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悪魔の娘の幸福論  作者: 朝日菜
第八章 終わりを告げる
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第一話 悪魔と魔女

「ヨハン王子……アイオン……アポロ……」


 ぶつぶつと、呪文のように彼らの名前を呼び続ける。残った人は私だけではなく、負傷者の手当をする騎士たちも残っていたのだけれど――私だけが動けなかった。


「辛気くせぇ面してんじゃねぇよ、シャルム」


「ッ!?」


 どこからか声が聞こえてきた。ただ、どこにも彼の姿はなかった。

 不意に、地面に小さな点が映る。まさかと思って顔を上げると、そこにはフランク王子がいた。


「……ッ、フランク王子!」


 思わず身構える。人の姿で浮くフランク王子は、何故か隣にアンリを連れて笑っていた。

 アンリはクイーンドラゴンの銀翼を背中に生やし、フランク王子と共に浮いている。その顔には笑みがなく、初めて会った頃に見た柔らかさというのが一切ない。なのに、隣で飛ぶフランク王子の目はギラギラとドラゴンのように輝いていた。


「よぉ」


 華麗に地に足をつけたフランク王子は、一気に不満そうな表情で私との距離を詰める。子供みたいにころころと表情が変わる人だ。セルニアの第二王子という地位にいる人なのに。


「おい、返事くらいしろよ。独り言言ってるみてぇじゃねぇか」


 文句を言う姿はいつまで経ってもまったく同じで、私は数歩後退する。


「……来ないで」


 それでフランク王子の足が止まるわけがないと私は知っていた。私よりも背が高いフランク王子は、気にもしない様子で私のことを見下ろした。


「お前、ヨハンやリシャール兄さんに置いてかれただろ」


「ッ!」


「やっぱりな」


「…………だったらなんですか」


 すると、フランク王子は急に真面目な表情をみせる。そんな彼が出した言葉は簡潔だった。


「どう思った」


 彼が言った言葉はそれだけだった。


「どう、思ったって……」


 〝私なんて、生きている価値はないに等しい〟。­­


「……無力だな、って」


 俯いても見えるのは地面だけだった。地面は何も答えてくれない。それでもフランク王子を見るよりかはマシだった。


「本当はそれだけじゃねぇだろ」


 驚いて、思わず顔を上げてしまう。紫色のドラゴンのような目は私の目を捉えて離さず、逸らすことを一切許さなかった。


「……違う」


 瞬間に慌てて口を塞ぐ。今、自分が言った言葉は――なんだった?


「私は……」


 本当は、ずっと前から思っていた。


「私、は……」


 〝悪魔の娘〟としてこんな運命を背負わなければいけないのなら、〝悪魔〟でもいいって。アトラスやメーリャたちに迷惑をかけるくらいなら、〝悪魔〟として殺してくれって。


「私はっ、……私は……!」



 ずっとずっと、普通の人として幸福に生きたかった。



「私、は…………っ!」


 背中から溢れてくるどす黒い力を押さえつけて、やめた。みんなに助けを乞おうとして、誰もこの力の止め方を知らないことに気づいて、どうにでもなれとさえ思ってしまった。


 荒々しくなった息を整え、同じく地面に下りたアンリを見据える。クイーンドラゴンの力を制御できるようになったアンリは銀翼を内にしまい、黙ったまま私のことを眺めていた。言葉なんて、何一つかけてくれなかった。


「……行かなきゃ」


「あぁ、行ってこい」


「行かなきゃ……」


「本当に、行くのですか?」


 ようやくアンリに声をかけられる。けれど、吐き出す言葉は決まっていた。


「……気が済まない」


 私はアンリを見上げる。


「……この手で、すべて壊さないと」


 地面を蹴って空へと飛び立つ。悪魔の翼を目一杯動かして、先を行く彼らの後を追った。

 自分の体が自分のものじゃないくらいに軽い。毛むくじゃらの手足が見える。私はずっと私だったけれど、今の私は自我のある悪魔だった。


 瞬間、遠い東の地で雷が落ちた。闇から振り続ける雷は、安曇あずみの首都を壊滅させようとしているようだった。

 その暗い雲間から、金色の光が見える。最初は雷かと思ったけれど、金色の光はずっと雷とは違う動きを見せていた。


(あれは……)


 曖昧な情報で得た答えは、ほとんど直感で出したものだ。


「……会いに、行かなきゃ」


 その理由に、かつての〝知りたい〟という願望はない。ある意味私の人生を狂わせたと言っても過言ではない人物が安曇の首都にいるのなら――


「絶対に、許さないから」


 ――好都合だった。


 あの人との出逢いは今でも鮮明に覚えている。けれど、何故あの時私の命を助けたのかは未だに聞けていない。もう知らなくていいことなのかもしれないけれど、あの人の隣にいたあの人のことも私は未だによく知らなかった。

