2ー6 花と緑と少年と
司との話し合いは、毎日あるわけではない。
なので、ロワールはもっぱらセツにくっついて日々を過ごしていた。
司との協議以外では、キヨウからの書類に目を通し、サインをする。後は、領主モンターニュ侯爵の晩餐に顔を出したり、シノン近郊在住貴族と面会したりが、王子としての公務だった。
セツも起きたからといって、マスターとして、毎日仕事に勤しむでもない。
掃除と洗濯と買い物をし、食事を作り、たまにロワメールの剣の稽古の相手をしてくれる他は、ギルドの書庫から借りた書物を読み耽っている。眠っていた間の社会情勢と、発表された魔法論文の把握らしい。
ロワメールもセツの同伴で自由に書庫へ出入りできるのをいいことに、ここぞとばかりに資料を読み漁っていた。ロワメールにとって、内部資料に好きなだけ目を通せるこの機会は、ギルドの性質を知る絶好の好機である。
結果として、二人はソファに座って日がな一日を過していた。
多忙なのはカイだけである。朝、侯爵邸からセツ家に出勤しロワメールの補佐をするのだが、キヨウとの書類のやり取りは領庁で行うため、出たり入ったりの繰り返し。また貴族との面会の調整もカイが一手に担い、もちろん面会時の随伴もカイの役目である。
目の回る忙しさの中、夕飯だけはのんびりとセツの手料理に舌鼓を打つ、そんな生活だった。
当初、貴族のカイには自分の料理は口にあわないのではないか、とセツは心配したものだ。セツは必要に迫られて料理を覚えたが、作れるのは家庭料理である。
「無理しなくていいぞ」
初めてカイが夕飯を食べる時、セツは念を押した。
しかし大貴族らしからぬタレ目の青年は、平然と市井の料理屋ののれんをくぐったように、セツの料理も綺麗に平らげ、あまつさえおかわりまで要求したのである。
「美味しゅうございました」
カイは満足気だった。どうやら自分専用の茶碗があるのが嬉しかったらしい。
この日も夕飯を一緒に食べてから、カイは侯爵の屋敷に戻っていった。
セツが居間のソファで足を伸ばし、寛いだ姿勢で本を読んでいると、ロワメールが風呂から上がってきた。
ローテーブルを挟み、向かい側のソファでゴクゴクと水を飲む。
「ロワメール、また髪が濡れたままだぞ。この部屋は涼しいから、風邪引くって言ってるだろう」
「だって、お風呂上がり暑くって」
セツが手を伸ばせば、ロワメールの髪から瞬時に余分な水分が拭い去られる。
「ありがとうー」
セツが一度魔法で髪を乾かしてやったら、味を占めたらしい。セツもセツで、小言を言いながらもこうして毎晩乾かしてやっているので、どっちもどっちである。
「髪、まだ伸ばすのか?」
「うーん、どうかな」
兄の勧めで伸ばした髪は、背の半ばまである。宮廷での地盤がほぼ固まった現在、母の面影を再現する必要はなかった。
「しかし、まっこと銀の髪よの」
「………」
「ああ、綺麗な髪だな」
「お主も伸ばしてみたらどうじゃ」
「……っ」
「冗談言うな」
ひゅっ、と悲鳴の代わりに息が漏れた。
何故、セツは気付かないのか。書物に視線を落とし、普段とかわらず会話を交わして。
ロワメールが、セツ、と声にならぬ声で、名付け親を呼ぶ。
風呂を上がったばかりだというのに、全身から冷や汗が吹き出した。目一杯、色違いの双眸が見開かれる。
ふわり、と視界の端で、鮮やかな緑色の髪が揺れた。
眼球のみを動かして視野を広げれば、緑の髪に緑の瞳の少年が宙に胡座をかき、ロワメールの斜め後ろに浮いている。
いつ、どうやって、そこに現れたのか。
「……花」
視線を戻せば、セツが額を押さえて低く呻いていた。
なにが起きているのか。なにが起こったのか。
ロワメールにわかることは、ただひとつ。
肌で感じた。
本能が警鐘を鳴らした。
圧倒的な存在感は威圧感を伴い、ロワメールに少年の正体を知らしめる。
実際に遭遇したことはない。しかし、わかる。この少年は――。
(魔者……!)
細い手が銀の髪を一房すくい上げ、ハラハラと背にこぼす。
「わしを前に、騒ぎ立てず逃げもせずとは、肝が座っておるの」
少年は目を細め、ロワメールの顔を正面から覗き込んだ。
綺麗な少年だった。
この世に完璧な美しさというものが存在するなら、まさにこの少年こそがそうだった。
「ロワメール、大丈夫だ。落ち着け。そいつは一応敵じゃない」
「一応とはなんじゃ」
顔色を失う青年をセツは安心させようとするが、ロワメールは現実が処理しきれず、理解が追いつかない。
「花! マスター以外の前には出るなと言っただろう!」
魔剣も手元にない今、どう対処すればいいのか。
ロワメールは頭が真っ白だった。
けれど、セツは魔者と普通に会話をしている。
(相手は魔者なのに。なんで? どうして?)
それが更に混乱に拍車をかけた。
「しかし、この子は銀の子どもであろう?」
「銀の? 確かにロワメールは王族だが……」
耳慣れない言い様を、セツは訝る。そんなセツの反応に、少年は顎に指を当て考え込んだ。
「……なるほど。そういうことか」
フワフワと宙に漂う少年は放置し、セツは腰を浮かして腕を伸ばした。そっとロワメールの頬に触れる。
「ロワメール、大丈夫だ」
セツはゆっくりと、安心させるように囁く。
「落ち着け。危険はない」
ロワメールが見つめる先で、セツは大きく頷いた。
「驚かしてすまない。まさか姿を現すとは思ってなくて、お前に話していなかった」
少年は頬杖をつきながら、面白そうにロワメールとセツを眺めていた。
「こいつに害意はない。敵じゃない。それは俺が受け合う」
「セツ、でも……」
ああ、とセツは首肯する。ロワメールの言いたいことはわかっていた。
セツはできるだけ穏やかに聞こえるように、言葉を続ける。
どう言ったところで、ロワメールの衝撃はかわらぬだろうが。
「こいつは花緑青。このユフの魔主だ」




