2ー21 土司ガエル・ノワゼ
見テハイケナイモノヲ見テシマッタ。
その時の胸の内は、その一言に尽きた。見なかったフリをして回れ右したいが、もう遅い。
固まる三人の視線の先で、ガエルも幼女を抱き上げたまま硬直していた。
「あ、いや、これは、その……」
強面筋肉ダルマの顔が真っ赤になり、文字通りのダルマになる。
『宵闇屋』は、シノンでは名の知れた甘味処である。今の季節はカキ氷目当ての行列ができていた。
ジュールに勧められてから、甘いもの好きなロワメールがソワソワしっぱなしで来店を楽しみしていたが、まさかこんな不意打ちが待っていようとは、誰が想像できようか。
「娘とばーさんが観劇に行っておりまして、孫の面倒をですな」
行列に並びながら、ガエルはダラダラと滝のような汗をかいている。暑さのせいばかりではあるまい。
「孫が甘いものを食べたいと駄々をこねるもんですから、並んでおる次第でして」
日頃の威厳も吹き飛ぶ溺愛ぶりだった。
「お恥ずかしいところをお見せしました……」
デカい図体で縮こまろうにも無理がある。
そんなガエルをセツは取り立てて気にも止めず、さもありなんと頷いた。
「まあ、孫は可愛いって言うしな」
「そうなのですよ。目に入れても痛くないとは、よく言ったもんです」
セツの大人な対応に、ロワメールとカイがそっと胸を撫で下ろす。強面司のあんな姿を目撃して、どう対処しろというのか。
「ほら、マリー、マスターと殿下とカイ様にご挨拶できるかな」
「街中で、その敬称はお控えを。若様と」
「おお! そうですな! これは失礼を!」
王族にしか用いられない敬称は、身元を明かすも同然だ。カイに注意され、ガエルが頭を掻いた。
マリーはガエルに抱きついて、大きな目をパチクリさせている。王子様より、祖父と同じ魔法使いが気になるようだ。
「ましゅたー?」
「ジィジより、強ーい魔法使いだよ」
「ジィジよりちゅよいの? しゅごーい!」
「そうだぞー。すごいんだぞー」
ガエルは豪快にガッハッハと笑った。
まるでマスターが、魔法使いの自慢であるかのようだ。
マリーはしゅごーいと、小さな手をパチパチ叩く。するとその拍子に、手に持ったぬいぐるみが落ちてしまった。
「ウサしゃん!」
「はい、どうぞ」
ロワメールが身軽に拾い上げると、マリーはぬいぐるみをギュッと抱きしめて、もじもじとはにかんだ。
「おねーちゃ、あーとー」
ガエルとセツとカイが、三者三様に沈黙する。
「…………………………おにーちゃんね」
にっこり笑って訂正した。少々間が空いたのは、復活に要した時間である。
「若様、申し訳ございません!! なにぶん幼子のこと故、平に平にご容赦を!!」
「怒ってないよ」
ただ、ちょっと傷付いただけだ。
「おお! そうだ! 若様をこんな炎天下に並ばせておくわけには参りませんな! ちょっと店の者に言ってきましょう!」
話を誤魔化す為ではなかろうが、今更ながらに、王子様が庶民と一緒に並んでいることに気が付いたようだった。
「必要ないよ」
「しかし……」
「こんな小さな子も並んでるんだ。ぼくが順番を守らなくてどうする」
本来王族をこのように並ばせるのはありえない。それでもその公平な精神に、ガエルは頭を垂れて従った。
「仰せのままに」
「なんだこれは?」
「暗号、ですかね?」
「連想するんじゃない?」
ロワメールたちは額を突き合わせて、品書きを覗き込んだ。そこには意味不明すぎる単語が連なっている。
「このウサギのしっぽは……白くて丸くて……大福とか?」
「おお!」
「なるほど……」
広くない店内は満席で、盛況である。他のテーブルの上に、もちろんウサギいない。
「この新雪の頂き? これがカキ氷かな?」
白くて冷たくて山のような形は、確かにカキ氷を想像できなくもない、ような……。
「マリー、スイカののったのー」
「はいはい。星の瞬きにしようねー」
話をしていたので連れと思われたのか、ガエルとマリーが同席している。
「ガエル、今なんて言った?」
厳ついじーさまから、なにやらロマンチックな単語が聞こえてきた。聞き間違いかと思ったが、そうではないらしい。
ガエルの太くてゴツゴツした指が、品書きの語群から『満点に煌めく星の瞬き』を指した。
「夜空、あんこに、星に見立てた果物が乗っているので、星の瞬きです」
どうやら一段下がって書かれているものが、カキ氷の種類らしい。
「お三方、もしかしてこの店は初めてで?」
ガエルが店員を呼び、もうひとつの品書きを三人の前に置いた。
「でしたら、こっちの方が良いですな」
見ると、意味不明な単語の下にカッコつきで説明が書いてある。
「なになに、第三の目(ぼた餅)、闇纏、悠久なる大河の調べ(心太)……ぷっ、なにこれ!?」
読み上げていたロワメールが、耐えきれずにケラケラと笑った。
「この店は魔法使いの長男と弟妹で切り盛りしていて、品書きも三兄妹それぞれが考えとるんで、妙な具合になっとるんですよ」
「詳しいな、ガエル」
「ガエル様は、うちのお得意さんですから」
女性店員に、とりあえずロワメールは果物とあんこ、セツは抹茶とあんこのカキ氷を、辛党のカイは心太を注文した。
「土司は、甘いもの好きだったんですね」
「実は目がありませんで」
カイに言われ、ガエルはゴマ塩頭を掻く。
見た目はどこからどう見ても酒豪だが、下戸で酒はからっきしなのだとか。
「カイ殿は酒がお好きで?」
「毎日激務ですからねぇ。ついつい」
「激務……」
甘味処で心太を食べるのが激務……。
「ロワ様? おわかりだと思いますけど、私にとってはこれも職務ですからね? けして遊んでいるわけではございません」
澄ました顔で、心太を食べる側近筆頭の面の皮は厚かった。
ロワメールも、早速カキ氷を食べてみる。口に入れると氷がフワッと溶け、あんこのさっぱりとした甘さと果物の瑞々しさが後を引く。ジュールのオススメに間違いはなかった。
ロワメールはカキ氷を口に運びながら、チラリと土司を盗み見る。
ガエルは小皿にカキ氷を取り分けながら、「食べ過ぎると、またジィジがママに怒られるから、これだけだぞ」と言って、どっさり果物をあげている。
孫にデレデレしながら一緒にカキ氷を食べている姿は、例え黒のローブを羽織った強面だろうと、もはや可愛いおじいちゃんにしか見えなかった。




