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悪魔の娘の幸福論  作者: 朝日菜
第八章 終わりを告げる
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第二話 シャルムの記憶

 シャルロットの心が見える。

 私は息を止め、彼女の中へと突き進む。すると、シャルロットの記憶が私の中に入り込んできた。


『初めまして、シャルロット。俺と一緒に来てくれるかい?』


 彼はアトラス。シャルロットを私よりも先に救おうとした人。

 リトポス教の宣教師、ザック・マクイーワンに処刑宣告をされたシャルロットに、一瞬だけ光が差した。それは、生まれて初めてシャルロットが〝嬉しい〟と思った記憶だった。


『……ずっと、一緒。……だよ』


『当然だ。……ずっと傍にいる』


 シャルロットとディーノ。シャルロットはこの時、心の底から笑っていた。


『ただ、私は彼らとは違う。違うから、私はメイドなんだと思う』


 シャルロットの魂が泣いていた。けれどシャルロットは、それを表情には出さない。それは、シャルロットなりの強がりだった。


『シャルムは、魔法騎士団の人たちに負けないくらい強い人だよ』


 そう言った私の大切なアポロも、泣いていた。この時のアポロの行動が、今後のシャルロットを支えているとシャルロットの魂が語っていた。


『だからさぁ、俺と一緒に来ない?』


『え……?』


『だってオネーサン、このままだと可哀想だしさ』


 シャルロットはヨハンの手を握った。それは、生まれて初めてシャルロットが考えて行動した結果だった。


『……もう少し、傍にいてくれませんか?』


 雨に打たれたアンリが言う。シャルロットの魂が、悲しんでいる。それはただの悲しみではなく、シャルロットが初めて他人を思いやった〝悲しみ〟だった。


『私、は…………っ!』


『あぁ、行ってこい』


 シャルロットの絶望が舞う。一つのことではない――たくさんの小さなすれ違いが、シャルロットのことを苦しめていた。シャルロットとフランクの共通の記憶が、さらにシャルロットを悪魔に堕とすことを促していた。


「シャルロット」


「……アイオン」


 蹲っていたシャルロットが、小さく呟いた。


「……なんの用?」


「シャルロット、みんなのところへ戻りましょう」


「どうして?」


 虚ろな目が私を捉えた。


「私は、〝悪魔〟でもいい。どっちにもなれないなら、〝悪魔〟になった方が楽だから。みんなを苦しめてしまうなら、死んだ方がいいから……だから、壊す。壊して、お願いだから、罰して」


「シャルロット、落ち着いてください」


 シャルロットはじっと私を見上げて淡々と答えた。虚ろな目は決心で固められていて、私の目を離さなかった。


「シャルロットは、本当にそれでいいのですか」


「何を聞いているの……それでいいってさっきから言ってるでしょ」


 シャルロットが眉間にしわを寄せた。疑問に満ちたその目に、私は静かに語りかける。


「貴方は〝悪魔〟ではありません。汚れなき魂を悪意で汚されてしまっただけの子供です。私はずっと、そんな貴方を救いたかった。アリシアにいるのなら、アトラスの手を取ってでもシャルロットのことを救いたかったのです」


 今まで見てきたシャルロットの記憶を思い出す。決していいことばかりではなかったけれど、なかったことにしていい記憶なんて一つもない。

 全員の記憶にいるシャルロットは、ちゃんと〝人間〟だった。だからそんな悲しいことを言って〝悪魔〟になろうとしてほしくなかった。


「シャルロット、思い出してください。本当に全部、手放していいんですか。私は貴方を、きっと救ってみせますから、だから」


 瞬間、一瞬だけ世界が光った。強い光は小さくなり、シャルロットの周囲を回る。


「……〝彼〟が、シャルロットの光だったのですね」





「……〝彼〟が、シャルロットの光だったのですね」


 アイオンが、安心したように小さく笑った。シャルロットの笑顔を見たのは初めてだった気がする。


(彼……? 光……? アイオンは一体、何を言っているの?)


