2ー37 湖上の黒城6 三階 魔法使いの資質
「怖いの?」
「え?」
唐突な質問に、ジュールがびっくりして顔を跳ね上げる。無意識に俯いていたようだった。
「いや、いつもと様子が違うから……」
ロワメールはジュールから目を背け、ボソボソと言い訳のように付け足す。
ジュールがマジマジとロワメールを見つめた。まさか王子様が、自分をそれほど見てくれているとは思わなかった。
「えーと……」
言い差し、また俯く。
「怖くないと言ったら嘘になりますけど。それよりも違和感が大きいです。ボクなんかが、こんな所にいていいのかなって」
色違いの瞳が意味を測りかねている。
ジュールの視線が、躊躇うように足元を彷徨った。
「……ボクは、レオールの家に生まれました」
わずかに悩んだ後、これまで誰にも言えなかった胸の内をポツポツと語る。ロワメールが心配してくれているのに、嘘を吐いて誤魔化したくはなかった。
「魔力があって、当然のように魔法学校に入って、魔法使いになった」
ロワメールは前を向いたまま、黙ってジュールの話を聞く。
「自分の意志で、魔法使いになろうって決めたわけじゃないんです」
「………」
「それなのに、こんな所にいていいのかなって。魔者を倒すのは一級魔法使いの責任。でも、その一級は、精鋭中の精鋭であるべきなんです」
ジュールは自嘲するように唇を歪めた。
「ボクなんか、レオールの血を引いてるだけなのに」
(ぼくなんか、王家の血を引いてるだけなのに)
「ボクなんかが、魔法使いでいいのかなって」
(ぼくなんかが、王子でいいのかな)
零れ落ちる本音は、いつかロワメールも心の中で呟いたものだ。
ロワメールはもう答えを出し、覚悟を決めたけれど。
「魔法使いを辞めたい?」
「辞めたい、わけじゃないんです。ただ、いいのかなって……」
ロワメールには、王子として生きる以外の選択肢はなかったけれど。
「嫌なら、君は逃げることができる」
ロワメールは淡々と、事実を伝える。黒のローブを脱げばいい。それだけだ。
ロワメールの端正な横顔に感情の揺らぎは見えない。
しかし、その言葉に含みを感じたのは、ジュールの聞き間違いではないだろう。ロワメールの出自を思えば、様々な葛藤を乗り越えたのは想像に難くなかった。
「魔法使いが嫌なわけじゃないんです。でもボクは、みんなみたいに気が強いわけでもないし。弱虫で気弱で、魔法使いに向いてないんじゃないかって、そう思うんです」
立派な志もない。崇高な理念があるわけでもない。生まれた時から敷かれていたレールに乗っただけだ。
(こんなボクに、魔法使いの資格はあるのか。黒のローブを着ていていいのか)
黒のローブを脱ぐべき理由と、脱がなくていい理由を、ジュールはずっと探している。
「気が強くて誇り高いって、戦闘職の特徴みたいだけど、それって資質じゃないよね。あくまでそういう人が多いってだけで」
ロワメールは相変わらず、前を見たままだ。
「それに、君は魔法使いでいたいと思ってるようだけど」
「それは……」
ジュールは明言するのを避けるように、言葉を飲み込む。
その様子をチラリと確かめ、ロワメールはわざと意地悪く言った。
「嫌ならそのローブ、この場で脱げば?」
「それはできません! いつ魔族に襲われるかわからない状況でローブを脱げば、殿下をお守りできなくなります!」
ローブを脱ぐ、それは、魔法使いを辞めるということだ。ローブを脱いだ者に、魔法を使う資格はない。
「ふうん、ぼくを守ってくれるんだ?」
「全力でお守りします!」
きっぱりと断言され、ロワメールはプッと吹き出した。
ジュールは笑われた理由がわからず、キョトンとする。
「ごめん。君があまりに無意識だから」
謝りながらも、どこか可笑しそうだった。
今の会話の流れのどこに、それほど面白い要素があったのか。
「ぼくが見る限り、君は魔法使いに向いてると思うけど?」
「え……?」
「セツ言ってたよ。魔法使いの本分は守ることだって」
守ると言い切ったジュールは、魔法使いそのものだ。
「ぼくに、魔法使いのことはわからない。でも、君のその優しさは、魔法使いに必要な資質なんじゃない?」
誰かを守りたいーーそれは優しさ以外のなにものでもない。
「血筋とか関係なくさ。その優しさと、日々の努力を惜しまない向上心を持つ者こそが、魔法使いなんじゃないの?」
毎朝泉で修行に励み、最強の魔法使いにも熱心に教えを請うて。
レオールかどうかなんて、ロワメールには関係ない。
その目で見てきた姿だけが、ジュール・キャトル・レオールという魔法使いだ。
「少なくとも君が憧れるマスターは、そういう魔法使いだよ」
明るい水色の瞳が、零れんばかりに見開かれる。
(ああ、ボクは……)
込み上げてきた温もりが、胸を満たした。
漫然と心を覆っていた不安が消えていく。
(ボクは、魔法使いでいいんだ)
曇っていた視界が、鮮明になった気がした。靄が晴れ、クリアな世界がジュールの眼前に広がる。
宝石のような色違いの双眸が、真っ直ぐジュールを見つめていた。
(この目を、ボクは知ってる)
柔らかく微笑む目元が、誰かに似ていると思っていた。
(……マスターだ)
優しいその表情は、セツにそっくりだった。
遥か遠い存在であったはずの人は、今は手を伸ばせば届く距離にいる。
高貴で美しく、優しいその人の存在を、いつからこんなにも大きく、かけがえのないものと感じるようになっていたのか。
家族とも友人とも違う、まして憧れとも違うけれど。
「ジュール!」
束の間の静寂を引き裂き、鋭く名を呼ばれる。
ロワメールがなにに反応したのか、ジュールもすぐに理解した。
足音だ。そして獣の荒い息遣いが聞こえてくる。
二人がいる場所よりひとつ奥の部屋から、二体の魔獣が躍り出た。
大型のイヌに似た魔獣は、獲物を見つけると牙を剥き、獰猛な唸り声を上げる。
ロワメールがザリッと地面を踏みしめ、魔剣を構えた。
「ジュール?」
返事のないジュールを見やれば、何故かボーっと突っ立っている。
「ちょっと!? なにぼんやりしてるの!?」
「初めて、名前呼んでもらえたぁ」
へらり、と嬉しそうに笑う。
「今それ大事!?」
この緊急事態にわざわざそれを言うとか。
(どさくさに紛れて、ぼくも名前呼んだけど!)
ジュールは確かに、他の戦闘職の魔法使いのように気が強くはない。好戦的でもないかもしれない。
だがこの状況で、呑気に笑ってられる人間を、弱虫とは言わないはずである。
「悪いけど、時間ないから選んで。ローブを脱いでぼくに守られるか、魔法使いとしてぼくの背中を預かるか」
「殿下も戦うおつもりですか!?」
ロワメールは魔剣を構え、強気に答える。
「甘く見ないでくれるかな。魔剣は伊達じゃないよ。魔獣くらい、倒したことがある!」
ジュールがもしローブを脱ぐことを選べば、ロワメールはきっと守ってくれる。けれど。
なんの為に戦うのかーー。
セツの声が、耳の奥によみがえる。
(ボクは、この方を守る為に戦う!)
明るい水色の瞳で魔獣を見据え、ロワメールの背中合わせに立って背後を守る。
「背中を預かります」
「ーー任せたよ、魔法使い」
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そろそろ終盤に差しかかります。
最後まで読んでいただけましたら幸いです。




