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<イレイラ>
……さて、時間がありませんわね。
私は、アーチデール城に用意された、化粧やドレスを直すための専用控室に辿り着くと、紅茶を飲む時間も惜しんで連れて来た侍女たちに指示を出す。
「あなたたち、私を町娘に見えるように着飾りなさい」
「き、着飾れ、と言われましても……」
そう言ったのは、確かイナと名乗った侍女だった。綺麗な黒髪をショートカットにした小柄な娘で、おどおどと自信なさ気にシアン色の瞳が揺れている。
でも、自信なさ気であるにもかかわらず、話していると不思議とよく私と目が合う、不思議な所があった。
見れば他の侍女たちも、何か言いそうにしている。
「どうなさいましたの? 何か思うところがあるなら、正直に話せば怒らないと(突然ブレインバスターをかましたりしないと)約束しますから、遠慮なくおっしゃいなさい。言わず、行動せずに後で後悔して死ぬのは、死ぬほど後悔しますわよ?」
そう言うと、侍女たちは互いに目を合わせた後、おずおずといった様子で、私に意見を口にする。
最初に手を上げたのは、イナだった。
「た、確かに、わ、私たちは、城下町で生活している方々の衣服は知っておりますが……」
「……ご要望は、その、町娘に変装成される、という事でお間違いないでしょうか?」
「もしそうでしたら、少し困ったことがございます。クルーリア王国の首都であるアーチデールの城下町であったとしても、このお部屋のお召し物だと使われている素材が高価すぎて、どうしても城下町だと浮いてしまいます」
「そうですね。こちらにご用意のあるお召し物は、クルーリア王国どころかヘティオストレラ大陸でも中々手に入らないようなものばかりですし」
イナの後に追加で助言したのは、インドラとディリン、ラリムと名乗った侍女たちだ。彼女たちの言葉に倣って、私は改めて自分に用意された部屋を見渡す。
婚約破棄を言い渡す前にその事をこちらに感づかれないようにするためか、アーチデール城に用意された私の部屋は、以前私と王子の婚約発表の時と同じくかなり好待遇。
ベッドやテーブル、イスに、時間を潰すために用意された刺繍用具。他にも紅茶を入れる陶器類に、それに入れる紅茶の葉も含めてこの部屋は一流の品で溢れている。
更にタンスの中には、模様替え用に準備した私のドレスの控えが何着か用意されていた。
ドレスを選定したのは私なのだけれども、まさか婚約破棄を言い渡されるとは露程も思えるわけがない。
用意したのはグークハール王子が好みそうな、背中がバッサリと見えるタイプのもの。それをヴィルムガルド家の力で手に入る最高級のものを色違いで用意していた、というわけだ。
本当に、百八回ループ前の自分の愚かさと共に、これらの衣類も全て燃やし尽くしてしまいたい衝動に駆られてしまう。
……ですが、侍女たちの言う通りですわ。この場に、町娘が来ていそうな服はございませんのね。
どうやら、いきなり今回のルートの難所にぶつかってしまったらしい。
当たり前だが、他のルートではただ一度も、私は元婚約者にブレインバスターをかましたことなんてない。あの時点で私が知っているルートとは、控えめに言って様相がかなり変わってしまっているはずだ。
……でも、それは仕方ない事ですわ。私、もうイライラを、ストレスを我慢しないって、決めたんですもの。
他のルートで城を脱出するには、王子かあの泥棒猫に媚び諂うか、会場に来ていた来訪者の弱みを握って人権を掌握後にあの場で私を処刑出来ない雰囲気を扇動したりと、全てあのパーティー会場で完結する方法しか実施してこなかった。
逆に言えば、あの場で処刑確定のルートに入らなければ、多少はこちらもとれる選択肢が増えたということになる。そのため、わざわざ破滅エンドを早めてまであの会場で悪あがきをしなかったのだ。
……ですが、これ程パーティーをひっちゃかめっちゃかにしたのは、今回のルートが初めてですわね。
だとするなら、こうした想定外の状況が発生するのも頷ける。
今までとは違う行動をした結果、これから先、私にとって未知の事象が発生。その結果、どうしても不利な状況に陥る事もあるだろう。
