12
<破滅エンドを迎える予定だったとある獣人>
……え、何? 何が、え、何が起こっているの?
ボクはさっきまで、森の中を駆けていた。グラブキンおじさんとリヴォックおばさんが、人間の馬車を見つけたと言い始めたのがきっかけだった。
……さ、最近、皆、ご、ごはん、お腹いっぱい、食べてない、から。
ボクのおとうさんのロクと、おかあさんのレームがグループの中心だった時には、食事が全くなくて空腹になる日が続いた事なんて、なかったらしい。
それは父と母が立派で、それでいてグラブキンおじさんとリヴォックおばさんが言う所の『強い』魔物だったからというのもあるだろう。当時のゲルトドゥール州だった、ニグニン・ニルバンさんとも、有効な関係を築けていた。
……だ、だから、仕事もあったし、ご、ごはんも、食べれたんだよ、ね。
それらが全て、過去形で話さなければならないという事は、つまりは、そういう事である。
……お、おとうさんと、おかあさんは、に、二年前の流行病で、死んじゃった、から。
それは、確かに悲しかったし、辛い出来事だった。
でも、両親と一番仲が良かったグラブキンおじさんとリヴォックおばさんが、何でもない風に振舞ってたから、ボクも泣かなかったし、弱音を吐かなかった。
……お、おじさんとおばさんも、つ、辛いはず、だか、ら。
息子のボクよりも、ずっと長い間一緒にいた仲間が、死んだのだ。その悲しみはボクなんかじゃ想像できないし、しちゃいけないものだと思った。
でも思い返せば、この時はまだ、何とかなっていたのだ。
おとうさんとおかあさんの遺言に従って、ボクたちのグループのリーダーは、ボクが任されるようになった。
右も左もわからない中、グラブキンおじさんとリヴォックおばさんたちだけでなく、幼馴染のキルキオールやクールオも手伝ってくれて、そして何より、領主のニグニンさんも、手伝ってくれた。
おとうさんとおかあさんが、ニグニンさんと良好な関係を保っていてくれたおかげだろう。
しかし突然、風向きが変わったのだ。
……ニグニンさんの、む、息子さんの、ジョウムさんが、りゅ、留学先から、帰って来た、んだよ、ね。
ジョウムさんとは、ボクも面識がある。小さい頃に、一緒に遊んでもらっていた記憶もあった。とても優しい、おにいちゃんみたいな人だった。
そうした兼ね合いもあって、ジョウムさんがユーカックス大陸に留学する事になった時、グループの皆と一緒にお見送りなんかも行ったりしたのだ。
だからあの時、ボクには全く想像できなかった。ジョウムさんと、ボクたち魔物の関係が、悪化するだなんて。でも――
……で、でも、か、変わっちゃったん、だよ、ね。
留学先から戻って来たジョウムさんは、今までのゲルトドゥール州で行っていた人間と魔物との宥和政策について、突然反対し始めた。
自分の親であるニグニンさんとも衝突するようになり、そうした中、ジョウムさんは働き盛りの人間の若い世代向けの経済支援を打ち出し、若年層の支持を取り付け、徐々に力を伸ばしていった。
……だ、だから、ぼ、ボクたちの仕事は、どんどん、な、なくなって、食べるのも、く、苦労するように、なって。
グラブキンおじさんとリヴォックおばさんたちは、ついに人間が本性を現したんだ、と言っていた。
でも、ボクには、とてもそう思えなかった。何か、理由があるんだと思っていた。
でも、それを調べる時間を、ボクは持ち合わせていなかった。皆の食べ物を確保する方が、優先度が高かったのだ。
ボクはどうにかキルキオールたちと一緒になって、宥和の道を探って来た。
けどグラブキンおじさんとリヴォックおばさんたちは、人間と揉め事を起こしてでも今の生活を維持しようとして、当然人間との関係はどんどん悪化していった。
……お、おじさんと、おばさんは、お、おとうさんと、おかあさんが、き、築いてきた、か、関係を、こ、壊されたって、ぼ、ボクらは、う、裏切られたんだって、そう、言ってた、っけ。
そう憤る気持ちも理解できたので、ボクもおじさんたちに強く言えなかった。でも、そんな状態で宥和の道が見つかるわけがない。
時間が経つほど、人間と魔物の関係が悪化していって。
そしてついに、それは先日起こった。
……領主が、ジョウムさんに、変わったんだよ、ね。
詳しい事情は、わからない。わかっているのは、突然ニグニンさんが失脚し、領主が息子のジョウムさんに変更になったという事実だけだ。
それにより、ゲルトドゥール州の人間に対する魔物へのスタンスが、明確に排斥の流れになっていった。
……ぼ、ボクたちは、も、もう一度、『強い』魔物になる、ひ、必要がある、だっけ?
