2ー5 炎司アナイス
会議は、司を混乱と困惑に叩き落としてお開きとなった。ロワメールだけが、炎司の希望で会議室に残っている。
カイは廊下で待っているはずだ。セツは先に帰って、夕飯を作っているかもしれない。
「それで、炎司、どうされました?」
ロワメールは王子の優雅さを纏い、炎司と対峙した。年老いたとは言え、アナイスは歴戦の猛者である。背筋はピンと伸び、眼差しは未だ衰えを知らない。
「殿下。この本部の建物を外からご覧になって、どう思われましたか?」
意図を掴みかね、ロワメールは目をしばたく。予想外すぎる質問だった。
「そ、うですね……頑丈で、まるで要塞みたいですね」
「私も、この本部は要塞だと思っています」
ギルドの支部は全国に展開され、もちろん王都キヨウにもある。キヨウ支部は大きく立派だが、本部のような厳つさはない。
「増改築を繰り返す度、この本部棟は硬く、更に硬くと補強を繰り返してきました。私はそれを、歴代司の……ギルドの総意と考えています」
魔族との戦いで、魔法使いは唯一の戦力となる。その拠点本部を強固にするのは戦術的に理に適っているが、王子を呼び止めてまでする話ではなかった。
「殿下、マスターの氷室がこの本部棟にあると、お聞き及びですか?」
スッと、ロワメールの眼差しに冷気が混じる。青年は視線を落とし、凍える眼差しを長い睫毛で隠した。
「……マスターを守るため、と?」
「なにがあろうとマスターは守り抜く。本部棟はそのためにあると、私は思っています」
「魔族との戦いにおいて、マスターは最強の切り札、ですか?」
「それは、否定しません」
ロワメールは努めて感情を殺す。
ここで魔法使いに対する憎しみを知られれば、今回の法案成立に悪影響が出る。
「マスターは、ギルドの盾であり剣なのです」
けれど、何十年と第一線で活躍し、司としてギルドを背負ってきた老女の目は、ロワメールの心など簡単に見透かすようだった。
「ただ、盾であろうと剣であろうと、責任はそれを振るう者にある。盾にも剣にも、一切の罪はないのです」
色違いの瞳が、ゆっくりとアナイスを見つめ返す。
魔法使い殺しとして、裏切り者を処罰してきたセツ——たとえそれがマスターの役目だったとしても、その事実は存在する。
だが、罪を背負うのはギルドだと、アナイスは言った。
セツにはなんら罪はない、と。
「どうかそれだけは、お心にお留めください」
柔らかい物言いとは真逆に、そこには強い意志を感じた。
ロワメールはアナイスの本心を探ろうとするも、老獪な司は安々と尻尾を掴ませない。
「ですが、それでも、私たちにできる限りのことをセツにはしたいと……しなければならないと思っています」
二色の瞳に、力なく微笑む炎司が映っていた。
「マスターに多大な犠牲を強いていること、ギルドは十分に理解しております」
「………」
「ですが、私たちはマスターの貢献に、応える術を持ち得ません……」
どれだけセツの眠るギルドを強化しようと、どれだけセツ不在の家を守ろうと、そんなものでは到底、マスターの犠牲には報えない。
しかし、司という立場では、それが限界だった。千年続くギルドの内側から、これ以上なにかをかえることはできない。
外から、風穴を開けるしか——。
「不甲斐ない私たちではセツの心に触れることは叶いませんが、殿下ならばと。私は期待しているのです」
「セツの心?」
ロワメールは自分が今、どんな顔をしているのかわからなかった。どんな表情をしたらいいのかもわからない。
戸惑いを隠せない年若い王子に、アナイスは優しく微笑みかけた。
「セツは普通に話もするし、笑いもする。ですが、どれだけ会話を重ねても、セツの心はとても深い所にあって、触れることができない。まるで透明な氷が壁を作り、セツを周囲から隔絶しているみたいに」
「それは……」
ロワメールにも覚えがある。
——そこにいるのに、まるで存在していないかのように。
——すぐそばにいるのに、決して触れることができないように。
歯がゆく、もどかしい、あの感覚……。
「セツは、他人と深く関わろうとしない。自分の本心は語らない。当然ですよね。彼にとっては起きている間の方が、きっと束の間の夢のようなものですから」
アナイスの言葉に、美しい二色の双眸が揺れる。そしていつしか、ロワメールの心も揺れていた。
「私は、セツの氷を壊したいとは思いません。あの氷は、何百年と生きるセツの心を守るもの。ですが、冷たい氷の中で一人きりは寂しすぎる。誰か一人でもいい。セツの心に触れることができれば」
アナイスにはできなかった。どれだけ言葉を尽くしても、手を伸ばしても、セツには届かない。
「ぼくに、それができると?」
アナイスが何故、ロワメールにそんな期待を寄せるのかわからなかった。
セツにとって自分が特別だなんて自信は、ロワメールにはない。
けれどロワメールとて、叶うなら、たった一人で生きるセツの力になりたい。
その心を支えて、救いたい。
「私は、それができるのは殿下だけだと思っています」
「どうして、ぼく?」
「殿下のお名前が、『ロワメール』だからです」
その一言に、ロワメールは自分でも驚くほど大きく反応した。
「『ロワメール』をご存知なんですか!?」
最果ての海に住むという、美しい銀の魚。孤高の海の支配者――『ロワメール』。
「いいえ。ですが私がまだ若かりし頃、セツに聞いたことがあるんです」
——あなたの望みはなに?
実力も地位も名誉も財産も、全てを持っているマスターの夢はなんなのだろう。
「マスターの苦悩も重責も知らぬ、浅はかな小娘の好奇心です」
自らの浅慮を恥じて、アナイスは自嘲する。
「セツはただ一言、こう答えました」
——俺は、『ロワメール』に会いたいんだ……。
その瞬間、ドクン、とロワメールの心臓が跳ねた。
冷水を浴びたかのように、一気に背筋が冷える。
(ああ)
生も死も 望むがままに与えましょう
その一文が、頭にこびりついて離れない。
(セツは、どちらを望んでいるんだろう……)
ロワメールは目を瞑り、まるで目眩に耐えるように、騒ぐ胸を抑えていた。




