1 セシルの婚約者
ここは王立貴族学園の学園食堂である。
昼食の時間。伯爵家令嬢セシルは、彼女の婚約者である侯爵家令息アイロスと、彼の双子の弟パトリス、そしてパトリスの婚約者である公爵家令嬢ベルティーユの4人で同じテーブルを囲んでいた。
裕福なモリエール伯爵家の長女であるセシルは、更に裕福なゴベール侯爵家の長男アイロスと3ヶ月前に婚約したばかりであった。親の決めた政略の婚約だ。半年後に学園を卒業する二人は、卒業後すぐに結婚式を挙げる予定になっている。
華奢で儚げな美しさを持つセシルは、学園で「妖精令嬢」と呼ばれている。対して婚約者アイロスは男らしい容姿をしていて逞しい体躯に恵まれている。趣味は「鍛錬」と言う脳筋だ。
そしてアイロスと瓜二つで同じく脳筋である双子の弟パトリスは、ジェラルダン公爵家の一人娘であるベルティーユと婚約をしている。長男のアイロスがゴベール侯爵家を継ぐ為、双子とはいえ次男のパトリスはジェラルダン公爵家に婿入りをする予定なのだ。こちらは政略ではないと聞いている。ベルティーユとアイロス、パトリスの兄弟は幼い頃からの幼馴染で、三人はとても仲が良い。そしてベルティーユは、子供の頃からパトリスの事が好きだったらしく、10歳の時に父親である公爵に強請ってパトリスを婚約者にしたのだそうだ。ベルティーユは見るからに気の強そうな、華やか(派手)で美しい顔立ちをした令嬢だ。胸をお尻もボリュームがあり、線が細く胸も慎ましいセシルとは対照的な容姿である。別に羨ましくはない。
ちなみにセシル、アイロス、パトリス、ベルティーユの4人は同い年で、現在17歳。4人とも王立貴族学園の最終学年5年生に在籍している同級生でもある。
セシルとアイロスの婚約が調って以来この3ヶ月ほど、学園では毎日この4人で一緒に昼食を取っている。周囲から見れば、二組の婚約者たちが仲良く食事をしているように見えるかもしれない。だがセシルにとって、それは面倒なだけの時間だった。
ベルティーユは、どうやら幼馴染三人の輪に新しく加わったセシルの事が気に入らないらしい。だったら、それまで通り三人で昼食を取れば良いのにと思うが、おそらくアイロスの婚約者になったセシルを除け者にしている、と周囲に思われたくないのだろう。セシルからしてみれば、仲の良い友人令嬢たちとテーブルを囲む方が余程楽しい。気にせず、寧ろ除け者にして貰いたいくらいなのだが。
「ま~だ、二人の区別がつかないの? 呆れた」
厭味ったらしい言い方をして、今日もセシルを嗤うベルティーユ。
ゴベール侯爵家の双子の兄弟アイロスとパトリスの区別がつかないセシルの事を、毎日こんな風にベルティーユはバカにして嘲笑うのだ。
区別などつくはずもない。
アイロスとパトリスは顔も体型も声も匂いも趣味嗜好までもがそっくりなのだ。いくら双子でも普通はもう少し差異があるのではなかろうかと思うが、この二人は信じられないほど何もかもが同じなのである。
そんな二人の区別がつかないのは何もセシルだけではない。学園の友人たちも教師も、双子の兄弟に長年仕えている侯爵家の使用人達も、誰も明確にアイロスとパトリスを見分けられない。
驚いたことに、彼らの実の両親である侯爵夫妻もはっきりとは見分けがつかないらしいのだ。
実の親でさえ区別が出来ない双子の兄弟を、たかだか3ヶ月前にアイロスの婚約者になったばかりのセシルが見分けられぬのは当然ではなかろうか。どんなにベルティーユにバカにされても、区別出来ぬものは出来ぬのである。
毎日繰り返される嫌味に、セシルはいい加減ウンザリしていた。
「私はちゃ~んと二人の見分けがつくのよ。それは私が心からパトリスを愛しているからなの。セシルさんはアイロスに興味が無いのね」
ベルティーユが勝ち誇ったように言う。煩い女だ。セシルは心の中で舌打ちをする。
だが、実の親でさえ分からぬ双子の違いが、この女には分かるのだなと、ある種尊敬の念を覚えるのもまた事実だ。ただ、アイロスとパトリスの区別がつかないセシルにしてみれば、どうしてベルティーユがそんなに小さい頃からずっとパトリスを好きなのか不思議である。何故にパトリス? アイロスでも同じなのでは? さすがに口には出さないが。双子のどちらでもいいでしょう? と言っているように聞こえるだろうから……
「アイロス様と私は3ヶ月前に婚約者になったばかりですから、お互いの事をまだよく知りませんし……。それにしてもベルティーユ様は素晴らしいですね。アイロス様とパトリス様の見分けが明確につく方はベルティーユ様お一人なのでしょう?」
セシルの言葉にベルティーユは気を良くしたのか、更に続ける。
「オホホ。そうなのよ。私以外には誰もいないのよ。二人の事を分かってあげられるのは私だけなの。だからセシルさんはくれぐれも出しゃばったマネはしないでね。貴女は政略で侯爵家に嫁ぐだけの人なのだから。アイロスの婚約者になったからってイイ気にならないで欲しいわ」
分かりやすい悪態だこと。
「はい(ハイハイ、分かりましたってば。面倒なオンナね)」
そして、こうやってセシルがベルティーユに言いたい放題言われている間も、同じテーブルに着いているアイロスとパトリスは特に気にする風もなく、男二人で何やら鍛錬について話しながら食事を続けている。婚約者よりも筋肉と食い気なのだ。いっそ清々しい。
ベルティーユは確かにパトリスを恋愛的な意味で好きなのだろう。だが3ヶ月間三人を見て来たセシルの目には、パトリスの方はベルティーユに対して単に幼馴染としての親しみを覚えているに過ぎないように見える。アイロスもパトリスも本当の意味での【恋愛】を経験したことが無いのではなかろうか、と言うのがセシルの見立てだ。
ちなみにセシル自身は16歳の時に大恋愛をしたことがある。相手の騎士に妻子がいると知り、呆気なく終わった片恋だったけれど。片恋を【大恋愛】と言えるのかって? 大きく恋心が動けば、それは即ち【大恋愛】なのである。本当に素敵な大人の男性だったな……(遠い目をするセシル)
⦅ベルティーユ様は幼馴染三人の輪に私が加わること自体が気に入らないのよね。ただ、双子の兄弟はベルティーユ様がどうして私を嫌うのかよく分からずに、そのうち仲良くなるだろうくらいに思っていそう……⦆
男というのは能天気で鈍い。もちろん全員ではないが率は高い。そしてアイロスとパトリス兄弟はその傾向が強い部類だと感じる。
⦅ベルティーユ様一人が空回りしているように見えるわね。ご苦労様⦆