17 王子の苦悩
「わかっています。マスターがどれほど重要な存在か」
ロワメールは美しい顔が歪める。
わかっていると言いながら、その表情も声も、到底納得してはいなかった。
もし、魔族と人の戦いになれば、マスターは人類最後の砦。
だからこそ、自由に生きることも、死ぬことも許されない——。
溢れ出る感情を抑えるように、ロワメールはグッと奥歯を噛みしめる。
「もう子どもじゃないんだろう?」
セツはロワメールの側に立つと、項垂れる銀の髪を撫でた。
まるで幼子を宥めるように。
セツの声は、ひどく優しい。
きっと五年前もこうして慰めたのだろう。
彼には、ロワメールはまだ小さな子どものままなのだ。
(やれやれ……)
カイは内心で溜め息を吐く。
こんな姿、王宮では見せたこともないのに。急に育ての親と引き離され、右も左もわからぬ王宮に連れて来られても、ロワメールは弱音ひとつ零さなかった。
(どれだけセツ様に懐いているんだか)
カイはあえて冗談めかして、腑抜けた王子の目を覚まさせる。
「ロワ様はセツ様のこととなると、てんでお子様ですねぇ。セツ様が眠られても、泣かないでくださいね? それとも、もう泣いてます?」
「泣いてない」
ムッとして、ロワメールは側近の言葉を否定した。
「はいはい。泣いてない泣いてない」
「泣いてないってば!」
反論する王子様を、カイはいつものようにニコニコと笑いながら軽くあしらう。
「ぼくがいつ泣いたんだよ! ぼくが泣いたのなんて、見たことないくせに!」
失礼な側近に、ロワメールは憤慨した。
元気を取り戻した青年に、セツは安堵する。
カイにチラリと謝意の目を向けた。
(どういたしまして)
カイは小さく肩を竦める。
(これも側近の仕事ですから)
❖ ❖ ❖
「ロワ様」
「わかってる」
自室に戻ったロワメールは、ベッドの上で立てた片膝に顔をうずめていた。
戻ってきてからずっと、その姿勢のまま動かない。
「わかっているなら結構ですが、注意しないと、セツ様にバレてしまいますよ?」
「わかってるって言ってる」
固い声音に、カイは溜め息を吐く。
旅は始まったばかり。こうも簡単にボロを出して、果たしてこの調子で大丈夫なのか、気が気ではなくなる。
「ロワ様は本当に、セツ様のこととなるとお子様ですねぇ。他のことはそつなくこなされるのに」
膝から顔を上げ、ロワメールは側近を睨みつけた。
「怖いですよ」
怖いと言いながら、カイはちっとも怖くなさそうに笑っている。しかし二色の瞳には、先程までとは別人のような冷たい光が宿っていた。
「せっかくギルドでは上手く誤魔化せたのに。セツ様にバレたくないんでしょう?」
ランプの明かりに鈍く照らされた銀の髪は、俯いたまま動かない。
「心配なさることは、ないと思いますが……」
ロワメールは膝に顔をうずめたまま、その独白を聞いていた。
カイに注意されるまでもなく、セツを困らせたのはわかっている。
だからあの後は、できる限りいつも通りに、いつも以上に明るく振る舞った。
セツが、子どもだと思っているならそれでもいい。
昔のままの笑顔を浮かべよう。
セツに悟られないように。
見抜かれないように。
ロワメールは、ぎゅっと拳を握りしめた。
五年の空白は、長く、そして重い。
これから先、どうなるかなんてわからない。
それでも。
「ロワ様」
カイは船室の床に片膝をつき、自身の主を見上げた。
彼の王子は、子どものようにおびえて小さく身を固めている。
「セツ様の前では、そんなにいい子でいたいですか?」
「うるさい」
図星だったのか、ロワメールの頬が赤らんだ。
カイはそんなロワメールに構わず、なおも続ける。
「いい子でいたいのなら、やめても構いませんよ?」
思わず、ロワメールはカイを見返す。
「中途半端なお覚悟ならおやめください。今ならまだ間に合います」
カイは片膝をついたまま、優しい口調で王子を突き放す。
普段は側近の助言を素直に聞き入れるのに、ことこの件に関してはロワメールは頑なに耳を塞ぐ。どんな慰めも気休めも届かなかった。
しかしそれは、嘘偽りない心の底からの願いだからこそ、ロワメールを突き動かす原動力となり、なにより強く、この青年が宮廷で生き抜く力となる。
ならば、全力でお支えするのがカイの役目だ。
「貴方様がなさろうとされているのは、これまで誰も成し得なかった、険しい道です。途中で諦めたとしても、誰も馬鹿にはしませんとも」
「誰が諦めるって?」
青と緑の双眸が、側近筆頭を睨み返した。
ロワメールは挑発だとわかって、乗せられている。ロワメールがそうするとわかって、カイも言っている。
「言ったはずだよ。これは千載一遇のチャンスだって」
セツがいつ起きるかは、誰にもわからない。
だが、今、氷室での長きに渡る眠りから、最強の魔法使いは目を覚ましていた。
「ぼくは運がいい。このチャンスは、絶対に逃さないよ」
「さすがはこのカイがお仕えする、唯一無二の主でいらっしゃいます」
「うーわ、性格悪っ!」
ついさっきまで、王子たる者いつまでも寝惚けられては困ると手厳しかったくせに、いけしゃあしゃあと掌を返すカイに、ロワメールが笑う。
ロワメールの目からは暗く沈んだ光は消え、すでにいつもの力強さが戻っている。
「宮廷は、宮の者が手を回してくれています。問題はギルドですね。誰か、こちらの手の者を潜り込ませるか、こちらの陣営に引き入れられればよかったんですが」
事前に工作準備はしていたが、とてもではないが時間が足りなかった。セツがいつ起きるかも予測できない。
カイは正直、もっと時間に余裕があると思っていた。
「問題ないよ。ギルドではぼくが直接動く。その方が、効率がいいはずだよ」
王子の肩書は、それだけ意味がある。
自身の立場を十全に理解している第二王子に、側近筆頭は満足そうに頷いた。




