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<イレイラ改めイララ>
「ちょ、ちょっとあなた! 大丈夫ですの? もしもし? もしもし? もしもーしっ!」
私は、かなり焦っていた。
……いや、いきなり肩を掴もうとする、あなたも悪いんですのよ?
だから思わず脊髄反射でキチゲ解放のブレインバスターをかましてしまったのだが――
……いけませんわね。ここはアーチデール城ではなく、もう城下町ですのに。
更に玉座が設えてある床なら分厚い絨毯も敷いてあったが、ここは完全に屋外。ブレインバスターをかまそうものなら、頭蓋が割れて、かなりお手軽に死んでしまうだろう。
別に私としては、この無礼な名前も知らない茶色い目をした男が後二、三匹死んだ所で心がピクリとも動かない。のだけれども、アーチデール城を抜け出した後、即殺人は流石にまずい。
王子を傷つけただけでもこの国に留まっていたら死刑確定なのに、強面の男とはいえ、国民まで殺してしまっては、流石に世界中で指名手配になってしまう。
そんな破滅エンド一直線の道は、なるべく歩きたくはない。何せ、キチゲ解放の旅は、これから始まろうとしているのだから。
……仕方ありませんわね。
そう思い、私は自分で傷つけた無精髭の男に両手をかざし、意識を集中する。
すると、私の手のひらから、眩く、そして暖かい光が溢れ出した。
裏路地が闇夜から昼間の様に明るくなり、その拍子に、男の短く切った銀髪が揺れる。
紛れもなくそれは、『聖女』だけが使えると言われている、『癒しの力』だった。
いつぞや説明した通り、魔法、その一属性を修めるには、素養があるものでも十年という年月がかかる。
……でも、その年月って、一体何を基準にした年月なのでしょう?
当たり前だが、時間は過ぎ去ったら、戻ってくることはない。十年という年月を重ねて修業を行えば、体も十年分、年齢を重ねている事になる。
そう、普通の人ならば。
……でも、私、ループしてしまいますし。
しかもその数、百八回。
最初の方のループは三日ほどで首を吊られてしまったが、そこからある程度生き残るルートも開拓したので、一ループあたり、ざっくり見積もっても平均三年以上は確実に私は生き抜いている。
……つまり私、破滅エンドを迎えてからループし始めて、三百二十四歳以上経っているのですわ。
十八歳の時からループが始まったので、精神年齢は三百四十二歳以上なのだが、そもそも破滅エンドを回避するのに必死で、最低でも恐らく平均三年以上としか言えない状況だ。ひょっとすると私はもう四百歳なのかもしれないし、実はもう千歳を超えているのかもしれなかった。
魔法の一要素を修めるのには、素養がある人なら十年かかる。
だが、私の魔法の素養は、ついぞ判明する事はなかった。
……でも、素養がある方だけが、その属性を扱えるわけではありませんのよね。
素養がない人でも、三十年。下手すると五十年以上の年月があれば、一属性の魔法を自由に操れる様になるのだ。
では、皆さんに計算してもらいたい。
精神年齢が、最低でも三百四十二歳の私は、いくつ魔法の属性を修めていると思われるだろう?
そして、女性の中でも限られた人しか扱えないと言われる『癒しの力』。
普通の魔法の一属性で、素養がなければ五十年以上かかるとされるが、『聖女』と同じく女性の私であれば、『癒しの力』の素養がない私は、一体五十年の何倍の年月をかければ『癒しの力』を習得できたと思われるだろうか?
……大体、百二十年とちょっとぐらいで習得出来ましたっけ?
自分の精神年齢を覚えていないのなら、いちいち数多の属性を修めた魔法の、そのたった一属性にかけた正確な年月なんて、覚えているわけがない。
一つ確かなのは、私は百八回のループを経て――
……私、複数属性の魔法が扱える『賢者』でありながら、『聖女』でもありますの。
しかし、そんな私であっても、前回の破滅エンドを回避する事は出来なかった。
その事実を思いだすと、如何に自分の置かれている状況が絶望的なのか、再認識できる。
……というか、破滅エンドルート多すぎでございましょうに。
だからもうキチゲ解放させたるという思考になったのですけれど、と思いながら、私は『癒しの力』を止めた。
男の治療が、完了したのだ。
私は額の汗をぬぐいながら、一息吐く。
「いやぁ、焦りましたわ。でも、もう大丈夫ですわよね?」
そう言って私は、この場を立ち去ろうと歩み始める。
「私、行くところがありますので、そろそろこの辺りで――」
「まさかあなたは、通りすがりの『聖女』様で――」
「誰が聖女だごらぁぁぁあああっ!」
……いけない! 思わずフィレバの事を思いだしてキチゲ解放してしまいましたわっ!
