2ー36 湖上の黒城5 三階 迷子?
ロワメールは、近付いてくる気配に息を殺した。
隣の部屋から、足音が聞こえる。一つだ。
細く息を吐き、魔剣を構える。
人間か、魔族かーー。
「あ」
角を曲がり、現れた人物を目にして、漏れた声はどちらのものだったか。
驚くと同時に安堵し、緊張をほぐす。
「なんだ、君か」
「で、殿下っ!?」
亜麻色の髪の水使いは、予想外の人物に出くわし目を丸くした。
「どうしてここに!?」
「それはぼくが聞きたいよ」
ジュールは、魔法使いだけが飛ばされたと思っていたようだ。
「もしかして、騎士の人達も飛ばされたんですか?」
ジュールは思い当たる可能性を口にしたが、ロワメールにもわからない。
「さあ、どうかな。ぼくはここに来てから、会ったのは君が初めてだから」
「……ですよね。ボクも誰とも会ってません」
魔法使いにしろ騎士にしろ、こんな場所に王子様を一人で放置するはずがなかった。
「とにかくこれで、他の人も同じ場所に飛ばされてる確率は高くなったね」
それがわかれば、こんな場所に立ってはいられない。城内は迷路と化しているが、迷路ならばどこかにゴールがあるはずだ。
しかし探索を再開するが、どうにもジュールは落ち着かなかった。チラチラとロワメールの手元を盗み見る。
「あの〜、殿下」
隣を歩くロワメールに、おずおずと呼びかけた。
「その、刀は鞘に仕舞わないんですか?」
ロワメールは右手に刀を下げたままである。
抜き身の刃は、正直怖い。
ジュールが知る限り、刀はそうやって持ち運ぶ形態ではなかったはずだ。
「ああ、これはセツが。もし迷ご……オッホン、もしセツとはぐれたら、刀を抜けって。この魔剣の魔力を目印に探すからって」
(迷子になったらって言われたんだ……)
ジュールに生温い眼差しを向けられ、ロワメールは自分の失言に赤くなる。
(ぼくだって、十八にもなって迷子になったら、なんて言われるのは不本意だけど、セツがそう言ったんだから仕方ないじゃないか)
不本意でも、言いつけをきちんと守るロワメールは、素直な良い子である。
「なんだよ」
「いえいえ、別に。マスターは、殿下を大事にしてるんだな〜と思って」
セツでなくとも、これほど素直ならば可愛がりたくなるだろう。
ロワメールとセツの関係が微笑ましく、ついついジュールも和んでしまう。
しかしジュールのその態度が、ロワメールを拗ねさせてしまったようだった。
絶世の美貌がぶすっとしているのはもったいないので、ジュールが挽回を試みる。
「ボクも兄と姉とは年が離れているので、未だに子供扱いされます」
「確か、七つ違いだっけ?」
「そうです。よくご存知ですね」
「うん。まあね」
ギルドと協議するにあたり、司の情報は事前に頭に入れている。交渉術の基本だった。
「七歳差でも大きいですから。三百歳ほどのマスターからすれば、殿下だけでなく、みんな子供同然かもしれないですね」
「君もセツの年齢知ってたの!?」
ロワメールに驚かれ、ジュールも驚く。
ロワメールも、つい最近教えてもらったばかりなのだ。セツの年齢は、みんな知らないものと思っていた。
「えーと、その、以前にもお話したと思うんですけど、ボク、子供の頃からマスターに憧れてて、それでマスターが出てくる
資料は片っ端から読んでるんです。それで……」
ジュールが少し照れ臭そうに説明すると、ロワメールの目の色がかわった。
「セツが出てくる資料!」
そんなものがあるなんて!
「普通に、ギルドの資料室にありますよ。良ければ今度お教えしましょうか?」
「いいの?」
「部外秘でも貸出禁止でもなんでもない、ただの資料なんで。全然大丈夫ですよ。そのかわり、たいしたことは書いていませんが」
ロワメールの表情が、パアアッと輝く。
出会った当初は、近寄り難いほど高貴で美しいばかりの王子様だったが、近頃は感情を面に出すことが増えた気がする。
心を開いてもらっているように感じるのは、ジュールの気のせいではないはずだ。
せっかく二人っきりでいるのだし、もう少し打ち解けたいと、ジュールは話を続ける。
「マスターは、昔からあんなに過保護なんですか?」
セツの話題なら、ロワメールの口が滑らかになるのをジュールはすでに知っていた。
「過保護って……」
ロワメールからは、はぁと溜め息が出る。
そりゃあギルドであれだけ言われれば、過保護と言われても仕方がなかった。
「セツは昔から心配性ではあったよ。小言多いし。でも、あんなになったのは、ぼくが何回も誘拐されそうになってからかな」
「何回も誘拐!?」
「そー。それ以来、過剰に心配性になったみたいで」
他者に説明し、ロワメールも思い当たる節が出てくる。セツが心配性になったのも、無理はないかなと思った。
船でこの話になった時は、セツが昔のことで怒りだすから、面倒臭くておざなりにしてしまったけれど。
(あの時は、無茶苦茶心配かけたもんね……)
しかもつい最近も、セツの静止を振り切り魔獣と戦ったし、セツが止めるのも聞かずに裏切り者に斬りかかったし。
(あれ? ひょっとして、ぼくのせい?)
思い返せば色々と、セツの心配性に拍車を欠けまくっているような……。
とどめとばかりに、ここに飛ばされてしまっている。
(……まあ、これは不可抗力)
思考が自分に都合悪くなってきて、それ以上考えるのを放棄する。
「あ、それで剣の稽古を? 護身の為に?」
「いや、一応専属護衛いるし……今回はキヨウに置いてきてるけど」
危機に瀕し王子自ら剣を振るうなど、通常ありえなかった。お付の護衛や騎士はなにをしているのか、という話である。馬術同様、剣術も王侯貴族の嗜みでしかない。
ロワメールが刀の稽古に励む理由はひとつだった。
「ぼくには、これしかないから」
魔力のないぼくには。
ジュールが見上げる先で、ロワメールは固く唇を引き盗んでいた。
誰よりも美しい王子様。聡明との聞こえも高く、その上剣技にも秀でている。
天に二物も三物も与えられ、この世の全てを持つと言っても過言ではないのに。
その目は、どこか辛そうだった。




