天樹カフェテリア
それからノクターン・フェスティバルはいくつものショーを見せた。
カンテラが明滅しながら飛び交う魔法。
ピクシーたちによる魔法創世物語の劇。
巨大な獏のパレード。
酔いしれるような時間を過ごして、時刻はあっという間に17時を過ぎた。
カルヴァーズとヒューコは、天樹の枝の上のカフェに来ていた。
ノクターン・フェスティバルのために造られた一日限りの屋台形式のカフェだが、重厚な雰囲気は老舗店と遜色ない。
光沢のある黒い木製テーブルと、黒いコの字型の革ソファ、店内にはドレスを着たハーフエルフがピアノで夜想曲を実演し、間接照明のぼんやりとした灯りに照らされた客は、アルコールやコーヒーを嗜みながら穏やかに談笑している。
一方、そんな雰囲気など関係なくヒューコは夢の中にいた。
朝からはしゃぎ過ぎたせいで、コーヒーシェークを半分残したまま、テーブルに突っ伏して寝ているのだ。
カルヴァーズも徐々に襲ってきた眠気にまどろみながら、夜想の祭をぼうと眺めている。
「今日のノクターン・フェスティバルはいかがかな?」
ゆったりとした足取りでやってきた男に不意に声を掛けられ、カルヴァーズは目をこすって声の主を見た。
「・・・バジェット・ショーイ」
目の前に現れた男は、先ほどステージに立っていたあのバジェット・ショーイだった。赤い長髪、赤い髭に灰色のスーツを着た長身の男。
暗い店内でもあまりに目立つその見た目に周囲からはバジェットだ、とざわめく声が上がり始めた。
バジェットは軽くため息をつき、人差し指の指輪に向かって小声で何か唱えた。
「・・・ルータ・ガーレル(我が方へ、注意することを禁ず)・・・」
するとそれまでバジェットの方を向いていた人々は、興味が無くなったかのように談笑を再開した。
呪文詠唱だ。
カルヴァーズは聞き漏らさなかった。
『路傍鉱石』と『精神魔法』の組み合わせ。衆目からの注意を逸らす魔法だ。
「隣、かまわないな?」
何事もなかったかのようにバジェットはコの字のソファの一辺を指さす。カルヴァーズがどうぞと促すより前に、バジェットはすでに腰かけていた。
「・・・ずいぶん、楽しんでくれているらしいな」
よだれを垂らして寝ているヒューコを見ながらバジェットは言う。
「今回のノクターンフェスティバルの演出依頼は市長から直々にいただいたのだ。前回の祭がすぐ終わった後だ。一年ほど猶予があったとはいえ、企画構成、演出、創出作業をほかの仕事と並行しながらこなすのはなかなか大変だったよ」
「・・・興味深いですけど、いきなり何の話ですか。いや、その前に天下のバジェット・ショーイが俺に何か用ですか?」
バジェットは、ウェイターにビールを頼むと、ウェイターは銀のプラッターに手を突っ込み、ビールが満ちたグラスを取り出し、バジェットの前に置いた。
「その天下のバジェットが来たのだから少しは喜んでほしいものだな、カルヴァーズ・リンド・・・いや、創出魔法の方ではリヴァ・ランドで通っていたな」
「・・・・・・」
カルヴァーズは持っているコーヒーを飲みかけて、手を止めた。グラスの中で氷がカランと音を鳴らす。
「・・・本名と顔は公表していないはずですが」
じろりと鋭い視線をバジェットに向ける。
「ハハ、気を悪くしないでくれ。同業ゆえ君の情報は嫌でも知りえてしまう。興味深い創出魔法を創る男・・・。この街ではリヴァ・ランドを知らん者はいない」
リヴァ・ランド。
それはカルヴァーズの創作名だ。
リヴァランドがカルヴァーズリンド、つまりリビングデッドであることは世間に公表されてはいない。
「・・・俺は所詮、裏方だ。あなたほど派手でもない」
「つまらん謙遜だ。Bランクの魔法を4つも創った男がすることではない」
「そのうち2つは共同制作ですよ」
カルヴァーズはつまらなそうに言う。