 彼女の台詞がわからなくて、眉を顰めた。


「シャルロットは、その人のことが好きなんですね」


 気づけばアイオンは私の隣に来ていた。そして、軽く肩を叩いた。


「私の……好きな人?」


「その方との記憶だって、他の人との記憶だって、なかったことにしていいですか? 私は、前にシャルロットに言ったはずです。みんなシャルロットのことが好きなんですよ」


「……ッ!」


「そうでしょう? シャルロット」


 良くない過去があったから、今がある。今、私は――本来の人生だったら出逢うはずもない人たちに出逢っている。

 これも、〝運命〟なのだろうか。



「……私は……周りを全然見ていなかった」



 今だからこそそう思う。





 上空から落下してきたシャルムを受け取る。アイオンは、隣で目を閉じたまま立っていた。


「頼んだぞ、アイオン……!」


 頼むことしかできない無力さが、一番悔しい。瞬間、誰かに肩を叩かれた。


「……?」


「大丈夫ですよ、アポロ」


「お前……アンリ?!」


「久しぶりですね、アポロ」


 俺の肩を叩いたアンリが、拳を握り締めて優しく笑った。


「……あぁ、そうだな!」


「ちょっとちょっと! そこのアポロ!」


「ッ?!」


 ずんずんと俺たちの元へと歩いてくるヨハンは、俺の腕の中にいるシャルムを抱き抱える。


「あ」


「オネーサンは俺の従者だから! 気安く触んないでよね!」


 そういえばそうだっけ。俺は返す言葉も見当たらないまま、セルニアの人たちに囲まれるシャルムを見ていた。

 誰もが心配そうな表情をしていて、シャルムは愛されているんだなと思う。現に、セルニアの王族の従者となって俺たちの元に現れたんだから。


「に、兄さん、シャルムは無事なんだよね?」


 ジュストが慌てて兄たちに尋ねる。


「恐らくは、そうだろうな」


 リシャールさんが、眉間にしわを寄せて不安げに呟いた。


「俺にはただ眠っているように見えませんが……」


 ヨハンの従者と思われる奴は、両手を握って祈るように眼を閉じた。


「いや、実際ただ眠っているだけなんだろう。……《古の魔女》、アイオンによって」


 気を取り直したリシャールさんがシャルムの頬を少し触り、次に俺の隣に立つアイオンに視線を向けた。


「もぉ〜! オネーサン、早く起きないと承知しないんだからね!」


 言葉とは裏腹に、この中の誰よりも泣きそうになっているヨハンが叫ぶ。


「…………」


 俺は、シャルムがもう二度と俺たちの元へと帰ってこないような気がしてざわつく胸を押さえつけた。

 ずっと、シャルムがセルニアにいるような気がした。


「……アポロ?」


 不意に顔を上げたジュストが、俺を見て首を傾げる。俺は決意を固めて口を開いた。


「なぁっ!」


 歩を進めると、ジュスト以外のセルニアの人たちも俺に視線を向ける。アンリもそっち側の人間だったが、心配そうに俺を見上げた。


「なんだ、用があるなら手短に言ってくれ」


 リシャールさんが低く、威圧的に言う。


(手短に……)


 言いたいことを瞬時に纏めて、俺は大きく息を吸った。これだけはどうしても知っておきたい、大切なことだった。

 それは――


「シャルムは、〝幸せ〟でしたか?」



 ただただ、それだけだった。


「はぁっ?!」


 心外だ、とでも言いたげにヨハンが大きく顔を歪める。リシャールさんは、目を細めて俺を睨んだ。

 ジュストとアンリは、逆に目を丸くした。後から来たフランクさんは、腕を組んで俺の話を聞いていた。


「俺、ずっと考えてたんです。フランクさんに連れ去られたって知った時から、シャルムは今、セルニアでどんな目に遭っているんだって」


「アポロ……」


 ぐっと、俺は拳を握り締める。もう後には引けなかった。


「教えてください! シャルムはセルニアで、笑っていましたか?!」


 特に俺が見ていたのは、ヨハンだった。ヨハンの従者になった時の話は、アイオンから少しだけ聞いている。

 けれど、それだけじゃ何もわからな――


「さぁな」


「ッ?!」


 唐突に、そして簡潔にリシャールさんが遮った。


「えっ、リシャール兄さん?!」


「どうなんだ? ヨハン」


 慌てるヨハンに、リシャールさんが問いかける。そして、「お前が一番わかっているだろう」と続けた。

 ヨハンは唾を飲み込んで、ゆっくりと俺を見上げた。


「……笑ってた」


「……ッ!」


 少しだけ、ジュストが体を動かした。顔を半分隠しながら、視線を戸惑い気味に落としている。


「ジュス……」


 刹那、白い光がシャルムから溢れ出てきた。ジュストへと伸ばしかけた手を抑え、急いでアイオンの方を見る。


「アイオン!」


「ねぇ! オネーサン!」


 白い光が消えた時、二人が同時に目を覚ました。


「……あ」


 シャルムが声を発した刹那に、歓声が沸く。

 俺はセルニアの人たちを見て、シャルムは本当に愛されていたんだと知った。


「う……っ!」


 シャルムが次に発したものは、呻き声だった。


「シャルロット?!」


 駆け寄ろうとしたアイオンは、力なくその場に倒れる。


「無茶すんなって! 体力使い果たしてんだろ?!」


 けれど、アイオンが心配するのも無理はなかった。


「なんで……」


「貸せ!」


 俺たちの間にアトラス王が割って入る。魔力でシャルムの体を調べている間も、シャルムは悲鳴に似たような声を出していた。

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