て台詞を残しながらだったけど。
あらやだ。負け犬の遠吠えは見苦しいものね、と内心で哀れみながらその後ろ姿を見送る。……でもまぁ、とりあえず殴られなくて良かったわ。どうやって報復しようか考える手間が省けたし、さすがに痛いのは嫌だもの。でも、今の様子だとまた後から呼び出しがかかりそうな感じよね。これ以上面倒な事になる前に何か手を打っておかないと。……番犬達に頼んで彼女たちが私に近付かないように護衛でもしてもらおうかしら? それともマリー様の婚約者とやらに釘を刺してもらう? まぁいいわ。対策は後で決めようっと。
私はふぅ、と短く息を吐いた。誰もいなくなった裏庭にはえらく不機嫌そうな男子生徒と私だけがぽつんと残されている。私は彼の様子をチラリと伺う。
片目が隠れるほどに伸びた黒髪、シャープな輪郭、男子にしては白すぎる肌と華奢な身体、規則通りに着られた制服。まぁ、ちょっと地味でだいぶ特徴的な髪型だとは思うけど顔は別に悪くない。むしろ良い方だ。なんていうか……光る原石的な、磨けば輝きそうな感じ。どこの誰だか知らないけど、彼女たちの態度を見るにおそらく高位貴族なのだろう。ここは素直にお礼を言っておくか。私は上目遣いで口を開く。
「あの」
「は?」
「助けてくださってありがとうございました」
「いや。別にお前を助けたわけじゃない」
こちらを睨みながら答えた彼の態度は随分と素っ気ないものだった。照れてるのかしら? ていうか、とんでもなく目付きが悪いわこの男。片目しか見えてないから妙な迫力があるし。無愛想というかなんというか……まぁいいわ。助けてくれたし、今回は特別にサービスしてあげようじゃないの。私は最上級の笑みを浮かべ、こてんと首を傾げる。
「よろしかったらお名前を教えていただけないでしょうか? 助けていただいたお礼に何かしたくて……そうだ! 今度新しく出来たカフェに行きませんか? もちろん二人で!」
私から誘うなんて滅多にないんだから光栄に思いなさいよ! と内心で思いながら告げる。彼は心底面倒くさそうに「はぁ〜」と深い溜息をつくと、女神の微笑みを浮かべる私をキツく睨んだ。
「ローゼリア・エアハート子爵令嬢」
「はい」
「そういうのやめろ。気持ち悪い」
「……は?」
私は、頭を木製バットでフルスイングされたような衝撃を受けた。……き、気持ち悪い? え? 気持ち悪いって何? まったく意味がわからない。
「別にお前を助けたわけじゃないって言ったろ。俺はただお前達に一刻も早くここから立ち去ってほしかっただけだ。つーか……お前もさっきの令嬢達と一緒に戻ったと思ったのに。まだ居たのかよ」
彼は忌々しそうに顔を歪める。……ちょっと待ってちょっと待って。全然頭がついていかない。私の頬がひくりと引きつった。
「いつもいつも俺の邪魔ばっかりしてムカつくんだよ。お前が誰と付き合おうが俺にはまったく関係ないけどな、呼び出しにこの場所を使うのはやめてくれ。聞きたくもない話が聞こえてきて迷惑してるんだ」
「そ、そんな事言われても私はただ呼び出されてるだけで……。ていうか気持ち悪いって何? 私、あなたにお礼がしたいなって思って誘ったんだけど、」
「お礼? そんなものはいらない。つーか、お前と出掛けることがお礼とかどんだけ自意識過剰だよ。それでみんなが喜ぶと思ったら大間違いだから。少なくとも俺はまったく嬉しくない」
今度は、頭のど真ん中をピストルの弾が撃ち抜いた。
え? は? こ、ここここの男。まさか今、私の誘いを断った……の? え? この私からの誘いを? しかも私と出掛けるのが嬉しくないですって? 自意識過剰? は? は? はああああああ!?
「変な笑顔浮かべて愛想ふりまいて男はべらせて。挙句の果てに女神とか言われて調子に乗ってるとか……痛々しいにも程がある」
「はぁっ!?」
「お前がそんな態度だから彼女たちの反感を買うんだよ。人の気持ち弄ぶような真似、もういい加減やめれば?」
「はぁぁっ!?」
「……近くで見てもやっぱり理解出来ない。なんでこんなブスがモテるのか。性格も悪いし、俺だったら絶対嫌だけど」
とんでもない言葉に、私の時間がピタリと止まった。
…………ぶす?
