3ー39『刻印』
「ひとの妻と娘をジロジロ見るな」
千草が不機嫌にセツを睨みつける。
「いや、悪い」
自分の不躾を、セツは素直に謝った。
「あの二人もそうだが、外にいるフルールも、魔力はないのになんだかヘンな感じがしてな。魔法はかかってないのに、魔力の形跡はあるような……」
ファイエットだけでなく娘たちも魔力のない普通の人間、いわゆるノンカドーだ。にもかかわらず、魔力の気配がある。
以前にも、どこかで似たような感覚を覚えたのだが、どこだったかセツはどうしても思い出せなかった。
「マスターとは恐ろしいな。そんなことまでわかるのか?」
「なんだ、やっぱりなにかあるのか?」
「あの三人には、『刻印』つけている」
セツと千草の視線の先では、ファイエットに抱かれたフロランスが、ロワメールに抱かれたミエルを撫でている。
「『刻印』?」
「おれのものだから手を出すな、という印だ」
上位魔族の所有の印があれば、下位種の魔獣は決して彼女たちに手を出さない。それは、魔力が穢れ、正気を失ったとしてもだ。
「あの『刻印』は、我々にしかわからぬはずだが」
「ほお」
「他人事のように感心しているが、そなたにもついているがな」
「………………………は?」
「なんだ、自分のことは気付いておらんのか? その額に、はっきり我が君の『刻印』がついておる」
「はああああああ!?!?!?」
額に触るが、どうもよくわからない。セツ自身の魔力が強すぎて、感知できないらしい。
「あ、あいつ、いつの間にそんなもの……」
「でなければ、見ず知らずの人間にホイホイ魔法を教えるか」
千草の表情にも口調にも不本意感が滲んでいたが、セツは聞いていなかった。
「花の奴……!」
怒りにプルプルと震える。
「帰ったら、絶対とっちめてやる!」
「マスター」
顔色は優れないが、ランスは落ち着きを取り戻したようだった。
「ランス、気持ちの整理はついたか?」
「自分は、まだ魔族を信用できません」
グッと握りしめた両手に、苦悩の跡が見て取れる。
「すみません。例えマスターや若様がそんな友好的な姿を見せてくれても、自分は……」
セツは最初から、千草に対して敵意を持っていなかった。それが、今になってランスはようやくわかる。
「謝ることはない。お前が間違っているわけでもない。魔力が穢れて正気を失った魔獣は危険だし、魔者と人では価値観も違う」
ランスが魔族を憎むのは当然だった。心の傷は簡単に癒えるものでも、乗り越えられるものでもない。
「何故、ですか? 何故、魔族をそんなに信用できるんですか? マスターも、人を襲う魔族を見てきたはずなのに……」
「別に信用しているわけじゃない。魔族にも色んな奴がいるし、魔族というだけで敵対する気がないだけだ」
「でも、そいつらは、人を殺す力を持ってるんですよ?」
納得できない。
納得したい。
相反する感情がぶつかり合う。
「ランス、忘れるな。その力は、俺たちも持っている」
ランスは息を呑み、正面に立つセツを見上げた。
「力がある、それが魔族を殺す理由なら、俺たちも生きることを許されない」
「そんな……っ! 自分たちと魔族は違う!」
「なにが違うんだ?」
「自分はこの力を、人を守るために使います!」
ランスは魔法使いとして断言する。
「うん。千草も家族を守る以外に、その力は使わないだろう。それも悪と思うか?」
「それは……」
「力自体に善悪はない。それを振るうものに善悪があるんだ。それは、俺たち魔法使いも魔族もかわらない」
魔法使い殺しとして、これまで罪を犯した魔法使いを見てきたセツの声は重い。
「確かに、魔族は人間とは違う。だが、なんの罪も犯していないのに、力を持っている、それだけを理由に殺すのは違うんじゃないかと、俺は思うんだ」
何百年とギルドを支えてきたマスターの言葉は静かで、ささくれたランスの心にもすうっと染み込んだ。
「でも、もしこの男が姉さんを傷付けたら? 他の人を殺したら?」
「取り返しのつかない間違いを犯した時は、俺がいる。人間に危害を加えるなら、容赦はしない」
最強の魔法使いとして、それが責任でもある。
「まあ、ヤバいと思ったら瞬殺するさ」
ははは、と笑ったところをみると、どうも冗談らしいが、千草が青い顔になる。恐ろしすぎる冗談もあったものだ。
「そうだわ」
パンと軽く手を合わせ、ファイエットが名案を思いつく。
「千草さまがどんな方か知るために、ランスはしばらく、うちに泊まったらいいんじゃないかしら?」
「………!?」
ランスと千草には等しく衝撃が走ったが、ファイエットは無邪気なものだった。
「ね、あなた、いいでしょう?」
「いや、どうかな。そんな狭量で偏屈な奴がいたら、息が詰まる」
ブツブツと、後半はファイエットから顔を背けた独り言である。
「へえ。おれがいると都合が悪いんだ?」
その独白を、ランスは耳聡く聞き取った。
「いつ、都合が悪いと言った? お前みたいな石頭のガキに、おれの家にいられたくないと言ったんだ」
「ガキで悪かったな。その様子じゃ、おれよりウンと小さい子どもたちも持て余してるんじゃないか?」
「なんだと? お前とフルールとフロランスを一緒にするな! 図々しいにも程がある!」
「一緒にはしてないだろ」
「貴様なんぞ、ファイエットの弟である以外に、なんの価値もないわ!」
「お前だって、姉さんの夫でしか意味ないくせに!」
セツが無口だと思っていた青年は、案外口が回る。
(これがランスの本来の姿かな)
感情を押し殺すことをやめれば、そこにいるのはごく普通の青年だった。
額を突き合わせる険悪な二人に、ファイエットがニッコリと笑いかける。
「二人とも、いい加減にしましょうね?」
その瞬間、二人の肩がビクッと跳ね上がた。
「ごめん、姉さん!」
「あ、ああ、そうだな。悪かった」
ランスと千草は明後日の方向を向き、あっさり休戦する。
この家の実力者が誰かは、一目瞭然であった。ファイエットが目を光らせている限り、滅多なことは起きないだろう。
「俺が本気で飛べば、子爵邸からここまで一瞬だ。なにかあればすぐに飛んでくるから、心配するな」
一行を見送るランスに、セツはそう言って安心させる。
セツたち五人と一匹はランスを残し、山間の家を後にした。
❖ お知らせ ❖
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3ー40 義弟と姉婿 は11/20(水)の夜、22時台に投稿を予定しています。




