2 セシルのデート
ある日、婚約者アイロスから観劇に誘われたセシル。
彼との婚約が調ってから3ヶ月と少しが経っているが、外出デートに誘われたのは初めてだ。あの脳筋が自ら思い立ったとは考えにくい。大方、侯爵夫人(アイロスの母親)にでも促されたのだろう。
観劇の当日。馬車で伯爵邸まで迎えに来てくれたアイロスは最初から何だが様子がオカシかった。馬車が走り出してからも、心此処にあらずと言った感じのアイロス。
「アイロス様、何か考え事ですか?(脳筋なのに?)」
セシルは心配そうな表情を作ってアイロスを見つめた。
すると……
「セシル嬢、ゴメン! 俺、兄上じゃないんだ」
「『兄上』ではない?(はい?)」
「……本当にゴメン。俺、パトリスなんだ」
「はぁ?(呆れた! 一体何がしたいのかしら?)」
「実は――」
パトリスの話を聞いたところ、要するにベルティーユに唆されたらしい。
アイロスとパトリスの区別がつかないセシルに「悪戯を仕掛けよう」とベルティーユが言い出し、アイロスも同調したのだそうだ。
「俺はそんな、セシル嬢を騙して笑い者にするなんて悪戯はしたくなくて。でもベルティーユは昔から言い出したら聞かない性格だから……」
「それで断り切れずに、アイロス様に成り済ましたと?」
「うん。ゴメン」
呆れ果てるセシル。
嫌だったのなら断ればいいし、引き受けたなら本気で成り済ませばいいものを。どっちつかずの優柔不断な男だこと。
「パトリス様は何の為に【鍛錬】をなさっているのです?」
「え? それは身体を鍛えて筋肉を増やす為に……」
「【鍛錬】とは身体のみならず、精神を鍛えるものではないですか? パトリス様にはガッカリですわ。もちろん、アイロス様にもです」
「すまない。今からすぐに伯爵邸に引き返そう」
「いいえ。観劇に参ります」
「は?」
「ぜひ観てみたいと思っていた演目ですので」
「……そうなんだ」
「劇場で知り合いに出会ったらアイロス様の振りをして下さいね」
「分かった」
素直でよろしい。
観劇後。
楽しみにしていた演目を堪能したセシルは大満足であった。話題の演目だったせいか、劇場で何人もの友人や知人に出会ったが、どうせ誰もアイロスとパトリスの見分けなど出来ないのだ。セシルは堂々とパトリスの逞しい腕に自らの細い腕を絡め「今日はアイロス様と初めての外出デートですの。うふふ」と嬉しそうに微笑んでみせた。そうしてにこやかに友人知人に挨拶するセシルの隣で、パトリスはというとただただ引き攣った笑いを浮かべているだけであった。機械仕掛けの人形か?
どうやら【嘘を吐くときは隙を見せずに堂々と吐く】という貴族心得の基本すらマスターしていないようだ。
⦅この人、これで公爵家に婿入りするの? 大丈夫かしら?⦆
他人事ながら心配になるセシル。
一通り挨拶を済ませて馬車に戻ると、パトリスが大きな身体を縮めて言いにくそうに切り出した。
「セシル嬢。この後【スイーツ・マリー】の個室を予約してあるんだが、その……そこで二人が待ち構えているんだ」
「二人」と言うのはもちろんベルティーユとアイロスの事だろう。
「4人全員が揃ったところで種明かしをして、私を嘲笑おうという算段ですのね?」
「うん。改めて考えてみると酷い話だ。それって密室でのイジメだよな? セシル嬢、本当にごめん」
今更気付いたと?