 彼が来ているのなら、彼も絶対にこの地に来ている。今までずっと兄のように慕っていた人で、その人の背中を見て育ち、その人の教えで生きてきた。私の人生を狂わせた人の騎士である彼とは、他の誰の間にもない絆のようなものがある気がしていた。


 そんな二人に会えるのなら、今すぐ会いたかった。そして、このまま行くとアポロとヨハン王子に会うこともわかっていた。

 あの二人との出逢いは、少し似ているかもしれない。


 わけがわからないままに連れ去られた土地で出逢った、王子様。二人とも周りの人に慕われていて、私のことを引っ張ってくれた。

 そういう意味でも、フランク王子だって私の人生を狂わせている。何度も何度も酷いことを言われて、でもそれは事実で。どうしても嫌いにはなりきれなかった。


 ついさっきまた会えたアンリのことも、嫌いにはなりきれなかった。アンリにはすごく共感できたし、どうしても放っておけなくて、傍にいると一番落ち着く。

 彼がこれから人として生きていくのかはわからないけれど、悪魔として生きていくと決めた私と彼の人生がもう二度と交わらないことは明白だった。


 それが正しいとでも言うように、東の空が明るく光った。

 悪魔はどこにもいなかった。





 空が晴れ、人々が歓喜に湧き続ける。すべてが終わったのだと、当然のように誰もが思っていた。


「…………」


「…………」


 だが、刹那に空気が張り詰める。

 セルニア国第一王子、リシャール・セルニア。そして、アリシア国国王、アトラス・アリシアの対面はそういうものだった。


 クイーンドラゴンとキングドラゴンの姿を保つ二人の会話は常人には聞こえない。それでも、二人は間違いなくドラゴンの言葉で話していた。


「何故、セルニアの連中が我が国にいるんですの?」


「悪魔が来るから、世界一強いセルニアがわざわざ助けに来てあげたんだよ〜? オネーサンたちはなんなのかな? 来るなんて聞いてなかったんだけど」


「安曇は私の祖国ですわ。アイオンと私の予言でこの国に来ることがわかったのですから、来ないわけないでしょう」


五鈴いすず、よく戻ってきたな」


 五鈴とヨハンが視線を移す。そこには、安曇の第一皇子である獅子王一覇ししおういちはその人が立っていた。

 世界最強の戦闘民族であるディアボロスの血を引くだけではなく、世界で最も希少な東洋人と東洋にしか存在しない鬼の血まで引いている五鈴の兄。そんな彼の後ろには、〝亜人キョウダイ〟と名高い亜人のキョウダイたちが揃ってアリシアとセルニアを警戒していた。


 亜人の血が混ざった者が王として統治している三国が一堂に会している。計り知れない緊張感がこの場には存在していたのに、それを破った者がいた。


「やっぱり、来てたんだ」


 その声を知っている者だったら、全員何故彼女がここにいるのだと瞬時にそう思っただろう。いるはずがないと、リシャール、ヨハン、アポロは思っていた。なのに、確かに聞こえてきた声の持ち主は――


「シャルロット」


 アイオンが、唯一冷静に彼女の名前を呼んだ。

 全員で上空を見上げると、悪魔の翼を隠しもせずに飛ぶ悪魔のようなシャルムがいた。


「しゃ、シャルム……?」


 慌てて人の姿に戻り、アトラスも彼女の名前を呼ぶ。


「アトラス、会いたかった」


 シャルムは淡々と言葉を返した。最後に会った時よりも確実に冷淡になったシャルムがそこで飛んでいた。


「なんっ……で……」


 それ以上、ヨハンの口から言葉が出ることはなかった。自分の従者であるシャルムの表情は、ただただ幼いヨハンを苦しめた。


「悪魔に、なったのか」


 アトラスは言葉にすることで状況をようやく飲み込んだ。いつかは来るような気がしていたが、大丈夫だと高を括っていた。アトラスは、守れなかったのだと再び思った。


「どうして……! だってさっきまで普通だったじゃねぇか!」


 アポロは納得できなくて叫ぶ。ベルニアを、そして安曇を襲った悪魔とまったく同じ姿をしたシャルムのことを認めたくなかった。〝悪魔の娘〟だと知っていたのに、人であるとずっとずっと信じていた。


「シャルロット、私は貴方を救います」


 アイオンだけが折れなかった。自身の体力を確認し、無言で杖をシャルムに向ける。

 ディーノやエメリヤンを含んだアリシアの魔法騎士団の幹部全員は、そんな彼女に託すことしかできなかった。



「ファオス・パントモルフォス」



 千年を生き、自らの分身を何人も保有する《古の魔女》――アイオンに。

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