46 湖上の黒城15 玉座の間 行け!
フレデリクの詠唱が、玉座の間に朗々と響く。
その声に呼応し、大地が、空気が鳴動した。
ゴゴゴゴッと、低い唸りが地を揺るがす。
(この魔法さえ決まれば……!)
リュカが歯を食いしばりながら、祈るように詠唱を聞いていた。
防御魔法は魔者の攻撃にギシギシと悲鳴を上げ、今にも破れてしまいそうだった。
(後一節……!)
それで終わりだ!
フレデリク最大の攻撃魔法『帰正反本』は、大気ごと大地に飲み込み圧縮する。フレデリクが本気を出せば、山ひとつ消し去ることも可能だ。
その魔法が、魔者に焦点を合わせ発動するーー直前。
「させぬと言った!」
バリンッ! と、音のない破壊音を上げ、防御が打ち砕かれる。
「ぐああああああああっっっ!!!!!」
リュカが、フレデリク諸共床にもんどり打った。間髪入れず、オドレイ達の魔法が炸裂する。
目まぐるしく入れ替わる攻防に、耳をつんざく着弾音。爆煙が、戦場に立ち込めた。
「くっ……」
フレデリクは打ち付けられた地面から身を起こし、ギリと歯噛みした。
(『帰正反本』を阻止された!)
薄れる煙の先で次第に明確になる黒い影は、荒い息をしながらも両足で空中に立ち、地上を見下ろしている。
(あの魔法だけは、外せなかったのに!)
ここまでの戦闘で皆、体力も魔力も限界だった。満足に戦える者はもういない。
フレデリクのミスだった。もっと早くに『帰生反本』を撃たねばならなかった。
「フレデリクさん! すみません! オレが……!」
「リュカ、みんなを連れて退却しろ」
謝るリュカを遮り、素早く命じる。
リュカは、ピタリと口を閉ざした。
「なに言ってんすか? フレデリクさんは?」
その意味を理解して、リュカの声が震える。
「おれはここであいつを食い止める。リュカはマスターを探せ」
「ならオレも、フレデリクさんと残る!」
「ダメだ」
魔者から目を離さず、フレデリクはリュカの意見を却下した。
魔者は宙空に浮いたまま、肩で息をしている。全身に傷を負い、右手で押さえた左の脇腹からは大量の白い粒子がーー魔力が溢れ出していた。
「リュカ、わかっているだろ?」
眉間にシワを寄せ、リュカは俯く。
「言うこと聞けないなら破門な?」
「なっ……フレデリクさん、師匠なんて柄じゃないって、結局弟子にしてくれてないじゃないっすか!」
あはは、とフレデリクは笑った。
「そうだったな……」
懐かしさが、どっと押し寄せてくる。確かにそんなことを言った気がした。あの時は、この子はまだ魔法学校の生徒だったか。ヤンチャな子供は、それからずっとそばにいる。
あの頃に比べて、リュカは強くなった。
もう一人前の魔法使いとして、一人でもやっていける。
「リュカ、お前がみんなを守るんだ」
逃げろ、と言えばリュカは意地でも退かない。逆に、守れ、と言われればリュカは拒めなかった。
卑怯なのはわかっている。
だが、なんと罵られようと、フレデリクには若い魔法使いを守る責任がある。
なにより、こんな自分を慕い、ずっとついてきた弟分を死なせたくなかった。
「リュカ、頼む」
「ズルいっすよ、兄貴」
「うん。ごめん」
穏やかにさえ聞こえる声音で、小さく謝った。本当に悪いと思っているのか、その微笑みからはわからない。
「自分が残ります」
項垂れるリュカに、一人の魔法使いが近付いた。
リュカはその言葉に耳を疑う。
フレデリクが身を挺して彼らを逃がそうとしているのに、誰がそれを踏みにじるのか。
「自分に家族はいません。だから」
「お前、なに言ってんだ!」
立ち上がりざま、リュカはガッとランスの襟元を掴んだ。
「ふざけたこと言ってんじゃねーぞ! 家族がいないからなんだ! 死んでいいとでも言うつもりか!」
「でも、そうしないとフレデリクさんが」
「お前ならいいのか!?」
容赦ない力で締められ、ランスが顔を歪める。それでもリュカは手を緩めなかった。
「魔法使いは実力主義の個人主義、だがなぁ、黒のローブを羽織った以上、お前はオレ達の仲間なんだよ! ふざけんな!」
「自分は、大切な人を魔族に殺される人を見たくないだけです」
「お前が死んだら、意味ねーだろうが!」
フレデリクが肩に手を置き、熱くなるリュカをランスから引き離す。
「ランス、リュカの言う通りだ。自分の半分しか生きてない奴にこんな美味しい役、やるわけないだろう?」
フレデリクも頑としてランスの言い分を認めなかった。
この若さで復讐に生きる青年をむざむざ死地に追いやれば、死んでも死にきれない。
「ランスの家族を殺したのはあいつか?」
「違います」
「なら、生きてそいつを殺せ」
これ以上は問答無用と、フレデリクは話を打ち切った。
ローブを翻し、リュカ達に背を向ける。
「行け!」
薄灰色の視線を遮るように、フレデリクは魔者の前に立ち塞がった。魔者がその気になれば、満身創痍のリュカ達に勝ち目はない。
魔者は薄灰色の瞳に憎しみを滾らせ、地上を見下ろしていた。
脇腹が痛むのか、忌々しげに魔法使いを睨みつけるだけで手を出す気配はない。
(やはりこの魔者は、なにか隠している)
魔者の目的が、未だ杳として知れない。
自らを傷付けた人間に激昂ながら、何故攻撃してこないのか。
「待たせたかな」
「自惚れるな、魔法使い。貴様ら風情に用はない」
「言ってくれるね。……じゃあ」
吐き捨てる魔者に、フレデリクは不愉快げに唇を歪める。
「誰を、待ってるんだい?」
魔者は音もなく地面に降り立つ。
避けられぬ戦いなのは、お互いわかっていた。
戦闘が始まる前に退避すべく、リュカはレオを肩に担ぎ、三級魔法使いが待つ入り口へと向かった。
「リュカさん……」
「喋んな」
レオは居た堪れなかった。リュカがどんな気持ちか。考えるだけで胸が潰れそうだった。
怖いくらい表情の消えた横顔が、前だけを睨む。
そのリュカの足が、不意に歩みを止めた。
「……マスター」
掠れる声に、レオが目を上げる。
リュカの視線の先に、漆黒のローブを羽織る魔法使いがいた。
やや目つきの悪いアイスブルーの瞳に、白い髪……その人の姿に、期せずしてヒュッと喉から悲鳴が漏れた。
声を、上げることができない。喉が凍りついたように動かない。喉だけではない。手も足も動かなかった。
魔者を凌駕する恐怖に襲われ、魔法使い達は立ち竦む。
のしかかる威圧感は、マスターが一歩近付くごとに大きくなった。
リュカの頬に、つ、と冷たい汗が流れる。目だけでマスターを追った。
圧力の正体が、マスターから漏れ出る魔力だとわかったのは、怒りを帯びた冷たい眼差しを見たからだ。
「フレデリク、下がれ」
フレデリクは、命じられるがまま後退する。
「お前が元凶か」
睨み据えるセツに、魔者はニヤリと笑ってみせた。
2024/7/19、加筆修正しました。




