素直になれないツンデレ王女はコワモテ護衛騎士に恋をする。年の差20歳はダメですか?
いくつか改稿させていただきました。
「いつ見ても、シリルはカッコイイわね」
さわやかな風が春の訪れを告げている。庭には色とりどりの花が咲き乱れ、その横では演習場で騎士たちが、訓練を行っていた。汗も滴るではないが、その勇ましい姿にはわざわざ見学を申し込む令嬢たちまでいるほどだ。
その中にひと際大きく、一番手前で指導に当たっている騎士が、私のお目当てであるシリル。今年38歳になる、第一騎士団の騎士団長様だ。大きな手に、黒い髪、灰色の瞳はまるで夜明けの宝石のよう。いくら見ていても飽きないのですが、王女という立場上、ジロジロ見るわけにもいかず、散歩のふりをして観察する。
そう。あくまで散歩のついでに立ち寄ったというコトが大事。だって彼は知らないから。私の思いなんて、何一つとして。ああ、それにしてもいつ見てもシリルは素敵だわ。
「ルチア様~、心の声が駄々洩れですよ」
「え? 出ていたかしら……。で、でも、本当のことだから仕方ないでしょう」
「ははははは、ソウデスネ、ルチア様」
「もう、メイ、何ですの、その片言は。シリルは誰よりも強く、カッコイイではありませんの」
「強いのは認めますよー? あの方に敵う人なんてこの国ではいませんし。でも、カッコイイっていうのは……。シリル様って、まるで熊みたいじゃないですか。それにあの頬の大きな傷が、とても怖そうに見えますし」
侍女のメイがシリルの顔を指さす。まったく、人を指さすなど行儀が悪い。
確かに、シリルの頬には、目の下から口元にかけて大きな傷がある。
「熊じゃなくて、シリルは狼のような方よ。それにあの傷は、私を助ける時についてしまったものだもの」
「そうだとしてもですよ、もっと他に若くてかっこいい方いますよ? ルチア様とシリル様は20歳も年の差がありますし。いくらルチア様がファザコンですからって、何もそんな渋いところへ行かなくても」
「ファザコンではないって言ってるでしょ。お父様のような方が好きというのは、それくらいの年の方が好きという意味で、誰もお父様と結婚したいなんて言ってません。私はあの日からずっと……」
私はそう言って、ぷーっと頬を膨らます。侍女のメイは乳母の娘であり、ずっと一緒に育った一番仲のいい姉妹のようなものでで、王女という立場であっても、本音で話せる数少ない存在だ。
「それ聞いたら、国王様は号泣してしまうと思いますよ」
「もう、大げさね。お姉さまたちがみんなお嫁に行ってしまってから、確かに涙もろくなられたけど、そんなことでは泣かないわよ」
「第一王女様も第二王女様も、みんな他国へ嫁いでしまいましたからね。この城にはもうルチア様と王太子様しかいませんものね」
姉たちはこの前の秋と冬に相次いで、他国へ輿入れしてしまった。政略的意味合いが全くないとは言わないが、父の意向でお見合いというよりはお互いが納得する形で婚姻を結ぶことが出来た。近年の王族にしては姉たちはとても恵まれていると言えるだろう。一重に、父や大臣、そして騎士たちがこの国を守っていて、今の平和があるからだ。
この10年ちょっとで、本当に国は平和になったと言える。そうあの日、母との最期の別れの日から……。
◇ ◇ ◇
目を開けた瞬間、その光景は、幼い私には悪夢でしかなかった。
横倒しになった馬車から、なんとか這い出せば、外の世界はただ赤く染まっていた。むせかえるような熱気と、炎、そしてもう誰のものか分からない血の海。先ほどまで繋いでいたはずの母の手はない。
「だれか……お母様……」
辺りを見渡しても、横転した馬車の中にも母の姿はない。振り絞る様に出した声も、この怒号の中では誰も気づきはしないだろう。逃げなけれな。本能でそう思うのに、足が地面に張り付いたように動こうとはしない。
目の前にいるのが、自国の騎士なのか、それとも違うのか……。それすらも分からない恐怖。
「ああ……」
「王女殿下」
ふいに後ろから大きな声をかけられ、振り返る。
黒い髪に、灰色の瞳。城を出発する前に、お父様から直接紹介された若き護衛騎士だ。胸にはもちろん、我が国の紋章がある。
「……し……シリル……さま」
「絶対に助けます、王女殿下」
私は立ち上がれぬまま、彼に手を伸ばす。すると彼はそのまま私を片手で抱き上げた。泣きたいはずなのに、その腕の中では不思議な安心感があった。
大きな剣を手に持ち敵をなぎ倒していく。私はその彼の胸に顔を押し付け、ただ時が過ぎるのを待つしか出来なかった。
