3ー33 ぼくミエル!
張り詰めた空気は霧散したが、事態は混沌を極めていた。
打ちひしがれ、茫然と立ち尽くす魔法使いに、王子に抱かれた魔獣、そして魔者と人間の夫婦。
なかでも魔者の千草と子ネコが混乱に拍車をかけていた。
「ええい! うるさい! なんだお前はさっきから、ぼくミエル、ぼくミエルと! は? なでなでしてもらって、抱っこしてもらった? 知らぬわ!」
「にゃ、にゃ」
なにやら熱心に喋っている。
「は? 名前だと? 獣の分際でなにを……王さまに付けてもらっただと?」
「にゃーん」
ミエルは嬉しそうにロワメールを見上げ、その胸にすりすりと頬ずりをした。
「……王さま?」
「え!? ぼく!?」
千草の胡乱な視線に、ロワメールが狼狽える。
「ぼく、王位なんて継ぐ気ないよ!」
そんな簒奪の意志ありみたいな物騒なこと、間違いでも言わないでほしい。
「銀の子ども、そのネコに名を付けたか?」
「ぼくじゃないよ! 名前をつけたのはフルールで、ぼくはそれを呼んだだけで」
千草に首を振られ、ロワメールは途方に暮れた。
「名前呼んじゃマズかったの?」
子ネコは人間の揉め事なんてどこ吹く風だが、放っておけば更なる混迷に陥るのは目に見えている。
「この場は、俺が一旦預かる。異論はないな?」
このままでは埒が明かないと、セツが腰を上げた。
「お前ならば、そこの聞く耳持たぬ石頭と違うだろう」
「あなた……」
「この男なら心配いらない」
いち早く千草が矛を収め、不安を隠せない妻にも保証する。ランスは返事をする気力もなさそうだった。
「よし。まず緊急性の高い問題から解決していく。ロワメール、お前はどうも当事者らしいから残れ。それから……」
「マスター、おれたちは部外者だ。外で待機している」
ジスランが、セツが言うより早く口を開いた。セツがいれば、護衛役の彼らは必要ない。ならば、ランスの家庭の問題に首を突っ込むべきではない、とジスランは判断したようだった。
「申し訳ありませんが、私はロワ様のおそばを離れるわけにはまいりませんので、同席させていただきます。私のことは、オブジェかなにかだと思って話を進めてください」
デカいオブジェもあったものである。
カイは宣言通り壁際に下がり、置物のように佇んだ。
ミエルという魔獣に、ランスの姉婿と思しき男。
男は飛び抜けた美貌を除けば人間にしか見えないが、どこの世界に魔獣と会話を交わす人間がいるのか。この状況で王子から離れるのは職務放棄である。
臨戦態勢でないのは、偏にセツが男を警戒していないからだ。
アイスブルーの目が、測るようにカイを一瞥する。
「ご安心を。ロワ様がここで見聞きしたことを他言無用と判断なされば、私はその命令に従います」
これまでおよそ一月半行動を共にし。
カイは、セツのロワメールへの愛情を。
セツは、カイのロワメールへの忠誠を。
二人は互いに、信じていた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ずっと黙っててごめんなさい!」
泣きじゃくる娘をファイエットは抱きしめた。
「パパもママも内緒にしてるし、言っちゃダメなんだと思って、だから……」
胸に縋るフルールの髪を、ファイエットは優しく撫でる。
隠していた秘密を娘が知っていたことよりも、知ってしまった罪悪感に心を痛めていることが可哀想だった。
「いいのよ。謝らないでいいの。フルールはなにも悪くない。気付いてあげられなくてごめんね」
ファイエットは娘が泣き止むまで、その背をずっと撫で続ける。
フルールが、ジュールとジスラン、魔族を退治する魔法使いを家に入れるのを拒んだのも父を守るためだった。
「魔法使い、パパにひどいことしない?」
泣き腫らした目で、フルールはセツを見上げる。
「ああ、しない。人間に危害を加えない限り、魔法使いは魔族を退治しない」
魔者が人間に化けたら、マスターでもなければ簡単には見破れない。魔獣と喋る、なんて凡ミスさえしなければ、疑惑の目も向けられないはずだ。
「だが、フルールの父さんのことは、これからも内緒にした方がいい。約束できるか?」
「できる!」
力強く頷く少女の涙は、もう乾いている。
「フルール、ミエルのことも、きちんとパパとママに説明するから安心して」
ようやく笑顔を取り戻したフルールにロワメールがほっとしたが、フルールは途端にワタワタしだした。
「あ、あのね、ミエルはフルールが飼ってるの。でも、お家にはお薬がたくさんあって、ネコちゃんが間違えて食べちゃうといけないから、お家では飼えなくて、だから、その、お山でフルールが飼ってるの!」
両親の顔色を見ながら、フルールは懸命に言い訳した。どうやら両親に反対されているので、こっそり山で飼っていたらしい。
「フルール、あなたまた」
「だって、でも、お外ならいいでしょ? お家入れてないよ!」
初めてではないらしく、ファイエットは呆れている。
「フルール、ペットは飼わないと約束したんじゃなかったか?」
フロランスをあやしながらの千草にも言われ、フルールは唇を尖らせた。
「だって、ミエルは赤ちゃんで、ミエルのママはそばにいないし、面倒見てあげなきゃと思って……」
うりゅうりゅと、再び目に涙が溜まる。
ミエルは魔獣なので元より母親はいないし、誰かが世話をしなくとも死にはしない。
けれど、助けてあげたいと思った娘の優しさを否定したくはなくて、千草は目で妻に助けを求める。
「子ネコのことはちゃんとお話を聞いておくから、フルールはお外で遊んでらっしゃい。ママの弟と、少しお話をさせて」
「外にいる魔法使いに遊んでもらうといい」
ファイエットの言葉にセツが付け加えると、フルールは目を輝かせた。
「いいの!?」
フルールにとって、魔法使いは父を退治するかもしれない怖い存在だが、同時に皇八島の子どもである以上、憧れの存在でもある。
「俺から言われたと言えば、遊んでくれるはずだ」
「はーい!」
元気よく返事をし、フルールはウキウキと外に遊びに行った。
❖ お知らせ ❖
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3ー34 恋に落ちて は10/30(金)の昼、12時台に投稿を予定しています。




