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悪魔の娘の幸福論  作者: 朝日菜
第九章 最愛を誓う人と
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第二話 アポロ

「いただきます」


 手を合わせて誰よりも丁寧に言ったアイオンは、テーブルの方へと手を伸ばしポテフの実を掴み取る。そして、アリシア原産のそれにかぶりついた。


「アイオン、そうやって食べると果汁が飛ぶぞ」


 俺よりも年上なはずなのに、俺よりも幼い容姿を持つアイオンの子供らしさが時々どうしても理解できない。

 アイオンの口元を布で拭い、片側に座る別のアイオンへと視線を移す。すると、こっちのアイオンは果汁が飛び散らない食べ方をしていた。


「そうしていると、ホントにアポロオウジがオニーチャンみたいねぇ」


「同じ〝アイオンの分身〟なのに、ここまで違うのか」


 正面に座っていたイザベラとディーノは、俺の両側に座る二人のアイオンを見比べて驚いている。アイオンが二人存在することを今の今まで知らなかった俺だって、アイオンの行動に驚いていた。


「そもそもだけど、分身ってどんな魔法を使ったら実現できるの?」


「オウサマって全然そういうの教えてくれないよね〜。メーリャは? 知ってる?」


「いえ……。ここまで高度な魔法はさすがに」


「その魔法は便利すぎますもの。簡単にできたら世界中が混乱しますわ」


 ファラフ、林杏リンシン、メーリャ、五鈴いすず。みんなが集まってアイオンのことを興味深げに眺めていた。


「これは独学です」


「独学ぅ?!」


「ちょっ、本当?! 誰かに教わったんじゃないの?!」


「これが《古の魔女》……半端なぁい」


 最初の頃はどうなるかと思ったが、アイオンは魔法騎士団の人たちに馴染んでいるように見えた。やはり同じ魔法使いだからだろう。俺とも普通に接してくれるようになってきたが、ベルニアが復活した今いつまでもここにいるわけにはいかない。

 アイオンを残して俺だけベルニアに帰る日が刻々と近づいてきていた。


「あれ? みんなで何を話してるの?」


「あ、マルガリータ」


 見上げると、不思議そうな表情をするマルガリータと目が合った。


「アイオンが半端なぁいって話」


「あ、えっと……そういえば! シャルムにあの箱を渡したんですよね?!」


「ん? うん、渡した渡した!」


 ニコニコと笑って肯定するマルガリータにみんなの視線が集中していく。全員、自分たちが知らないヨハンとシャルムの関係を知りたがっていた。


「どう……だったんですか?」


「どう、って言われても……」


 思い出すように視線をさ迷わせ、マルガリータはしばらく黙る。


「普通に喜んでたよ? シャルムも女の子だしね」


「で、ですよね」


 何を聞いているんだ、俺は。引き攣ったような笑みを零して項垂れた。


「あ、ていうかさぁ……」


「え?」


 視線を全員の方へと落とし、マルガリータは言葉を繋ぐ。


「……なんか雰囲気変わったよね、シャルム」


 首を傾げ、マルガリータは俺たちと同じテーブルにつく。そしてポテフの実へと手を伸ばした。


「…………」


「なるほど。シャルロットは喜んでいたんですね」


「喜んでいたのならそれはとても良いことです。これ以上我々が口出しすることはないでしょう」


「いつまでもセルニアといがみ合うわけにはいかない、か。確かに良いことなのかもしれないな」


 なんで俺は、他の人たちみたいに素直に喜べなかったんだろう。懐にしまっていたブレスレットに軽く触れ、バレないようにため息をつく。


「……アポロ?」


「へぁっ?!」


 シャルムの声がした。急いで顔を上げると、首を傾げたシャルムが俺たちがつくテーブルの傍にいた。


「どうしたの? 何かあった?」


「シャルム! どうしたのはこっちの台詞じゃん!」


「もう動いていいのですか?」


「そ、そうだよシャルム、また何かあったら……」


 ……何かあったら、俺はどうしたらいい?