「少し、休憩しましょう」
シリルの声で顔を上げる。先ほどまで聞こえていた怒号は、いつしか消えていた。辺りはいつもの鬱蒼とした静かな森である。
「シリル様、あ、あなた怪我を」
「ああ、これですか。大丈夫ですよ、王女殿下」
私を抱きかかえながらの戦闘。片手での不便な戦闘のせいで、彼の頬には大きな傷が出来、そこからは血が流れていた。
「なにも大丈夫ではないではないですか」
「それほど深いものではありませんよ」
「ダメです。とにかく座って」
シリルの腕から降りると、そのまま木を背させてシリルを座らせた。何か止血するものをと考えても、荷物は全てあの馬車の中だ。ぐるぐると、シリルの周りを回って考えると、肩で息をしているシリスが笑った。
こんな状況でも、こんなに傷ついても、笑える人なんだ……。
そしてそんな笑顔が、私の心を落ち着かせる。ああ、本当にこの人は強い人なのだな。私が今彼に出来ることは何なのだろう。私のせいで怪我をしたのに、このまま見ているだけなんて絶対に嫌だ。
「そうだ」
「お、王女殿下、何をなさるのですか」
シリルの静止を聞かず、私はドレスの中に着ている下着を引き裂く。外のドレスは土埃や誰とも分からない血がついていたが、中に着ていたものはさすがに汚れてはいない。そして子どもの私の力でも、簡単にビリビリと破れていった。そしてその布を折りたたむと、シリルの頬に当てる。
「いけません、そんなことをなさっては」
「なぜです? 私のせいで怪我をされたのに」
「それは、わたしはあなたの護衛騎士として当たり前のことをしたまでです」
「でもそのために死んでしまっては、なにもなりません」
「このぐらいでは、死にはしません」
「でも……」
私は先ほどまでの光景を思い出す。あの血と炎の海の中には、何人もの人が動かなくなっていた。どれだけの人が亡くなったのか想像もつかない。お母様は他の護衛騎士と逃げて無事なのだろうか……。でもあの馬車の中には、あの血の海の中には母の姿はなかった。だからきっと生きている。そう思いたい。
「大丈夫です、王女殿下。あなたのことは、わたしが絶対に護ります。どんな時でも……、いついかなる時でもそのお側で絶対に」
「ずっと? シリル様は、いなくならない?」
「もちろんです。ですから、どうかわたしのことはシリルとお呼び下さい、王女殿下」
「シリル……、約束……よ」
「もちろんです」
「では私のコトも、ルチアと呼んで欲しいわ」
「な、それがダメです、王女殿下」
「ケチ」
王都へと辿り着いたのは、翌朝だった。母と私の乗った馬車が、反貴族派と手を組んだ隣国の兵に襲われたと理解出来たのは、それから何年も経ってからだった。
あの事件で、母と護衛騎士の半分以上が亡くなった。たくさんの血と悲鳴からか、城へ帰ってからも怯え、眠れない日が続く。そんな時であっても、彼が側にいれば寝ることも食べることも出来た。彼は私の専属の護衛騎士になると共に、騎士団の団長に任命される。
近いようで、遠い距離。それでも私にはあの約束があれば、いつかを夢見ることが出来た。
そう、あの日からずっと、私にとって彼は居なくてはならない存在であり、想い人となった。
◇ ◇ ◇
「いらしてたのですか、王女殿下」
「ええ。今日は陽気が暖かいから、部屋ばかりに引きこもっていてもね。私が来ては訓練の邪魔だったかしら」
シリルが訓練の手を休め、こちらに近づいてきた。私に気づいた他の騎士たちもこちらを見ている。にこやかに微笑めば、それだけで感嘆がおこった。まったくこのシリルとの対応の違いはなんののだろう。シリルももう少し、微笑んでくれたり、嬉しがってくれてもいいのに。
「邪魔だということなど、あるわけがありません。ただ、いくら陽気がいいといえど、まだ風が冷たいですからね。風邪でも引いてしまっては大変です。わたしが部屋までお送りしましょう」
「もぅ。シリルは過保護なんだから」
本音としては、こうしてシリルに部屋まで送ってもらう間に会話をすることが一番の楽しみなのである。護衛騎士とはいえ、もう幼くない私の護衛はどこかに出かける時や寝ている時など、シリルに会える時間はぐっと減ってしまったから。
だからなにかと口実を作っては、私の方からシリルの元へと通った。シリルはそんな私の気持ちなど、なにも知らないことも知っている。それでも、少しでも会いたくて。声を聞きたくて……。
「王女殿下は、今年18になられるのですよね」
「ええ、そうよ。私も成人となるのですよ」
