第3話 確認
「……くぅ……むぅ……」
ゆらゆらと意識が漂う。それが心地よく睡魔に身を任せる。社会人から赤ちゃんへと転生をして、ゆっくりと寝ることが出来るのは最高だ。しかし何か大切なことを忘れている気がする……。
「……うぅ?」
重い瞼を持ち上げる。すると赤い瞳と目が合った。
「むぅあ!?」
僕は勢い良く飛び起きた。そうだ!兄のブラックが元々の悪役なのか、それとも途中から理由があって悪役にあるのかを確かめようとしていたのだ。ついつい睡魔に負けて、眠りこけてしまった。
「……っ!?」
急に僕が起きたから、兄のブラックは赤い瞳を見開いた。ゲーム内では鉄仮面だった為、表情が動くのが新鮮である。それに彼はまだ10歳の子どもだ。喜怒哀楽をもっと表に出すべきである。
「にっ!」
人生で初めて兄を呼ぶ。まだまだ舌足らずで、上手く発音することが出来ないのは大目に見てほしい。兄弟が居なかった僕にとっては、兄弟を呼ぶのは緊張の瞬間である。万が一にもブラックが元からの悪役で、僕の呼びかけを無視されたら大泣きするだろう。
「すまない。起こしたな……」
ブラックは僕を起こしてしまったと、申し訳なさそうに眉を下げた。僕が起きたのは僕の勝手だ。何も兄の所為ではない。だというのに、何故そんな悲しそうな顔をするのだろう。
そして兄は立ち去ろうと踵を返した。
「……うぅ! にっ! ……うぁ?」
僕はまだ兄の確認を終えていない。それに多分だが兄は悪い人じゃないだろう。でもこのままだと、兄は二度と僕の所に会いに来てくれなくなるような予感がする。僕は習得したばかりの、ハイハイで兄へと駆け寄る。
しかし僕は自身がベッドの上に居ることを忘れていた。前に出した手が空を切る。そして支えを失った僕の身体は宙に放り出された。重力に従い落ちれば下は硬い床だ。思わず僕は目を瞑った。
「……っ!? シルバー!」
「……うぁ!?」
兄の焦った言葉と共に温かい何かに包まれた。
「大丈夫か? シルバー? 怪我はないか!?」
「んっ……にぃ!」
頭の上から兄の声が響き顔を上げると、心配そうに僕を覗き込むブラックの姿があった。背中に回る腕は兄のものである。そこで漸く僕は兄に抱っこされていることに気が付いた。如何やら兄がベッドから落ちる僕を抱き留め、助けてくれたようだ。感謝を込めて兄を呼ぶ。
「……お前を危険に晒すつもりはなかったが、矢張り私は危険なのだな……」
「う?」
ブラックは辛く苦しそうな顔で僕をベッドに戻そうとする。何故そんな傷付いた表情をするのか分からない。僕がベッドから落ちそうになったのは、僕の不注意が原因である。兄の所為ではない。
更に言えば、兄は僕を助けて心配をしてくれたのだ。こんなことで確認したくはなかったが、兄は元からの悪人でも悪役でもない。優しい兄なのだ。
「これからは、近づかないようにしよう。だから……」
「むぅ! め!」
寂しそうに笑うブラック。そんな兄の顔を見て胸が苦しくなる。ブラックには笑っていて欲しいと思ってしまう。この気持は彼の弟に生まれたからかもしれないが、僕の素直な気持ちだ。寂しい言葉通りになんてなって欲しくない。僕は兄と一緒に居たいのだ。思いきり兄に抱き着いた。
「……っ、シルバー?」
「にぃ……にぃ……」
兄は戸惑った声を上げるが、ぐりぐりと兄に頭を擦り付ける。僕は赤ちゃんで上手く喋ることが出来ない。一緒に居たいという気持ちを伝えるには、兄を呼びながらこの行動で示すしかないのだ。伝わってくれと願う。
「……も、もしや……私と居たいのか?」
「あぅ! うぅ! にぃ!」
願いが通じたのか、兄は恐る恐る僕へと問いかける。何故そんなか細い声で、自信が無さそうに訊ねるのかは分からない。だが兄が自分の意図を察してくれたことが嬉しい。僕は顔を上げると、兄の目を見て笑顔で返事をした。
「っ! そうか……」
兄は赤い瞳を見開くと、柔らかく微笑んだ。その瞳には温かい色を帯び、心地良い色である。背中に回る腕に力がこもり、兄との距離がより近くなる。
「にぃ!」
優しい兄を悪役化なんてさせない。絶対に僕が守る。
決意と共に再度、兄へと抱き着いた。