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3ー40 義弟と姉婿

 ミエルとの別れにフルールは泣くかと思われたが、両親の予想に反して涙は見せなかった。


「なんかね、わかってた。ミエル、お兄ちゃんのこと大好きなんだもん」

 両親に隠れて子ネコを飼おうとした幼い娘は、今では子ネコの幸せを願って笑っている。


「お兄ちゃん、ミエルを譲ってもらったお礼に、おもちゃをいっぱい送ってくれるって言ってたわね」

「うん! 楽しみ!」

 娘の成長に、千草はフルールの頭を撫で、ファイエットは腕まくりをした。


「よーし、今日はランスもいるし、ママ、頑張ってご馳走作っちゃう!」

「やったー! なになに?」

「フルールもランスも大好きな……ママ特製お鍋!」

「お鍋ー!」

 フルールがキャッキャッと喜んだ。

 確かにランスも好物には違いないが。


「……姉さん、今、夏」

 汗だくになる未来しか見えない。

 しかし姉は安定して、ランスの言うことなんて聞いちゃいなかった。






 ファイエットは早々にキッチンに消え、リビングには幼い姉妹と千草とランスが残されていた。

 子どもたちがおやつを頬張る、麗らかな昼下がり。たが、空気は依然張り詰めていた。


 ランスは睨むように千草を監視し、千草は徹底的に無視を決め込み、娘たちの世話を焼いている。

 休戦協定は続いているようだが、両者の間には今にも火花が散りそうだった。


 そんな父たちの様子を知ってか知らずか、フロランスは大人しく果実水を飲み、フルールはクッキーをモグモグとしながら叔父を興味津々に眺めている。千草がテーブルに落ちたクッキーの食べかすを甲斐甲斐しく片付けていた。


 だがこの静けさは、まやかしでしかない。平和な時間は一瞬で、思いも寄らぬ形で崩されたのだ。


 ガシャーン、とコップが倒れる音がする。同時に、けたたましい赤ん坊の泣き声が耳を貫いた。


「これ、フルールのお気に入りだったのにー!」

「な……っ」

 一瞬の出来事に、ランスは動くことができなかった。


 テーブルの上に惨状が広がる。フロランスがコップを倒し、水浸しのテーブル。そして飛び散った果実水が、フルールの胸元に大きなシミを作っていた。

 たいへんな事態なのはわかるのだが、対処の仕方がわからず、右往左往する。


「ええい、貴様、ぼんやりするな! なんとかしろ!」

 テーブルを拭く千草に怒鳴られ、ランスがオロオロしながらフルールを慰めようとするが、すぐに間違いを指摘された。


「違う! 着物だ着物! 早くしなければ、シミになるだろうが!」

 ようやく己のすべきことを理解したランスが、呪文を唱える。

 魔法で乾かせば簡単だ。


 しかし千草が、再びランスを叱り飛ばした。

「ばっかもーん! 水分だけ乾かしたら、果実のシミがこびりついて落ちぬだろうが!」

 乾けば良いわけではないようだった。


「ええい! もう任せておけぬ! ちょっとフローを抱いてろ」

 ランスに末娘をひょいと預け、千草は慣れた手つきでフルールの着物を脱がせる。


「貴様はフローを連れて、フルールを着替えさせろ!」

 着物を洗い場に持っていきしな、ビシッと命じていくのも忘れない。


「え……? なにこれ?」


 その後も、怒涛の勢いでランスの経験した事のない修羅場が続いていく。


 おむつを替えている最中にフロランスが脱走し、高速ハイハイで部屋中を逃げ回り、フルールが抱っこをせがんで体によじ登ってきたかと思えば、高い高いを繰り返し、ようやく終わったかと思えば、何度も何度も何度も同じ絵本を読んでとねだってくる。


 夕飯の前には、ランスも千草もぐったりと疲れ切っていた。

「馬鹿め、思い知ったか」

 疲労困憊でソファにもたれ込んでいるランスを、千草が嘲笑う。


「おれが裏で、奸計を巡らせているとでも思っていたか?」

 ランスの心を見透かして千草が嘲笑するも、自身も体力を使い果たし、力なくソファに座り込んでいた。


「貴様、子育てを舐めるなよ!」

 子育て……?

 反論する元気もないランスだったが、斜め上を行く単語に思わず千草を見返す。


「幼子を抱え、奸計を巡らす暇などないわ。愚か者め」

 姉妹は大人しく、積み木で遊んでいた。


「……ファイエットがいて、フルールとフロランスがいて、これがどれだけ幸せなことか、貴様にわかるか?」

 娘たちを見守る千草の目は、人間となにも違わない。


「他には、なにもいらぬ。妻と娘以上に、大切なものはない。他の人間などいらぬ」

 淡々とした口調に、愛しさが滲む。


「これまで生きてきた幾年月、感じたこともない充足感と幸福感、毎日が目まぐるしく、家族と過ごす日々のなんと楽しく、愛おしいことか」

 眩しそうに双眸を細め、独白のように千草は囁いた。

 千草にとって、この小さな家は宝箱で、家族は掛け替えのない宝物なのだと、知りたくもないのに伝わってくる。


「貴様にはわからんだろう、おれがどれだけ幸せか」

 ぶっきらぼうな姉婿のノロケを、ランスは黙って聞いていた。

 結婚していないランスに、わかるわけがない。


 それでも台所から漂ってくる美味しそうな匂いと姉の鼻歌は、かつての幸せな家族の団らんをランスに思い起こさせた。


「姉さんの尻に敷かれてるくせに」

 満ち足りた様子が羨ましく、腹いせに痛い所を突いてやる。

「尻になど敷かれておらん!」

「噓つけ」

 力強く否定するが、誰がどう見ても主導権を握っているのは姉である。


「……命懸けでおれの子どもを産んでくれた女に、頭が上がるはずなかろうが」

 ボソリと呟かれた独り言を、ランスはあえて聞こえなかったフリをした。

 郷愁に浸るのに、姉婿の存在は邪魔である。


 窓から差し込む柔らかな黄金色の日差しと、涼しさを運ぶ夕風に、微睡むようなひと時――しかし仮初の平穏は、再び幼い泣き声に破られた。

「今度は何事だ!?」


「フローがこーわーしーたぁー!」

「ぎゃあああー!」

 積み木の取り合いから始まり、姉の作った積み木の家が妹に壊されたのだ。


「ああ、わかった。わかったから、パパと一緒にまた作ろう、な?」

「フロー、こっちの積み木はどうだ?」

 二人がかりで幼子をあやしにかかる。


 その様子を見守りながら、ファイエットはこっそりと微笑むのだった。

❖ お知らせ ❖


 読んでくださり、ありがとうございます!


 3ー41 ミエル、初めての馬車の旅 は11/23(金)の昼、12時台に投稿を予定しています。

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