姉たちが他国へ嫁いだこともあり、私は国内の貴族と婚姻をというのが、父の希望だ。シリルは爵位こそ、まだ継承していないものの、国境をまもる辺境伯の長男である。ゆくゆくはその爵位を継ぐのだから、貴族という点では何ら問題はない。
なんて、少し急ぎすぎかしらと思わないこともない。でも、それこそが私の一番の願いだ。そうすればもう離れることも、こんなに自分の思いに胸を締め付けられることもなくなるから。
「わたしも歳を取るはずですね」
「私と、そんなには変わらないでしょ」
「いえいえ。わたしと王女殿下では、娘と父ほどの差がありますよ」
そう言って笑うシリルの顔が、どこか悲しげに思える。きっとそう思えるのは、私が悲しいからね。シリルは護衛騎士としてただ忠実に私を守るだけ。名前すら呼んでもらえず、私がいくら好きだとアピールしたところで、こうやって娘だと線を引く。
ずっと分かっていたことだ。彼は私の思いを決して受け入れようとはしない。でもそれでもと、いつかはとずっと願ってきた。諦めるには、まだ早いと思うから。
この廊下がもう少し長ければいいのにと思う反面、縮まることのない距離に風が吹き抜けていく。
「部屋ではどうか暖かくお過ごしください、王女殿下」
今日も大した会話も、何かが進むこともなく部屋へとたどり着いてしまった。
「言われなくても分かってるわ」
「あ……」
何かに気付いたかのように、シリルの手が私の顔の方へ伸びてくる。何が起きたのか分からず、固まっていると彼の手が髪に触れた。ただそれだけで、心臓の音が外まで聞こえてしまうのではないかと思うくらいに大きな音を立てる。
「付いていましたよ」
そう言って、シリルは花びらを私に差し出す。庭で風に乗って飛んできたのか、それは小さな黄色い花だった。髪についていただけの花でしかないのに、シリルはただそれを差し出しただけでしかないのに、そんな単純なことで心がポカポカしてくるのが自分でも分かる。
ああこんな些細なことでも私は……。
「な、は、花? そう、付いていたのね」
花を彼の手から受け取る。
もっと可愛げのある言葉が言えれば良かったのに。シリルを目の前にすると、どうしても素直に言葉が出てこないのだ。
「……」
手の中の小さな花は、贈り物のようにさえ思えた。嬉しい。シリルが贈ってくれたものでないと分かっていても、それでも嬉しい。
「シリル?」
「……」
「どうか、したの?」
受け取った花を見つめていると、まるでそれを見て固まったようなシリルがいた。
私、そんなに変な顔でもしていたのかしら。声をかけても、彼は一瞬、上の空だ。
「……ああ、いえ、すみません。では、わたしはこれで失礼します」
「?」
シリルは我に返ったようにこちらを向く。そしてあたふたしたように、珍しく視線を合わせないまま、大股で来た道を戻って行った。
「メイ、シリル様はどうしたのかしら?」
「さぁ。ルチア様があまりに美しくて見とれていたんじゃないんですか」
「もう、メイったら。そんなこと言われても嬉しくなんてなくってよ」
でも、もし本当にそうだったらいいなと思う。私がどれだけ好きなのか、少しでもシリルに伝わればいいのに。こんなにも苦しいんだから。
「はいはい。ではルチア様、それはどうなさりますか?」
「そうね、花に罪はないから押し花にでもしてちょうだい。な、何、メイ。べ、別にシリルからの贈り物として取っておきたいって言っているわけではないのよ」
「そういうことにしておきましょう。大事なお花ですからね、メイが責任を持って押し花にいたしますよ」
「もう」
「今日は国王様が共に夕食をとおっしゃられておりましたので、少し休憩をしてから着替えましょう」
メイの言葉など今の私には入ってくることなく、ただ先ほどの余韻の中にいた。長くは続くはずはないと頭では思っていても、こんな日々が一日でも長く続けばいいと切に願っていた。
◇ ◇ ◇
父と二人だけの晩餐というのは、久しぶりだった。姉たちが嫁いでから、他国との連携や、国内貴族との晩餐で父が忙しくしていたからだ。こうやって落ち着いて二人で取る食事も悪くはないが、少し寂しく思える。
「急に二人きりでお食事がしたいなんて、どうなさったんですの?」
「いやいや、最近忙しくしていたからね。かわいいルチアの顔をゆっくり見たかっただけだよ」
父は今年45歳だっただろうか。母が亡くなり、新しい王妃をという話は何度も上がったが、父は首を縦には振らなかった。もし後妻を入れるのならば、子どもたちが全員結婚し、自分が王位を息子に譲ってからだと公言していた。
「で、本題は何なんです? 良い話ですか? それとも悪い話なのですか?」