「何かなんて、もうないよ」



 人差し指を俺の唇に押しつけて、シャルムが微笑んだ。


「……!」


 突然のことすぎて頭がまったく追いつかない。おまけにどうやって体を動かしていいのかわからず、固まったままだった。


「もう、全部終わったの」


 そう言うシャルムには、初めて会った時とは違う可愛さがある。確かに、マルガリータの言う通り変わっていた。


「あれ? シャルム、その首にかけてる物ってさぁ……」


 体を傾けて、林杏がシャルムの首元を見る。釣られて俺とアイオン二人も視線を落とすと、シャルムの首元にネックレスがかけられていた。


「これ?」


 体を傾けなくても俺たち全員が見えるように、シャルムはネックレスを上に上げる。


「ヨハン王子がくれたの」


「へぇ〜! あのオウジガキンチョのくせにやるじゃ〜ん!」


「綺麗ですね、シャルム」


「似合ってるな」


 シャルムが今着ている服はセルニアのナショナルカラーを基調としており、同色のネックレスもとてもよく似合っている。ただ、素直に似合っているとは言えなかった。


「ジュストが言ってたんだけど、こういうのを〝セルニアの王族〟はつけてるんだって」


「……は?」


「んん?」


「…………シャルム、アンタ今なんて言った?」


 ぴたっと全員の動きが止まる。シャルムは、何か不味いことでも言ったのかという風に首を傾げて困惑していた。


「そ、それって、つまり……」


 メーリャが珍しく声を震わせ、シャルムのことをおずおずと指差す。中々次の言葉が出てこないのをじれったく思ったのか、立ち上がったイザベラがこう叫んだ。


「それってプロポーズってことでしょお!」


 なんのことだかわかっていなかったアイオンとディーノは、徐々に目を見開かせて驚きの声を上げる。薄々とわかっていた俺の方は、女性の口から出たその決定的な台詞に驚くことができなかった。


「……え?」


 腑抜けたような声を出すシャルムは、顔を赤くすることなく苦笑いでそれを否定する。


「そんなわけないから。ヨハン王子が私にプロポーズなんてするわけないから」


「えぇ〜、そう? 私はその子に会ったことないけど、もしかしたらもしかするかもしれないでしょお〜?」


 イザベラは納得がいかないように顎に手をやり、思い出したように俺を指差す。


「そういえばアポロ、会ったことあるんでしょ! どうだったの?! どうだったのぉ?!」


「え……えと、その……」


 シャルムと目が合って、急いで逸らした。実際俺がヨハンに会って、思ったこと。

 ヨハンがシャルムを見る時の目は、ただの従者に送るものではなかった気がする。それでも、好きな人へと送るものとも違っていた。シャルムがヨハンを慕うように、ヨハンもシャルムを慕っていた。二人の間にあるのはそういうものじゃない。


「……ど、どうなんでしょうね」


 あははと声に出して笑うと、イザベラに「役立たず」と罵られた。シャルムはイザベラに「ほら」と言って腕を組んだ。


「まぁ、それだけでプロポーズって言うのも無理あるからね」


 ファラフは飽きれたように息を吐き、イザベラはつまらなそうに唇を尖らせる。


「そうそう」


 そして、シャルムは俺たちと同じテーブルについた。久しぶりに、全員で同じ飯を食べた。





 イザベラの言葉を、何度も何度も自分の脳内で再生させる。


『それってプロポーズってことでしょお!』


 興奮気味に上げられたその言葉にドキドキなんてするはずがない。だって、ヨハン王子はまだ幼いから。


(……それに、ヨハン王子は私の主。それ以上でも以下でもない)