「無駄な会話の応酬だな。君は間違いなくトップクリエイターだ。君もアイデアが溢れる感覚に憑りつかれた中毒者だろう」
「好きに捉えてください。俺は楽しみながらやっているだけだ。それで何の用なんですか?こんな樹の上の店を偶然通りかかったわけじゃなさそうだ」
「なんの用だって?私の魔法にたいして鋭い眼を向けていたくせによく言うな。今朝のオープニングのことだ」
ああ、とカルヴァーズは納得した。
まさか同業者の、よりにもよって作者に見られていたとは。
「あれは魔法を楽しむ目とは別に、その魔法を分析しようとする鋭い眼をしていたからね。あれは創り手の眼だ」
「それは俺の癖ですね。悪癖ではないから、治しませんけど」
「ハッ、生意気な奴だ。・・・それでどうだった?」
「ええ、とても素晴らしい魔法でした。暗闇と光をうまく融合させた演出、さすが光創出魔法の第一人者で・・・」
言い終わる前に、バジェットは首を振っていた。
「違う。そんな感想を聞きたいのではない」
「どういう意味です?」
指輪を嵌めた人差し指でゆっくりとカルヴァーズを指さす。
「あの魔法を見て、君にも創れると思ったか、ということが聞きたい」
カルヴァーズの眉間にしわが寄る。わずかな沈黙の後、氷を一つ頬張ってぼりぼりと噛み砕く。
「そんなことを聞いて何になるんです?」
「誤解するなリヴァ・ランド、君を試しているわけではない。私にとっては切実な質問だ。果たして私は今、クリエイターとしてどの立ち位置にいるんだろうか、というね」
「立ち位置?」
「この街は玉石混交だ。トップで居られる期間は短いのだ」
カルヴァーズはバジェットが言わんとすることをおおよそ理解した。
光魔法、演出魔法を扱うトップクリエイターであるバジェットは最近、創出魔法に目新しさが感じられない、想像力の頭打ちだ、などと週刊誌や新聞に批評されていた。
客観的な事実として創出魔法の登録数が減り、表舞台に出る機会も減っていると聞いたことがある。
しかし、そんな評価は名の知れたクリエイターでは珍しい話ではない。いつでもメディアというものはクリエイターを勝手に消費して無責任に捨てるものだ。
「・・・・・・」
カルヴァーズはため息をつく。
なるほど。つまり一年前から準備してきて披露した様々な魔法を見て、どう評価されるかが気になっているのだ。
「・・・・・・俺が、あなたの魔法のレシピをかけるかどうか、ですか・・・」
カルヴァーズは思案するように目をつぶる。バジェットは身を乗り出して次の言葉を待つ。
「・・・今日のオープニングに関しては、完全ではないですが再現は可能だと思います。俺もワケあって、演出魔法をかじってますから・・・。けど、今日の開催前の黒い踊り子、オープニング以降の魔法はレシピがわからなかった。流石だと思います。あなたは間違いなく秀でた才能を持っているクリエイターだ」
バジェットはふむと唸って、答えを飲み込むようにビールを飲み干した。
「・・・なるほど、ではもう一つ聞こう・・・・・・君は、今日の魔法のどれかがBランクの評価を受けると思うか?」
バジェットの瞳が不穏に輝いた。
雰囲気が変わったとも言える。まるで詰問されているような圧迫感だ。
カルヴァーズはソファに深く座り直し、ゆっくりと息を吐くように「・・・難しいでしょうね」と答えた。いくつか言葉を選ぼうとしたが、結局初めに出てきた言葉を選ぶことにした。
バジェットの表情が固くなる。
「そうか」と言い、空になったグラスに視線を落とす。
登録される創出魔法にはA~Fのランクが付与される。ランクの高い魔法を創出したことで、クリエイターとしての箔に繋がると唱える者もいるくらいだ。
「Bランクの魔法は現在13件、そのうち個人の創り手は5人。君を含めてな、リヴァ・ランド。・・・私はその中には入っていない」
「・・・だが、あなたの登録件数1位だ。企業の研究機関を除いて、個人ではトップの件数だ」