こてんと小首をかしげると、父は困ったように鼻をかいた。これでも娘歴は長いのだ。父が何かを言いたくて読んだことは分かっている。
「どちらもなのだが……。いや、久しぶりの二人の食事だ。今日はいい話だけにしよう。アーサーの結婚の日取りが決まったんだ。秋に行うことになった」
「まぁ、お兄様の」
父は満面の笑みを浮かべる。相手は婚約者である公爵令嬢で、兄がとことん惚れ込んでいるお方。何度かお会いしたことがあるが、その身分に奢ることなく、公平でハニーブロンドがとても綺麗な人だった。
「お兄様は幸せ者ですね」
「ホントにな。二人が結婚し、落ち着いた頃に王位継承を行う。そうすれば、晴れて隠居生活だ」
「うふふ。やっとお父様の夢が叶いますのね」
「ああ、そうだな」
父はそう言いながら、遠くを見つめる。この人はもともと王位にこだわりはなく、ただ国が平和になればという一心で、王としてこの国を統治してきた。そしていつか平和な世が来たら、趣味の菜園と釣りをして生きていきたいと私たちによく話してくれていた。
母の死を、自分のせいだと責め、今までずっと走り続けてきたのだ。その姿を、私たちはよく知っている。兄が王位を継げば、父の負担はなくなるだろう。そうなれば、私も嬉しい。
ただ一つの問題を除いては、喜ぶべきことなのだろう。
「お兄様が結婚をなさるのなら、私もどこかに輿入れをしないといけませんね」
そう遅くとも、父がこの城を去る時までには決めないといけない。新しい王と王妃が誕生すというのに、小姑である私がこの城に残るわけにはいかないから。先ほどの浮かれ気持ちに、水を差された気分だ。
いつかはと分かっていたのに、なぜ今日なのだろうと思ってしまう。でも例えこれが明日であったとしても、きっと私は同じことうを思うに違いない。そんな自分に嫌気がさす。
「でもお父様、これが悪い話というわけではないのでしょう。悪い話は何なのです?」
「いや、今日はもうやめておこう。せっかくのおいしい料理が台無しだ」
確かにこれ以上は今は聞きたくない。私の心の内を読み取るように、父は話題を変えた。
「ルチアはどんな人が好きなんだい?」
「そうですね……。お父様のようにたくましくて、大きな手のお方が好きです」
「そうか」
いつもなら喜ぶはずの父は、ただ複雑そうな顔をしていた。しかし私はそれ以上、尋ねることは出来なかった。静かに黙々と、美味しかったであろう料理を口に運んだ。
◇ ◇ ◇
部屋へ戻っても、寝る気にはなれなかった。寝台へと腰かけて、メイが押し花にと言って紙に折りたたんでくれた先ほどの花を見つめる。この城で今までのような生活を続けていくのは、もう長くはないとは思ってはいたが、こんなに早いとも思ってはみなかった。
どうしたら、どうすればいいのだろうか。きちんと想いを伝えれば、シリルはどう思うのだろうか。でも正式に申し込むのならば、兄か父から婚約を申し込んでもらわなけれないけない。私はどうあがいても一国の王女なのだから。自分の気持ちだけで、どうにかならないのも分かってはいる。でもそれでも……。
ふいに、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
私が先ほどの父との食事で気を落としていたのを気にしていた、メイが戻って来たのかしら。
「どうぞ」
「遅くに失礼します、王女殿下」
部屋を訪ねてきたのは、メイではなくシリルだった。最近は、幼いころとは違い、部屋になど来てくれることはなかったというのに。
「ちょうど寝れなくて暇してたから、いいわ。こちらへ。今侍女を呼んで、お茶を入れさせますわ」
部屋に置かれたソファーを勧める。
「いえ。このままで」
そう言って、シリルは扉の前に立ち、座ろうとはしない。真面目だというか、融通が利かないというか。昔なら駄々をこねて大泣きをして、寝るまで側にいてもらうことも出来たのに。シリルに近づきたくて、早く大人になりたかったのに、大人になったら、ままならないことの方が多いのを知った。
「いいから座って。そんなとこに立っているなら、話など聞かないから」
私がむくれると、シリルは観念したようにソファーへ腰かける。私は少し考えた後、シリルの隣へ座った。
「な、王女殿下」
「何かしら。ソファーはこれしかないのだから、いいでしょう」
隣に座るシリルの顔を見上げる。驚いてはいるものの、少なくとも怒ってはいない。立ち上がろうとするシリルの手を掴み、無言のまま行かないでと告げる。今の私にできる、精一杯のアピールだ。
