34 最強の魔法使い
それは、見る者すべてを凍りつかせる、そんな目だった。
彼は別に、声を荒げたわけではない。
だが、かつて感じたことのない恐怖に身を貫かれ、心が、体が震え上がる。
レナエルを魔法で押さえつけながら、セツはうずくまる青年に冷淡に声をかけた。
「ロワメール、頭は冷えたか」
押さえつける圧力が消えると、ロワメールは片膝をついたまま名付け親を振り仰いだ。
「セツ、ぼくは……!」
「退け」
「………っ」
言い募るロワメールに、しかし、セツは有無を言わせなかった。
これまで聞いたこともない冷たい声に俯くと、ロワメールは黙ってセツに従う。
「なによこれ! どうなってるのよ!」
地面に押さえつけられたレナエルが喚き散らした。どれだけもがいても彼女を押さえる力はびくともせず、それがまた怒りを募らせる。
プライドの高いレナエルにとって、この状況がどれほど屈辱的かは想像に難くなかった。
「魔法使い殺し! なにをしたのよ!」
「風魔法だが?」
「嘘よ! 風魔法なら、なんで私に解けないのよ!」
辛うじて動く首を回し、セツを睨みつける。だが、セツは至って淡々としていた。
「なんで? そんなもの決まっている。お前が俺より弱いからだ」
「そんなことあるわけないでしょ! 私こそが本当の最強なのよ……!」
怒りに顔を紅潮させ、レナエルは自らの強さを信じで疑わなかった。状況が勝敗を決しているのに、それを認めない。
「なら聞くが、お前はアナイスと手合わせしたことはあるのか?」
「あんなお婆さんと、手合わせなんかするわけないじゃない!ひとつ間違ったら大怪我させてあの世行きよ! 寝覚めの悪い」
戦うまでもなく、勝つのは自分だと確信している。その絶対の自信は、三色故の魔力量か。
「なら、風司、ジルとは?」
「あの女は嫌いなのよ! レオールに生まれたってだけでチヤホヤされて、いい気になってるだけじゃない!」
憎々しげに詰り、レオールだから司に選ばれたと言わんばかりだ。
「お前だって、三色に生まれただけだろ?」
「一緒にしないでちょうだい! 私のは実力! 持って生まれた才能よ!」
「ふむ。なるほどな。お前が自分を最強だと言うわけだ」
レナエルの身勝手な持論にセツは納得すると、彼女の言い分を認めた。
「お前は負けたことがないんだろう?」
「そうよ! 私が強いと理解したなら、とっとと自由にしなさいよ! 叩きのめしてあげるんだから!」
「自分より弱い奴としか戦ってこなかったら、そりゃあ負けないな」
「なっ……!」
レナエルの頬に、サッと朱が散る。
導き出された真実に、セツは合点がいったようだった。
最強だと自負するカラクリは、稚拙な子ども騙しだ。
「知った風な口をきかないで! 裏切り者を殺して魔力を奪っておきながら、その程度の魔力しか持たないくせに、なにを偉そうに!」
身動きの取れない状態でも、気性の激しさはかわらなかった。
底上げされたお菓子の箱のような甘い錯覚を、本人だけが真実の強さだと思い込んでいる。無様な姿を晒してなお、レナエルは夢から醒めなかった。
「正々堂々勝負しなさい! 真っ向からだと勝てないからって、こんな卑怯な方法を取って! 恥を知りなさい! それでも魔法使いなの!?」
「ああ、ひょっとして、俺から感じる魔力で魔力量を測ったのか?」
レナエルの罵詈雑言を聞き流し、セツは独りごちる。
「俺は常時、魔力を制御してるからな」
「なにを言って……!」
言うと、彼はそのまま己の魔力の一端を解放した。
ズンッ! とこれまでの比ではない強烈な圧迫感が、レナエルを襲う。
「ぁ……」
息が、できない。肺が押し潰される。
魔力に質量はない。にも関わらず、目に見えない圧力が押し潰さんばかりにレナエルにのしかかった。
だが、圧はすぐに消え失せる。けれど、その一瞬で十分だった。
「はぁ、はぁ」
自由になった肺で、空気を求めて大きく呼吸を繰り返す。
なんだ、今のは?
あれが、この男の魔力……?
「——っ!?」
ゾッと、例えようのない恐怖がその身を襲った。
あれほどの魔力を身内に納めれば、レナエルは耐えきれず発狂するか、死んでしまう。
それほど、桁違いの力——。
「っっっ!!!」
理解した瞬間、全身から一気に血の気が引いた。
男の魔力は、人間の許容量を遥かに超えている。
こんな魔力を持つものを、もはや人間とは呼べなかった。
「う、そよ……。嘘よ! こんなのありえない! そんな魔力を宿して平然としているなんて……!」
震える声が、悲鳴を上げる。
レナエルの魔力など、足元にも及ばなかった。
比べるのすら滑稽ではないか。
(神は、私が最強だから、私の元に来たのではなかったの……?)
この男に比べたら、彼女の強さの源はあまりにちっぽけなもので。
「私こそが、最強のはずなのに……」
認めたくなかった。
こんな現実、拒絶したかった。
けれど。
「お前は最強ではなかった。それだけだ」
その、彼我の実力差を直視した時——。
魔法使いの誇りが、レナエルの心そのものが、砕け散る。
粉々に砕けた心は粉雪のように静かに舞い落ち、漂ううちに儚く溶けた。
「……だって、誰もが……わたしを羨んだわ……三色の魔力だと……」
「その才能に胡座をかき、研鑽を怠るからだ。せっかくの三色を無駄にしたな」
「だってみんな、私をすごいって……」
「そりゃあ、お前にすり寄るのは、お前より弱い奴だけだ。魔力量や属性ですべてが決まるほど、魔法使いは甘くない。お前はもっと広い世界を知るべきだった。お前より強い奴なんてゴロゴロいる」
レナエルを押さえつける風の魔法はもうない。しかし、彼女は身を起こすことができなかった。
「だって、私は……」
私は、三色の魔法使い。
周りの誰より強くて。
みんなが私を羨んで、褒めてくれて……。
「私は……」
うわ言のような呟きは、力なく消えていく。
——おれたちは、似た者同士だな。
——爵位なんて関係なしに、おれたちは実力で上に登ってやろうぜ。
「アシル……」
——綺麗な髪の色だな、レナエル……。
音もなく、一粒の涙がレナエルの頬を伝った。




