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悪魔の娘の幸福論  作者: 朝日菜
第八章 終わりを告げる
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幕間  守りたい人よ

「クソッ!」


 拳を机に振り下ろす。鈍い音がして、その痛みに顔を歪めた。

 アリシアのメイドであるシャルムが連れ去られて早一ヶ月が経過する。だが俺は、シャルムの行方を掴めずにいた。


(いや、大体はわかっているんだ)


 そう自分に言い聞かせては、セルニアに文を送り続ける日々を過ごす。それでも、国王からの返事は「知らない」の一点張りだった。


「アトラス」


 許可もなく開かれた扉から、アイオンが姿を現す。俺は顔を上げて、咄嗟に傷ついた拳を隠した。


「私が、シャルロットに出逢いました」


 アイオンのその言葉は、よくわからないものだった。だが、よくよく話を聞いてみると――ベルニアに残ったアイオンの分身の話だった。

 そんな彼女からの報告は、信じられないものだった。


「なんだって?」


 悪魔――それは、俺が恐れていた事態の一つだった。


「…………」


 無言になって、ずるずると壁に寄りかかり――落ちる。そして髪をくしゃっと掴んだ。


「アトラス王!」


 アイオンよりも大きな音を立てて扉を開けたディーノは、瞳に強い怒りを宿している。


「悪魔とはどういうこと……」


 なんだ、と、小さくディーノが呟いて口を閉ざした。目の前の王にだってわからないことを聞いてどうするのだと思った。


「……俺は、守れなかったのか?」


 低く自問自答する俺に、ディーノは戸惑い気味な表情を浮かべる。そして、自身の手をじっと見つめた。

 あの日あの場所にいて届かなかったその手に変化はどこにもなかった。





 そして流れた時は長く、再会はあまりにも残酷だった。あどけなさを残しつつも顔立ちが整っているシャルムは、悪意を纏いながら悪魔として空に浮いていた。


「貸せ!」


 俺は人々の間に割って入り、キングドラゴンの血を頼りに魔力でシャルムの体を調べる。すぐに、シャルムの体内にある臓器が壊れていることに気づいた。


「……ぁあ、ぁぁあぁっ!」


 ぴちゃっ、と、俺の頬に温かい液体が飛び散る。頬から重力に従って落ちたそれは、血液だった。


「おいっ!」


 瞬間、アポロ王子がシャルムの右手を握り締める。ほぼ同時に左手を握ったのは、ヨハン王子だった。


「メーリャ、ディーノ!」


 魔法騎士団の幹部を呼ぶ。古株であればあるほどシャルムの力を理解している彼らは俺の元へと駆け寄ろうとして――ある人物に制された。


「ッ!?」


「手伝おう」


 俺の隣にしゃがみ込んだのは、セルニアのリシャール王子だった。


「兄さん……お願いします」


 クイーンドラゴンであるアンリ王子も来ている。キングドラゴンはほとんど絶滅したというのに、クイーンドラゴンである彼は当たり前のようにここにいた。

 アンリ王子は悪魔に対抗する力を有しているが、魔法が使えないせいですることもなく棒立ちしている。フランク王子も、ジュスト王子も。だが、こうなることがわかっていたような表情をアンリ王子とフランク王子がしていた。


「手伝う、ことは……」


「アイオン! お前は寝てろって!」


 アイオンを制し、アポロはシャルムの表情を見下ろす。俺はリシャール王子と視線を交わし、シャルムの体を綺麗に治した。

 流れ出て止まらなかった血液は、固まり癒える。だが、悪魔の力が完全に消えたわけではなかった。だから簡単にシャルムを人間にしてやることができなかった。


「どうなんだ」


 リシャール王子の問いかけに、俺は例の文の山を思い出す。あれほど帰してくれと言ったのに、帰ってこなかったシャルムが今俺の目の前にいる。


「怪我は治った。ただ、悪魔としての力は残ったままだ」


 シャルムに視線を合わせた。シャルムは、不安そうに俺を見上げていた。

 俺はシャルムに安心するように微笑み、改めてリシャール王子に向き直る。


「だから、一度我が国に帰還し治療をする」


「はぁっ?!」


 ヨハン王子が立ち上がり、しゃがむ俺を必死に見下ろす。


「オネーサンは俺の従者だよ?! だから治療ならセルニアが……」


「シャルムの国籍はアリシアだ」


 ヨハン王子を見据えると、ぐっと言葉を飲み込んだ。

 後ろの方では、小さく唇を噛み締めるフランク王子とアンリ王子がいる。ジュスト王子だけが、本音は悲しいがその方がいいとでも言いたげに小さく頷いた。


「異論はないな?」


「……あぁ、ないな」


「リシャール兄さん……」


 拳を握り締めるヨハン王子を見てか、シャルムが体を起こそうとする。それをアポロ王子が優しく支えていた。


「だが、ヨハンの言う通りシャルムはヨハンの従者だ。治療が完了したら帰してもらおう」


 ぴくっと俺の眉が動く。不服だが、それもまた正論だった。


「……必ず」


 頷き、そして立ち上がる。アポロ王子に支えられながら立ったシャルムは、自分の主を見つめていた。


(シャルムは、アリシアよりもセルニアの方が良かったのだろうか……)


 先ほどのアポロ王子の質問には、俺も充分に興味をそそられた。その話は、いつかシャルムに聞こうと思う。


「必ず、俺のとこに帰って来てよ?」


「……はい、ヨハン王子」


 俺の知らぬ間に大人になっていたシャルムは、ヨハン王子に頭を撫でられていた。複雑な想いをうやむやにし、俺は踵を返す。


「皆様、ご心配をおかけしてすみませんでした」


 俺が守りたいと思ったシャルムは、綺麗な敬語で謝罪した。

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