「……国王様から話は聞かれましたか?」
シリルは諦めたように大きなため息をつくと、私から視線を外し、真っすぐ前を見ながら話しだした。
話とはどれのことだろう。先ほどはお兄様が結婚をしてという話はしたのだけれど。その先の私の輿入れの件で、気を落としていたのをメイから聞いたのかもしれない。それでなぐさめにでも来てくれたのならば、こんなに嬉しいことはない。あくまで嬉しさを顔に出さないように、冷静を装う。
「ええ」
「申し訳ありません。本来でしたら、わたしの口から王女殿下には一番に言わなければいけないことだとは思ったのです。このような形で約束を違えるなど……」
「待って、待って、シリル。一体何の話なのです? 私は先ほど王より、兄の結婚の話をされただけです」
約束を違える? それはどういう意味なのだろう。私とシリルが交わした約束は、ただ一つだけ。
どんな時でも、いついかなる時でも側で護るという、あの幼い頃の約束だ。
「どういうことなの。約束を違えるとは、どういう意味なの!」
私が父から話を聞いていないことに、シリルは一瞬驚いたような顔をする。そしてシリルは一度下を向いた後、まっすぐ私を見据えた。
「父が足を悪くしまして、爵位を継承することとなりました。次の月には引継ぎを終わらせ、領地へ戻る予定です」
「次の月……」
次の月まで、あと何日あるというのだろう。先ほどの父の言った期限など、比べ物にならないほど短い。父が言いかけた悪い話とは、これのことだったのだと私は理解した。
「心配せずとも、後任には第二騎士団の団長が王女殿下の護衛騎士として、就くことになっております。侯爵家の次男ですし、歳も二つほどしか違いありませんので、すぐ打ち解けられるでしょう」
「シリル!」
「最後まで使命を全う出来ないことわたしを、どうぞお許し下さい」
「シリル!」
私の話を全く聞こうとしないシリルの胸に飛び込む。
「シリル、あなたは私の想いを知っているでしょう。私は……、私はあなたのことが」
「いけません、ルチア様、それを口にしては。前にも申したはずです。それは一時のものだと。共に死線を抜けて、その時の思いを共感したに過ぎないと。それは恋などと呼ぶものではありません」
「知らないくせに、私の想いなど」
「それでもです。ルチア様」
シリルが私の肩を掴み、優しく引きはがす。
「こんな時にだけ、あなたは私の名前を呼ぶのね……」
「お分かりください。わたしとあなたとでは、身分も歳も違いすぎます」
「歳とは何? 20歳上だと、そんなに偉いの? ただ取るものに、なんの意味があるというの」
「20も違えば、全てが違います。あなたとわたしでは父と娘だ。そういうものなのです」
「分からないわ」
「今は分からなくとも、分かる時が来ます」
分かりたくもない。ずっとずっと目を背けてきたことだから。それをこんな形で、シリルの方から言われるなんて思ってもみなかった。全てを……私の想いすら全て否定されてしまった。もうこの先、彼とのこの先はないのだろう。シリスが私を置いて行ってしまう。想いも告白も、全てなかったことにして。
「分かりたくもない」
「ルチア様」
「大嫌いよ……、シリルなんて大嫌い」
約束で縛り付けている、ただの卑怯者だということは分かっている。でもそうしてでも、側にいて欲しかった。本当に好きだったから。せめて、好きだと、私の思いの全てを聞いてさえくれればまだ、こんな惨めな思いはしないのに。私には、それすらも許されない。
「申し訳ありません」
「出てって、もう顔も見たくない」
私は涙を堪えるのにただ必死だった。泣きわめいて、しがみついて、みっともなくて無様は姿を見せたくはなかった。それだけが王女としての、せめてものプライドだ。
シリルは深々と頭を下げると、部屋から出ていく。しばらく彼のいなくなったドアを見つめた後、ベッドまで行くと、乗っていたすべての枕を扉に投げつけた。
そしてそのままベッドの横で布団に包まり、涙が枯れるまで泣いた。
どれだけの時間が経ったのか、窓の外は明るくなっている。
「ルチア様?」
短いノックの後、メイが入室してくる。みっともない顔を見られたくなくて、ベッドに戻ろうとしたのだが、体が鉛のように重く動くことが出来ない。
「ルチア様! どうなさったのですか。誰かー、誰か来て!」
メイが慌てたように動けない私に近づき、私に触れた。しかし、メイの方を向くことも声を出すことも出来ない。まるで本当の石になってしまったみたいだと自嘲する。でももうそれすらも気にならない私がいた。いっそ石にでもなって、そのままこの心も体も固まってしまえばいいと思ったから。
