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 <最初のループ>

 

「ここに、僕とイレイラ・ヴィルムガルドの婚約関係を、破棄する事を宣言するっ!」

 

 その言葉を聞いた時、(わたくし)は一体、グークハール王子が何を言っているのか、理解できなかった。

 螺旋階段下まで歩いてくる途中にかけられたワインで濡れたドレスに震えながら、私はただただ混乱する事しか出来ない。

 しかし、重ねられた次の言葉に、これが悪夢なんかじゃなく、現実なのだと悟る。

「そして僕は彼女、『聖女候補』であるフィレバ・ロリルドルアを、新たな婚約者、いや、妻として迎え入れる事を、この場で報告しようっ!」

 グークハール王子の突然の宣言で、パーティー会場は混乱の坩堝と化す。人と人がぶつかり合い、誰かが誰かの足を踏み、誰かが誰かの服を汚した。だがそんな声、今の私の耳には全く届かない。

 まだ上手く言葉を紡げないながらも、どうにか私は口を開いた。

「ご、ご自分が何をおっしゃられているのか、理解しておられるのですか? グークハール様っ!」

 螺旋階段の上。オキグリアン国王陛下が座られている玉座の傍に佇む、二つの影。

 私の愛する人と、その愛する人を奪おうとしているフィレバを、私は見上げる。

 見上げた拍子に眩暈がして、思わずその場で崩れ落ちそうになった。足元が覚束ず、言葉を発する唇も、震えている。

 ……こんな事、十八年生きてきて、今までたった一度だってありませんでしたのに。

 商人の家の娘として、現クルーリア王国の最大派閥であるヴィルムガルド家の一人娘として、恥じぬ教養と知識を叩きこまれてきた。

 あの家は一人娘だからといって差別もしなければ区別もしないし、手加減もしない。

 使えない人間はそれなりのポジションに移されたという形で左遷され、有能な人間は出自関係なく、事業にとって重要な役職へ配置される。

 そんな環境でありながら、私は弱冠十八歳という年齢でありながら、実力で次期党首を期待されるまでに上り詰めた。

 そこまで至るには、私がヴィルムガルド家直系の娘というだけでは成し遂げられなかったし、並大抵の努力では不可能。それこそ、呼吸をする如く修羅場をかいくぐる必要があった。

 ……その私が、震えている? 嘘、ですわよ、ね?

 だが、何度見ても、どう見ても、自分の両手が震えていた。

 神に祈るのは人事を尽くした後にして、手を組む前に必要だと思われる事を成せと父に言われ、神事以外で両手を組んだ記憶を、私は思い出せない。

 そんな私が、今は震えながら両手を握り、立つのもやっとという状況で見上げることしか出来ない。螺旋階段のその上、玉座に並ぶオキグリアン国王と、その息子のグークハール王子、そして『聖女候補』のフィレバの姿を。

 震えながらも、どうにか私は口を開いた。

「私とグークハール様の婚約は、オキグリアン国王陛下も了承しておられるはず。それを覆すだなんて――」

「控えろ、イレイラ! 当然今僕が口にした内容は、事前に父上にも相談済みだ! 少し考えれば、それぐらいわからないか?」

「へ、陛下、も……?」

 言われている意味が、本当にわからない。

 私とグークハール王子の婚約は、そもそもオキグリアン国王陛下が進めていた話だと聞いている。

 このクルーリア王国は、ヘティオストレラ大陸に存在している国の中で数百年もの歴史を誇り、かつ一番裕福とされている国だ。他の国からも出稼ぎに訪れる民は多く、それ故優秀な人材も集まってくる。

 ……でも、それ故旧体制や既得権益が積み重なり、今では、スピード感のある政策が打ち出せていないのが現状ですわ。

 商人の目線で言わせてもらえれば、クルーリア王国は大きな方針転換をしない限り、今後市場価値が低下していく事が決定的とされている国。この国の重鎮たちは建国時の栄華に目が眩み、現実が見えていなかった。

 だがそれは逆に言えば、早めに手を打てば現状は変えられるということでもある。

 それがオキグリアン国王もわかっているからこそ、陛下は成り上がりと言われていても圧倒的な財力と人材を誇るヴィルムガルド家との関係強化を進め、その結果として、私とグークハール王子の婚約が成り立った、はずだ。

