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<破滅エンドを迎える予定だったとある元騎士団員>
……なんだか、アーチデール城の方がうるせぇなぁ。
夜風に身を震わせ、両手を抱きながら、俺は酒に酔った頭でぼんやりと、そんなことを思い浮かべる。
騎士として勤めていたかつての職場の方角を一瞥し、俺は不貞腐れた様に、手にした瓶を傾けた。
瓶の中の安酒が喉を通って、食道を焼く感覚。体の内側は熱くなるが、それと反比例する様に、俺の心は冷えていった。
……畜生。なんで俺は、今、こんな所で、こんな事になっちまってんだ?
アーチデールの城下町。クルーリア王国の首都であるこの場所であっても、どうしたって治安が悪い所は生まれてくる。例えばそう、俺が今いる、薄暗い路地裏の様に。
通路の脇は、どこからか風で運ばれてきたごみが積み上がり、生ごみを野良犬と野良猫が奪い合っている。よく見ると、俺が生ごみだと思っていたのは、ねずみの死骸だった。
ガリガリに痩せた獣たちが、明日の自分はああなるまいと、必死になって戦っている。
……戦っているって、戦うって、なんだよ!
急にむしゃくしゃして、俺は近くにあった木材を蹴り飛ばした。
その音に反応し、今まで喧嘩をしていた野良犬と野良猫は驚いたようにそれぞれ別の方へと走り去っていく。それを見ながら、俺は笑った。
笑っているはずなのに、その笑みも心も乾いていて、苛立ちを抑えるように、俺はもう一度瓶を傾ける。しかし、飲んでも飲んでも頭痛が増すだけで、この渇きは癒されない。
強い風が吹いて、俺の服がはためいた。俺は思わず、顔を歪めた。
身を切るような寒さのせいだけではない。右腕の傷が、古傷が、どうしようもなく痛むのだ。
……畜生。なんで俺は、今、こんな所で、こんな事になっちまってんだ?
心の中で、先程と同じ問いを繰り返す。だが、その問いの答えは、既にわかっていた。
俺は、クルーリア王国の出身だ。しかし貴族や、それこそ爵位を持つような家の出でもない。ただの、平々凡々な両親のもとに生まれた、普通の一市民だった。
……それが、体だけは丈夫だったから、アーチデール城の騎士団入隊試験にも、合格したんだよな。
もう一口、酒を飲む。嚥下すると頭の痛みが増すが、酔いのせいか過去の記憶が映像として、脳裏一杯に広がって来た。
それは、俺の今までの人生の中で、一番輝いていた、あの時の出来事だった。
……騎士団に入隊した後、俺はこの腕で、俺の力だけで、部隊長候補にまで上り詰めたんだ。
この話を、たまに行く、酒なのかどうかもわからないような液体を出す酒場の常連客である老人に話すと、俺は彼に毎回鼻で笑わる。
二十五歳の若造が、鼻たれのクラーム・オトゥレティムが言う人生で一番輝かしい時なんて、たかが知れてるって。
……でも、俺には、俺には、あの時しか、ねぇんだよ。あの時だけが、絶頂だったんだ。
つまり、そこからは俺の人生は、下り坂だった、というわけだ。
貴族のお坊ちゃんたちからすると、部隊長とは名誉職的な位置づけだ。英才教育を施された結果、芽が出なかったお坊ちゃん連中でも、何とかしがみつけれる役職でもある。
だからこそ、そんなものに市民上がりの俺が抜擢されそうというのはかなり異例であり、事実大出世と言われていた。
結果として、そのお坊ちゃんたちから俺の才能と、そしていざとなった時の役職の枠を圧迫する邪魔者として、貴族どもから嫉妬されるようになったのだ。
……本当に、腐ったような連中だったぜ。そういう奴らに限って、自分でどうにかしようと、己で鍛錬もしなかったからな。
そして、それはある訓練中に起きた。
模擬戦の訓練時に俺に渡された剣が訓練用の模造刀ではなく真剣だと気づいたのは、模擬戦が始まった後、鞘から剣を抜いた後だった。
当たり前だが、俺は仲間を殺すために騎士団に入ったわけではない。成り上がりたいという想いは確かにあったが、それでもこの国を守るという意思は持っていた。
だから俺は、戦えなかった。というか、すぐに訓練を中止しようとした。
しかし、訓練を仕切っていた教官に訴えるよりも早く、模擬戦相手の斬撃が、俺の利き腕である右腕に繰り出され――
そして、それで終わった。
痛みに悶える俺をよそに、対戦相手は教官に俺が持っていたのが真剣であると告げ、そのまま俺は反逆者扱いとなった。
後でわかったことだが、俺の剣をすり替えたのも、俺の右腕を駄目にしたのも、俺を妬んだ貴族に買収された奴らだった。そしてそいつらは騎士団の寮で俺と同室で、俺が騎士団の中で一番気を許していた奴らだった。
そこまで買収している奴らが、教官たちを買収していないはずがない。俺が教官たちにこの件の事件性を解いても、一向に耳を傾けてもらえなかった。
そして、俺の処分が下される。罪は殺人未遂だったが、模擬戦時に思い留まった事が考慮され、騎士団除隊という、『軽い』処分となった。
……何が、軽い処分だよ。ふざけやがってっ!