メイの悲鳴にも似た声に、すぐ近くにいた衛兵たちが部屋へ入ってきた。そして彼らの手によって、ベッドに横にさせられ、すぐに医師が呼ばれた。大げさだなと、みんなの慌てる姿をただぼんやり見ていた。
◇ ◇ ◇
脱水と心労からだろうと言われたが、ぼんやりとした頭は考えることを拒否した。体はどこが痛いというわけでもないのに、数日経っても、起き上がるのが精一杯だった。入れ替わり、いろんな人がお見舞いに来てくれた。いつしか部屋中が花で溢れかえった。その中にはシリルからの花もあったようだ。しかし、あの時の黄色い花のような感動はなく、何にも感じなくなっていた。
「ルチア様、どこか痛いところはございませんか?」
メイが私を起き上がらせ、背中の後ろに枕を入れる。こうでもしないと、自分でもうまく座っていられないのだ。
「……心が……痛いわ、メイ」
やっとのことで言葉を絞り出す。メイは私が数日ぶりに言葉を発したことに驚くと共に、大粒の涙を瞳に溜めていた。おそらくシリルの話はメイの耳にも入っているのだろう。
「メイが、このメイがずっと側におります。メイがずっとルチア様のことをお守りしますから。早くよくなってくださいませ」
メイの言葉に、涙がまた溢れた。悲しいのか、嬉しいのか。今の私には分からなかった。ただぼんやりした頭が、ほんの少し動き出した気がした。
それでも、体が十分に動くことは叶わなかった。心がただ痛くて重いというだけで、何も食べる気が起きないのだ。メイや医者に勧められるままに、何とか好きなものを一口だけ食べるという日々が過ぎていった。ドレスのサイズが合わなくなる頃には、シリルが発つ日まで数日となっていた。もちろん、あれから一度も顔を合わせてはいない。
昼下がり、父が部屋へ様子を見に来た。その手には見慣れない黒い薄い本のようなものを手にしている。
「お父様」
「かわいそうな、わたしのルチア。すっかり痩せてしまって……」
ベッドの横に腰かけると、父は私の頬に触れた。大きくて温かい、私の大好きな手だ。
「ルチアはまだ、わたしのようなたくましく、大きな手の人が好きかい?」
胸の痛みがズキズキと強くなる。だけど、どうしてもそれだけは変わらなかった。その思いだけは。
私は父の言葉に、ただこくりと頷いた。
「……」
「そうかい。これはね、お前の兄が持ってきてくれた縁談だよ」
父は持っていた物を私に手渡す。どうやら先ほどの本のような物は、お見合いの釣り書きだったようだ。
「歳はちょうど今年60だという伯爵でね、後妻を探していた方なんだ。とてもお優しい方でね、死ぬまでただ側にいてくれればいいと。そして自分の死んだあとは、屋敷で静かに暮らしてくれればいいとおっしゃってるんだ。ルチアの療養も兼ねててと思ってね」
「……お受け……いたします」
父は私の手を強く握る。その手から父の思いも伝わるような気がした。
父の言うように後妻ならば、ただ静かに暮らせるだろう。その方にただ寄り添って生きていけば、この胸の痛みもいつか消えるかもしれない。兄が持ってきた縁談だ。中を見る必要もなく、私はただ二つ返事をした。
そうこれでいい。むしろ良かったと言えるだろう。あの人への想いが捨てられないのならば、どこかの若い貴族の元へと嫁ぐより、ずっと幸せなだ。想いを捨てなくてもいいと、言ってもらえているのだから。
「……うん、そうか……。寂しくなるよ、わたしの愛おしい子」
父は抱きしめ、頬へキスをしてくれた。
父が部屋を後にすると、メイをはじめとした侍女たちが大急ぎで仕度を始めた。ただ一つのわがままとして、シリルより先に城を出たいと願ったからだ。
ココで彼を見送るのは、どうしても嫌だったから。
幸い後妻ということもあって、結婚式はない。そのため花嫁衣装の必要もなく、領地療養も兼ねているので最低限の荷物さえあればいいのだ。それでも、おそらく馬車一台分くらいの荷物になるだろう。メイたちには申し訳なく思いながらも、私はお世話になった方たちへの手紙を書くことにした。
ただ最後に書こうと思ったシリルへの手紙だけは、どうしても筆が進まなかった。
◇ ◇ ◇
城を出る日、後から来るメイにシリルへの手紙を託した。ここから伯爵の元へは馬車で三日かかるらしい。馬車に乗るのは、母が死んだ時以来だ。何度も大丈夫だと自分に言い聞かせ、馬車に乗り込む。乗り込むといっても、ほとんど歩けない私を兄が抱きかかえ、乗せてくれたのだ。
「幸せにおなり、ルチア」
