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作者の想像世界

誰が為のスタディング

作者: パーミテンション

 蝉が必死こいて雌を呼び込んでいる中、私は必死こいて図書館で勉強していた。


 勉強って言っても私自身の勉強じゃない。

勉強は自分のためにする物だとはよく言うけれど、私が今している勉強は、完全に他人のための勉強だった。

 ……いや、難しく考えなくていい。別に親が行けと言った、さして興味のない大学に行くために勉強しているとかじゃない。言うなれば無償の家庭教師だ。


 相手は私の一つしたの学年、高校二年生。

 去年私が教師から教わったことをそのままその子に教えてあげればいいわけだが、それが上手くいかない。

 なんたって後輩は理系で、私は文系。私が教えることになった教科は物理だ。笑わせてくれる。


 文系が物理なんて教えられるわけがない。

 どうしてこうなってしまったのかは本当に謎である。


 私と後輩は面識がある。同じ高校の同じ部活だ。おまけに住んでいる場所が少し離れているくらいで、登下校で利用するバスではいつも顔を合わせるくらいだ。


 後輩は人なつっこい性格で、バスの中ではいつも私に話しかけてくる。さすがに無視をするわけにはいかないのでバスの中で会話しているが、私はその話の中で、後輩に物理を教える約束をしてしまった。


 思いだそうにもどうもその流れが思い出せない。


 しかし私にそんなことを思い出している余裕はない。


 物理を教えるのは明日。教える範囲は狭く基本的なことであるとしても、夏休みの間にそれら全てを後輩に一から教え直すだなんて、私にはできっこない。


 だけど私は、こうやって後輩のために、勉強をしていた。


 身につけた知識はきっと無駄にならないだろう。しかしこれらは、近い将来私のためにはならない。


***


 教える場所は後輩の家だった。


「先輩、ここってどうやるんですか?」


「待って、今考えてるところだから」


 謎。わからない。は? 重力加速度? 位置エネルギー? 知らないわよそんなの。


 そもそもなんで物理なの。せめて数学にしてくれればいいのに。


「あ、もしかしてこうすればいいんじゃないですか?」


 後輩がそうやって紙に書いた式を見て、私も納得した。

 なるほど、確かにその通りだ。


「って、やっぱり私いらないじゃない。一人でできるでしょ。こんなことするくらいなら天体観測したいんだけど」


「いやあ、そんなことないですって。先輩がいなかったら、僕はこんなやり方思い浮かびませんでしたし」


 前に座っている後輩に疑いの視線を浴びせるが、後輩はそんなことは気にもしないで次の質問をしてきた。

 私はまた、それに頭を悩ませることになった。


***


 蝉の声は一切聞こえなくなった。

 夏休みが終わり、文化祭という一大イベントは後輩のための物理に当てることで終わりを迎え、定期テストを平均点を少し上回るくらいでなんとか乗り越えた。


 そりゃそうだ。私の勉強時間の半分は後輩のための物理に使われている。テストに出ないことを私は勉強しているのだ。定期テストなんて平均点を目指すので精一杯だ。


 そして季節は、雪が降るくらいになった。


 後輩は物理に関しては学年一位の成績を治めていた。いや、他が全然だめというわけではなく、単純に私は知らないのだ。後輩は物理意外の点数を私に教えてくれない。


 まあ、教えている教科が物理だけなのだから、教える義理があるのはそれだけだ。


「いやあ、先輩には本当に感謝してます。ありがとうございます」


 例に倣って後輩の家。センター試験まで一ヶ月半程を切った時期だ。


「あんたねえ、いつまでこれ続けるのよ。私はもう必要ないでしょ。それに、私だって勉強しないと大学入れないんだけど」


 物理の問題を解きながら私は言う。


「どこの大学行くんですか?」


「少なくとも文系の大学よ」


「それって、本当に行きたいところですか?」


 え、と私は言う。見上げた先にある後輩の顔は、今までに見たことがないような真剣な顔だった。


「先輩が星を好きなことも知ってますし、それについて学びたいっていうことも知ってます。でもそれって文系じゃなくて、理系の大学、少なくとも理系の学科じゃないとできないことですよね」