 それを破棄するという事は、つまり――

「この国を、クルーリア王国を終わらせるつもりですか? 陛下っ!」

「控えろと言っている、イレイラ! 父上も貴様の最近の暴挙をお聞きになり、婚約の話をお考え直しになられたのだっ!」

「ぼ、暴挙? 私が、いつ、何をしたとおっしゃるのですか?」

「しらばっくれるのも大概にしろ! 貴様が今までフィレバに行ってきた陰湿な行動の数々! 知らぬとは言わせんっ!」

 そう言いながらグークハール王子は、フィレバを抱き寄せる。王子に抱かれながら、彼女は私の事を睥睨した。その視線を受けて、私は歯が欠けんばかりに歯軋りをする。

「この泥棒猫め! グークハール様に何を告げ口したのですかっ!」

「あらあら、そんな怖い顔をしないでください。怖いですわ、イレイラ様。わたし、ありのままの事実を王子にお伝えしただけです。イレイラ様にされてきた、その全てを、証拠と共に、ね?」

 その言葉に、私は息を詰める。

 確かに私は、フィレバへの悪事を働いてきた。

 人を使って彼女の洋服を駄目にしたのは一度や二度ではないし、地上げして彼女を下宿先先から追い出そうとしたり、『聖女』が不足している別の大陸へ留学という名の島流しを画策したりと、改めて思い返してみても、決して自分のした事は褒められた様な行為ではないのは事実だ。

 しかし、私にも言い分はある。

「それは、あなたがグークハール様に色目を使ったからではありませんか! 人の婚約者に言い寄るだなんて、『聖女候補』として相応しい振舞ではありません!」

「だから、イレイラ様の悪事は正当化される、と? そんな言い訳で、ご自分の行動が全て正当化されるとお思いなのですか? イレイラ様」

「全てはこの国と、グークハール様のために行った事ですっ!」

 私と王子の婚約自体が、このクルーリア王国のためなのだ。

 ……最初は確かに、私もこんな時代遅れな政略結婚、嫌でしたわ。でも――

 それでも今は、私はグークハール王子を愛している。

 クルーリア王国が抱える『魔法使い』や『賢者』ですらわからないと匙を投げた、そんな私を受け入れてくれた彼の事を、心の底から愛しているのだ。

「グークハール様! どうかそんな女の言うことなど聞かずに、私の事を信じてください! オキグリアン国王陛下も、何故王子を止めてくださらないのですか? そもそも、そんな『癒しの力』という魔法の素養で他国からこの国に売られてきた様な何物とも知れない女など、グークハール様の妻には相応しく――」

「黙れ、イレイラ! フィレバの、僕の妻に対する暴言! これ以上は、決して看過できない! そもそもと言うのであれば、魔法の素養がありながらも、それが何なのかも不明な貴様の方が、余程何物とも知れんわっ!」

 その言葉に、私はついに立っていられなくなって、その場で崩れ落ちた。

 今自分が立っている地面が急になくなり、私は永遠に続く暗い洞穴へ落下してしまったのかと錯覚してしまった程だ。

 それ程までに、今グークハール王子に言われた言葉は、私の、私という存在の根底を崩してしまっていた。

 先程グークハール王子が言った通り、この世界には魔法という、人智を越えた超常的な力が存在する。例えばその力は、何もない所から炎を起こしたり、水を生み出したりと、様々だ。

 よく魔法の代表的な力、属性は、風、火、土、雷、水などが該当するが、そうした魔法の属性を一つでも自由に扱える様になるには、かなりの修業が必要となる。その時間は、人によっては三十年、下手すると五十年以上かかるとされていた。

 しかし、そんな中でも、ある特定の属性について素質がある人も存在する。つまり、習得までの時間に個体差が存在するのだ。

 ある属性について素質がある人であれば、通常の習得時間の三分の一以下、十年程の修業でその魔法の属性を自在に操れるようになる。一つの要素を自由に扱える様になった人の事を『魔法使い』。複数の要素を自由に扱える様になった人を『賢者』と呼んでいる。