グラブキンおじさんたちが口にした言葉を、ボクは思いだす。
おとうさんとおかあさんは立派で、それでいて『強い』魔物だった。
だからボクも、リーダーとしてチュリックは『強い』魔物としての姿勢を見せるべきだと、そう言われた。『強い』魔物を見せつけ、もう一度自分たちの地位を確立するんだって、人から奪われるぐらいなら、人から奪う側になるんだって、そう言って――
……皆を引き連れて、見つけた馬車を、襲ったんだよ、ね。
ボクはグラブキンおじさんとリヴォックおばさんたちを、止めれ、なかった。
もう、ボクにはわからなくなっていたのだ。
おにいちゃんの様に優しかったジョウムさんの変貌も、空腹を訴える仲間たちにリーダーとしてどう接するのかも、『強い』魔物としての在り方も。
……だ、だから、ぼ、ボクは何も、か、考えられなくって、流れに身を任せて、で、でも、人間を襲うって、な、なった、時、い、一歩を踏み出すのが、お、遅れちゃ、って。
だから、大慌てで『変化』して、森の中を走って来たのだ。
『変化』は仲間とくつろいだり、緊急事態に使うものだ。狼型の獣人であるボクは、動物の狼の様な姿に『変化』して、必死に皆に追いつこうと走って、それで――
「キャー! もっふもふの獣サイコーですわ! クンカクンカもっふもふ肉球最高もう私死んでもいいですわ死んでまたこの場所に戻って(ループして)来ますわーっ!」
……い、いや、ほ、本当に! ど、どういう状況、なの?
グラブキンおじさんたちに追いついたと思ったら、当のおじさんは足蹴にされている。
それを遠目に仲間たちは抵抗の意志を完全になくしているし、その状況を作り上げたと思われる女性もまたインパクトが有る格好をしていた。
着ている服が、継ぎ接ぎなのだ。継ぎ接ぎだらけの服を着た、燃えるような赤い髪と瞳をした女性は『変化』して狼の姿となったボクへ、一瞬にして肉薄。
そしてこちらが逃げれないように腕で首を、脇腹を、そしてその両足で後ろ脚をがっちりホールドした。
更にその状態で彼女はボクの後頭部でずっと息を吸って吐いてを繰り返していて、時折その手を起用に動かしてボクの肉球をにぎにぎしている。
……ぼ、ボク、『変化』して、み、見た目は、ち、小さな、犬、ぐらいだけ、ど、お、狼よりも、ち、力、か、かなり、つ、強いのに、う、動け、ないっ!
