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<イレイラ>
そう言われ、私は内心首を傾げる。
……あら、珍しい反応ですのね。
労働の対価というのは、その労働を行った者に対する評価でもある。評価されたのであれば、表現の差はあるだろうが、人間は喜ぶもので、インドラたちの反応が普通だ。
逆に、その分の対価に値すると評した結果を受け入れられないというのは、払う側の性格によってはまだ対価が足りないと催促されたと受け取り、不敬だと感じられる事すらある。
もちろん、本当に足りない場合は、抗議すべきだが――
……イナの場合、そういうわけではなさそうですわね。
「指輪を受け取ってくださらない理由を、伺ってもよろしくて?」
「だ、だって、私、こ、こんな報酬、も、もらいすぎです……」
「あら? 私の無理難題について答えを他の侍女たちと協力しながら見つけ出し、更に四人の中で唯一、半裸の私に毛布を欠けてくださったあなたの気遣いに対しての報酬としては、私、妥当だと思いますけど?」
だから私は、今自分が持ち合わせている中で一番価値が高いと感じた指輪を、他の誰でもない、私を気遣ってくださったイナに渡すことにしたのだ。
私の言葉を聞いたイナは、驚き、目を見開く。
「ご、ご自分でも無理難題だって、わかってたんですね、イレイラ嬢」
「私、客観的に自分が見れますもの。見た結果キチゲ解放もいたしますけれど」
「ば、爆弾みたいな方ですね……」
「よしてくださいな、イナ。そんな可愛らしい表現、私には似合いませんわ。それで? もう少し、私の報酬を受け取ってくださらない理由を伺っても?」
「だ、だって、私、もう、もらってますから。報酬」
「……え?」
「た、助けて、頂いてますから! 公爵から! し、失敗をした、あの、パーティー会場から、わ、私を、連れ出してくださいましたからっ!」
……はて? 一体この娘は、何を言っているのでしょう?
あの会場で私がした事なんて、他のループとの差分でいえば、キチゲ解放ぐらいしかない。
それについてスキャンダルの一部ポロリもあった気もしたりした気がするものの、それは誤差です誤差。
それにもし、その私の振舞がイナにとって良い状況になったというのであれば、それは私が私のために行った事の、ただの副産物だ。
それを労働の対価だとされるのは、何だか先に益を与えて逆らえなくするような、労働を強いた様な形になるのは美人局的な感じがして、私もたまに使う手ですが、今回はそういうつもりは全くないので、素直に受け取って欲しい所なのだけれども――
……ですが、こういうタイプは、中々引きませんものね。
人というのは面白いもので、自分の利になるとわかってても、それを捨てる選択をする時がある。
それは時に美徳だとして、美辞麗句で化粧された美談になり得るが、今はよくない。
何せ、他の三人の侍女は、対価を受け取っている。イナだけ報酬を渡さないなんて(不当に扱うなんて)、出来るわけがない。
それを認めてしまえば、破滅エンドから抜け出そうと百八回も足掻き、ついにこのループでキチゲ解放を決意した私自身の生き方を否定する事にもなる。だが、それ以上に――
……成果を出すのに努力をし、そして結果を出したイナが、正当な報酬を受け取らないんて、私が許せるわけがありませんもの。
だから私は、イナが納得できるであろう理由を捻りだそうと、口を開く。
「イナ。確認ですが、あなたはイレイラ・ヴィルムガルドの指輪を受け取るのが、嫌ですのね?」
「い、嫌といいますか、私には過ぎたものといいますか……」
「なるほど。やはりイナは、イレイラ・ヴィルムガルド『の』指輪を受け取るのが嫌ですのね?」
「……え、え? い、イレイラ嬢、な、何を――」
「イレイラではありません、イララですわ。イナ」
「は、は? イレイラ嬢が、また頓珍漢な事を言い始めましたよ!」
「うふふっ。イナは冗談も得意なんですのね。ですが、今は真面目な話をしていますのよ? イナ。今の私は、どこにでもいる、町娘のイララですの」
そう言って私は、イナたちが作ってくれた、継ぎ接ぎの服を颯爽と着込む。
そしてイナに向かって、胸を張った。
「ほら、これでどこにでもいる町娘の完成ですわ」
「ど、ドレスをバラバラにし直して布だけ売っても、私の年収の五倍以上の価値はありますけど、その服……」
「あら? いい目利きをしてますのね。私の見立てもそれぐらいですわ」
こんな状況でなければ、イナを私の付き人としてヴィルムガルド家に引っ張ってきたいぐらいだ。
でも今は、残念ながらそういうわけにはいかない。
何故なら私は、もうイレイラ・ヴィルムガルドではなく――
「私の名前は、イララ。ヴィルムガルド家の次期党首候補でもなければ、悪役令嬢でもない、ただのイララなのです。ですからこの指輪は、イレイラ・ヴィルムガルド『の』指輪ではありません。だから安心してお受け取りなさい」
「き、詭弁が交通渋滞してると思うんですけど!」
「いいではありませんか、詭弁でも。それであなたが納得し、どこまでもいけるようになるのでしたら。それこそ、大海原に流れて、自由にどこへでも行けるようになった、雪解け水の様に」
そう言うと、イナがハッとした表情となり、私を見つめる。
……やっぱり、綺麗ですわね。この子の瞳。
青色のそれを見ながら、私は右手をイナの頬に手を当てる。
そして左手で彼女の手に指輪を握らせた後、ゆっくりと、言葉を紡いでいく。
「あなた、言っていたではありませんか。ご両親が借金をなさっている、と。貧しい生活をしている、と。それがもし、あなたの心のどこかに引っかかっているのであれば、あなたが一歩踏み出せない原因だというのであれば、自分に自信が持てないという理由が、自分を変えられないと思っていると後悔しながら生きているのであれば、そんなもの、この指輪で取り除いてしまいなさい。いえ、ぶち壊してしまいなさい!」
そう、キチゲ解放は無敵なのだ。
誰の力を借りたって、構わない。その人がより良い未来に進めると思えるのであれば、誰の力を借りてもいい。
それは知恵でも、財力でも、なんだっていいのだ。
だから――
「だから、これをこれを受け取りなさい。私に思っている事を素直に言える、正直者のイナ・キルジェクル。売るにしても、後生大事に取っておくのでも、投げ捨てるのでも、何をしてもいい。それはあなったに任せます。でも、受け取りはなさい。自分の心がいつまでも故郷の雪山に留まっていると、どこにも行けない氷の様な存在だと思わないで。何故なら今、あなたはここにいる。他の誰でもない、私の前に立っているのです」
だから、誇れ。
あなたは今日、この私が未知のループへ踏み出す、その一歩を手助けしたのだから。
……それは言っても、絶対に伝わりませんから、言いませんけどね。
指輪を握り、泣き崩れるイナに振り返ることなく、私はこの部屋を後にする。イナがこの後どうするかは、彼女次第。
彼女の未来は、彼女が決めるべきだ。
その後は、あっけないものだった。私が書いた手紙は無事届いてくれたようで、思惑通り警備がザルになっている。
私は意気揚々と、誰の目をはばかることなく、アーチデール城を後にした(未知が広がるルートを歩き始めた)。