10 パパとお兄ちゃん
先程から、セツの表情は晴れない。
きっと、ロワメールがある話題を避けているのに気付いている。
ロワメールとしてはこのまま話をはぐらかしたかったが、セツが見逃してくれるはずもなかった。
「お前、国王と第一王子とは、上手くやっているのか?」
「それは……」
ついにされてしまったその質問に、ロワメールの笑顔が固まる。
二色の視線が泳ぎ、目つきの悪いアイスブルーの両眼が更に険しくなった。
「あ! いえ、その……!」
ロワメールは慌てて言い継ぐ。
「仲良くされすぎています! ので……大丈夫、です」
「なんだ、それは……?」
どうも国王、王太子に対して、ロワメールの言葉遣いはおかしい。
「その……お二人は……たいへん家族思いで……」
「家族思いで?」
色違いの瞳が天を仰ぐ。
美しい王子様は、諦めたように溜め息を吐くのだった。
ロワメールの父であるキスイ王は、名君であるのはもとより革新的な王として、兄ヒショー第一王子は辣腕家として知られている。
臣下からの信頼も厚く、その治世は盤石なものだった。
そんな二人はもちろん多忙を極めているが、離れていた十三年間を埋めるように、ロワメールと過ごす時間を作ってくれている。五年経った今でも、こちらが心配になるくらい、それはもう頻繁に、足繁く会いに来てくれるのだ。
あれは、ロワメールが王宮に住み始めてすぐの頃――。
キスイ王はその日も仕事の合間を見つけては、いそいそと王子宮を訪れていた。
この頃はまだ、威厳と貫禄に溢れた国王に、ロワメールもドギマギしたものだ。
二人きりの部屋で緊張を隠せずにいたロワメールに、国王は命じたのである。
「余のことは、パパと呼ぶように」
その瞬間、ロワメールは雷に打たれたような衝撃を受けた。 国王なりの冗談かと思ったが、その目は真剣である。
「いや、いっそパピーの方が……いやいや、やはりパパか……」
むむ、と唸って考え込むが、その選択肢のどこに考え込む余地があるのか全くわからない。しかし国王は、至って大真面目である。
ロワメールは戦慄した。
このままでは国王陛下をパパと呼ぶ、世にも恐ろしい事態になってしまう。
「父上! 父上と呼ばせてください!!」
「パパの方が、親しげで良いと思うがのぉ。の?」
の? と可愛く聞かれても、無理なものは無理である。
そうして空前絶後の危機を回避したロワメールは次の日、今度は兄ヒショー王太子の訪問を受ける。
ロワメールと六つ年の離れたヒショー王子は、この時十九歳。若くして頭角を現し、将来を嘱望される王太子である。
ロワメールと確かな血の繋がりを感じさせる美しく凛々しい王子は、「王太子殿下」と呼びかける弟に不満顔だった。
「お、に、い、ちゃ、ん」
一言一句丁寧に、弟の間違いを訂正する。
「これからは、私のことはお兄ちゃんと呼ぶように。いいね?」
よくない。
ロワメールが激しい既視感に襲われたのは、言うまでもなかった。
「兄上、と呼ばせてください……」
「え〜、お兄ちゃんがいいなぁ」
「兄上……」
ちなみにヒショー王子、未だにお兄ちゃん呼びを諦めていない。
二人とも、為政者としては立派で、本当に尊敬に値するのだが。
仮にも一国の王と王太子に頭を抱えるわけにもいかず、かくしてロワメールはその美しい顔を引きつらせることになるのだった……。
話を聞き終わると、案の定セツはくつくつと笑った。
名付け親を安心させるためとはいえ、身内の話はいささかどころでなく恥ずかしい。
「そういう父と兄なんです」
「……そうか」
これまで国王陛下、王太子殿下と尊称でしか呼んでいなかったロワメールから、初めて家族としての呼称を聞き、セツの心配もようやく和らいだようだった。
「お前が楽しくやっているなら、それでいいさ」
目元に笑いの名残りを滲ませながら、ゆったりと頷く。
「……ことあるごとに抱きついてくるのは、やめてほしいですが」
切実な一言に、セツは再び喉の奥で笑う。
本来なら難しい立場のロワメールが早々に王宮に馴染めたのは、惜しみなく愛情を注いでくれる国王と王太子のおかげだった。
特に兄ヒショーは、国王よりも身近な存在として、ロワメールをずっと支えてくれている。
――やっと会えたね。
それが、第一声だった。
王宮に連れて来られて戸惑うばかりのロワメールを、ヒショー王子は抱きしめた。
そして、十三年待った弟との出会いを心から喜んでくれたのだ。
――私は母上が身籠られたと聞いた時、それはそれは嬉しかったんだよ。弟か妹か……君が生まれてくるのを、誰よりも楽しみにしていたんだ。
弟を怖がらせぬよう、ふわりと背中に回された腕はとても優しく、その抱擁はとても温かかった。
――父上も私も、誰にも言わなかったけれど、ずっと心の奥で信じていたんだ。きっと君はどこかで生きていると……。
言ったところで、誰も信じなかったろう。だからキスイ王は視察という名目で、各地を訪れていたのだ。
――ふふ、私も色々と探し回ったけれど、父上に先を越されてしまった。
――何故、ぼくが生きていると……?
生まれたばかりの赤ん坊が生き残るには、絶望的な状況だったはずだ。
母が命懸けで守ってくれなければ。
セツが、助けてくれなければ。
到底、生き延びられるはずもない状況だった。
――さあ?
ヒショーは困ったように首を傾げると、自らの目元をトンと指で叩き、優しく笑った。
――王家の血が、教えてくれたのかもしれないね。
そしてヒショーはこれまでの空白を埋めるように、いつまでもいつまでも、弟を抱きしめ続けたのである……。