だが、それはもう、致し方がない事だ。
……だって私、どうしてもあの糞野郎(グークハール王子)に、ブレインバスターをぶちかましてやりたかったんですもの。
キチゲ解放した、あの瞬間。
あの解放感は、百八回も破滅エンドによる死を迎えた身としては、格別な瞬間だった。
やはり我慢はよくないと、私はそう確信する。
キチゲ解放は、やっぱり最高だ。
その結果、城を抜け出す方法を一から考えなくてはいけない状況に陥っているが、あの解放感の前で、こんな悩みは塵芥以外の何物でもない。これぐらいの困難、甘んじて受け入れよう。
思考を切り替えるように、私は両手を叩いた。
「では、脱出方法については皆で考える事として、先に着替えてしまいましょうか」
「わ、私たちが、イレイラ嬢の脱出劇に加担するのは、確定なんですね」
「今更ですわよ、イナ。私、やると決めたらやりますの。あ、失礼。ドレスを、どなたか、背中の結び目を――」
「で、でしたら、私が手伝います!」
反対するのか賛成しているのかわからないが、イナが私の後ろに周ってくれる。
恐らく、諦めて私に身を任せる事にしたのだろう。インドラや、ディリンとラリムも同じ態度のようだ。
今は三人で部屋を探し回り、何か使えそうなものがないか、確認して回っている。それを見ながら、私は密かにほくそ笑んでいた。
……その調子ですわ。出来ない言い訳を探す前に、動機はなんでもいいですから、何故出来ないのか? の要素をリストとして洗い出すべきなのです。
そのリストがイコール出来ない理由と直結する事になるのだが、逆に言えば、そのリストで上げた項目を全て潰し切ってしまえば、出来ない障害が全てなくなる事になる。
もちろん、時間や資金など、どうしても排除できない障害もあるので、そういうものが出て来た時は、代替案がないか? など、別の議論が必要だ。
しかし、ただ出来ない出来ないとわめくより、出来ない要素リストを作成し、それを潰しこんでいく方が、余程有意義に時間を使えることが出来る。
……リストで可視化することで、出来ないと諦めていたことが、実は現実的には出来そうな事がわかったり、逆に本当に出来ない事だとわかったのなら、他の方に、これこれこういう理由で出来ないのだ、とはっきり説明出来ますものね。
だから、出来ない要素リストの作成と、その潰しこみは、他の人との交渉材料にも使える重要なものとなる。
自分の力でリストを全て潰せなくても、他の人に力を借りれば潰しこめるものがあるのであれば、積極的に他者を巻き込む自分の行動原理にも繋がる。
だから私は神に祈る前に、このリスト作成と潰しこみを、常にする様にしていた。
しかし今、そうしたリストの作成と、潰しこみを行わなくても、イナたちは私に付き従ってくれている。
これは、私が玉座でブレインバスターかました事と、無関係ではないだろう。あれがなければ彼女たちはここまで従順に私に従ってくれていないだろうし、そもそも私の人生で彼女たちと話すこともなかったはずだ。
……やはり、キチゲ解放は何物にも勝りますのね。
自分の中でそう結論づけていると、イナが私のドレス、背中で結ばれているその紐を一つずつ全てほどき終えていた。
やがて青色のドレスが床に落ち、微かな布の音を立てる。その服を一瞥するでもなく、私は半裸になった状態であるのも気にせずに、テーブルに向かう。
そして、手紙をしたため始めた。
イナが不思議そうにしながら、私の肩にベッドから持ってきた薄い毛布をかけてくれる。
「何を、なさっているんですか? イレイラ嬢」
「ちょっと、お願い事ですわ」
ルートが変わって未来は不確定になってしまったが、それで今まで私が経験してきた百八にも及ぶループで得た知識が全て無駄になるかというと、一概にもそうとは言えない。
何せ、今時点から過去の事象、それを調査した結果は、この世界の、このルートでも使える情報となる。つまり、使える情報なのだ。
何故なら、断罪イベントが発生するのが確定しているのだから、そのイベントまでに発生した過去は、不変。
使えるものは全て使ってしまおう、とそう思いながら、私はテーブルの上で黙々と時を刻む時計を、一瞥する。