「あ、あの、こ、これ、どういう、状況、なんです、か?」
この状態になってから、何度目かになる問いをボクが発すると――
「……すまん、チュリック」
「……ごめんな、チュリック」
「い、いや、いつも『強い』魔物になれってあれだけ言ってたのに! た、助けてよ、グラブキンおじさん! リヴォックおばさん!」
「……こうしてリーダーは、ぼくらの身を守るために、自ら犠牲になったんだね」
「……ぐすん。チュリックのこと、私、忘れないから」
「ま、待って! 勝手に殺さないで、キルキオール! クールオ! って、ああぁ! い、今! 今すっごい後頭部吸われてる! 皮膚すっごい伸びてるよ、今っ!」
「……すまんな、獣人の坊主。イララ様は、いろいろと辛い過去をお持ちなのだ」
「つ、辛い過去があったら、何でもやっていいわけじゃないと、お、思うんですけどぉぉぉおおおっ! に、肉球! ち、ちぎれっ! やめっ! げ、限度が! さ、流石に、限度がありますよ! そ、それに、辛い過去があったら、な、何やってもいいんなら、ぼ、ボクにだって、ボクらにだって、ありますからっ!」
そしてボクは、背後からがっちりホールドされてたまま肉球を弄ばれ、更に後頭部を涎塗れにされながら、事の経緯を説明する。
それはつまり何故魔物のボクたちが、ボクを掴んで離さないお姉さん、人間の中でもかなり変人よりな人はイララさんというのか、たちの馬車を襲う事になったのかを説明した。
すると――
「……ゆるせませんわ」
「い、イララ、さん?」
あれ程ボクを離すそぶりを微塵も見せなかったイララさんが、ボクを約二時間ぶりに解放。ボクは涎を前足でごしごし拭きながら振り向いた。
すると、そこには鬼がいた。赤い髪を宙に揺蕩わせた、鬼が降臨していた。
「私のもっふもふを虐めるだなんて、絶対にゆるしませんことよぉぉぉおおおっ!」
絶叫が森を突き抜け、ボクたちはあまりの大声に耳が耐え切れず、眩暈を起こしたようにその場で崩れ落ちる。
近くにいた動物たちは恐らく泡を吹いて倒れ、飛び立つ鳥たちが宙で気絶して落下してきた。天変地異をリアルタイムで見させられている恐怖感に、ボクは全身総毛立っていた。
今日何度目になるのかわからない、現状を全く把握できない混乱状態に陥っていると、拳を空に振り上げたイララさん(変人)が、天に向かって宣言を発した。
「私のもっふもふを虐める不届きなその領主! 私がキチゲ解放して、成敗してみせますわっ!」
「お、おお! 流石イララ様! 自分とは全く関係ない魔物のために圧政を敷く領主へ立ち上がろうとされるとは! 流石『聖――」
「ダッシャラァァァアアアッ!」
イララさんが、連れの男性の方に速攻でブレインバスターをかます。そしてその後、すぐに『癒しの力』で回復をさせていた。
……な、何が起こっているのか、さ、さっぱりわからないですけど。そ、それは何というか、い、今更に感じてしまっている、ぼ、ボクの慣れが、こ、怖すぎます、よっ!
理解できないものを受け入れる度量は重要な気がするけど、ボクの理解力を遥かに超えるキャパオーバーに次ぐキャパオーバーの事象が連続しすぎている。
破天荒な状況の連続に、いまいち目の前で起こっている光景が現実なのかどうか判断が付きづらい。
全身麻酔を脳味噌に直接注入された様な酩酊感の中、どうにか理解できる単語をつなぎ合わせて話を聞いていく。
どうやらイララさんは、ゲルトドゥール州の領主であるジョウムさんに対して、魔物の関係性について直談判してくれる事になったようだ。
正直、イララさんならジョウムさんの館に無理やり押し入っても、難なくジョウムさんと面会出来るだろう。
ボクらのグループで一、二を争う強さのグラブキンおじさんとリヴォックおばさんを無力化、どころか、グループ全員を赤子の手をひねるよりも簡単に制圧した力があるのだ。
それを考えると、ジョウムさんの館に用意されている兵力だけでは、到底イララさんの奇襲を止める事は不可能だろう。
それにジョウムさんと直接会話出来るというのは、ボクにとってもいい機会だと思えた。
ジョウムさんと、ボクももう一度話がしたい。したいん、だけど――
……ほ、本当に、こ、この人に任せて、だ、大丈夫、なのか、な?