第1話 悪役皇太子の弟!?
「んぅ……あぅ……」
「あら、目が覚めたのね」
揺籠に揺られるように、ふわふわと漂っていた意識が浮上する。
「むぅ?」
「ふふっ、可愛いわ。シルバー」
「嗚呼、本当だ」
優しい声に導かれるようにして、ゆっくりと瞼を開ける。すると銀色の髪の美しい女性が僕に微笑みかけていた。隣からは黒髪のかっこいい男性がしみじみと頷く。この綺麗な女性と男性はだろうか、そう思っているが思っていると、頬を優しく撫でられる。
「きゃぅ!」
「ご機嫌ね」
「これなら大丈夫だろう」
撫でられた擽ったさに、身を捩りながら声を上げた。すると、ふと疑問が浮かぶ。僕の声が甲高い物に変わっていること、そして体が思ったように動かせないことである。
更に言えば二人の瞳に赤ん坊が映っているのだ。二人の視線と背中を優しく支えられている感触から、僕が女性に抱えられている赤ん坊であることが分かる。つまり僕はこの美男美女の子どもに生まれ変わったようだ。
「あぅ……ふぐぅ……ふぇ!」
社会人として働いていた筈なのだが、僕は赤ん坊になっているのだろうか。虚無を背負う。夢かと考えるが、手のぬくもりが現実だと教えてくる。自分なりに頑張って生きていた筈だが、急に赤ん坊になるなんて全てを否定された気分になる。無性に悲しくなってきた。
「あらあら、どうしたの? シルバー」
「如何した?」
「ふぇぇ!」
我慢出来なくなった僕は泣き声を上げた。女性は僕の急に泣き出したことに、困った顔をしながら優しく声をかける。彼女を困らせたくはないが、この体は言うことを聞いてくれず。両目からは涙が溢れて止まらない。そのことがより、泣き叫ぶことを助長させる。
「父上、母上。私が原因だと思います。部屋に戻ります」
「待って。ほら、ブラック貴方の弟よ」
「こっちに来なさい、ブラック」
声変わりをする前の少年の声が響いた。そして女性の焦る声と共に体の向きが変わり、黒い髪の10歳ぐらいの男の子と顔を合わせた。
「弟……」
「…………」
燃えるように赤い瞳だが、氷のように冷たい絶対零度の瞳が僕を見下ろす。人は驚くと声が出ないというのは本当の事のようだ。僕は目を見開いたまま固まった。
「あら! ブラックを見たら、シルバーが泣き止んだわ!」
「本当だ! シルバー、お兄ちゃんのブラックだよ」
泣き止んだことを喜ぶ両親には申し訳ないが、僕が驚き固まったのは恐怖からである。何せ黒髪に燃えるように赤い瞳には、見覚えがあった。そこに『ブラック』という名が加われば、前世での乙女ゲームで恐れられたキャラクターの名前だ。
ブラック・クラインバルはクラインバル帝国の皇太子であり、容姿端麗・文武両道だが悪役皇太子である。只の悪役ではない、乙女ゲーム史上最強最悪の悪役皇太子キャラクターとしてプレイヤーから恐れられていた。
ブラックは兎に角、強いのだ。物理攻撃や魔法攻撃にしても、全くダメージが通らないのだ。懐柔しようにも容姿端麗だが攻略キャラクターではない為、好感度や攻略条件などもない。ひたすらレベルと装備を高め、バフとポーション効果を頼みの綱にゾンビのように戦いを挑むのだ。僕も大変苦しめられた。
更に性格に関して言えば、彼の残虐性や冷酷非道は異常である。鉄仮面のようにその表情筋は決して動かない。乙女ゲームの悪役にしては最強最悪過ぎると、クレームが上がったほどである。
そんな人物が目の前に居たら、驚き固まるのは致し方無いことだ。
シルバーとは僕の名前だろうか。ゲーム中に弟の描写は無かったが、両親である国王夫妻の会話からブラックの弟であること分かる。乙女ゲーム史上最強最悪のキャラクターの弟に生まれ変わるなんて絶望的だ。
「シルバーを抱っこしてみる?」
「可愛いぞ」
「…………」
僕が絶望に打ちひしがれていると、両親はとんでもない提案をブラックにした。何とか抗議したいものだが、目の前にある赤い瞳に睨まれている為それが出来ない。まさに蛇に睨まれた蛙である。
如何にか両親の提案を却下して欲しいと、心の中で祈る。
「……はい」
無情な言葉が鼓膜を揺らした。何を思ったのか、ブラックは頷くと僕へと手を伸ばして来る。
「良かったわね、シルバー」
「ブラックが抱っこをしてくれるぞ」
両親は両サイドから僕に祝福の言葉をかけるが、僕には死刑宣告としか思えてならない。目の前にブラックの手が迫る。恐怖しか感じないが、逃れる術はない。
「うぁ!」
「……っ!?」
逃げられないならば、立ち向かうしかない。意を決し、僕はブラックの指を掴んだ。するとブラックは赤い瞳を大きく見開いた。ゲームの中では一切感情を露わにしない彼が、動揺する様子に驚く。
「ふぁ!」
「……うっ……ち、父上。は、母上……」
最強最悪なブラックに一矢報いることが出来て嬉しい。そう思うと、頬が緩み笑い声を上げた。この体は感情に非常に素直である。
僕に笑われたブラックは自信を損失したのか、眉間に皺を寄せると両親を呼んだ。
「きゃあ! ふぁ!」
「……っ……お前は……」
ブラックの様子に僕の機嫌は上がる一方である。ゲーム中では大変苦しめられたが、今は僕の方が優勢だ。苦しそうに呟くブラックに、僕は勝ち誇った笑みを浮かべ彼の指強く握る。
「あらあら、ご機嫌ね」
「先程まで泣いていたのが、噓のようだ」
「うぁ! あぁう! ……くぁ……」
両親からの言葉に同意するように、僕は声を弾ませる。優越感に浸っていると、不意に欠伸が出た。先程は沢山泣いた所為だろう。赤ん坊は泣いて良く寝るのが仕事だと、聞いていたが本当にその通りのようだ。重たくなる瞼に逆らうことが出来ず、ゆっくりと瞼を閉じた。
〇
「ふふふ……寝ちゃったわ」
「そうだな。ブラックのことを気に入ったようだね。ゆっくり外そうか?」
「……いえ……もう少しこのままで大丈夫です」
僕が静かに寝息を立てていると、両親が微笑んだ。そして少し口角が上がったブラックが居たのを僕は知らなかった。