……この時間帯は、確か東門の警備を任されているのは第五防衛隊でしたわね。北門の警備は第十一防衛隊。南門の警備は、第三防衛隊が担当、っと。
過去のループの情報を思い出しながら、私は三通の手紙を書き終えた。そしてこの手紙が届き、内容を防衛隊長たちが確認した後は、もう彼らは城の防衛どころではなくなっているだろう。
振り返ると、何やらインドラとディリン、ラリムが、イナを中心に集まっていた。
「何をしていますの?」
「あ、イレイラ嬢。こんな形は、どうかと思いまして」
そう言ってイナが自信なさげに掲げたのは、継ぎ接ぎだらけになった布だった。しかし、この部屋にそんなものはなかった――
……いえ、違いますわね。
「それは、私が持ってきたドレスですの?」
「そうです! 私、サグラール連邦国の田舎の村の出で、山しかない場所だったんです。貧しくて、皆、あ、私の両親もなんですけど、借金して。だから皆、こうやって、使える服とかは、縫い合わせて」
「確かに、これならパッと見、裕福な暮らしをしている人には見えないよね」
「そうですね。遠目には、生地の良さもわからないでしょうし」
「あとは縫い目をわざとほつれさせたりすれば、確かに貧乏な村娘っぽく見えますね」
「ど、どうでしょう、か?」
恐る恐るこちらをうかがうイナたちに向かい、私も大仰に頷いて見せた。
「皆様、お手柄ですわ。その案、採用といたします」
私がそう言うと、四人の侍女は互いに手を合わせ合った。
そしてすぐに、皆で私のドレスを分解。必要に応じて破いたりしながら、部屋に用意されていた刺繍道具から針を抜き取って、継ぎ接ぎのドレスを作っていく。
それがある程度形になった所で、私は彼女たちに向かって、先程したためた手紙を差し出した。
「では、次はこの手紙を渡しに行ってくださいな。インドラはこちらを、南門の警備を担当している第三防衛隊隊長の、トゥゴールドール・ウラムへ。こちらの手紙は、東門の警備を行っている第五防衛隊隊長のレコン・ウムキンに届けてくださいませ、ディリン。最後にラリムですが、こちらは、北門警備を担当している第十一防衛隊のイスタン・スディデム防衛隊長に」
お願いしますね、と言うと、イナを手伝っていた三人の侍女が手を止め、私の差し出した手紙をそれぞれ受け取る。
不思議そうな顔をしている彼女たちの顔を見て、私は一拍後に、納得の頷きをした。
……ああ、報酬がまだでしたわね。
こちらが依頼し、労働で結果を示してもらったのであれば、依頼人である私には、当然その結果に対して報いる義務が発生する。
相手との力関係や権威を使って労働を強要する事もあるが、その結果報酬を出さないなど、言語道断であり、下策中の下策。次に労働を依頼する時の関係性も悪化するのは避けられないし、どう考えても人はついてこない。
私がそんな待遇を受けたのであれば、確実に次の仕事は引き受けないどころか、にこやかな顔で握手をしながら裏切るし、実際に裏切って来た。
人は何かをした事に対して、認められたいと思うものだ。
信頼関係が構築出来ているのであれば感謝の気持ちなどで報いる事も出来るが、今回は無理やり、しかも初対面の私の為に彼女たちの時間を使ってもらっている。もし自分がそんなことをされたら、今の私ならキチゲ解放間違いなしの状況だ。
だから私は、今身に着けているものを四人の侍女たちに差し出した。
インドラには、ネックレス。ディリンには髪留めで、ラリムにはイヤリング。それら三つは、イナに渡した指輪程ではないが、宝石が鏤められている。
現物となってしまって申し訳ないが、持ち合わせがこれしかないので、この子たちにはこれで我慢してもらおう。
「今回の働きの、報酬ですわ」
「すぐに手紙を届けにいってまいります!」
「いえ、三通とも私が!」
「抜け駆けは駄目ですよっ!」
「身の丈に合わず、そして他者が奮起する場を不当に奪おうとする方にはブレインバスターを、って、早いですわね、あの三人」
私が言い終える前に、インドラたちは手紙を届けに、脱兎の如く部屋から走り去っていた。
それを見送るでもなく、私は服の裁縫に戻ろう、と視線を服に向けたところで、震えるイナの瞳とぶつかる。
「わ、私! こ、こんな高価なもの、受け取れません!」