4ー13 勲章授与式
キィ、とごく小さな音を立てて開かれた扉の向こうは、これまでとはどこか違う、特別な空間だった。
格式が高い、とカイが言った意味を理解する。
磨き抜かれた床は鏡面のように入室者の姿を映し、天井は見上げるほどに高い。本来なら左右を占める大臣幕閣の姿はなく、天日の間は怖いくらいに静かだった。広い部屋を遮るものはなく、四方の壁に見事な織物が見える。
連綿と続いた歴史が、重ささえ感じる厳粛さを醸し出していた。
正面の一段高い場所に置かれた椅子には国王が座り、向かって右側に立っているのは宰相だろう。
セツはロワメールと赤いカーペットを進み、玉座の前で立ち止まると片膝を折った。
「魔法使いマスター・セツ。自己の危難を顧みず、ロワメール・アン・ラギ王子の救助に尽力した功績を讃え、太白大綬章をここに授与する」
国王の横手に控える宰相が、抑揚のない口調で勲記を読み上げる。
手順では国王が歩み寄り、頭を垂れるセツに勲章が授け、それで終わりだったはずだ。
しかしここで、国王はしきたりを破った。
「立たれよ、マスター・セツ。皇八島の守護者よ」
ロワメールも事前に聞いていなかったのか、思わずセツと目を合わせる。
セツは促されるまま、その場で立ち上がった。
改めて、目の前の男と向き合う。
キスイ・アン・ラギ。
ヒショー、ロワメール両王子の父親であり、第百八代皇八島国王。
直系王族の証である『月光銀糸』はロワメールと同じく光沢を帯び、神秘的な『海の眼』には年齢を重ねた深い知性が感じられる。
整った容貌は月神の末裔と崇められるのも頷ける高貴さで、備えた男らしさはロワメールよりヒショーが似ていた。
誰に説明されずとも威厳に満ちた姿は、この人物こそがこの国の王なのだと告げていた。
「そなたに、ずっと会いたかった。会って、直接礼が言いたかった」
予定外の国王の行動を、ロワメールと宰相が食い入るように見つめる。
「余の愛する息子を、ロワメールを救ってくれて、心より礼を言う。ありがとう」
キスイは、深く頭を下げた。
アイスブルーの目が、大きく見開かれる。
もしこの場に大臣たちが列席していたら、たいへんな騒ぎになっていたに違いない。
一国の王が頭を下げる――それは、どんな金銀財宝より重い、最高の謝辞だ。
「どれほど言葉を尽くしても言い足りぬ。心から感謝している」
深々と頭を下げるキスイの声は、涙に濡れているようだった。
十八年前の絶望が。
息子を探し続けた苦難の日々が、胸に甦ったのだろうか。
ヒショーと同じく、キスイもロワメールは生きていると信じていた。けれどそれを誰にも言わなかったは、迂闊に口走れば、悲しみのあまり正気を失ったと思われるからだ。
だからキスイ王は、これまでの国王が玉座に鎮座していた歴史を覆し、皇八島の各島を視察の名目で訪れた。
ロワメールが生きている――その確信が、『海の眼』によるものなのか、『月光銀糸』によるものかはわからない。しかし、たった一人で国中を探し続けるのは、息子への深い愛情と鋼の如き不屈の精神がなければ成し得なかったはずだ。
「この勲章はせめてもの余の感謝の気持だ。どうか受け取ってほしい」
太白大綬章は、両端に白のラインが入った朱色のリボンに、黒地に金と白で八芒星を表していた。大勲位辰星大綬章に次いで位が高く、特に優れた勲功のある者に授与されるこの勲章は、多くの者にとって垂涎の的である。
「断る」
しかしセツは、迷うことなく受け取りを拒否した。
この返答は予想されていたのか、国王は取り乱さず冷静に問い返す。
「何故断る?」
「俺はすでに対価をもらっている。それ以上は必要ない」
セツは魔法使いとして揺るがなかった。漆黒のローブは、魔法使いの気高さを物語る。
「カイに説明されたと思うが、勲章授与者には年金が支給され、男爵位も与えられる。それだけではない。太白大綬章を持つ名誉も放棄するというのか?」
「金も地位も名誉もいらん。金はギルドから十分もらっているし、マスターの地位がある。最強の称号は、魔法使いにとってなにより名誉だ」
セツはにべもなかった。
「ふむ、それは困ったな。それでは、王子の命の恩人を無下にすることになってしまう」
困ったと言いながら、キスイの目はどこか楽しんでいる。その目はマスターへの興味に溢れており、まるで問答を楽しんでいるかのようだ。
「王子だから助けたんじゃない。助けを求められたから、助けただけだ」
勘違いをするなと、たとえ相手が国王でもセツは容赦なく突っぱねた。
セツは魔法使いとして、助けが必要な者を助けたにすぎない。
いかなる権力にも与せず
それは、権威におもねることも媚びることもなく、独立を貫く魔法使いの高潔さそのものだ。
「なるほど。そなたはロワの言う通りの人物のようだ。だからこそ、ロワも……」
キスイは満足気に目を細めた。
「ならば、余の妃の最期は教えてくれるか?」
「ああ、もちろんだ。王には聞く権利がある」
約束を交わす国王と魔法使いを、王子と宰相が黙って見守った。
勲章授与式の後、慣例として開かれる晩餐会の出席もセツは拒否した。
大臣たちはその無礼に気色ばんだが、長い時を生きるマスターに、時の権力者など浮雲のようなものだと言われれば、強く言えようはずもない。
セツが一度氷室での眠りにつけば、大臣どころか国王すら代替わりをしている。まさに儚いものだった。
「それに、晩餐会をする理由はなんだ?」
「勲章の授与を祝うため?」
「俺は受けてない」
ロワメールも端からセツを説得する気はない。セツが晩餐会になんて、出るわけがなかった。
「やけに俺の要望をすんなり聞くな?」
「セツが勲章授与を拒否するのも、晩餐会に出席しないのも、わかってたから」
警戒するセツに、ロワメールはにこりと笑ってみせる。
その笑顔に絆され、そういうことなら、とセツは納得するのだった。
❖ お知らせ ❖
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4ー14 キスイ・アン・ラギ は、7/2(水)22:30頃に投稿を予定しています。