「何が言いたいの」


「志望校、変えようとか思わないんですか」


 私はしばらく沈黙し、シャーペンを置く。

 後輩はまじめな話をしている。本来私が親とするべき話を、後輩は今しようとしている。


「思わないよ」


 私は言う。


「私は入る大学をもう決めてる。それこそ、あなたに物理を教え始めた夏休みの時から。それを今更変えようだなんて思わないし、そんなこと出来っこない。先生や親になんて言うつもりよ」


「そこは先輩が頑張るところです。俺がしてあげられるのは、先輩に本当にそれでいいのか、悔いは残らないのかっていう確認だけですから」


「悔いが残る残らないの問題じゃないでしょう。受験科目の問題だってあるじゃない。理系では物理、化学、生物のどれかの二科目受験。私はどれもとってない」


「いいえ、とってます」


 後輩がそう言うことを予想しながら、私はさっきの言葉を言った。


 そもそも、言いながら気づいた。


 そう、私は後輩に物理を教えるために、物理を学んでいた。


 言ってしまえばなんだが、多分私は後輩と同レベル、低く見積もっても後輩より少しできないくらいの物理の知識は身に付いている気がする。


「だけど、あなたに教えていたのは二年生の物理であった、三年生の物理じゃないでしょう。二年生の知識だけで三年生の物理が解けるものなの?」


「それももう、やってるんです」


「え?」


「夏休みの間に、二年生の物理の大体の範囲は先輩に教えてもらいました。問題集をやってみても、先輩は解けてましたし、三年生のも同様に、です」


 理解が追いつかない。

 何を言っているんだこの後輩。


 私は知らない間に二、三年生の物理の範囲を終えていたって言うのか。


「先輩の定期テストや模試の成績はあんまり知りませんが、物理に関しては結構いい点数だと思いますよ。なんならやってみますか? 去年の物理のセンター過去問」


 そう言って後輩は赤本を机の上に置いた。


 いや、待て待て待て待て。話が急すぎる。


「あなた、一体何がしたいの」


「先輩に、先輩のやりたいことをして欲しいだけですよ」


 後輩の瞳はまっすぐに私をとらえていて、私はそれから視線を逸らした。


 私のやりたいこと。


「先輩のやりたいことは、親の言うことに従って、親の機嫌をとることですか?」


 ばん、と机をたたいて、立ち上がった。


「あんたに何がわかるって言うの!」


 急に怒鳴った私に、後輩は怯えることはなかった。さっきと同じように、ただ私のことをまっすぐに見つめている。


「先輩が経営とか政治よりも、星の方が好きっていうことを知っています。その学部に入るのも、文系になったのも、親がそう言ったからっていうのも知ってます。そして何よりも」


 後輩は少し間を置いて、こう言った。


「両親が大好きだっていうのを知ってます」

「……!」


「先輩はとても良い人です。物理を教えてくれました。自分の時間を割いてまで。だけどその『良い人』がいきすぎて、親に自分のやりたいことをいったら失望させてしまうんじゃないかって思って、今まで何も言えなかった。違いますか」


 真実だ。


 後輩の言うことは正しい。


 良い子だね、良い子だねと私は言われてきた。

 将来はこういう職業に就いて私たちを安心させてくれと言われてきた。

 私はそれの為に勉強をしていた。

 それは私のための勉強ではなくて、親のための勉強で。


「先輩が親の言った大学を受験するって言うのなら、俺はもう何も言いません。言う権利はありません。先輩の人生に置いて、俺は言ってしまえば家族ではなくて他人です。でもだからといって、家族に決められていいわけでもないんです」