「ベルティーユ様は余程私の事がお嫌いなのですね」
「何でだろう?」
「何故でございましょうね?」
まぁ、理由はあってないようなものだろう。ベルティーユは自分たち幼馴染三人の輪にセシルが加わること自体がとにかく気に入らないようだ。理屈ではなく感情の問題である。
「セシル嬢。このまま伯爵邸に送って行くよ」
「え? 嫌です。せっかくですから【スイーツ・マリー】に行きましょう」
「どうして!? わざわざイジメられると分かっているのに行くことはないよ。俺が言うのもアレだけど」
「以前から【スイーツ・マリー】のフルーツケーキをぜひ食べてみたかったのです。行きましょう」
「でも……」
「行きましょう!」
セシルは押し切った。
【スイーツ・マリー】のフルーツケーキは噂以上の美味しさだった。
⦅美味し~! 来て良かった〜!⦆
堪能するセシル。
テーブルを挟んでセシルの向かいに座っているベルティーユがさっきから一人でペラペラと今日の種明かしをしている。何やら得意気だ。
「――で、セシルさんは実はアイロスではなくパトリスと観劇したという訳。貴女のことだから、婚約者が入れ替わっていても全然気が付かなかったのでしょう? なんて間抜けなのかしら!」
「オーホッホッホ!」と楽しそうにセシルを嗤うベルティーユ。
「そうだったのですね。全く気が付きませんでした」
悲し気な声を出すセシル。そのセシルにベルティーユは「ふんっ」と鼻を鳴らして追い打ちを掛ける。
「婚約者以外の男性とデートするなんて、セシルさんはとんだ尻軽ね。これからは『阿婆擦れセシル』って呼んであげるわ」
そう言い放ったのだ。
もはや暴言である。
それまでは黙ってベルティーユとセシルのやり取りを聞いていたアイロスとパトリスだが、この暴言に、二人揃って顔色を変えた。いくら鈍感な脳筋兄弟でも、ベルティーユの今の台詞はさすがに言い過ぎだと感じたらしい。
「お、おい! ベルティーユ! 何言ってるんだ!? お前が悪戯を仕掛けたんじゃないか!」
「そうだ! セシル嬢は何も悪くないのに、酷い事言うなよ!」
おそらくアイロスもパトリスも、ベルティーユがここまでセシルを貶めるとは想像していなかったのだろう。二人が随分と焦っているのが分かる。
急に二人に責められて、ベルティーユは驚いたようだ。
「な、何よ。アイロスもパトリスも二人して! 貴方達だって加担したでしょう?! 私の案に反対しなかったじゃない!」
金切り声を上げるベルティーユ。彼女の言葉に反論できず、気まずそうに黙り込むアイロスとパトリス。
重い空気に包まれた個室で、セシルはフルーツケーキを完食した。ご馳走様。
⦅困った人達……本当に甘やかされて育ったお嬢ちゃまとお坊ちゃまなのね。相手をしてあげるのも正直煩わしくなってきちゃったわ⦆
けれど、あと半年の辛抱だと、セシルは気を取り直す。
あと半年で4人は学園を卒業する。
卒業式の翌月に、まずベルティーユとパトリスの結婚式が挙行され、その2週間後にはセシルとアイロスも挙式する予定になっているのだ。
結婚式を挙げて初夜を迎えれば、アイロスはセシルに夢中になる。その後はベルティーユがどんな意地悪を仕掛けて来ても、セシルを溺愛するようになっているアイロスが蹴散らしてくれるはずだ。
何故セシルがそんな確信を持っているのかって?
それはセシルが初夜の寝室でアイロスを魅了するつもりでいるからだ。別に身体で魅了する訳ではない。セシルの身体は薄く、胸も慎ましい。母から「パットを入れるように」と命じられるほどだ。放って置いて欲しい。では、どうやってアイロスを魅了するのか? 驚く勿れ、答えはズバリ「異能を使う」である。
300年前より、モリエール伯爵家に生まれる女性は一人の例外も無く〈異能者〉である。ただし使える異能は【唯一魅了】という特殊な魅了に限られている。
この世でただ一人の人間を生涯魅了し続けることが出来る【唯一魅了】――それは、魅了した当の異能者が亡くなるまで、決して解けることのない【呪縛】にも似た強力な継続魅了なのだ。