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<破滅エンドを迎える予定だったとある領主>
私にとって、私の人生にとって、その日々はかけがえなく、輝く希望に満ち溢れた日々だった。
生まれてこの方、私はヘティオストレラ大陸から出た事のなかった。
そんな私にとって、大陸を越えた留学というのは慣れ親しんだ父や、弟の様に懐いてくれていた魔物のチュリックたちとの一時の別れという寂しさの感情を、心の中に去来させた。
しかし、それ以上に非常に期待に満ち溢れた、前向きな感情が湧き上がって来たのも、確かだった。
……ユーカックス大陸の留学から戻ってきたら、父の片腕として、今まで以上にゲルトドゥール州のために尽くそう。
そして父から領主という立場を受け継ぎ、ゲルトドゥール州だけでなく、サグラール連邦国をより良い国にしようと、そう心に誓っていた。
はっきり言って、サグラール連邦国は貧しい国だ。
国土の殆どがイトゥースルト山脈という雪山で、作物も育たない。
唯一連邦国の南側に流れているバトレネット川付近は農業が成り立っているが、それ以外はかなり厳しい状況だ。高齢化も進み、領民は殆どが出稼ぎに出ている。これでは、若い世代が育っていかない。
……自分が生まれ育った国を、より良くしたい。父と同じように、いや、それ以上に、私が良くしてみせる!
そのための秘策も、実は考えていた。
ヘティオストレラ大陸は他の大陸と違い、人間と魔物の人口比率が半々という特性がある。
人間より肉体や寿命が優れている魔物たちの力を借りれば、人だけでは開発が困難な山岳地帯も、何かしら活かす方法が見つかるかもしれない。
そういう意味で魔物との関係が良好なゲルトドゥール州は、サグラール連邦国発展のためのモデルケースになり得る可能性を秘めている州だ。
父の進めている魔物との宥和策をそのまま進め、魔物たちが活躍できる場を用意すれば、サグラール連邦国には、ヘティオストレラ大陸中の魔物たちが集まってくる。
……人はどうしても、クルーリア王国に出稼ぎに向かってしまうからな。
今からヘティオストレラ大陸で人にとって働きやすい環境を整えようとしても、クルーリア王国に追いつくのは不可能だろう。クルーリア王国の建国数百年によって作られた人間が働きやすいという環境、時間のアドバンテージを押し返すには、私たち人間の寿命では短すぎる。
だからこそ、魔物なのだ。
人間だけではなく優秀な魔物を登用し、ゲルトドゥール州の、そしてサグラール連邦国をより豊かにしていく。
私には、それ以外この国が豊かになる方法がないと思えたのだ。その為に、弟の様なチュリックにも手伝ってもらおうと考えている。
……そんな私の考えに、君は意見をしてくれたな、ラニ。
ラニ・ヴィドリードゥ。
彼女も私と同じく自分の国、イーシャイ医療諸国家からユーカックス大陸へ留学していた一人だった。
ラニは私に、その考えでは自国に住んでいる人間の反感を買いすぎると、真正面から反対してきたのだ。自分の考えが素晴らしく、そして有用なものと疑わなかった私は驚き、そしてそれ以上に憤った。
……思い返せば、最初は喧嘩ばかりだったな。
自分の考えを否定されて、心中穏やかでいられる人は少ないだろう。しかも私は、その自分の考えにこれからの自分の一生を捧げて、施策に取り組もうとしていたのだ。
だから、喧嘩になるのも必然というものだった。
しかし、議論を冷静に重ね、他の人からも意見を聞いているうちに、自分の視野の狭さに気づかされた。改革も、それに付いてきてくれる人が、そして魔物がいなければ、全てが机上の空論でしかない。
それからラニとは、いろんな事について議論を重ねてた。留学先の授業の教科書に載っている問題や、教師から出された難問について、ああでもない、こうでもないと、図書館や教室、食事に向かったレストランで議論を交わした。
そしてそれは、互いの自室でも同様だった。
