2ー26 悪意の影
「マスター達は、ギルドの食堂には行かれないんですか?」
ある日の午後、ジュールがそんなことを聞いた。
ギルド本部には、四つの食堂が併設されている。魔法学校の学食『春日』と、お茶と甘味が食べられる『長閑』、大食堂『夏波』、高級料理を提供する『秋雲』だ。
「俺が行くと、周りが落ち着かんだろう」
居間のソファに座り、ジュールの手土産『宵闇』夏季限定、朧月夜(水まんじゅう)を食べている。
透明な葛粉の中に、宵闇特製こしあんと月に見立てたアンズが入っている。美しい見た目もさることながら、口当たりの良い甘さとアンズの甘酸っぱさが絶妙だった。
「そんなことはありませんよ」
セツは心配したが、むしろ逆である。模擬戦以降、魔法使いのマスターへの見方は一変していた。
名実共に最強の魔法使いであると証明したセツには、これまでの畏怖とは違う、憧憬と尊敬とが向けられている。
それに、冷酷無慈悲の魔法使い殺し……それが根も葉もない噂なのは、あの日のセツを見ていれば誰でもわかることだった。
「実は先輩方やレオ達に、マスターは食堂に来ないのかと詰め寄られまして……」
弟子志願をしたジュールとは違い、接点のない他の者はマスターと話がしたくてもできない状況である。要は、ジュールだけズルいと責められたのだ。
「ロワメール、カイ、行ってみるか?」
「『秋雲』でしたら、殿下とカイサマのお口にも合うと思います」
「私は構いませんが」
「んー……」
カイとは違い、ロワメールはいまいち乗り気ではない。
セツの料理が好きなロワメールは、わざわざ他所で食べたいとは思わなかった。
しかも魔法使いが大勢いるであろう場所に、進んで行きたいとも感じない。
「肉料理も豊富です」
「……行く」
ロワメールの嗜好をすでに心得たジュールによって、食堂に行くことが決まった。
その晩、いつものように差し向かいで杯を交わしながら、カイが切り出した。
「セツ様のお耳に、入れておきたい話があります」
重要な内容であると察して、セツは酒を口に運ぶのを止める。
ロワメールもセツの隣に座り、冷たい果実水で風呂上がりの体を冷ましていた。
「キヨウで取り調べを受けているレナエルですが、洗脳に近い状態だそうです」
セツが、杯をテーブルに置く。
「魔法使いの力が強奪可能であるっていう、あれだよ」
ロワメールが吐き捨てた。
根拠不明な考えを信じて疑っていなかったのも、洗脳されたからだとすれば、納得がいく。
問題は、誰が、なんの目的で洗脳したか、ということだった。
「どうも、黒い髪、黒い瞳、黒い服を来た美しい男、が関わっているようです」
その男が、婚約者を亡くし、失意の底にいたレナエルを唆したということか。
「現在、レナエルの聴取と合わせて男を探していますが……」
まだ男の目星もついていなかった。
セツは、険しい顔をして考え込む。
その男の狙いが魔法使いなのは間違いなかった。しかも、果てしない悪意を感じる。もし、その洗脳を多くの魔法使いが受ければどうなるかーー。
ギルドも、放置できる問題ではなかった。
「言っておくけど」
セツの思考を読み取り、ロワメールが念を押した。
「ぼくはキヨウに帰らないよ。セツと一緒にいる」
「……まだなにも言ってない」
言いそうなことを先読みされ、セツは苦笑した。
「これは、ギルドだけで対応していい問題じゃない! それに……!」
言い募る銀の髪に、ポンと手が置かれる。
セツは、困ったような、少し照れたような笑みを浮かべていた。
「俺だって、わかってるんだぞ? 俺のそばが一番安全だって」
心配性の名付け親の予想外の反応に、ロワメールは驚く。以前のセツなら、有無を言わせずキヨウに帰れと言ったはずだ。
「ただなぁ」
セツは、わざとらしく特大の溜め息を吐いてみせる。
「ロワメールは、俺の言うこと聞かないだろ?」
それを言われると、ロワメールは言葉に詰まった。
思い当たる節がありすぎる。
「それは、その……」
つい目を逸らしてしまう。
「これからは俺の言うこと、ちゃんと聞けよ?」
優しい口調に恐る恐る目を戻せば、アイスブルーの目は笑っていた。
「が、頑張る」
ロワメールはなにも、セツに逆らいたいわけではない。
ただ前回のように、セツがあんな侮辱を受ければ、我慢できずに飛び出すだろう。
もしセツに危険が迫れば、誰が止めようと助けに行く。
だから、それ以外はきちんと言いつけを守ると、誠実に答えたつもりだった。
しかしこの場合、ロワメールの正直さは裏目に出た。
ピクリ、とセツの眉が上がる。
「頑張る……?」
「いや、ええと、鋭意努力します」
膝を揃えて、しかつめらしく誓う。
けれど、その答えもまた、セツに逆らう可能性があります、と言っているようなもので。
「こんのやろー」
首元にガッチリ腕を回され、銀の髪をグシャグシャに掻き回された。
「俺の言うこと、聞く気ないな!?」
「そんなことない! そんなことない!」
言葉とは裏腹に、二人は笑っている。
セツが少しずつ、かわってくれているのが嬉しくて、くすぐったくて。
ロワメールは、この時間が少しでも長く続けばいい、そう願わずにはいられなかった。
❖ ❖ ❖
シノンから南に下ること、徒歩で半日。
景勝地として有名なソウワ湖は、大きく美しい湖だった。南はソウワの街が広がり、北には田畑が、西は街道に面し、東にはアマガ峰が迫る。
一番最初にその異変を目にしたのは、ソウワ湖の漁師だった。
早朝、シーズン最後の手長エビ漁に気合いを入れて挑んだ彼らだったが、出鼻を挫かれ、湖畔に立ち竦む。
「なんだ、アレは……」
湖の真ん中に、城が建っていた。昨日までは島ひとつなかった湖面に、一夜にして城ができている。
何本もの尖塔が建った城は壮麗であるが、漆黒の姿は言い様のない恐怖を掻き立てた。
漁師達は金縛りにあったようにその場に縫い付けられ、黒城を見つめる。
ジャリと足元の砂を鳴らし、誰かが後退った。
「ま、魔者だ……。魔者の城だ……っ!」
その一言に金縛りはとけ、漁師達は一目散に逃げ出した。
2024/7/6 加筆修正しました。




