2ー9 花ちゃん
(何故、こうなった?)
セツの視線の先では、ロワメールと花緑青がすっかり打ち解け、話に花を咲かせている。
ついさっきまで、真面目な話をしていたのに。どこで舵を取り間違ったのか。
――そなたは気に入った。わしのことを特別に花ちゃんと呼ぶのを許してやろう。
何故か得意気に胸を反らす、花緑青のその一言がきっかけだったのか。
それとも。
――わしはセツが赤ん坊の頃から知っておる。なにせおしめを替えてやったほどだ。
などと、謎に自慢する魔主に、ロワメールが異様に反応したせいか。
いつの間にか意気投合し、ふたりは笑い合っている。
ロワメールの社交性と適応力の高さに驚くべきか。
それとも二人の気が合ったことを驚くべきか。
(頼むから、俺の目の前で、俺の話題で盛り上がるのはやめてくれ)
セツは頭を抱えて、心底願うのだった。
「それで、セツと釣りに行ったんだけど、二人共ボウズで」
「なんじゃ、二人揃って釣れなんだのか。情けないのぉ」
ロワメールが話しているのは、五年前のことである。
そんなこともあったなぁ、とこの辺りまでは、のんびりお茶を楽しむ余裕がセツにもあった。
「それでセツったらさ。釣れなかったからって、川の水丸ごと魔法で持ち上げて、その場にザバァって!」
「それは釣りではなく漁じゃ! 釣りの定義よ」
「豪快だよね!」
川原には見事、魚がピチピチ跳ねたのだ。良いではないか。それで昼飯にありつけたのだから。
「セツはすーぐ魔法に頼るからの。知っておるか? こやつは掃除すら魔法でしておるんじゃぞ。存在意義を全否定された箒と雑巾が哀れでならん」
いや、なんで魔主が箒と雑巾に肩入れするのか、意味がわからない。
それに風魔法と水魔法を駆使して行う掃除は、さじ加減が目茶苦茶難しいのだ。今でこそ掃除魔法は熟練の域に達しているが、最初は苦労したものである。
「セツ、洗濯も魔法でしてるよ」
「なんと! 体や頭を使うからこそ、労働とは尊いものではないのか」
働いていない魔主に言われたくない。
というか、作業の効率化を図ってなにが悪い。家事はやることが山程あるのだ。
「そうそう! そなたにとっときの話を教えてやろう! 夏祭りに行った時の話なんじゃがな。あれは、セツがわしくらいの背丈の時よ」
「夏祭り、いいなー。ぼく、セツとお祭り行ったことないや」
祭りくらい、いつでも連れて行ってやるが。
「祭りはいいぞぉ。道の両脇にズラーっと屋台が並んでの、楽しいのなんの」
「屋台、いいよねぇ! 買い食いしたい!」
端から端まで、全部食べさせてやろうじゃないか。
「その祭りでな、セツとオジが、わしからはぐれてしもうて」
「セツたち、迷子なんだ?」
「そーなのだ。探せども探せども見つからぬし。人混みで足は踏まれるわ揉みくちゃにされるわ、肘やら尻やらでこづかれるわ。年甲斐もなくブチ切れてしもうての」
あの時は間一髪だった。セツが花緑青を見つけるのがあと一歩遅ければ、大惨事である。
「そしたらその時セツがな、どうしたと思う? 息せき切らして走り寄ってきて、わしの口にリンゴ飴を押し込んだのじゃ」
クスクスとロワメールが笑った。当時の状況を想像しているに違いない。
その時のことはセツも覚えているが。
迷子になったのは花緑青である。
「での、セツが言ったのよ。『俺、花とは戦いたくない』とな。ぶっきらぼうな物言いにわしへの愛が溢れておって、キュンキュンしたわ」
「俺はな、だから、人間に危害を加える真似は絶対にするな、と言ったんだが」
堪らず口を挟んだが、二人にはセツの気持ちは通じなかったようで、軽く流されてしまった。
「あはは、セツは子どもの頃からカッコいいー」
「ほんに、小さい時は可愛かった」
いい加減、セツの話はやめてほしい。
頭を抱えたセツが、ふとロワメールに目を止める。
青年は、目元を袖で拭っていた。
「ごめん。ぼく、嬉しくて」
「嬉しい?」
「セツは師匠を亡くしてから、ずっと一人だと思っていたから。でも、一人ぼっちじゃなかったんだね」
例え魔族でも、そばにいてくれる存在がいたのだ。
三百年の孤独ではなかったのだ。
「ロワメール……」
セツは、銀の髪を優しく撫でた。
「今日はもう遅い。寝ろ。明日も朝から刀の稽古をするんだろう? 花も今日は帰れ」
ロワメールは照れ臭さを隠すように素直に立ち上がった。
「……花ちゃん」
振り返り、少年魔主の名を呼ぶ。
「セツの友達でいてくれてありがとう」
セツを一人にしないでくれて、ありがとう。
ロワメールは心から花緑青に感謝した。
「まだなにか用か?」
ベットで布団を被り、背を向けたままでセツが問う。
すでに灯りの消えた暗い寝室て、相変わらず胡座をかいて花緑青が宙に浮いていた。
「あの子ども……ロワメール、真っ先にお主の安全を確認しおった」
「………」
「セツよ。お主、あやつが可愛くて可愛くて、仕方ないのだろう?」
「うるさい」
花緑青は見透かすように、セツの背中を揶揄う。
うるさい、と言いつつ否定はしないところが、セツも十分可愛い。
本当に、この玩具は花緑青を飽きさせない。
セツがこんな風に誰かに心動かす様を見るのは、オジを亡くして以来だろうか。
すい、と宙を移動し、白い髪に手を伸ばしかけた時、セツに釘を刺された。
「花、ロワメールに余計なこと言うなよ」
一瞬ピンとこなかったが、すぐに察しがついたようである。ニヤーと、唇が笑みの形に歪んだ。
「あーんなことや、そーんなことか?」
ニヤニヤしながら、宙でクルクルと回る。
伊達に赤ん坊の頃からの付き合いではない。
誰にだって、知られたくない過去はあった。
「ふうん?」
カッコ悪いところを知られたくない、ということだ。
花緑青は声には出さずに笑った。
セツが、こんなことを言い出すとは思わなかった。
「よかろう。黙っておいてやる」
花緑青は頬杖をつき、ニンマリと笑うのだった。