私たちが恋仲になるのは、そう時間はかからなかった。
……そして、将来を誓い合う仲になるのも、な。
婚約は私の両親も、そしてラニの両親も、認めてくれた。そして私たち以上に、まるで自分の事の様に喜んでくれた。
私にとって、私の人生にとって、その日々はかけがえなく、輝く希望に満ち溢れた日々だった。
日々、だったのだ。
「失礼します、ジョウム様」
ドアが叩かれ、私の意識は現実へと戻される。
そこはゲルトドゥール州、州都ウルムニムに構えている私の館、その執務室だった。
窓から夕陽が差し込み、部屋の調度品を照らしている。
過去の施策の内容と、現在の状況、経過、結果がまとめられているレポートが並ぶ本棚に、私の座るイス、そして対応すべき施策などの紙束が机の上に並べられていた。
……いかん。どうやら少し、眠っていたみたいだ。
最近父から領主を引き継いだため、その引き継ぎ作業に、そしてその作業中発生してた問題の対処で、睡眠時間が足りていない。
しかし、それでもここが、頑張り所だ。
……そうとも。私の悲願である、魔物排斥のためには、ここで頑張らずして、いつ頑張るというのだ。
頭を振った後、私は叩かれたドアに向かって、入出を許可する旨の発言をする。
失礼します、と声がして、この館で雇っている眉雪の執事が入ってくる。
「ジョウム様。ヌーングリフ州の領主であるクモス・ゼトス様より、抗議の連絡が来ております。州境の魔物たちが活動を活発化しているため、早急に対応されたし、と」
「ふんっ。自分は自分の州内の魔物を抑えられていないくせに、こちら側の魔物の動きにはいちいち難癖をつけてくるのか」
私は目頭を押さえて溜息を吐く。
「こちらはゲルトドゥール州の魔物たちについて、適切に対応を行っている、と返信しておいてくれ」
「……よろしいのですか?」
「かまわないよ。どうせこちらの州の魔物が州境で盗賊の真似ごとをしても、クモスはそれを鎮圧できるだけの兵を持っていないのだからな。だからクモスはこちらに手紙は送れても、それ以上の不満を形にすることはできんのだよ。こちらがクモスに手を貸すとするのなら、それなりの旨みがある時、そして向こうに恩を売れるときだけだ」
「では、そのように対処いたします」
執事はこちらに向かって恭しく礼をして、部屋から出ていく。
父の頃から仕えてくれている執事で、名前をモウコトという。中々に優秀で、彼の力は色んな意味で役に立つため、重宝している。
書類作業に戻ろう、と視線を落としたところで、何かがおかしい事に私は気が付いた。
……なんだ? 何か、館が騒がしいような気が――
その思考は、今しがた執事が出ていった扉が、文字通り蹴破られた事で強制的に断ち切られる。
いや、蹴破ったなど、表現が可愛すぎた。
吹き飛ばされた扉はそのまま執務室を直進。窓が設えてある壁にぶち当たると、激しい衝撃と爆音を上げる。
粉塵が舞い上がる中、その煙が落ち着くころには、壁には扉程の大きさの、巨大な穴が出来ていた。
どう考えても扉がぶつかって出来た穴だが、どう考えてもその穴が出来る道理が見当たらない。
一体どれだけの力で扉を吹き飛ばせば、あれ程の芸当が出来るというのだろうか?
……な、何が起こっているというのだっ!
混乱しながらも、私は思わずイスから腰を上げ、ドアがなくなった入口の方へと視線を向ける。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
どういうわけか、継ぎ接ぎだらけの服を着こんだ、燃えるような赤い髪の女性。
そんな作り物めいた女性が、執務室の入口、その木枠に手をかけ、木枠ごと壁を握りつぶす。
そしてその女性は、私の方へ視線を向けて来た。
その赤い瞳は、見るもの全てを射殺さんばかりに、強烈な意志の光を放っている。
そんな彼女が、まるで地獄の番人の様な声で、こういった。
「私のもっふもふを虐める、悪い奴はいねぇがぁぁぁあああっ!」