2ー19 切れ者側近筆頭の弱点、万能最強魔法使いのトラウマ
夕方、カイが扉を開けると、そこには一見美少女な魔法使いが立っていた。
「カイサマ、こんにちは。マスターはご在宅でしょうか? 風司からの言伝を持って参りました」
弟子志願騒動がすっかり広まり、マスターへの使いっ走りと認識されたジュールは、今日も司の使いとしてセツの家を訪れていた。
「やあ、ジュール。セツ様ならいらっしゃるよ」
「どうなさったんですか、その手!」
ニコリと微笑み、カイが奥を指し示すと、ジュールが驚きに声を上げた。
カイの左右の手が、包帯でグルグル巻きにされている。
「あはは、これは名誉の負傷と言いますか」
ジュールを招き入れながら、カイが視線をそらす。
第二王子の側近筆頭といえば、腕が立つことでも有名だった。そのカイが負傷とは、只事ではない。
「名誉の? まさか賊ですか!? 殿下はご無事ですか!? マスターは!?」
「ロワ様もセツ様もご無事です。無事でなかったのは、私の手だけで……」
「カイサマが撃退されたんですね!」
なにやら騒がしい様子に、奥からロワメールがひょっこりと顔を出す。
「なに騒いでんの?」
「殿下! ご無事でよかった!」
「え? なにが?」
心配のあまり飛びつかんばかりのジュールに、ロワメールがキョトンとしている。
その温度差に室内を見渡せば、ロワメールは手にすりこぎを、セツは台所で野菜を切っている。
「どしたー?」
呑気なセツの声に、ジュールがホッとした。
「カイサマが名誉の負傷をされたと聞いて、お二人になにかあったのではないかと」
ジュールとしては至極真面目だったが、ロワメールとセツには大笑いされてしまった。
「名誉の負傷ねー」
ロワメールがくつくつと笑いながら居間の床に座り込み、すり鉢でゴマをすりだす。セツも肩が震えている。
「お二人共! そんなに笑うことないでしょう!」
カイが顔を真っ赤にすれば、ロワメールは更に笑い、セツは笑いを収めようと格闘していた。
「カイサマ?」
純真なジュールの瞳が痛い。
カイはヨロヨロとソファに座り込み、盛大に嘆いてみせた。
「えぇえぇ、どうせ私は役立たずですよ。料理も掃除もできませんよーだ」
「つまり、その傷は料理と掃除で?」
的確な推測に、カイが派手に落ち込む。
「カイは料理を手伝おうとして包丁で指を切って、茶碗を洗おうとして割って、片付けようとして手を切ったんだ」
包丁で左手を、割れた茶碗で右手を負傷し、一応心配したロワメールに包帯で両手をグルグル巻きにされた、というのが真相である。
しょげているカイに、ジュールは同情の眼差しを送った。
貴族が料理や掃除をしないのは普通である。平然とゴマをすっている王子様が不自然であった。
「それで、ジュール?」
「あ、風司より伝言です。明日の午前中、ご都合のよろしい時にいらしてください、とのことです」
「わかった。わざわざすまないな」
セツは労ってくれるが、セツと話せる機会を逃したくなくて、使いっ走りを買ってでているのはジュールなのだ。
「ジュール、この後時間あるか?」
「はい。なにかご用ですか?」
「カイの相手をしててやってくれ」
グルグル巻きの包帯で、料理どころか書類仕事もできないカイの話し相手を仰せつかったのだった。
鳥肉の味噌焼き、インゲン豆のゴマ和えに、菜っ葉と厚揚げの煮浸しと漬物、玉子のすまし汁――本日の晩ご飯である。
どれも美味しそうで、その上漂う香りが強烈に食欲を刺激した。特に仕上げに火魔法で炙られた味噌の香ばしさが凶悪である。
「ロワ様、これじゃあ食べられないです〜」
カイが包帯グルグル巻きの両手を上げて泣きついた。
美味しそうな夕飯が並んでいるのに、このままではお預けをくってしまう。
「食べさせてあげようか?」
「やめて!? そんなことしないでいいから、巻き直してください〜」
「えー、面白いのに」
「今面白いって言いました!?」
「気のせい、気のせい」
不承不承、ロワメールが包帯を解く。
どんな大怪我かとジュールは心配したが、左右の指にちょこんと切り傷がある程度だった。
どうやら王子様に遊ばれていたらしい。
流れで、ジュールも一緒に食卓を囲んでいた。時々、こうして食事に誘ってもらう。ロワメールは進んでジュールとは喋らないが、邪険にもしない。
少しずつでも仲良くなれている気がして、ジュールは嬉しかった。
セツ家の食卓に酒は出ない。
セツがうっかり酔い潰れて、眠り込むといけないからだ。
「お酒はセツがお風呂を上がってから!」
と、ロワメールに決められている。
だからカイとの晩酌は夕飯の後、ちゃんと風呂も済ませてからだった。
「セツ様は、明日は来られないんで?」
場所を居間のソファに移し、カイとセツは差し向かいで飲んでいる。ロワメールは風呂に、ジュールはすでに帰っていた。
「俺はいかん」
そもそも風司との面会は、ロワメールが望んだものである。セツは橋渡しをしただけだった。
「お忙しいんで?」
「いかんと言ったらいかん」
答えになってない。どこの頑固ジジイか。
セツはグビッと杯を呷った。
「俺は、研究者って人種には近付きたくないんだよ」
「それはまた何故?」
空いた杯に、カイが酒を注ぐ。セツはまた、杯を傾けた。
「……昔、まだ十二、三だったか。死んだ暁には腹掻っ捌かせてくれと、ローブに取り縋られてなぁ」
「腹掻っ捌く!?」
また酒を一口。
「なんなら生きてる内でもいいとか言われてみろ。優しくしますからって言われても、誰が解剖なんてされるか!」
思い出しただけで、全身鳥肌が立つ。グビグビと酒を流し込んだ。セツにとっては、笑えない恐怖体験である。
「セツ様、それ以上飲んだら」
「あ」
豪快な飲みっぷりに声を上げたのは、戻ってきたロワメールだった。
だが、時すでに遅し。
「あーあぁ」
セツがパタリと倒れ込み、そのままソファで寝息を立てた。
「カイ〜〜〜」
ロワメールが湯上がりのまま、腰に両手をあて側近を非難する。
「ダメだよ、潰れるまで飲ませちゃ」
ロワメールは口では文句を言うが、その実あんまり怒っていなかった。
セツは一人で飲む時や外で飲む時は、決して自分の酒量を超えないのだ。気を許して楽しんでいると思えば、怒る気になれない。
「髪、乾かしてもらい損ねたな……」
事情を知らないロワメールが、呑気に呟いた。