「ありがとうございます、お父様、お兄様」
「必ず会いに行くよ」
「ああ。でも本当に……、こんなにルチアが頑固だとは僕も思っても見なかったよ」
「兄さま?」
兄はいたずらっぽい、笑みを向ける。頑固とは、私のシリルの想いのことを言っているのだろうか。でも仕方ないではないの。初恋だったのだから。
「ふふふ。幸せにおなり、ルチア」
「? はい、お兄様」
「ああ、本当に……」
「お父様まで、どうなさったのです」
「いや、いいんだ。さあ、お行きなさい」
父と兄に見送られ、馬車は走り出した。
馬車の窓から城を眺めた。あの日も、母と共に馬車に乗った日も、こんな風によい天気の日だった。
あんなことしか書けなかった手紙を、今頃シリルは読んでくれているだろうか。私はそればかりが気がかりだった。
◇ ◇ ◇
「シリル様」
演習場で引継ぎをしていたメイは、シリルを見つけると呼び出す。
「メイ殿、先ほど王女殿下の馬車が場外へ出ていくのを見たという者がいるのですが、何かあったのですか?」
その声色からは、シリルの感情はあまり読み取れない。
「……ルチア様の輿入れが決まり、本日出発した次第です」
「輿入れ? そんな急になぜ」
「今のルチア様の状態を見かね、王太子様がこのお見合いを計画したそうです。領地療養も兼ねてということです。わたくしたち侍女も、この後別の馬車にて出発いたします。それまでに、ルチア様よりシリル様にお手紙をと言われましたのでお持ちいたしました」
メイがやや不機嫌そうに、シリルへと手紙を差し出す。今この原因を作ったシリルは、もはやメイたちにとって敵でしかなかった。
「それにしても、王女殿下を馬車に乗せるなど大丈夫なのですか」
「仕方ありません。お相手様の領地までは、馬車で早くても三日ほどかかるそうですので。馬でというわけにもまいりませんし」
「その、相手というのは」
「……」
メイはシリルを睨みつける。本来ならば、貴族であるシリルを睨みつけたり不機嫌さを出すなど、あってはならないことだ。しかし、メイにはどうして我慢ならなかった。この不穏な二人のやり取りに、いつの間にか他の騎士たちも興味深々で近づいてくる。
「ルチア様は、今年60になられます、伯爵様の後妻だそうです」
「なっ。なぜ、そんな」
「言っておりましたよね? ルチア様はどういう方が好きなのかと。もちろん、それは国王様も王太子様もご存じです。今、どこかに輿入れしたとしてもルチア様の悲しみは消えはしません。それならば、どこかの若い貴族に輿入れさせるのは酷というものでございます」
「しかし、だからといって後妻など」
「では、今の状態のルチア様に、好きでもない方に輿入れしろと?」
「いや、そうではないが。何もこんなに急ぐことなど」
「ルチア様を娘として接して下さる方の元へ預けて、穏やかな日を過ごしていただきたいというのが、皆の願いでございます」
シリルはただ茫然と、それ以上の言葉が出てこなかった。受け取った手紙に目をやる。
『ごめんなさい』
震えるような小さな字で、手紙にはそれだけ書かれていた。そしてあの日渡した黄色い花が、張り付けてあった。
これは何に対する謝罪なのだろう。あの時、大嫌いと言ったことになのか、それとも……。シリルも本当に謝るべきは誰かなど、ずっと分かっていた。そして自分の気持ちも全て。ただそれでも、そこに蓋をすれば、自分さえいなくなれば、彼女は幸せになれると心から思っていたのだ。
そう、こんな事態になるまでは。
「では、これにて失礼いたします」
ざわざわとなる騎士たちを気にすることなく、メイは歩き出した。
「待ってくれ。俺が行く」
「行く? どこへ行くというのですか。今更行って、何になるというのです」
振り返ったメイは怒りながら、涙を貯めている。
その涙は、あの日の彼女の涙とかぶった。
「もうこれ以上、自分の気持ちに嘘は付かない。ルチア様を攫いに行く」
そう言って、シリルは走り出した。そして厩舎に留めてある自馬に乗る。
「すまない、もう戻れないかもしれないが、後を頼む」
その場にいた他の騎士へ声をかける。すると、皆の口からはシリルへの激が飛んだ。
◇ ◇ ◇
城を出て小一時間ほど馬車を走らせると、道は市街地から山道へと入って行った。木々が生い茂り、思い出したくもない記憶が、甦る。外を見ないように、馬車の窓のカーテンを引く。その手が自分でも震えているのが分かった。
まだ一時間しか乗っていないのに、もう一日経った気がする。ダメね、今までずっと馬車になんて乗ったこともなかったから。