…………BUSU?
…………ブス?
え? ちょっと待ってブスってなんだっけ? 飲み物? ええっと……ええっと……
「はぁあぁあぁあぁあああああっっっ!?!?」
あまりの衝撃で思考回路が切れかかっていた私だが、一周まわって大爆発を起こした。
「ふっっざけんじゃないわよ!! この私のどこがブスですってぇ!? 私はねぇ!! 全国民から天使、女神、妖精姫、国家の至宝、傾国の美女って呼ばれてるのよ!? 超絶的に美人で可愛いの!! その証拠に高位貴族や下位貴族の令息から告白や求婚状がひっきりなしにやってくるんだから!!」
「うわ、そいつら見る目ないんだな」
「はぁ!? 見る目あるでしょ!! 貴方、その前髪で私の顔見えてないんじゃないの!?」
「失礼な。俺の視界は良好だ」
「じゃあ視力がとんでもなく悪いんだわ!!」
「いや、少なくともお前の性格よりは良いよ」
くっ、ああ言えばこう言う……! なんなのっ!? なんなのなんなのこの男!! 私の誘いを断った挙句この超絶美人で可愛い私のことをあろうことかブ、ブ、ブスですってぇぇえ!? はぁぁぁあっ!? ありえないっ!! ありえなすぎてくらくらしてきた!! 誰か! 誰か私に酸素を!!
「冗っっ談じゃないわよこのクソ前髪野郎!! 私が可愛くないなんて天地がひっくり返ってもありえないから!! 私は超絶可愛いの!! これは全世界の共通認識なんだから覚えておきなさい!! ていうか私に惹かれないとかアンタ大丈夫!?」
「うーわ、出たよ本性。最悪だな。大体、人の容姿に難癖つけるなんて低俗な事やめろよな」
普段のキャラを忘れて叫ぶ私を見ながら、彼は鼻で笑った。その様子がまた頭にきて、私の口は止まらなくなる。
「はぁ!? アンタだって今私のことブスって言ったくせに何正義ぶってんの!? 大体、アンタを誘ったのはただの社交辞令だから! その変な髪型も鋭い目付きもまったくもって好みじゃないし!!」
「奇遇だな。俺も自分のことを可愛いと思ってる痛い勘違い女は好みじゃない」
ク ソ は ら た つ ! !
本当の本当に腹立たしいわ!! 一体なんなのこの男!! 勘違い女? 私が? ブス? 私が? そんな事天地がひっくり返ってもありえない! 私は誰がどう見たって可愛いもの!! 怒りに燃える私を無視して彼はチラリと懐中時計を取り出すと「……もうこんな時間か……今日はダメだな」と溜息をついた。
「……おい、ローゼリア・エアハート」
「なによ!?」
「お前、もう二度とここに来るなよ。……じゃあな」
「は、はぁ!? あ、ちょ、待ちなさいよっ!! アンタ言い逃げする気!? 待ちなさいってば! ちょっと!! 待ちなさいって言ってるじゃない!!」
私の言葉を完全無視したその男は、こちらを振り返ることなく立ち去ってしまった。
ぽつんと残された裏庭に、ビュウと冷たい風が吹く。
初めての拒絶。初めての侮辱。初めての屈辱。
十七年間生きてきて、こんな酷い扱いをされたのは初めてのことである。私の体が怒りでふるふると震えた。
あの男……よくも!! よくもこの私をコケにしてくれたわね!! 絶対に、絶っっっ対に許さないんだから!! 私は俯いていた顔をぐわっと上げると、奴が去って行った方向をこれでもかと睨んだ。
…………認めさせてやる。
こうなったら何がなんでもあの男に私の可愛さを認めさせてやるわ!! これは私のプライドをかけた復讐よ!! 覚悟しなさいクソ前髪野郎!! 絶対に可愛いって言わせてやるんだから!!
私はぐつぐつと煮え繰り返るはらわたを抑えるように、ギリリと奥歯を噛みしめた。