全く、私ったらうっかりさん。
治した直後に壊す(殺人未遂)なんて、これでは精神的に何か大きな闇を抱えていると思われてしまう所でした。危ない危ない。これから治すから渡しの場合はセーブですの。
ブレインバスターからの回復で、傷の治療(隠蔽工作)は完了。満足げに頷く私の足元で、男がこちらに向かって五体投地をしていた。
「ど、どなたか存じませんが、この度は傷を治していただき、本当にありがとうございました! このご恩は、一生忘れませんっ!」
「そ、そんな! お顔をお上げになって? 私、当然の事をしたまでですものっ!」
何せ、自分でやったブレインバスターなのだ。自分のブレインバスターの後始末は、きちんと自分で対処すべき。それが淑女の嗜みというものだろう。
そう思いながら頷く私を、しかし男は何か神々しいものでも見るような目で見上げてくる。
「な、何と素晴らしいお心をお持ちなんでしょう! 俺は今まで仲間に裏切られ、騎士団を追われる原因となった右腕の傷を負って満足に戦えなくなり、そのままここで腐っていました。でも、今日から俺は心を入れ替えます! 入れ替えて、俺も『聖女』様のように――」
「ダッシャラァァァアアアッ!」
おっと、脊髄反射脊髄反射。いけませんわね。自分の優秀過ぎる反応速度が恨めしいですの。
「やめてくださいませ。私、『聖女』ではございませんの」
「で、では、あなた様は、一体? 俺の頭部だけでなく、右腕の古傷も痛みがなくなっているだなんて、『癒しの力』以外考えられないのでは?」
……全く。これだから勘のいい奴は嫌いなのですわ。
殺す選択肢を先程自分で消している以上、どうにかしてこの場をごまかす必要がある。
「あー、えー、う、うー、ん? そ、それは、その、気のせいといいますか、どうといいますのでしょう?」
「気の、せい? ハッ! ま、まさか、これは、今まで俺が食らったと思っていた攻撃は、幻覚? 右腕の痛みも、幻覚で忘れさせていると、そういうことでしょうか?」
「……は? 何を言っておりま―― あっ! ああ、そ、そうそう! ええ、ええええ、そう、そうですそうです! そうですのよ! そう、さっすが、そう! 正解! その通り! あなた、大正解ですの! その言い訳を捻りだすなんて、流石ですのね、あなたっ!」
「い、いえ、そんな、俺なんて、そんな褒められたような人間ではありません。ですが、痛みを感じないのであれば、これで俺も加減さえ間違えなければ、気にせず剣を振れるように……」
何故か照れ始め、ぶつぶつと何か言い始めた男を横目に、私は内心胸をなでおろす。
何故かこちらが探していた上手い言い訳を、犯人の私ではなく被害者の男性の方が出してくれた。ストックホルム症候群でも発症したのだろうか?
わからないが、こちらにとって都合がいい事はそのままにさせてもらおう。
「では、そういうことで。私はこの辺で」
「お、お待ちください! 俺の名前は、クラーム・オトゥレティムと言います! ぜ、是非、あなた様のお名前を」
「私の名前はイレイ――」
「イレイ?」
「……失礼。噛みましたわ。私の名前は、イララ。そう、イララですのっ!」
危うく素直に本名を口にしてしまいそうだったところを、何とか堪えることが出来た。
……本当に危なかったですわ。ええ、ギリギリ! ギリギリの、アウト寄りかとおもったらライン上で実はセーフだったパターンですわね!