右腕に鈍痛が走り、俺は眉を顰める。痛みをごまかす様に、俺はまた酒を呷った。
この傷さえ完璧に治す事が出来たなら、俺はまた、別の国でやり直せるかもしれない。でも、それは不可能だ。
……治療費は高額で、俺には払えねぇからなぁ。親にも、頼れねぇしよ。
騎士団に入った時は喜んでくれた両親たちも、除隊され、その表面上の理由を聞いた途端、手のひらを返してきた。今では家の面汚しだと、こちらの事を蔑んでいる。
そんな状況だから、除隊を告げたあの日から、もう俺は実家に立ち寄ってすらいない。
医者に掛からずに、治療する方法も、あるには、ある。だが、現実出来ではない方法だ。
それは魔法による治療で、つまりは『聖女』の『癒しの力』に頼るという事だ。このクルーリア王国でも三人しかいない『聖女』が俺のためにその力を使うわけがないし、使えない。
外交カードにすらなる『聖女』の力を、そんなに簡単に使ってしまえば、国としても利用価値が低下する。
それ以前に、『聖女』の力が簡単に借りられるとなったら、国はきっと大混乱になるだろう。
治療費を払えず、苦しんでいる国民は、俺以外にも山ほどいる。一度特例を認めてしまうと、それに次は自分があやかりたいと、人が殺到するのが目に見えていた。
……だから俺は全てを諦めて、ここで飲んだくれてるしかねぇんだよ。
それは、言い訳だというのは、自分でもわかっている。除隊されたとはいえ、騎士団で学んだ技術で別の職に就く事だって、可能だろう。
でも、無理だ。
部隊長候補まで上り詰めたという、過去の栄光にしがみつき、肥大化した自信。
そして何より、頑張っても信じていた仲間に裏切られたというショックで、どれだけ頑張っても誰かに裏切られる、足を引っ張られるに違いない、という虚無感が、俺を捉えて離さないのだ。
だが、そうはいっても、現実は厳しい。酒を飲むにも何をするにも、先立つものは必要となる。
その日暮らしを続けてはいるが、一度でも体の他の部分が悪くなれば、それも続けられなくなるだろう。だがそう考えると、もう飲むしかないというのは、ある意味正しい気がしてきた。
……騎士団崩れのチンピラには、上等な未来なのかもな。
そう思いながら瓶を傾けたタイミングで、路地の脇から、一人の赤髪をした女性が飛び出してきた。
余程その服に執着があるのか、複数の色をした布で継ぎ足しがされている。刺繍も自分の手で施したのか、統一感があまりない。
でも、その女性を見て、俺の口角が吊り上がる。金の臭いがしたのだ。
……みすぼらしい恰好、に変装しているが、ありゃかなり位の高い所の令嬢だな。
格好は偽れても、普段の立ち振る舞いは隠せない。恐らく彼女は、今城で開かれるパーティーなんかにも参列を求められる事もあるのかもしれない。
そのために身に着けたであろう凛とした佇まいに迷いがなく、貴賓のある立ち振る舞いは、一朝一夕でとても出来るようなものではなかった。
だとするとあの女性は、どこかのご令嬢がお忍びで城下町まで出てきた、という所だろうか?
辺りを見渡すも、護衛の様な存在は見当たらない。よく見れば継ぎ接ぎだらけだが、使っている布は上等なものだ。
それを認識して、俺は更に笑みを濃くする。それは、怒りからの変化だった。
……俺はこんな場所にいたくないのに、なんでテメェみてぇな奴が、お遊び半分でこんな所にきやがるんだよっ!
それは誰がどう考えても、八つ当たりの感情だ。
でも、どうしようもないだろう? こっちは居たくもない場所で這いつくばってなきゃいけないのに――
……この女は能天気にも、わざわざ継ぎ接ぎの服まで用意して、俺を笑いに来てるんだぞ?