「そんなものは重要ではないのだよ。いくら低レベルの魔法を創っていても無駄なことだ。創出魔法は高次元にあるほど価値がある」
カルヴァーズは、なるほど、と心の中で頷く。
バジェット・ショーイというクリエイターがどのような気質か少し理解できた。
魔法クリエイターにもいくつかが種類ある。
中でも、商業目的の者、顕示欲の強い芸術思考の者はランクを気にする傾向がある。
前者は、創った魔法のランクが自身の広告になるから。
後者は、自身の矜持に関わることだからだ。
バジェットはおそらく後者だ。
ランクが高ければ高いほど、自身が優れたクリエイターである証明になり、それに拘る人間というわけだ。
「あくまで俺の個人的な意見です。真に受けない方がいいですよ」
「いや、もとより私自身感じていたことだ。私の魔法は低レベルだった」
低レベルというが、仮にFランクでも登録されるのは100人に1人。贅沢な悩みだな、とカルヴァーズは呆れる。
「・・・それに言うなれば魔王は約500種のSランク魔法をこの世に残している。私の件数など取るに足らん」
ビールのおかわりに口につけながらバジェットは言う。
「魔王は一人じゃないでしょう。何代も経て500種だ」
創り手がネガティブになるとすぐに魔王という絶対的な存在を持ち出す。
特にバジェットのような顕示欲の強いタイプがバッドに入るとすぐこうだ。
『魔王』―――――魔法創世期から存在していた魔法世界の先導者。
常人の何百倍もの魔力を持ち、いかなる魔法をも使いこなす伝説的な魔法使い。
名の冠する通り、魔の王だ。
魔王は死の直前に必ずいくつかの魔法を創り上げた。
言わば魔王の創出魔法で、現代における魔法の基礎となっている。
物体浮游魔法、飛行魔法、変身魔法・・・など、その数は累計500種以上にも及ぶ。
現代の魔法使いの誰もが魔法学校で履修し、誰もが使いこなす常用魔法を創り出した。
それゆえその全ての魔法は例外的にSランクに位置づけられる。まさに魔法文化を形作った存在、いや魔王こそ魔法文化そのものだった。
バジェットは葉巻を切り、自らの指から火を出して煙を吐く。
「だが、20年前の『白天事変』以降、この世から魔王という存在は消えた。これは誰かが魔王になれるチャンスだともいえる。私は、私の創出魔法で、必ずやこの時代の『魔王』になって見せる」
「・・・応援しますよ」
「ずいぶん他人事だな。そういえば君の話をしていなかったな。リヴァ・ランド、君の目標はなんだ?私同様魔王のようなSランク魔法を創ることか?」
「・・・・・・言いませんよ。酔った同業者には特にね」
ほう、とバジェットの顔に冷たい笑みが浮かぶ。
「・・・当ててみようか。『終局の魔王』がもたらした自分の運命を変える、とかかな」
カルヴァーズはじろりとバジェットを睨む。
「言葉には気を付けた方がいいですよ。怒ってはいませんけど」
バジェットが「怒ってるではないか」と笑うと、襟足から一匹の蛇がぬるりと姿を現した。『囁きウィッグ』だ。蛇を介して遠距離からにいる人間とも通話できる魔法アイテムで、多くの魔法使いが使っている通信用魔法道具だ。
「・・・もしもし」
それからバジェットは小声で話しはじめ、何度か頷き、会話を終えた。
「・・・すまない、もう少し話したかったが、用事ができた」
バジェットは金を置いて、立ちあがる。
「君と話ができてよかった。さらなる魔法の頂で会おう」
「・・・魔に溺れないように気を付けてください」
その言葉には何も返さず、バジェットは去っていった。
カルヴァーズはため息を一つつき、ソファにもたれかかった。
「・・・・・・」
あれがバジェット・ショーイ。この街のトップクリエイター。会えて光栄だとは思えなかった。それが残念で仕方がない。
「・・・終局の魔王ね・・・」
カルヴァーズの呟く声を聴く者はいなかった。