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悪魔の娘の幸福論  作者: 朝日菜
第七章 悪魔が向かう地
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第一話 悪魔とドラゴン

『ねぇ、オネーサン。あまり俺の目の届かないところに行かないでくれる?』


『えっ?』


『ほら、前みたいにフランク兄さんに連れ去られても困るし』


『そう……ですけど。フランク王子がそろそろ悪魔の力を研究するって言っていて……』


『そうなの? やっと準備が整ったんだ……。ポンコツがなんか関わっていたらしいから気をつけてね? オネーサン』


『えっと……ヨハン王子は知らないんですか?』


『ん? 知らないって何を?』


『あっ! いえ! なんでもないです!』


 アンリが人に化けたクイーンドラゴンであることを、アンリと王以外の人は知らなかった。ドラゴンと知っていたらそう簡単にポンコツだとは言えないだろう。そう思うから。

 隠している理由はわからないけれど、そのせいでアンリが余計な悪口を言われてしまうのはどうしてもいいと思えなかった。けれど、アンリ本人が言わないのなら私からも言える話ではなかった。


「……はぁ」


 気づけばため息をついていた。それは、先日のヨハン王子との会話を思い出したせいだった。

 確かにヨハン王子の言う通りなんだけど、一人になったアンリは大丈夫なんだろうか。ずっとアンリのことが気にかかっていた。


「なんでそんな顔してるのぉ? オネーサン」


「ヨハン王子……」


 答えにくくて言い淀む。ヨハン王子は私のことを気にかけつつも、安曇あずみの方へと視線を向けた。


 フランク王子の研究にしばらくつき合って判明したことだけれど、悪魔が次に襲撃する可能性が高いとされているのは安曇だった。

 安曇は五鈴いすずの故郷である東洋の島国だ。私と同じ力が安曇の空に蔓延しているらしく、事前に安曇に連絡して悪魔の力がわかるようになってきたヨハン王子と共に向かっている。


 安曇を、そして世界守る為に進んでいるのに、どうしても私はセルニアに残してきたアンリのことを気にしてしまう。見上げると、箒に跨り先行するヨハン王子がいた。

 今は、友達よりも自分の主人のことを考えよう。無理矢理自分に言い聞かせて、私はゆっくりと前を向いた。


「みんな、見て! 安曇が見えてきたよ!」


 ヨハン王子に続いて「はい!」とたくさんの人の声が重なる。その中にはもちろん私もいるし、同じ従者のロイクもいた。

 今さらなことだけれど、自分の主人がこんなにも慕われていることを誇りに思わずにはいられない。この中の誰よりも遅くにヨハン王子に出逢った私は、誰にも見られないように小さく笑った。その時だった。大空に裂け目ができ、禍々しい力が降ってきたのは。


 死んでしまった。真っ先にそう思った。爆風と熱が私たちに一気に襲いかかり、一瞬息さえできなかった。

 なのに私は死んでいない。恐る恐る瞳を開けると、目の前に巨大な壁が出現していた。……いや、クイーンドラゴンとなったヨハン王子が立ち塞がって私たちのことを守っていた。


(違う……)


 守られていたのは、ほんの一部の人だけだった。他の王子よりも小柄なヨハン王子のドラゴン姿で守れる人はそんなにいない。

 右を見ても、左を見ても、見るも無惨な死体ばかりが真下の海に落ちていった。


「ぁ……」


 誰かが傷ついたヨハン王子の名前を呼ぶ。誰かが叫ぶ。

 見上げると、ドラゴンの姿のままで戦おうとするヨハン王子の位置が徐々に徐々に下がっていた。


 誰と戦おうとしているの? その答えは一瞬で出た。


 悪魔たちはヨハン王子が繰り出す魔法で傷を負っては再び襲いかかろうとしている。


「ヨハン様っ! ヨハン様ぁっ!」


「ッ!」


 まだ夢の中の出来事だと思っていた私は、お姉さんの焦りを交えた声で我に返った。


「体が……お願いだからそれ以上動かないでっ!」


「ヨハン王子……!」


 両翼を震えさせ、息を切らすヨハン王子の元へと思わず羽ばたく。そして自分の未熟さを悔やんだ。


(さっき……私、怖いって思った)