実際の所、俺を笑いに来たわけではないのだろう。それでも、今の俺には、こんな所で落ちぶれてしまった俺には、目に入ったこいつに、自分の感じている苛立ちをぶつけるしかないのだ。
ぶつける以外に、何も出来ないのだ。
「おい、ねぇちゃん。ちょっと待ちな」
ふらつきながら女性の方へ近づき、そう言うが、酒で中々舌が回らない。
でも、どうにか口からは、意味を成した単語を発せたはずだ。それだというのに――
……こ、こいつ、無視しやがるのかよっ!
何も、この女性が俺の声に反応しなければならない道理なんて、この世に一つもありはしない。
酒でどうにかなっている俺の脳味噌でも、欠片ばかり残っていた理性でそう判断する事は出来る。
出来るが、出来たところで、逆に俺の頭には血が上る結果となった。
何をするにも、上手くいかない。生きていくのだけで精一杯な俺という存在をその女性に刻み付けたくて、俺は激情と共に、気づけば走り出していた。
そして、前を歩く燃えるように赤い髪の女性の肩に、手を伸ばす。
「おい、聞いて――」
「ダッシャラァァァアアアッ!」
気づくと俺は、脳天から地面に突き立てられていた。
何が起こったのか、さっぱりわからない。
いくら腕を怪我している、そして酒を飲んで腐っているとはいえ、俺はクルーリア王国の騎士団、その部隊長候補にまでなった男だ。
諦めた諦めたと言ってはいるが、実は俺は今でも、左手で剣の修業をしている。
右手が使い物にならなければ実践に復帰できないとわかっているので、自分でも女々しすぎて他の誰にも言っていないが、体はそこまでなまっちゃいない。
その俺が、酔っぱらっているとはいえ、何が起こったのか、さっぱり理解できなかった。
痛みで呻きながらも、体を起こす。そこで俺は、先程自分の身に何が起こったのか気づいた。
俺は一瞬で首に腕を巻き付けられ、そのまま上空に体を持ち上げらたのだ。そして、そのまま投げられたのだと悟る。
そう悟るのと同時に、俺は戦慄した。
……ほ、本当に何が起こったのかわからねぇっ!
女の肩に手を伸ばしたら、ブレインバスターをかまされた。
頭の中で文字で書き起こしても、さっぱり意味が解らない。だが、頭が働かないのは、自分の身に起きた埒外の現象だけのせいではないだろう。
……駄目だ。意識が、も、うろ、うと。
頭から、地面に突き立てられたのだ。頭部からは血が出ており、鼻からも血が出ているのか、鉄の臭いに思わず眉を寄せる。
酒を飲み過ぎた影響か、それとも自らのどうしようもなさを通りすがりの女性にぶつけようとした罰なのか、意識がどんどんと遠のいていった。
……ああ、これ、俺、死ぬな。
騎士団の訓練でも、何度か死にそうな目にあったこともある。
今回は、それの倍ぐらい駄目な感覚だ。きっと、致命傷だろう。
……ああ、死ぬのか、俺。こんな所で、いや、こんな所だから、か。
駄目だと諦め、腐った俺には、お似合いの死に方なのかもしれない。
親からも見捨てられ、仲間だと思ってた奴らからも裏切られて、本当に俺の人生なんて、やっぱり意味なんてなか――
「ちょ、ちょっとあなた! 大丈夫ですの? もしもし? もしもし? もしもーしっ!」
消えていくと思った意識は、しかし肩を揺すられる事で徐々に覚醒していく。
……あ、れ? 俺、血を流して、地面に転がってたんじゃ?
そう思いながら、俺は右手で額を触る。が、そこには想定していた赤い液体の感触がない。
慌てて両手で顔を触るが、頭部の出血どころか、額の傷すら全く感じなかった。
……いや、それどころか、全く感じない。痛みを! それも、俺の右腕からもっ!
そんな馬鹿な! と、何度も右腕を振るが、何度やっても、結果は同じ。
仲間の裏切りで負った傷が、どう考えても完治している。
……こんな事が出来るなんて、この女は、いや、この方は、もしやっ!
「いやぁ、焦りましたわ。でも、もう大丈夫ですわよね? 私、行くところがありますので、そろそろこの辺りで――」
「……まさかあなたは、通りすがりの『聖女』様で――」
「誰が聖女だごらぁぁぁあああっ!」
その声を聴き終える前に、俺は今日二度目の衝撃を味わうことになった。