 そんなものはただの指標でしかありませんよと、後輩は言った。


 問題が生じていると、思っている人もいるだろう。


 理系の学科を受けるならば、私は物理の他に化学か生物をとらなければいけない。実際は化学をとることになるのだけれど、それが実はどうってことはない。


 私は後輩から、化学を教わっていた。


 教材を薦めてもらい、自分でそれを購入して、勝手にやっていたのだ。


 物理ほどではないが、化学もそれなりにとれると思う。


「それで、どうするんですか?」


 私のやりたいこと。


 私は確かに、親の言うとおりに生きてきたのかもしれない。客観的に見れば、親のご機嫌取りだったかもしれない。


 とりあえず親の言うことに従っておけば何も言われないし、親は親でサポートしてくれるだろう。


 だけど私のしたかったことはそんなものではなくて、星が、宇宙が好きだから、そういう勉強をしたい。


 だけど、親を安心させたいのも事実なわけであって。


「……がんばってみるわよ。……ありがと」

 そう言うと、後輩はにっこりと笑った。


***


 結果として、私は志望校を変えた。

 これだけ聞くと、一体背後にどれほどの苦労と話し合いがあったのかを推察するのは難しいかもしれないが、しかし私は志望校を変えた。変えることが出来た。


 あの後輩があんなことを言ってくれなければ起こることはなかったことだし、困惑しながらも私の話をちゃんと聞き、そして受け止めてくれた両親がいなければ起こらなかったことだ。


 確かに最初は反対された。こんな時期に何を言っているのだと言われた。受験科目も違うのに、とも。


 それに関しては去年のセンター過去問の点数で黙らせたが、しかし愛情を込めて育てた一人娘が、急に自分たちの提案を反対したのだ。驚かないわけがなかった。


 急遽担任との三者ならぬ四者面談をし、点数に関しては問題ないという担任の発言をとった。


 点数や受験科目という物理的な問題はこれで解決し、後は両親の説得という感覚的な問題のみとなったが、そこまで言うならやってみろと、そう言われた。


 そしてセンター前日。例に倣って後輩の家。


「よかったですね、先輩」


「ほとんどあなたのおかげよ。ありがとうね」


 いえいえ、と後輩は言った。


「にしても、なんであなたは私のためにそこまでしたのよ。今になって気づいたけど、物理を私に勉強させるために、私に教えてっていったんでしょ」


「ご名答。さすが先輩ですね」


 後輩が部屋にいない間に少し物色させてもらったが、私が教える前の物理のテストが見つかった。なんと点数の高いこと。

 私は教えるつもりが、教えられていたのだった。


 三年生の物理を後輩が知っていたのは、それこそ私と一緒に勉強していく内に、後輩も学んだのだろう。


 頭の良い後輩のことだから、参考書や教科書を少し睨めば、解き方や理屈がわかったのかもしれない。


「それで、何でこんなことしたの」

「こうでもしないと先輩は物理をやらないだろうなって思ったし、それに先輩、天体観測してるときとても楽しそうですし」


 天文部。


 それが私たちの所属する部活。


 部員は私たち二人しかいないけれど。


「まったく、あんたにはかなわないわ」


「とにかく先輩は、明日のセンター頑張ってくださいね」


「わかってるわよ」


「あ、おまじないでもしてあげましょうか」


「おまじない? どういうやつよ」


「まずは目を瞑ります」


 私は言われたとおりに目を瞑る。


 次の瞬間、唇に何か柔らかいものが触れた。


 私はびっくりして目を開けてものすごい勢いで後ずさる。


 顔が真っ赤になっているのが自分でもわかるし、口をただパクパクして言葉になっていないのもわかる。


「な、なな、何を……!」


 ようやく発したその言葉に、


「頑張ってくださいね、せーんぱい」


 と、ほほえみながら、後輩はそう言った。


 ああ、もう、頑張るしかないじゃないか。


***


 四月。

 桜の舞うその季節。校門の所に後輩がやってきた。

「入学おめでとう。センター前日のおまじないが効いたかしら」

 私は後輩にそう言った。

タイトル詐欺。主人公が天才すぎる。


はい、読んでくれてありがとうございます。

感想等書いてくれたら泣いて喜びます。

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[良い点] 後輩の立ち回り。見たいものを見るために、先輩を誘導した感じが、好奇心から動く理系っぽかった。 [気になる点] 主人公が実は天文学に興味があり理系に実は進みたかったという情報が唐突に生えたこ…
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