 しかし、複数存在している魔法の属性でも、特別な属性と言われているものがあった。

 代表的なものが、『癒しの力』だ。

 どんな傷でも治癒できる『癒しの力』。その属性の素養を持っているものは、どういうわけか女性で、かつ一部のものだけだと言われている。

 そのため『癒しの力』を自在に扱える『魔法使い』を『聖女』と呼び、『聖女』になるまで修業中の身である女性の事を、『聖女候補』と呼んでいた。

 その『聖女候補』であり、そして私がなるはずだったグークハール王子の正妻の座を奪い取ったフィレバを、今の私は力ない、虚ろな瞳で見上げる事しか出来ない。

 そんな私を見下ろすフィレバは、グークハール王子に抱かれ、その自慢の豊満な胸を王子に押し付けている。

 最初は、確かに嫉妬だった。

 スレンダーと表現するには慎ましい私の胸より、男性はきっと、フィレバの様な胸を好むのだろう。胸を押し付けられたグークハール王子も、今のように満更ではない表情を浮かべていた。だが、婚約者の私の前で何度もそうされるのは、こちらも面白くない。

 だから、王子との距離感を考えるように、遠回しに注意したのだ。フィレバもその時は快く私の忠告を受け入れてくれて、気づかなくてごめんなさい、とも謝ってくれた。

 ……でも、彼女と王子の距離感は、一向に変わりませんでしたわ。

 それどころか、より一層近くなっていった。

 フィレバの言い分によれば、自分の体と胸の距離感がずれて、どうしても近くなってしまうという事だった。私はそんなものかと、自分が狭量すぎるだけなのではないか? と悩み、恥を忍んで他に胸の大きい女性に相談してみた。

 結果は、そんなわけがない、という話に落ち着いた。

 そもそも対面で会話する際、隣に座るのを控えて対面に座るなど、胸が当たらないような距離の取り方なんて沢山ある。

 婚約者の私の目の前で、王子に近づくフィレバが、私には敵にしか見えなくなった。『聖女候補』ではなく、最悪で凶悪な悪女にしか見えなくなった。

 グークハール王子にフィレバと距離を取るように頼んでも、フィレバは上手いこと王子に取り入っているようで、王子は聞き入れてはくれなかった。

 それでどうにか王子からフィレバを引き剥がそうとして、結果私が今、断罪される立場となっている。

 愛していたグークハール様から、離縁を突き付けられるという形で。

「近衛兵! 早くこの女を、『魔女』の様な女を、この場所から放り出せっ!」

 その言葉で、ついに私の心が折れた。

 ……あなたが、グークハール様が、グークハール様だけが、私を受け入れてくださったと思っていたのに。

 先程述べた通り、人によって、素養のある魔法の属性というものがある。どの属性の魔法に素養があるのかについては、各属性の魔法を自由に扱える様になった人物がその手を握ると、その相手に魔法の素養があるかないかがわかる様になっていた。

 そして、そんな私にも、素養のある魔法が存在している。

 ……でもどれだけ手を尽くしてみても、何の属性の魔法なのかまでは、解りませんでしたわ。

 私の手を握ったクルーリア王国の『魔法使い』は、『賢者』は、『聖者』は、口をそろえてこう言った。

 

『この子の素養は、普通の属性ではない。光や癒しとは対局的な属性の素養だ』

 

 そんな事を言われた、成り上がり商人の令嬢は、周りからどう思われるだろうか?

 決まっている。周りの人から、不気味がられる、気持ち悪がられる以外にない。

 ……でも、グークハール様は、グークハール様だけは、違っておりましたわ。違っておりました、のに――

 この人がいたから、私はヴィルムガルド家の厳しい教育にも耐え抜くことが出来た。将来はこの人とこの国を守るのだと、この年で次期党首を期待されるまでの力を得るまでになった。でも――

 ……でも、私を受け入れてくれた人は、もう私を受け入れてくれる人は、この世界には、いないのですね。

 気づくと私は近衛兵に両腕を掴まれ、足を床に引きずるようにしながら、パーティー会場を後にしようとしている。

 今日私がこのパーティーに参加したのは、グークハール王子から、これから自分の未来について素晴らしい発表があるのでオキグリアン国王陛下が今日主催するパーティーに出て欲しい、と言われたからだ。