胸に手を当てて、深呼吸をしようとした時、外から声が上がった。何を言ってるのか聞き取れないままに、馬車がガタガタと止まる。予定では、次の街に着くまでは休憩の予定はないはずだ。
「なにが……おきたの……」
怖くて、カーテンを開ける勇気はない。咄嗟に、馬車のドアに手をかけた。押さえたところで、力のない私の力ではどうにもならないことは分かっている。しかし、そうでもしなければ、居ても立っても居られなかった。
「ああ」
力強く、ドアが開き、そこに手をかけていた私はそのまま馬車から落ちそうになる。ぎゅっと目を瞑ると、私は誰かに抱き止められた。それは大きな温かい手。
ゆっくりと目を開けると、そこには私が一番会いたくて、でも求めてはいけない人の顔がある。どこか焦ったようなシリルの顔。
「私、都合の良い夢でも見ているのかしら」
「いいえ。むしろ、逆です。攫いに来ました、ルチア様。もう約束でもなく、ただあなたを渡したくない」
「やっぱり都合の良い夢だわ。私の知っているシリルは、いつだって私を子ども扱いして相手にはしてくれないのよ」
「違います」
シリルが大きく首を横に振る。
「あなたを助けて、あなたが側にいて欲しいと言われ、その約束さえあれば、永遠にルチア様の側にいれると思っていた。しかし、あなたはどんどん美しく成長していく。そして第一王女様たちが輿入れしていく姿にルチア様を重ねた。このまま今度は、ルチア様を自分が見送るのかと」
「……馬鹿ね。ホントに大嫌いよ」
そう、大好きよ。誰よりも。
「これは恋心ではなく一時のもので、あなたもいつか夢から覚めてしまうと。そう思うことで、自分が傷付かぬように予防線を張っていました。だからルチア様から離れれば、きっとこんな醜い気持ちを捨てれると思った。ルチア様のことをずっと愛していたから」
ポロポロと音もなく涙が溢れる。もうずっと、ずっと前から私とシリルの思いは一緒だったのだ。
「あの手紙を見た時、あなたが輿入れすると聞いた時、誰にも渡したくないと思ってしまった。今更なのは分かっています。わたしの意気地がないせいであなたを傷つけてきたことも。それでも……」
シリルが言葉を言い終える前に、シリルの胸に顔を埋める。どれだけ遠回りをしたとしても、ここにいられるのならば、そんなに幸せなことはない。
私がずっと欲しかったもの。欲しかった言葉。
「では、約束して? もう一度、あの時のように」
あの日の約束は、一度違えてしまったから。もう一度、ここからやり直したい。
「いついかなる時も、わたしはあなたの側にあり、魂朽ちる時まであなたを護ります、ルチア様」
「ええ、約束よ。ずっと、ずっと側にいて」
シリルが私の手を取り、口づけをする。あれほどまでに私を支配していた胸の痛みが嘘のように消えていった。
「攫ってもよろしいですか?」
「敬語と様付けをを辞めるなら、考えてあげてもいいわ」
「……ルチア、こちらへ」
シリルに抱き抱えられながら、馬に乗せられる。
「とりあえず、俺の家へ向かいます。国王と王太子には、そこから許しを乞う予定です」
そう言いながら、シリルがゆっくりと馬を走り出させた。
「お兄様にお別れをした時に、馬車に乗る前にどうしても欲しいものがある時は、外堀から埋めないとダメだよと、こっそり言われたのよ」
兄はもしかしたら、こうなることも分かっていたのかもしれない。
「外堀ですか?」
「ええ」
「よく分からないのですが、そう言えば輿入れ先はどこだったんですか? 相手にも話を付けに行かないと」
「それは大丈夫じゃないかしら。今から行くわけだし」
「え。どういうことですか?」
全く状況の読み込めないシリルが、声をあげた。こんな素っとん狂な顔をするシリルは初めて見たかもしれない。それがなんだかとても楽しい。
「私もさっき馬車の中で、お相手の名前を確認したのよ。私のお相手は、ガルシア辺境伯」
「なっ! まさか、後妻っていうのは」
「シリルが攫いに来てくれなかったら、私はあなたの継母だったということね」
「それは外堀というのか、嫌がらせの域に近い気が……」
「うふふふふ」
あの日見た恐ろしい森の面影はもうない。シリルの胸に寄り添いながらも、私はちゃんと前を見ることが出来たから。
空き時間にサクサク読める短編を書いています。通勤時間やちょっとした合間に読んでいただければ幸いです。また、ぽちっと★をいただけると興奮して寝れないくらい幸せだったりします。
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