4ー29 お忍びスタイル
セツの王宮での日々は、案外充実している。
王子宮、王立図書館と読む本には事欠かず、ジャン=ジャックのいる厨房で外の国の料理に好奇心を満たし、カイとは相変わらず晩酌を楽しんでいた。
そしてどういうわけか、宰相の屋敷にちょくちょくお呼ばれしては、昼食や夕食をご馳走になっている。これには宮廷に激震が走った。セツは、これまで誰も成功しなかった偉業を成し遂げたのである。
数多の者が宰相と友好を結びたいと試みるも、全員が撃沈。シメオンから私邸に招待された者は皆無だった。フォルシシア夫人は朗らかで人当たりがよく、ご夫人方の交流はあるのだが、夫君の鉄っぷりは類を見ないほど強固である。
「さすが国王陛下の相談役」
「さすが三百年生きる賢者」
と、ロワメールが予想もしなかった方向で、セツは宮廷中の尊敬を集めていた。
「宰相となにを話してるんですか?」
「なにって、別に。世間話とか?」
「あの鉄の男と世間話!?」
宰相シメオンが談笑している姿など、想像もできない。
カイは好奇心に抗いきれず質問したのだが、より謎が深まっただけだった。
その日は、かねてより楽しみにしていた王都観光の日である。
ロワメールは、朝からウキウキとしていた。
ようやくまとまった空き時間を確保できたのだ。
季節は進み、暦は菊月を迎えていた。
日中の暑さも和らぎ、秋空の下、散歩に出るにはうってつけである。
午前中いっぱいは書類仕事に追われたが、午後からはようやく自由時間だ。
「セツ、ごめん。ちょっと待ってて」
昼食を終えると、ロワメールは準備を整えに自室に向かう。
セツは執務室のソファで食後をお茶を飲みながら、読みかけの本に手を伸ばした。ページをめくりながら、お茶を楽しむ。最近ではすっかり紅茶党だ。
今日の茶葉は、オーレリアンお手製のブレンドである。まろやかな舌触りと香り高さに、ミルクがよく合った。
オーレリアンは紅茶を持ってきたあとは退室し、執務室にはセツとミエルだけが残る。ミエルはセツの横で、今日もくーくーと昼寝中だ。
「セツ、お待たせー」
いつものようにゆっくりとお茶を味合っていたセツだが、支度を終えたロワメールを一目見るなり、持っていたティーカップを落としかける。
「ロワメール……?」
ゴクンと喉を鳴らして紅茶を飲み込んだ。
「えへへー、どう? 似合う?」
セツの視線の先にいたのは、紛れもなくロワメールだった。ロワメールだったのだが、そこにいるのは銀髪の王子様ではななかった。
「お前、どうしたんだ、その髪……」
背の半ばまであった長い髪は短く切られ、月光が降り注ぐようだった銀の髪は黒く染まっている。そして美しい顔にはメガネがかかっていた。
あまりのかわりように、セツはそれ以上言葉がでてこない。
まさに呆然自失だった。
「これカツラ。ノアとノエがくれたんだー」
ロワメールはあっさり種明かしする。
カツラは、銀髪は目立ちすぎると、城下のお忍び用に双子が用意してくれたものだった。メガネは度の入っていない伊達メガネで、楕円のようなオーバル型がよく似合っている。秋らしい装いのベージュの帯に栗皮色の着物、緑青色のズボンは、派手なものではないのでそのままだ。
絶世の美貌は同じなのにまるで別人のようで、セツはロワメールを穴が開きそうなほど見つめる。
「びっくりした?」
ロワメールは、楽しそうに笑う。
ちょっとしたイタズラは、成功したようだった。
ミエルは、王都に来て留守番を覚えた。
シノンにいる時はどこへ行くにも一緒だったが、王宮ではそうはいかない。ロワメールにも政務があった。
どんなにミエルが可愛くとも、大事な会議に子ネコを連れてはいけない。
最初ミエルは置いていかれるのを嫌がり、その都度、「お仕事だから、いい子でお留守番しててね」とロワメールが言い聞かせた。
今では寂しそうにしながらも、ロワメールが出かける時にはいってらっしゃいの鼻ちゅーをしてくれる。
しかし、今日のミエルは留守番を断固拒否した。
ロワメールの嬉しそうな雰囲気で、仕事ではないと察したらしい。
「ミエル、一緒に来るの?」
「にゃあ、にゃあ!」
行く、行く! と大騒ぎだった。
こうして晴れて、ミエルもお散歩メンバー入りを果たしたのである。
ご機嫌なミエルを肩に乗せたロワメールが空を見上げると、首が痛くなるほど青い空が高い。
まさに秋晴れだった。
書類仕事から解放され、うーんと伸びをすれば、凝った体がほぐれて気持ちいい。
王宮から一歩出ただけで、解放された気分だった。
「みんな働き過ぎ。王子は頑張り過ぎ」
護衛として行動を共にするヒューイが、苦言を呈する。
普段意見などしない人物からの指摘に、ロワメールは腕を上げたまま首を巡らした。
「カイがいつも言ってる。休憩大事って」
ヒューイから見ても、オーバーワークだったのだろう。
「真面目なのは王子の長所。でも、いつもみたいにちゃんと息抜きしなきゃダメ」
淡々とした口調だが、ヒューイはヒューイなりにロワメールを心配してくれているようだった。
「そうだね。最近は頑張りすぎだったから、今日は張り切って気分転換しよう!」
ロワメールが休まなければ、側近たちも休めない。
ロワメールは素直にヒューイの助言に頷いた。
「さ、セツ、今日はどこ行く? ぼくが案内するから、どこでも行きたいとこ言って」
気合を入れ直し、つかの間の休暇を楽しもうとロワメールがセツを振り返る。
けれどそこには、胡乱なアイスブルーの目があった。
「お前さては、しょっちゅう王宮を抜け出してるな?」
ギクリ、とロワメールの肩が強張る。
「やだなー、公認だよ。公認」
あははーとから笑いして目を逸らすロワメールに、セツは溜め息を吐いた。
いくら広いとは言え、ロワメールが王宮内で大人しくしているわけがないのだ。
「それに、ぼく一人じゃないよ。絶対翡翠は一緒! ね?」
「王子、散歩してるだけ」
巻き添えを食った専属護衛は、主を守るためにこくこくと頷いたのだった。
❖ お知らせ ❖
読んでくださり、ありがとうこざいます!
4ー30 王子様のお財布事情 は、10/15(水)22:30頃に投稿を予定しています。




