4ー15『鉄の男』
「誰かいないかー?」
セツが廊下に首を出した。人払いをしても、声の届く範囲には誰かいるはずである。
案の定、すぐそばの扉が開いて男が一人姿を現した。その男には見覚えがある。高い頬骨に細い眉、目が合えば石化しそうな鋭い眼光、昼間は整えられていたグレージュの髪は柔らかく波打っている。ずいぶん印象は違うが、授与式で勲記を読み上げていた人物だ。
「どうした?」
「いや、国王が寝てしまって」
まさか宰相が出てくるとは、セツも思っていなかった。
「まったく……」
宰相は無遠慮に私室に入るとズカズカと国王に近付き、雑に起こしにかかる。
「おい、起きろ」
しかし起きる気配がないと見ると、さらに激しくユサユサと体を揺さぶった。
「こんなところで寝るな。キスイ、起きろ」
それでもグーグー寝息をかく国王に苛立ち、宰相は王様の頭をペシーンッ! とはたいたのである。
「起きんか!」
これにはさすがに、セツも面食らった。
例え酒癖が悪かろうと、ウザかろうと、一応この国の最高権力者である。
強情に起きない国王にチッと舌打ちすると、宰相はセツのように廊下に顔を出して、側仕えを呼びつけた。
「キスイがまた寝落ちたから、ベッドに運ぶ。寝室の用意をしてくれ」
慣れたやり取りを交わし、宰相はセツを顧みる。
「こいつをベッドまで運ぶ。悪いが足を持ってくれ」
請われるままにセツは国王の足を持ち上げ、脇に手を入れ上半身を持った宰相と、キスイを寝室まで運ぶ。
「手間をかけたな、マスター」
ひと仕事を終えると、宰相は改めてセツと向き直った。
「まだちゃんと名乗っていなかったか。シメオン・サンク・フォルシシアだ」
聞き覚えのある家名である。
「新緑宮の女官長は、おれの母親だ」
ライザ・サンク・フォルシシアは、シャルル王妃の乳母。つまり宰相は、王妃の乳兄弟にあたった。
「なんで宰相が、こんな時間に国王の世話を焼いてるんだ?」
「こうなることが予想できたから、待機していただけだ。あんな国王を、誰にでも任せられないしな」
確かに、一国の王として甚だ情けない姿である。セツだって、自国の王様のあんな姿は見たくなかったほどだ。
「宰相、あんたは王妃の乳兄弟だろう? 話を聞かなくてよかったのか?」
乳兄弟は時に、血を分けた兄弟より深い信頼で結ばれていると聞く。
宰相にも王妃の最期を聞く権利はあると思ったが、シメオンは無表情にその権利を放棄した。
「あいつは息子を守り抜いた。おれには、その事実だけわかっていれば十分だ」
宰相シメオンは、『鉄の男』と呼ばれる。それは政治手腕だけでなく、鋼鉄の意思と鉄面皮に由来しているものと思われた。
「だが、マスターのお陰で母は生きる気力を取り戻した。礼を言う」
『鉄の男』に感謝される、セツは宮廷でも稀有な人物になってしまった。
キヨウ城下フォルシシア子爵邸の庭は、色とりどりの花に溢れていた。
「見事なものだな」
「妻の趣味だ。本邸よりキヨウ住まいが長くなって、庭が花で埋もれてしまった」
庭の有り様ではなく、成功の象徴である王都住まいを嘆くような口振りである。
セツと宰相は窓からの美しい景色を眺めながら、昼食を囲んでいた。
「さあ、どんどん召し上がってくださいな」
そこに、フォルシシア夫人が料理を運んでくる。焼き魚をメインに、野菜の小鉢がいくつも並んだ。
「夫人は食べなくていいのか?」
「実は、夫がめずらしくお客様をお招きすると言うものですから、張り切ってお料理を作るうちに、味見でお腹いっぱいに」
うふふ、と笑うふくよかな宰相夫人に釣られて、セツの表情も和らぐ。
「どの料理も美味い」
「いっぱい召し上がってくださいね」
台所に戻る夫人を見送りながら、セツが感心した。
「夫人が料理を作ってるんだな」
セツはてっきり、貴族の屋敷では料理人を雇うものだと思っていた。
「料理人を雇うと、リリアの手料理が食べられなくなる」
『鉄の男』は無表情に惚気ける。
「自宅に呼んだのは、夫人の料理を自慢するためか?」
セツは、迷惑をかけたお詫びに食事をご馳走したいと招待されたのだ。
「それもあるが、マスターの立場では、王宮では招きに応じ難いだろう」
カチャリ、と食器が音を立てた。
「なんだ? いかなる権力にも与せずという掟があるから、勲章も晩餐会も蹴ったんだろう? 規範となるべきマスターが、疑わしい行動を避けるのは当然だ」
宰相は、白身魚の西京焼きに箸を入れる。ふっくらした身は柔らかく、身離れがいい。
「なんだ? 全部ロワメールが言っていたことだ」
「全部?」
「全部だ。マスターが勲章を受け取らないことも、晩餐会を欠席することもな。だから、国王の面子を保ち、名付け親を反感から守るために、授与式への大臣たちの列席を阻止した」
セツの手が、完全に止まった。
「魔法使いが、宮廷のしきたりや考え方を知らぬのは当然だ。恥じることはない」
眉を寄せるセツに、宰相は続ける。
「マスターが考えている以上に、あの子は色々考え、行動している。それもこれも、名付け親を思っての行動だ」
「それを伝えるために、俺を昼食に誘ったのか?」
「おれが、マスターと話したかったのもある。地位も名誉も金もいらない。その気持ちは、おれにもわかる。おれも家族が暮らせるだけの財産があればいいし、好きで宰相をしているわけでもない。しかし、その考え方は、宮廷では異端だ」
宮廷は、権力争いの中心地だ。多くの者が、より高い地位と名誉を欲している。
宰相は、冬瓜のそぼろあんかけに手を伸ばした。あっさりしたあんと冬瓜の相性は良く、ロワメールにも食べさせたくなる。
「じゃあ、なんで宰相なんてしてるんだ?」
「もしシャルルが生きていて、王妃でなければ、宰相をやっていたのはあいつだ。おれは、あいつの代わりにすぎない」
シメオンは、淡々と妻の料理を堪能する。セツも夫人の料理を無駄にしたくはなくて、再び箸を動かした。
「シャルルは天に愛された女だ。そしてロワメールはその姿形だけでなく、その輝きも受け継いでいる」
夫人の手製のキュウリとナスのぬか漬けが絶品で、セツが脱帽する。フォルシシア夫人は、本当に料理上手なようだった。
「本人が望むと望まざるに関わらず、これからあの子を中心に、この国は大きく動くだろう。その時、卿はどうする?」
「……俺に政治はわからん。だが、ロワメールが望んだことなら応援するさ」
「それを聞いて安心した」
宰相は味噌汁を飲み終わり、箸を置いた。
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4ー16 近衛騎士隊『陽炎』 は、7/16(水)22:30頃に投稿を予定しています。