 なのになんで胸がざわざわするんだろう。少し頭を冷やす為に、私はバルコニーへと向かっていった。


「あ」


 ぴくっとアポロの肩が震える。バルコニーには風が吹き、私たちの髪を揺らした。


「アポロもいたんだ」


 アポロは言葉になるかならないか程度の曖昧な返事をする。胸はまだ、ざわざわしていた。

 互いが互いに何も言わないから、私たちの間が静まり返る。だいぶ間が開いた後、思い切ったようにアポロの方が口を開いた。


「……お前、いつセルニアに戻るんだ?」


 風に乗って聞こえた声は、私の鼓膜を震わせる。不安げなアポロの横顔は、地平線というただ一点を見つめていた。


「う〜……ん。もう悪魔の力はないし、早くて明後日かな」


 そっかと、声は届かなかったけれどアポロの唇がそう動いている。地平線を見ていた瞳は、いつの間にか地面を見つめていた。


「……よ、良かったな! ほら、もう悪魔じゃなくなったんだし!」


 急に私に向けてきた笑顔は、どう見ても無理しているようで見ていられない。


「うん、そうだね……」


 セルニアに〝帰らなきゃ〟。そう思うのに、もっとここにいたいとも思った。

 矛盾していることは、痛いほどにわかっていた。


「……ねぇ、アポロ」


「ん? 何?」


「〝悪魔の娘〟だったこと、言わなくてごめんね」


「なんだよ急に。別にそんなこと謝らなくてもいいって」


「でも」


「シャルムは何も悪くない。俺はお前を恨んでないよ」


「……ごめん、ありがと。私、もう出るね」


「ん、おやすみ」


 胸が張り裂けるくらいに痛くなって、逃げるように私はその場を後にした。





 城内の廊下をがむしゃらに走っていると、前方から声が聞こえてきた。俯いていた視線を上げると、アトラスが片手を上げている。


「シャルム、ちょうど良かった。これから少し、二人きりで話をしないか?」


「ッ?!」


 断る理由が私にはなかった。忘れかけていたけれど、そもそも私は強くなったらアリシアへと帰還して――アトラスと話そうと思っていたのだ。


「……うん」


 ただ、今は頭がごちゃごちゃとしている。いや、だからこそアトラスと話して落ち着かせよう。


「こっちに来てくれるか?」


 黙ってアトラスに従う為に、私は一緒に歩き出した。ついでにこの気持ちの正体を知れたらいい。アトラスがこの理由を知っているようにと願って、広々とした部屋に私は足を踏み入れた。

 アトラスに座るように促されて、その通りに座る。目の前に座ったアトラスを見上げて、居心地の悪さと懐かしさが同時に混み上がってくるのを知った。


「もう良くなったみたいだな」


 うんうんと頷くアトラスに、「みんなの……アトラスのおかげ」と返す。そして


「……ごめんなさい」


 頭を下げて謝った。あまりにも急過ぎたのか、アトラスが目を見開いた。

 私は俯き、次の言葉を探しながら謝罪を続ける。


「まず、酷いことを言ってごめんなさい」


 アポロたちが魔法学校に行くちょっと前のことをぼんやりと覚えている。


「連れ去られて、迷惑かけて、ごめんなさい」


 思い返せば返すほどにアトラスだけが私の唯一の命の恩人だったのに、恩を仇で返したような罪悪感が溢れてくる。


「……悪魔になって、ごめんなさい」


 ぽたぽたと手の甲に涙が落ちた。謝り始めたら止まらなくて、ぐっと唇を思い切り噛む。そんな私の懺悔を、アトラスは黙って聞いていた。


「顔を上げろ、シャルム」


「…………」


「俺は怒ってなんかいない。お前が無事に帰ってきてくれて本当に良かったと思っている」


「……アトラス」


 柔らかく笑うアトラスに抱き寄せられる。私よりも大きなアトラスは温かくて、顔も覚えていない父親と心で重ねる。


「アトラス……! あのね、私……セルニアに帰らなきゃって思うのに、アリシアにいたいって思ってるの……! なんでかな、私、自分で自分がわからない……!」


 話し出すにつれて嗚咽を上げた。本当に何もかも止まらなかった。


「お前がずっとここにいたいなら、俺たちはお前を歓迎する。ヨハン王子の従者だからと言って、無理にセルニアに行く必要はないんだからな」


「…………、」


 とんとんと、アトラスが私の背中を優しく叩く。


「例え俺たちが離れ離れになったとしても、心は一つだ」


「…………うん」


 輝くような笑顔がアトラスを彩る。私はそれで何故だか満足してしまった。


「アトラス、ありがと」


 涙を拭き、礼を言う。


「で、その……アトラスの話したかったことって何?」


 つい自分のことばかり話して、アトラスの話を一切聞いていなかった。申し訳なさでいっぱいになりながら尋ねると、アトラスは苦笑いをして「いいのか?」と聞き返す。


「なんでも言って」


 アトラスはしばらく私を見定めるように見、口を開いた。


「お前はセルニアで、幸せだったのか?」


 私がアトラスの話を理解している間、静寂が部屋を包み込んだ。何一つ物音はせず、少し不気味だった。


「……どう、だろ」


「……ん?」


 眉間にしわを寄せ、私は声を振り絞る。記憶に焼きついていた大雨の日の出来事は、とてもじゃないけれど幸せとは呼べなかった。

 その他にも色々あった。本当に、色々あった。


「……どっちでもないかな。良くしてくれた人と一緒にいた時は、楽しかったよ」


「そうか」


 片手で頭を抑えるアトラスの表情は見えなくて、私は何か変なことでも言ったのかと思う。そのまま互いに何も言わず、私がそろそろ出ようとした時だった。


『アトラス王よ!』


「なんだ?」


 不動のまま、アトラスは口だけを動かす。外にいる誰かは、焦ったように声を張り上げた。


『悪魔の手先のバケモノが出ました!』


「わかった。今すぐ魔法騎士団を……」


「私が行く!」


「……は? いや、シャルム! 何を言って」


 顔を上げたアトラスは、目を見開いていた。私は何かを言われる前に、袖に忍ばせている暗器を見せた。


「今の私には、これがあるから!」


 今だから思う。確かに、あの時の私のままじゃ戦争なんてできなかっただろう。

 だからこそ余計に今戦いたいと思うのだった。

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