4ー4 くそったれ師匠3 セツ十三歳、十五歳
「かあー、沁みるー」
オジがズズッと味噌汁を啜る。シンプルな豆腐の味噌汁が五臓六腑に染み渡った。
「まぁた二日酔い。しかもソファで寝やがって。酒は控えろって言ってるだろ」
「セツ、大声出すな。頭に響く」
腰に両手を当て、セツは不機嫌だ。毎晩毎晩飲んだくれて、毎朝毎朝二日酔い。いい加減学習しろと言うのだ。
「しょうがねーだろ。夕べはレントがひょっこり顔を出してよぉ」
「レント? へえ、久しぶりだな」
意外な名前に、セツの怒りが薄れる。
「だろぉ? 久しぶりの昔馴染みに会ったんだ。楽しまんでどうすんだって話よ」
「それを言い訳に、飲みたいだけだろ」
「お前はホント、クソ真面目だなぁ」
セツの冷ややかな眼差しに、オジはゲラゲラ笑う。
「人生楽しまんでどうするよ。うまいもん食って、うまい酒飲んで、遊んで、グータラして! お前ももっと、楽しめ楽しめ」
セツは、はあ、と溜め息を吐いた。
楽しい、はオジの口癖だ。
なにかというと楽しい楽しいと、ゲラゲラ笑う。
「レントがよ、今晩にも、土産持ってうち来るってよ」
放浪の旅の画家は全国を巡り、シノンに来るのも三年ぶりくらいだ。
セツにしても、懐かしい人物である。
「はいはい。わかったから、オジはそれ飲んだら風呂入れよ」
「おー、ひとっ風呂浴びてくっか」
くあーと大あくびをし、よっこいせと立ち上がると着物を脱いで風呂場に向かう。
「だから、ここで脱ぐな! 洗濯物は洗濯カゴに入れろ!」
オジの脱ぎ散らかした着物を回収しながらセツが叱るが、本人はとっくに風呂場に消えている。
ほどなく、陽気な歌声が聞こえてきた。
若い頃はもう少しマシだったが、年を取るにつれてだらしなさに拍車がかかっている。
ヒゲも毎日剃らずに無精ヒゲ状態、散髪も小まめに行かず、伸びてきたクセのあるベージュの髪を適当に結っている。
「ったく、もっとちゃんとしろって言うんだ」
セツはブツブツと文句を言いながら洗濯をし、それが済んだら家中の窓を開けて、次は掃除だ。風魔法で埃を一気に外に出し、それから水魔法と風魔法を駆使して床や家具を洗浄する。
「マスターの力、使い方を間違うておらんか?」
「なー?」
風呂から上がったオジと、いつの間にか現れた花緑青が、見事な魔法捌きで家中をピカピカにするセツに、ヒソヒソと会話を交わした。
「間違ってない! オジ! ゴミはゴミ箱に捨てろっていつも言ってるだろ! 花! 急に来たって昼メシ簡単なものしかないからな! 文句言うなよ!」
テキパキと家事をこなすセツを眺めながら、オジがしみじみと呟く。
「お前は母ちゃんか」
あまりにも的確な例えに花緑青が吹き出し、オジも釣られて笑い出す。
そして二人揃ってセツに怒られるのまでが、お約束であった。
❖ ❖ ❖
「オジ、水」
セツは、水差しをオジの口元に運ぶ。
オジは布団から起き上がれぬ日々が続いていた。
病の床につくオジは、日に日に痩せ衰えていく。
病気の進行は早かった。
「おかゆ食えるか」
落ち窪んだ目にこけた頬、目に見えて痩せ細っていくオジを、セツは献身的に看病していた。
上半身を支えて起し、匙でおかゆを食べさせる。
医者には、手の施しようがないと言われた。
それでもセツは、周囲の大人に体に良い食べ物を聞いてまわり、少しでも病が良くなるように、少しでも長生きできるように懸命に尽くした。
「美味いなぁ」
目を細めて味わうオジに、セツはほっと息を吐く。今日は少し食べられるようだ。
「セツの飯は、いつも美味い」
「だろ? 今日は玉子がゆにしてみたんだ」
「オレは幸せもんだ。できた弟子を持った」
セツはキュッと眉根を寄せる。
そんな言葉はいらないから、元気になってほしかった。
元気になってくれさえしたら、それだけでよかった。
「けど、お前は一度だって、オレを師匠と呼びやしねぇ」
「だって、オジはオジだろ」
長くないのは、セツも、たぶんオジ自身もわかっている。
「はー、楽しい人生だった」
「そんなこと言うな」
遺言のような言葉に、セツが顔を歪めた。
オジはまだ若い。例え氷室での睡眠を通して百年生きてたとしても、その肉体は四十代ほどだ。
死ぬには早すぎる。
「なんでぇ、オレがいなくなったら寂しいのか、セツ」
「当たり前だろ!」
「らしくねーなぁ」
オジは笑うと、セツの白い髪を撫でた。痩せて骨張った手に、もう力はない。
それでも愛おしそうに、オジは何度も何度もセツの頭を撫でた。
「寂しがってる暇なんてねーぞ。人生は楽しいことだらけだ。もっと楽しめ」
死の床にあってすら、楽しい楽しいとオジは笑う。
いつだって、オジは楽しいと笑う。
――楽しいなぁ、セツ。
いつもゲラゲラ笑って。
こんな時ですら。
「あー、はいはい。言ってろよ」
セツは努めて平静に、いつも通りに返す。
「そんなこといいから、薬飲め」
「この薬、苦いんだよなぁ」
「贅沢言うな」
緑色の煎じ薬を無理矢理飲ます。病を治す薬ではない。進行を遅らせる薬でもない。ただ痛みを和らげる薬だ。
それでも痛みに苦しむよりはマシだった。
「ほら、薬飲んだら寝てろ。俺は食器洗ってくるから」
「はいよー」
背中で返事を聞きながら、オジの部屋を後にする。こんな状態でもオジは呑気で、セツは苛立ちすら覚えた。
「人の気も知らないで」
台所の洗い場で、慣れた手つきでカチャカチャと茶碗を洗う。
「なんで、こんな時に笑えるんだよ」
余命幾ばくもない身でありながら、楽しいとオジは笑う。
「明日死ぬかもしれないっていうのに」
いつしか手は止まり、茶碗に溜まった水に、落ちた涙が波紋を広げた。
たとえ最強の魔法使いであろうと、病に冒された師匠を助けることもできない。
セツは嗚咽を噛み殺し、静かに涙を流すことしかできなかった。
❖ お知らせ ❖
読んでくださり、ありがとうこざいます!
4ー5 王子の帰還 は、4/30(水)の夜、22:30頃に投稿を予定しています。