自分でも、何を考えているのかわからなくなってきた。
だが重要なのは、目の前のクラームという男が納得しているのか否かだ。彼が受け入れっている以上、何も問題はない。
「では、話はまとまりましたわね? では、私はこの辺りで、失礼を」
「お、お待ちください、イララ様! 先程のご無礼の償いというわけでは御座いませんが、イララ様のお住まいまで護衛を――」
「ないので、結構です」
「……え?」
「ですから、ないのです。家は、これから旅をしながら探す予定ですの」
「なんと! 立ち振る舞いからどこかの御高名なご令嬢かと思っておりましたが、単身再出発される予定だったのですね。その豪胆さ、このクラーム・オトゥレティム、感服いたしましたっ!」
……なんだか、堅苦しくて会話するのが疲れる相手ですわね。
流石に、もうそろそろ城から追手がやって来るはずだ。アーチデール城の方へ振り向くと、クラームが何かを察したように口に手を当てる。
「まさか、狙われていらっしゃるのですか? アーチデール城でお勤めの方というと、このクルーリア王国の施策に関わる重鎮たちが多いはず。そして、後ろ暗いものを抱えたものたちも……」
その言葉に、私は大きく頷いた。
……そういえば、仲間に裏切られて騎士団を追われる、とおっしゃっておりましたわね。
クラームの発言から鑑みるに、どうやらアーチデール城の内情をある程度把握しており、かつ何かマイナスの方面で思う事があるらしい。
ならば彼の言葉に乗って、私とアーチデール城の関係性を匂わせる事で穏便にこの場から立ち去れないだろうか? そう思いながらも、私は口を開く。
「ええ、そうなのです。実は私、この国のとあるお方と浅からぬ因縁がございまして」
「なるほど! それでアーチデール城から、イララ様を狙って追手が迫っている、というわけですね!」
……ふふふっ。私の思った通りの展開になってますわね。
「ええ、ええ、そうなのです! ですから、あなたを私の事情に巻き込むわけには――」
「ええ、ええ、わかります! 全員が全員とは言いませんが、あそこには他人の成功を妬む奴らもいますから。俺も経験があるからわかります! であればこそ、不当な評価を受けているであろうイララ様の安全を確保するのは、これは俺の天命に違いありません! ここでイララ様と出会い、助けていただいた結果、俺の剣の腕をまた取り戻せたというのは運命というほかありません! 必ずやこのご恩、お返しさせて戴きます!」
……ん?
何やら、話の雲行きが怪しくなってきた。
そう思う私に気づいた様子もなく、クラームは自分の世界に埋没していく。
「ならば、俺のするべき事は明白! イララ様! イララ様の安全は、この俺にお任せください! 必ずやアーチデール城の追ってから、いえ、クルーリア王国から、無事に脱出させてみせますっ!」
「いえ、あの、脱出は、私の力でどうにかなりそ――」
「イララ様の足として、馬車を調達してまいりますので、少々お待ちくださいっ!」
言いたい事だけ言い終えて、クラームは裏路地から走り去っていく。
どこか遠くで馬の嘶きが聞こえてくるが、まさかクラームは、路上に止めてある馬車を強奪してくるつもりではないだろうか?
……まぁ、いいですわ。もし捕まったとしても、クラームが勝手に自分でした事にできますし。
そう思っていると、クラームが本当に馬車を操り、こちらの方へ向かってきた。
予定とは全く違う形になっているし、クラームという男と会話が絶望的なまでにすれ違っている気しかしない。でも――
……まぁ、結果良ければ、全てヨシ!
結果が伴うのであれば、私、小さな事は気にしませんの。ええ、気にし過ぎてストレスを貯めないようにするために、キチゲ解放するために、このルートを歩むことにしたのですから。
だから私はクラームのエスコートに任せて、この無精髭が奪取してきた馬車に乗り込む。
私が馬車で腰を落ち着けたのを見計らって、クラームが馬車を動かし始めた。強面の割に、その運転は非常に丁寧だ。
……騎士団に所属していた時に、ある程度仕込まれたのかもしれませんわね。
そう思っている間に、馬車の窓の景色がどんどんと流れていく。レンガ造りの家々が次々に風景として過ぎ去っていき、そこから木造の家が続く。
果たして、どれぐらい馬車を走らせたのだろうか?
途中で休憩しつつ、更に移動する。何回か日が昇り、沈むのを見ながら、それを繰り返した。時間が経てば、窓から見える場景も変わってくる。
丁度森に入った所で私は馬車の中でうつらうつらと船を漕いでいると、窓から見える光景が明らかに違っているのに気づいた。
空の高い所で太陽が我が物顔で笑顔を振りまき、その光に照らされた青葉たちの姿がある。馬車の走る道も、舗装されているものから徐々に獣道の様相を呈してきたのだ。
それはつまり。
私がアーチデールの城下町を抜け、そしてクルーリア王国を抜けたという事を意味していた。