 悔しくて、情けなくて、どうしようもなくて、歯を食い縛る。けれど戦わなくてはならなかった。

 ヨハン王子の鱗に触れ、自分の力を奮い立たせる。ただの騎士では歯が立たず、まともな戦力はヨハン王子のみというこの状況――。


 私だって、生半可な気持ちでヨハン王子の従者になったわけではない。ヨハン王子が戦い続けている限り、いや、ヨハン王子が前線から離れても、私は戦わなくてはならない。

 刹那、何者かが放った矢が飛行する悪魔の胸を貫いた。


「な、何……?!」


「大丈夫か、ヨハン!」


 熱風が周囲に吹き荒れる。それとは関係なく涙が溢れて止まらなかった。

 口元を手で覆うと、涙がそこに伝う。会えなかった歳月は、私が思っている以上に長かった。


「……会いたかった」


 辛うじて出た言葉が空を飛ぶアポロの耳に届くわけないのに。わかっているのに言わずにはいられなくて、私は傷ついたヨハン王子の飛行を手助けしながら彼の姿を目で負った。


「大丈夫?! シャルム!」


「あっ、はい……!」


 アポロを箒の後ろに乗せて飛行するアイオンは、両手を正面に突き出して唇を小刻みに震わせる。

 私も戦わなくちゃ――そう思うのに体が上手く動かない。アイオンは、たったそれだけの間で呪文をすべて詠唱し神々しい光を放った。それがあまりにも眩しすぎて、私は思わず瞳を閉じた。





「ん……」


 うっすらと目を開けると、そこには何故かアポロがいた。なんでだろう。さっきまでアイオンと共に飛んでいたのに。


「シャルム!」


 アポロの目には涙が溜まっていて、私の頬に落ちる。私は思わず手を伸ばし、アポロの頭をゆっくりと撫でた。


「やはりシャルロットもいたのですね」


「あぁ……。ほんとに間に合って良かった……!」


 最後に見た時よりも逞しくなったアポロが微笑む。アイオンだけが、私が悪魔としての力を覚醒させたこととコントロールできることを知っていた。


「アポロ……アイオン……」


 私は気絶していたのだろう。まだ何もしていないのにと、心の中で誰かが言った。


「あぁ〜! マジで良かった〜! アンリが帰ってったから心配はしてなかったけど、めちゃくちゃ会いたかったぞ〜!」


 そのまま痛いくらいに抱き締められる。けれど全然嫌じゃなくて、幸せだった。


「……ごめん」


 だから私も抱き締め返した。


「ちょっとちょっとちょっと! オネーサンに何してるの?!」


 アポロの体が離れたと思ったら、銀色の髪が揺れる。よく見ると、ヨハン王子がアポロの赤毛を引っ張っていた。


「いだだだだだ!」


「よっ、ヨハン王子!?」


 ヨハン王子を止める為に、慌てて二人の間に割って入る。すると、ヨハン王子が不満げに私のことを引き寄せた。


「そっ、そういえば! さっきの悪魔はどうなったんですか?! それにここは安曇の城でいいんですか?!」


 見回しても悪魔はいない。悪魔と引き換えにして広大な庭園の中央にいたのは、後方にいるはずのリシャール王子だった。

 リシャール王子は私を一瞥し、次にアイオンに視線を向ける。〝悪魔の娘〟である私と話がしたかったのか、彼がこちらに向かっている中――爆音が、どこからともなく聞こえてきた。視線を移すと、遠くの空が闇に覆われていた。


「なっ、なんだ?!」


「あっちにあるのって……首都じゃない?!」


「安曇の首都に悪魔ぁっ?!」


「それって王子が危惧してた通りじゃないっ! 安曇の皇族め……ディアボロスはやっぱり滅ぶべきなのよっ!」


 みんなの表情が次々と憎しみに染まっていく。


「行くぞ、みんな! 安曇の国民を守るんだ!」


 そんなみんなをリシャール王子が一つに纏め、次々と空へ飛んでいった。

 ヨハン王子も傷が癒えたことを理由に向かおうとする。アポロも、アイオンの元へと駆けて首都の方へ向かおうとした。


「オネーサン、俺たちちょっと行ってくるから。後のことはお願いね」


 別れ際にヨハン王子が私の頭を撫でてくる。髪を梳い、名残惜しそうに笑っているヨハン王子は死地に向かう人のようだ。

 いや、人のようじゃない。実際何人も死者が出た。周りに並べられていたのは、海に落ちた騎士たちの遺体だった。


「行くって……!」


「大丈夫! 終わったらすぐ戻るから、オネーサンは留守番してて!」


「嫌です!」


「オネーサン」


 置いてかれないように、私はヨハン王子にしがみつく。〝悪魔の娘〟の私が行ってもただのお荷物になるってことがわかっていても。


「ダメだよ。オネーサンが一番危ないもん」


「……悪魔が、悪魔になるからですか?」


 ヨハン王子は答えなかった。彼はただ笑ってクイーンドラゴンになり、先を飛ぶアイオンとアポロの後を追った。


「……ッ!」


 伸ばした手は、空しく空を掻く。それは、フランク王子に連れ去られた時と同じだった。

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