2ー49 ただいま
城からの脱出は、最短距離が取られた。簡単に言うと、セツが直線に壁をぶち抜いて進んだのである。
ロワメールとジュール、ダニエル以外は初見だったので、皆度肝を抜かれた。
「なんでわざわざ、魔者の言う通りに進まなきゃならないんだ?」
「仰る通りです……」
マスターの近くに陣取るフレデリクが、端正な顔を引きつらせている。
迷路のように張り巡らされた通路を、馬鹿正直に進んでいた自分達が恥ずかしい。
無尽蔵とも思える魔力に支えられたマスターは規格外過ぎて、普通の魔法使いの常識が通用しなかった。
時折正規の通路から魔獣が現れるも、先頭のセツ、しんがりのジスランが難なく倒していく。
時間の感覚も方向感覚も狂いそうな城の中で、セツは迷わず一直線に進んだ。
出口は、最初にセツが橋を作ったソウワ湖西南沿岸。
脱出はもうすぐだった。
ソウワ湖畔は無数の篝火によって昼と見まごう明るさだった。岸辺には天幕がいくつも張られ、その間を騎士や魔法使いが物々しく行き来している。
未だ、王子も魔法使いも見つかっていなかった。
雄大なるアカセ山脈に太陽が沈み、薄暮が世界を包み込む。昼間の熱気は足元に留まり続け、重苦しい空気が閉塞感を沈殿させていた。
騎士隊長ヴェールは、手元に置かれた地図を睨みつける。
騎士も魔法使いも総動員し、手当たり次第に周辺を捜索したが、おびただしい数のバツ印で地図が埋め尽くされただけだった。
残るは目の前、ソウワ湖に浮かぶ黒城のみ。
だが城の外壁は堅く、どんな道具を使おうと、二級魔法使いが束になってかかろうと、傷付けることすらできなかった。
ヴェールは汗を拭うフリをし、チラリと横に座る側近筆頭を窺う。
王子が攫われた直後もカイは取り乱しているようには見えなかった。しかし真夏の炎天下、休憩も交代もせず、壊れぬ城壁に延々とハンマーを振るい続ける姿は尋常ではなかった。
「ニュアージュ卿! 貴殿が倒れたら、誰がご帰還した殿下をお迎えするのですか!」
見かねたヴェールが、無理矢理天幕に押し込んだのである。
どんなに冷静を装おうと、カイもまた激しく動揺していたのだ。
ヴェールの一喝で頭の冷えたカイは、それ以降王子の側近として十分以上の働きぶりを見せた。
本来なら王子が騎士隊を動かし、現場の責任者であるマスターに協力するはずだったが、二人共に姿を消している。この非常事態において、カイは騎士隊と魔法使い、両陣営の指揮を執り、王子が唱えた協力体制を見事に実現させていた。
けれど事態は一向に好転せず、消えた王子の手がかりすら掴めない。不気味な黒城だけが、威容を誇っていた。
そんな中、待ちに待った一報が伝令の騎士からもたらされた。
「黒城に動きがありました!」
その報告にカイは本部天幕を飛び出し、ヴェールも後に続く。
「ニュアージュ卿、これは……」
セツの作った橋を渡り、黒城の前まで来たヴェールはゴクリと唾を飲み込んだ。
中からドォン、ドォンと不気味な音が聞こえてくる。最初は小さく、しかし破壊音は徐々に大きくなっていく。
ヴェールの額から、ツゥと冷たい汗が流れ落ちた。
魔法使いならば良し。
けれど、もし魔者ならば。
退避か迎撃か、ヴェールは決断しかねたが、カイは迷わなかった。
「二級魔法使いを呼び寄せろ! 騎士は迎撃体制を取れ!」
自らも腰の双剣を引き抜き、カイが号令をかける。
ドン! ドオンッ! と破壊音と振動が近付いてくる。
カイは先頭に立ち、壁が壊れるのを待ち構えた。一対一なら、例え魔族相手だろうが遅れを取るつもりはない。
「ロワ様を返してもらう!」
目前に迫った轟音に、緊張が高まった。
いくら工具を振るおうとビクともしなかった城壁が、ドゴォン! という破壊音と共に一気に突き破られる。
ガラガラッと音を上げ崩れる城壁に、もうもうと上がる土煙。
抜刀した騎士達が息を潜め待ち受ける中、白い髪の魔法使いが仲間を引き連れて姿を表した。
魔法使いの帰還だった。
銀の髪は、宵闇の中でも見誤ることはない。闇夜を照らす明月のごとく、唯一の輝きをもってその存在を主張する。
「ロワ様! ご無事で……!」
駆け寄るカイを、しかし王子はピシャリと遮った。
「カイ、怪我人の治療が最優先だ」
短い命令に、カイはいくつもの言葉を飲み込んだ。激戦を物語り、魔法使いは傷だらけで、重傷者もいる。カイは近くの騎士に搬送を命じた。
色違いの瞳は、側近には目もくれない。こんな時、彼の主はまごうことなき王子なのだと実感する。
黒いローブに守られ黒城から生還した王子は、土の橋を渡り、大地に足をつけるとぐるりと周囲を見回した。
騎士は剣を収め、魔法使いは魔法を解除し、王子を見つめる。
「皆、ご苦労! 今戻った! 行方不明の魔法使い五名全員無事救出、魔者も倒した! 死者なし! 我々の勝利だ!」
ソウワ湖畔が歓声に包まれる。
それは想定された中で、最良の結果だった。
昼間はなにもなかった湖畔に天幕が立ち並び、その中では医師が負傷した魔法使いの治療を行っている。
全てカイが手配したものだった。やはりこの側近筆頭は、文句なしに優秀だ。
「心配かけたね」
半日で、カイはずいぶんやつれて見えた。
「お怪我は?」
「ないよ」
いつも余裕綽々の側近筆頭のこれほど追い詰められた顔を、ロワメールは見たことがなかった。
どれだけ心配し、どれだけ怖い思いをさせてしまったのだろう。
「ごめん……」
ボスっと、カイの肩に額をうずめる。
「でも、約束はちゃんと守ったよ」
「当たり前です……」
カイの声は消え入りそうだった。
ーー私がおそばにいる時は、ロワ様は思うまま、お好きになさってください。なにがあろうと、私がお守りし、お助けします。
ーーですが、私がおそばを離れている時は決して無茶をなさらないで、どうか御身をお守りください。約束してくださいますね?
ーーうん。約束するよ、カイ。
かつて交わしたその言葉は、今もかわらず、主従にとって一番大切な約束だった。
「おかえりなさい。ロワ様」
「うん。ただいま、カイ」