 ついに自分と婚姻の時期が決まったのかと浮かれて出向いた結果が、これだ。

 確かにグークハール王子にとっては、素晴らしい発表なのかもしれない。

『聖女候補』を虐げていた、悪しき成り上がり商人の悪役令嬢との婚約を破断。更にその悲劇のヒロインである『聖女候補』との結婚発表をするだなんて、字面だけ見たら、国民受け間違いなしに違いないだろう。

今後十年、二十年単位ではわからないが、少なくともグークハール王子が国王に即位するまでは、彼の人気は衰えないかもしれない。

 ……案外、私を切り捨てた事で、クルーリア王国の勢いは回復するかもしれませんわね。

 だとすると、私が今まで歯を食いしばり、必死になって行ってきたことは、なんだったのだろうか? 全て、無意味だったのだろうか?

 履いていたハイヒールの足が折れて、地面に踵が直接当たって、靴も脱げる。引きずられ、皮膚が削れて血が出るが、その痛みすらどこか遠くに感じていた。

 気づくと螺旋階段からもうかなり距離が開いており、もう自分の体が会場の外に出た事がわかる。視界に、会場の扉が見えたのだ。

 そんな中、玉座の傍でフィレバを脇に抱いたグークハール王子の言葉が聞こえてくる。

「更に、皆に発表がある! なんとこの度、父上に僕の孫の顔を見せれる算段となったっ!」

 ……………………………。

 …………………………………………。

 …………………………………………………………は?

 今、グークハール王子は、あの男は、なんとのたまいました?

 私が、悪役令嬢だから、婚約関係を破棄されたのではなかったのか?

 私が悪役としてフィレバに接していたから、それを断罪するイベントを、このパーティーで行ったのではなかったのだろうか?

 私を追い出したから、フィレバを妻に迎えて、え、それだと、子供は、いつ、でき、た?

 逆?

 順番が、逆?

 だとすると、こう考えざるを得ない。

 グークハール王子は婚約者である私がいながら、『聖女候補』のフィレバに手を出し、妊娠させてしまった。

 だから邪魔になった私を追い出すために、今回のパーティーが催されたと、そういう事なのだろう。

 ……いや、でも、そんなまさか。

 そう思うものの、全ての辻褄が合ってしまう。

 私との婚姻を進めていたオキグリアン国王が、何故今回の婚約破棄を咎めなかったのだろうか?

 その理由は、単純明快だ。

 孫。

 グークハール王子とフィレバの間に子供が、自分の孫が出来たのであれば、今後の国のためという判断も、鈍ろうというもの。

 晩年出来た第一王子を目に入れても痛くない程溺愛していたあの国王は、その腕に孫を抱く未来しか、もう見えなくなっているのだろう。

 でもそれは、私という犠牲の上に成り立っている未来だ。

 確かにフィレバに対して私が行った行為は、決して褒められた様な行為ではない。

 でも。

 ……でも、これでは、あまりにも理不尽というものでは、ありませんかっ!

「グークハール! フィレバっ!」

「おい、こら!」

 突然暴れ始めた私の前で、パーティー会場の扉が閉まっていく。そこで私は、確かに見た。

 玉座の傍、グークハールとフィレバが、私を嘲笑っているのが。

 私は狂った獣の様に手足を動かし、今にも閉まろうとしている扉へ向かって、手を伸ばす。

「グゥゥゥクウゥゥゥハァァァルゥゥゥウッ! フィィィィレェェェバァァァアッ!」

「往生際が悪いぞ!」

「暴れえるなっ!」

「殺す! 殺してやる! お前ら、絶対殺してやるっ!」

「お前、今自分が何を言っているのかわかっているのか!」

「王子とその夫人の殺害予告だなんて、国家反逆罪で死刑だぞ!」

「殺す! 絶対、私が、必ず、私が、殺してやるぅぅぅうっ!」

 だが、私のその慟哭は、きっちりと閉じられた扉の向こうには響かなかった様だ。

 その後、私は近衛兵に連れられ、私の断罪パーティー兼グークハール王子と『聖女候補』フィレバの結婚発表が行われたアーチデール城の地下に幽閉。

 国家反逆罪として、その三日後に首を吊られ、死んだ。

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